逸徳さんのお怒りはもっともだ。
迷走日本はどこへ行くのか。
ちかくの袖ヶ浦公園に女房といったら寒風の大きな沼一面に水鳥が楽しそうに泳いでいた。かるがもの親子の可愛いこと。あの連中は悩みなんてないんだろうなあ。
とりあえず猫跨ぎ句を鑑賞して逸徳さんの怒りを鎮めたい。
・古書の傍線腑に落ちて寒鴉
古本屋で経験あります。先日、神保町で一海知義『漢詩 漱石と河上肇』を立ち読みしていたら、かつての持ち主の傍線があってぴたり腑に落ちた。買おうと思ったが高いのであきらめた。百円で買ったのは石光真人『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』これはいい本だね。近所の会津会をつくっている横山医院の先生にプレゼントしたい。
薩長の下級侍どもは天下をとったとたんに位人臣をきわめ、旧藩の江戸藩邸を接収し勲章ぶら下げてふんぞりかえった。会津藩士は下北の辺地で俵のなかで寝てネズミを喰って飢えに耐えた。
・鳥渡り父の時計の動かざる
準特選
掲句は時間というものをしみじみと考えさせる秀句。考える自分もほどなく時間のなかに埋没し消え去ってゆく。いいねえ、人生というものはそういうものらしいのだ。親戚の八十過ぎのおじさんから『うたかたの三万日』という部厚い「自分史」をいただいた。面白く読んだが、他人の自分史などというものはなんとなく儚いものだ。まさにうたかた。私は自分史を書く趣味も家系図調査の趣味もない。しかし道産子がご先祖様の出自を調べに内地を訪ねるのはあれはよくわかる。自分も屯田兵の子孫だったら同じことをやるだろう。
・鍋敷があつたので買ふ文化の日
鍋敷たった一枚ね。文化の日に自分で買ったのね。あたたかいしみじみとした庶民性がよい。
今夜は牡蠣鍋か、白菜たっぷりのチゲ鍋か。立ち上る湯気がみえるよう。幸福はこんな日常の細部に宿るんだ
・悔恨といふ塊の秋落暉
落魄のひとの相談によくのるんだ。とにかく延々と話をきくんだ。生きる気力が本人のなかに少しわいてくるまで耳をかたむけるしかないんだ。人間はどんな親をもつかで人生は大きく左右されるね。ひとは親を選べないんだ。
安倍とか石破とか小沢とかみんな苦労と無縁のお坊ちゃん育ちだね。おれも苦労という苦労もしないで古稀になったんだけど…
・着ぶくれやメタセコイアの暮れ残る
メタセコイアの紅葉は大好きだね。あの色がいい。夕景によくあうし初冬の朝日にもよくはえる。地面も一面針葉がしきつめられている。北米外来の木がすっかり日本に定着している。長柄町にふる里村という別荘地帯があって見事なメタセコイア並木がある。外来種といえば今はセイタカアワダチソウもススキの陰にひっそりと控えめに。おごる平家は久しからずだ
特選
・フィリピン産オクラを刻み十二月
オクラの花は黄色の大輪。昔はオクラなんてなかったな。
ちゃんと自炊して作者は御飯食べているんだね。
・冬構鏡台の裏はじめて見る
奥様ご愛用の鏡台。新婚時代を思い出している微笑ましい景。
・草か木かまだ朽ちかねる枯芭蕉
芭蕉は多年草だそうだ。あの葉っぱは豪快だ。
・ボロ市や根付の棚の混み合へる
根付けというと池波正太郎の世界へなぜか飛ぶ。
・「目覚めよ」と叱られ年末大通
はて誰が誰に叱られたんだろう。
一方的に、悔い改めよ、さすれば神は貴方を救う…大音響で流している宗教団体があるけれど。こちとらは悔い改めることは今のところあまりない。牛飲馬食以外は。
0 件のコメント:
コメントを投稿