2013年7月31日水曜日

いろんなおじさんたち・・・褌子

最近の近況を備忘録的に書く。【→カラス瓜の花。夜だけ咲く。ついに撮影に成功した】
いろんな境遇のおじさんたちの相談相手になっている。わがやの隣が畑で地下水をポンプでまいてやるので年中、野菜をもらう。この野菜を配って歩いているおじさんたちのはなし。
■天涯孤独の無籍のKさんのことは以前も書いた。逸徳さんのアドバイスもあって地裁で就籍に成功したのだが、宿願を果たしたとたんに糖尿病になりKさんは元気がない。横浜大空襲をうけた保土ヶ谷区を探しまわり孤児院があったという土地を探し当てたときの感動がうそのよう…。
■80何歳のAさんとは長年のつきあいなのに、広い邸宅の一部屋に実弟を住まわしていることをはじめて知った。この独身の弟Bさんが外国で会社の顧問をしているのだが帰国したとたんにAさんの玄関で倒れ、脳梗塞で全く話ができない。兄弟だがふだんの会話がまったくなくて高い治療費もこれからの介護料も年金暮らしのAさんには負担できない。わたしも相談をうけて、弟さんの部屋を徹底的にさがしてパスポートやQ国の貯金通帳多数を発見。名刺がでてきて片っ端からQ国に電話したら、ついに日本語が何とかわかるおじさんがでてきた。向こうもBさんからずっと連絡がなくて困っていたという。きのう病院で兄弟並んでの写真を撮ったが会話も字も書けない。9月になって涼しくなったらAさんとQ国を訪問して貯金をおろしてくることになった。うまく行くかどうか。相当下調べをしていかないと…
■Cさんは外国人の嫁さんと離婚し子供三人抱えて県営住宅に住んでいる。糖尿病で目がみえなくて仕事ができず生活保護をとった。小学生の末っ子が学校に行かないので私の女房も何度も相談をうけている。担任の先生も困り果てているようだ。この小学生の女の子がご飯をつくっていて私も野菜やおかずを時々届けている。
■Dさんは有名企業のスポーツ選手だったが職場結婚の奥さんが新興宗教に洗脳されて自殺。Dさんも会社に居づらくなって退職してからずっと貧乏ぐらしで子供もいない。写真をみせてもらったが奥さんはすばらしい美人。Dさんは仕事の腕はいいのだが、ものぐさでゴミの山のなかに寝ている。すぐ近所なので年中、野菜届けたり、中古自転車をプレゼントしたり。美男子の落ち着いた雰囲気の紳士で飲み屋の独身ママさんにもてるらしく、誰と同居して家賃を半分こしようかなあと贅沢なことをいっていた。
■Eさんは元羽幌炭鉱労働者。縄文人みたいな雰囲気のいいおじさんで私のいちばん好きなタイプ。だまされて保証人になり自宅競売になった事件を解決して親しくなった。庭木剪定などに老夫婦でよくきてくれたが、去年、夜中に腰がぬけた。救急車呼ぶこと忘れて一晩たつうちに悪化して入院したがまったく回復しない。悩みは50過ぎた二人の息子がまだ結婚しないこと。おばさんは年中失禁するので玄関も小便くさい。Eさんの願いだった羽幌と生まれ故郷の留辺蘂に一緒に行こうと約束していたのだが夢はかなえられそうもない。
■Fさんは某有名建築学科卒だが高校時代からボクシングをやっていたのがあだになった。ゼネコンで部長なぐって失職。どこに行っても喧嘩っぱやくて殴ってしまう。サラ金相談を解決して親しくしていたが、万引き事件で逮捕された。スーパー側と和解して、もらい下げて解決。しかし、反省文をかかないとゴネテ…私としばらく絶交中。
■書けばきりがないが、全くの仮名であっても万一のこともあるので、ここらへんでやめておこう。

2013年7月27日土曜日

戦争画・・・猫跨ぎ

  ちょっと前になるが、東京国立近代美術館(竹橋)に久し振りに出掛けた。大きなイベントはやっていなくて、所蔵展を中心の閑散とした館内。何と65歳以上は無料。この所蔵展がなかなかのもの。国立の施設は矢張り違う。教科書に見る明治以降の近現代の有名絵画が随分陳列されて、儲け物だった。
  その中で意表を突かれたのは「戦争画」。戦争中に軍部の依頼で画家の有名どころが協力、戦意昂揚を目的に戦場を舞台にした大作を描いた。戦後これらは米軍の戦利品として押収された。随分後になって、アメリカのどこかの倉庫に埃まみれになっているのが発見され、日本へ長期貸与(無期限だろう)の形で里帰りした。その受け皿になったのが当美術館というのである。
いずれも2m四方くらいの大作が取り敢えず五枚ほど掲げられている。
中村 研一 「北九州上空 野辺軍曹の体当り B29ニ機撃墜/1938年」
大空にB29二機が半壊状態で煙を上げて墜落する様子。多分当時、大喝采された事件だったのだろう。むしろ叙情的の静けさが感じられ絵としてはよく描かれていると思った。
それから、藤田 嗣治 「血戦ガダルカナル」
これは日本軍が玉砕する寸前の死闘。銃剣を振りかざして日米の兵士達が血みどろの接近戦で息をのむ。激情が迸っている。
  藤田は当時協力した画家達のリーダー格で自身率先して大作に挑んだという。ところが戦後、一転して戦争責任を問われた。まもなく再び渡仏して二度と日本には戻らなかった。向こうへ帰化したはずだ。我々が知っている藤田嗣治の絵は、細い線の輪郭で描かれた繊細な猫や女性像。その画風でフランス画壇で独自の地位を確立した。両者の落差たるや呆然とする思いだった。八月がやって来る。藤田は戦後の日本をどんな思いで眺めていたのだろうか。そして自身を。

2013年7月24日水曜日

一強多弱・・・猫跨ぎ

  参院選挙もあっという間に終わってしまったね。予想通りで、事前予測の精度に驚くばかり。自民が70を窺う、民主が半減以下、みんな、維新はそこそこ、共産が健闘、それ以外は存続の危機、みな予想通りだった。ひとこと、一強多弱。
自民はいうなれば大吉が出たわけだが、見方を変えれば、あとは下るのみということか。参院の捩れ解消で重要法案が次々に自民ペースで成立してゆくのだろう。さて。

  選挙後の各党の討論会をテレビで見たが、集団的自衛権の可否でまたわあわあやっている。社民党はもう政党要件ギリギリになってしまったのだろうが、地球の裏側に戦争をしに行くのかと、化石みたいな事をまだ言っている。馬鹿馬鹿しくて切ってしまった。

私の印象を言うと、反対党は結局自公の政策の反措定をるる並べているに過ぎない。原発反対に対しては、エネルギー問題の今後は現実に即してどうなるのか。日米安保破棄、沖縄基地全面返還は結構だが、その後の安全保障はどうなるのか。TPP反対はいいが、孤立政策でこの国はやっていけるのか。この国の稼ぐ手立てはなにか。これらについて、一貫した矛盾のない政策を提示してくれないと、どうにもならん。個々の問題点を追求するのは結構だが、この国をこうしようというグランドデザインは聞いたことがない。
  民主党は事実上崩壊したが、それが無かったからだ。しかし一強多弱では、この国は危うい。まっとうな議論をする対抗軸は当分無理か。結局、自民党のなかの、党内野党がその任を負う、つまり派閥復活がすでに囁かれているではないか。

2013年7月20日土曜日

フェースブックの発言から転載・・・褌子

   政治とりわけ国政選挙は激烈な党派間の闘争である。原発、憲法と安保・基地、TPP、消費税・社会保障…どれも、国民生活を犠牲に財界やアメリカいいなり政治をまだ続けるのかどうかの問題。
  反原発を公約する候補者たちから、一人を選んで投票する基準はいつも国民の側にたって主張し行動してきた政党に所属する候補者であるかどうかだと私は考える。川田龍平さん、橋下聖子さん、やわらちゃん達が国会という海に沈んで姿が見えなくなるのは、政治が暮らし・平和・民主主義のすべてをめぐる党派間の闘争であり、とりわけ国会が数の論理で法案が決まる場であるからだ。反原発というシングルイッシューだけで候補者を選ぶことに私は賛成できない。
 吉良よし子さんという候補者個人を私は詳しくは知らないが、反戦平和というぶれない日本共産党に所属する党の候補者であるならばと東京の知人に支援をお願いしている。
―――――いっぽう、反原発というシングルイッシューだけを堅持して毎週金曜の官邸前行動を持続、発展させ世論に巨大な影響を与えてきた反原連のひとたちは、日本の新しい市民運動のあり方を切り開いた。
  原発ゼロを願う一人ひとりの市民があくまで個人として参加できる運動は貴重。思想信条にいっさいかかわりなく、団体や政党に属する市民も全く属しない市民もみな対等平等に「原発イヤ!」の一点だけで参加できるからだ。子供も在日外国人も参加できる、反暴力で平和的なNoNukes運動を持続させ日本中の反原発世論を励まし国会議員にも大きな影響を与えつつある反原連の方々には心から敬意を表したい。選挙がすんだら家族ぐるみで参加したいと思っている。

2013年7月11日木曜日

天声人語考・・・猫跨ぎ

  朝日新聞の「天声人語」は面白い。最後の1~2行に必ずひと言ある。頂門の一針というか、ここぞのひとことの積もりだろうが、私には耳障りな最後っ屁に聞こえてしようがない。今朝は、福島第一原発の吉田元所長の死去につき、縷々述べたあと、

〈ご冥福を祈りつつ思う。「身を挺しても」の気概頼みで原発を操ってはならない。〉

そりゃそうだろうが、ここは素直に弔意を表して閉じてもいいのではないか。
ギリギリの断崖絶壁で乾坤一擲の指揮をとることなぞ、そう出来ることではあるまい。
後理屈で偉そうに教訓を垂れることは、明日からやってくれ。

2013年7月10日水曜日

一句のまえに・・・猫跨ぎ

 「季語辞典」と言わず、「歳時記」ね。俳句をやるなら必携だが、やらなくてもこれは買っておいて損はないです。ぱらぱら読んでいるだけで面白い。季節の経巡りに敏感になり、諸事楽しみが増える。角川文庫版なんか手頃でいい。

それから、もしやる気になったらだけれど、これを傍に置いて、さてうーんと考え込んでも俳句は全く出来ません。筆下ろしは難しい。つまり、定型詩だから、それなりの規則はある。最低限は知って、その規則に則る快さを体感しないと徒手空拳感はいつまでもついて回る。そして結局止めてしまう。地元にカルチャーセンターや身近に格好の先達がいなければ、最後は入門書を読むしかない。
お薦めは、角川学芸ブックス 「新版 20週俳句入門」藤田湘子著
この本(旧版)は、私自身が体験済みで、類書あるなかで抜群にいい。真面目に読めば、ね。

しかし、梅雨明け三日とはよく言うが、暑いね。

2013年7月9日火曜日

そこで一句   九州の熊

俳句かい おれはそんなの 創れない
そうか季語がないなぁ 季語辞典を開けてみる、結構おもしろそう、フムフム・・、なんていう展開になれば目出度し々々、なんだけど・・。
最近の新聞記事(投稿かコラム)にあったけど、人格やそのひとのオーラはいろんな現象に素直に感動する、ということがベースになっているとか。ひとによっては加齢とともに感動が薄くなるというけどわたしは逆に最近いろんなことに注意がむくようになったように思う。それなら俳句が一番、と言われそうだけどとりあえず合唱だけで当分はいきたいです。

2013年7月8日月曜日

前衛の喜劇・・・猫跨ぎ

おや、熊さんか。久し振りだね。俳句に余り関心がないキャラと思っていたがこれはこれは失礼しました。
「時期尚早」の真意は兜太大先生に聞いて貰うしかないが、内容については御説のように、まだまだその域でないということかも知れない、可能性としてはね。ただ誰もそんなこと思っていない。
金子兜太は戦後俳句の革新、前衛運動の旗手を自他共に任じた俳人。齢九十を超えて、まだ元気、大御所中の大御所。
俳句という文弱の徒の集まりで、最も政治から遠い世界なのに、やはり政治が幽霊のように現れた。かって前衛の旗手を任じた男によってというとことだ。組織になるとどんな世界でも政治があらわれるという理がまた現れたという意味で興味深い。
この問題は「蛇笏賞」なるものの来歴、色んな背景を説明せなければいけないので、この辺にしようや。大して面白い話でもないので。そんなことより、一句どう?

金子兜太の発言    九州の熊

俳句の世界にはまったく疎いのです金子兜太という名前くらいは聞いたことがある。
件の「時期尚早・・」という発言の真意はどういうところにあるのでしょうかね。照井翠『龍宮』の作品が紹介されていてその雰囲気はなんとなく伝わってくるのだけど、そのなかにあるメッセージをいまはまだ受け入れるべきでない・・、とか。金子兜太がいいたいことがなにかあったのでは、と考えなくはない。あまりほじくり返しても意味がないことかもしれないけど猫爺さんの心境やいかに?

函館通信212・・・照井翠・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんが掲げてくれた照井翠の句本当に素晴らしい句ばかりだ。素晴らしいと感じると同時に実体験の強みと時宜を得た内容だと強く感銘している。日記的に次から次へ体験が拡がってゆきそれを鋭い表現で一句一句大切に表している。到底届かない存在にさえ見える。
 実体験が甘ければどうしても句も甘くなる傾向になるのだろう。そしてこれが十年、二十年後に読者にどう鑑賞されるのか想像するのは楽しいことだ。まあ芭蕉の名句と並べて考えてはいけないのかもしれないが。
 そういった意味も含めて時宜を得た作品集と言えると思っている。表現するのは何時なの!いまでしょう!
 「蛇笏賞」での金子兜太の発言は自身の固くなった頭の現われとしか言いようが無い。老害のの一種だろう。

『龍宮』・・・猫跨ぎ

  俳句の世界の話をすこし。
今日某出版社の俳句大賞の受賞式があったのでちょっと覗いてきた。
選ばれたのは、照井翠『龍宮』。照井翠は昭和37年生まれ。釜石高校の教師で、東日本大震災に実際に被災した。実体験者の句集と言うことで評判を呼んだ。私も一読したが迫真に迫り息をのむ句が多い。

・泥の底繭のごとくに嬰と母
・双子なら同じ死顔桃の花
・朧夜の首が体を呼んでをり
・春の星こんなに人が死んだのか
・穴といふ穴に人間石榴の実
・津波より生きて還るや黒き尿
・春昼の冷蔵庫より黒き汁
・三・一一神はゐないかとても小さい
・唇を噛み切りて咲く椿かな
・撫子のしら骨となり帰りけり
・朝顔の遥かなものへ捲かんとす

・泥の底繭のごとくに嬰と母
などは、何時までも語り継がれるだろう。

ちょっとこぼれ話を。
「蛇笏賞」という一応俳壇で最高とされる賞がある。今年度の受賞作品としてこの句集はノミネートされ、最後まで残ったが、結局、金子兜太の「まだ時期尚早」の一言で落ちた。これが一部で激しい反発を呼んだらしい。「時期尚早」など文学者の言葉ではない、官僚の言葉だ、と。 笑うべし、かっての前衛俳人、老害というべきか。

2013年7月1日月曜日

軍人手帳・・・猫跨ぎ

  軍人手帳は神保町の古書街で古い絵葉書とかその他もろもろの雑物のなかに時たま散見されますね。これちょっと脚色していて、実はそんなに高くない。それから、芸大の美術館で漱石展やっていて、漱石のデスマスクが陳列されている。なに、覗き込んでいたら、ご婦人が傍へ来て一緒に見たということで。

  写真展が好きでよく出掛ける。先週は恵比寿の写真美術館で三つの写真展を見た。「日本の写真1968」、「世界報道写真展2013」、「写真のエステ-光、反映、表層、喪失、参照」
それぞれに面白い。
「日本の写真1968」は、昭和43年に軸を据えて、その前、以降の日本の写真界を振り返ったもの。我々が社会へ出た頃だ。日常、事件が活写されている。当時コンテンポラリー写真という運動があった。同時代という意味。カメラマン自身が何を撮っているのか、どんな意味があるのかは判然としなかった写真が、40年たって今見ると、まさに時代を見事に活写していることがよく判る。なつかしく涙ぐむのもある。不思議なものだ。
こういう歴史がぼんやりと綴られて行くのはどういう作用なのだろうか。

さて、フロアを変えて「世界報道写真展2013」。まさにup to dateな写真。爆撃されたガザで死んだ子供を抱いた葬列。パキスタンのDVで夫から酸を浴びせられた女の無惨な顔。アメリカ黒人街の荒廃。現実が、まるで生木を断ち切ったような衝撃で目の前にある。
ふと思う。50年後この写真は、どんな歴史の薄膜を被って未来の人の前にあるのだろうか、と。

函館通信211・・・句評遅くなりました・・・仁兵衛

猫跨ぎ氏の句評遅ればせながらそっと。先ず目に付いたのが
・香水の香や漱石のデスマスク・・・・・香りとデスマスクの取合せに驚かされ、発想の面白さに圧倒された。
同じ様に自分には無い発想の斬新さに惹かれたのは
・アマリリス右脳の夜の襞の中 ・満州の野を駆け抜けし跣足かな の二句。
更に作者の過去に何があったのか想像しながら楽しめたのが 
・夏蝶や軍人手帳の高値札 ・卯の花腐し叔父が鶏絞めに来る
軍人手帳というものは見たことが無いので強い興味を惹かれました。又、鶏絞める事も本当に過去のものとなってしまったね。



梅雨空・・・猫跨ぎ

  辛坊治郎が「自己責任」で叩かれていると聞き、何のことかと思っていたが、イラクの人質事件の報道時の発言を問われているという。自分は救助要請し自衛隊機で助けられた。イラクの女性に救援機派遣などとんでもないとかって発言していた。なら、今回の掛かった費用を弁済せよ、か。辛坊氏が払うというのなら払えばいいしということだろう。
  印象をいうとこういう攻め方は意地が悪いね。風と桶屋の話みたいに、色んな関係性が入り組んでいる社会にあって、前言、前行為を人質に取られ、そら見たことかとつつかれていたら敵わんなというのが率直な印象だね。いわんや、マスコミで碌を食んでいる人間においておや。これが前例になると後顧をおそれて、沈香を焚かず屁もひらずの大人しい人間ばかりになる。マスコミの人間は一種のトリックスターみたいなところがあるから、放し飼いにしておいた方が面白い。あまりカリカリすることもないのでは。
  それから、相も変わらずアメリカ帝国主義と日本独占資本が諸悪の根源みたいな論調につながるが、つまりそれが最も坐りが良いような思考様式のように思われるが、どうなんだろうね。すくなくともイスラムの地殻変動は違う視点から見ないと見えてこないのではないか。まあ好きずきではあるが。

因果はめぐる・・・褌子

   因果はめぐるである。
  ネット上ではテレビキャスターの辛坊治郎氏が話題を呼んでいる。
  辛坊氏らがヨットで太平洋横断に乗りだし、宮城県沖で船が浸水して自衛隊機に救助された事件である。荒天をおかしての  自衛隊機による決死的な救出だったようだ。問題は、辛坊氏が日ごろから読売新聞系のテレビで「自己責任論」を展開してきたので、こんどは税金をつかった救出費用を「自己責任」で弁償しなさいという議論がネット上に噴出しているのである。
  私が記憶に残っているのは、イラクで戦争孤児支援にあたっていた高遠さんという女性達が、イラクで人質になってしまい日本政府が救出して帰国したときに辛坊氏が「自己責任論」を展開して高遠さんたちに費用を弁済しろとテレビで追及したことだ。戦争孤児支援にがんばるほどの高遠さんという正義感の強い気丈な女性が、事前に身内から説得されたらしく、成田空港で頭を下げ続けて謝罪し続ける姿は痛々しかった。あれほど自己責任をテレビキャスターとして主張してきたからには、一千万~四千万円ともいわれる税金をつかっての負担を辛坊氏は払えという議論がネット上にとびかうのも無理はない。
  私は、こんどのヨットの太平洋横断計画がテレビでの出演を意図したものであったにせよ、無謀だったのかどうかはわからない。国民の生命、財産をまもるのが政府の仕事である以上、救出は当然であり救出費用の弁済などはする必要はないと思う。(三浦雄一郎氏がもし遭難していたら…とかいろんな事例が想定されるが)
  しかし、辛坊氏はかつて自己責任論で追及したことだけは高遠さんたちに謝罪する必要があるのではないだろうか。謝罪する必要はないと強弁するのであれば、言ってることとやってることがちがうときびしい批判が続くであろう。
 (辛坊氏が当時の石原都知事に単独インタビューして東京都民は福祉に頼りすぎだと元知事と意気投合していた放映場面を苦々しく思い出す)
  こんど、国会末に民主党の醜い右往左往であやうく成立しかけた生活保護「改正」案も、困窮している国民が生活保護に頼らないように水際で撃退し、増え続ける生活保護費を抑制しようという法案だった。最近、大阪で餓死した母子がみつかったり札幌でも病気の姉妹が生活苦で心中した事件があったが、困窮する国民の最後の命綱まで断ってしまうという冷酷無比な法案だった。こういうものがでてくる背景にあるのが「自己責任論」なのである。貧乏になるのも病気になるのも身体障害をもって生まれてくるのも自己責任だというのである。当時、小泉首相や竹中平蔵氏がもっとも強力に主張し、辛坊氏らマスコミ関係者がそのお先棒をかついで、自己責任という妙な嫌なことばがはやりだした。
当時の小泉内閣が「財政再建のためには国民は痛みにたえる必要がある」と喧伝し、社会保障費を毎年二千六百億円も削減するために生活保護受給などはできるだけ遠慮すべきだと自己責任論を展開していたから根は深いのである。
 多くのネット氏らも、あのときの印象が強烈だったので、こんどは最低でも一千万円はくだらないといわれる税金をつかった救出費用を辛坊氏は負担せよというのであるが、もし負担をしたらかえって「自己責任論」は肥大化するのではなかろうか。
―――――
 話がすこし飛ぶが、だいたい、七年前のイラク戦争自体がイラクのフセインは大量破壊兵器をもっているとでっちあげてアメリカのブッシュ大統領が国連決議を無視して軍事介入をしたものである。9・11の首謀者をイラクが匿っていると無理矢理強弁したうえでの侵攻だった。
 イギリスのブレア首相につづいて小泉首相もアメリカのイラク介入を支持し、自民公明政権がイラク特措法を成立させてはじめて大規模の自衛隊海外派兵に踏み切った。大量破壊兵器など全く無いにもかかわらず数十万のイラク国民が犠牲になり、四千人ちかい米英の若者たちが戦死した。それどころかフセインの強権で抑えられていたスンニ派シーア派の抗争が、イラク戦争でいっきに激化し、いまだに悲惨な自爆テロ事件があとをたたない。
  「大英帝国の民族対立を利用しての植民地支配を脱してやっと独立を達成した発展途上の石油だけが資源の複雑きわまるイラクという国家」が、アメリカの軍事侵攻で民族対立再燃という地獄の釜がいっきょに開くことになるのではないか、という危惧が当時からあったが、事態はその通りになった。大量の米英軍の兵士の戦死でブッシュ大統領もブレア首相も退陣し、派兵したスペインでも政権交代が起きた。
  日本の自衛隊は日本国憲法九条が幸いして、戦闘地域には送られず、サマワという地域に駐屯してひとりの戦死者もださずに帰還できた。当時の指揮官のひとりが帰国後、日本の憲法に救われたと発言したことが印象深い。しかし、小泉元首相はイラク戦争を支持した不明を黙して語ってはいない。
  このアメリカ侵攻軍に従属しての自衛隊派遣で、中東諸国の親日感が一変したといわれている。ペシャワールで奮闘している中村哲医師たちもそのことをなんども日本のマスコミに寄稿して警鐘乱打してきた。昨年、北アフリカで起きた日揮の事件もその延長線上にあるのではないか。もし自衛隊派遣がなかったら高遠さんたちが反米ゲリラの人質になることがなかったかもしれない。うっかりイラク旅行にいってしまった幸田さんという青年が人質になり小泉首相に見殺しにされて頭部切断で殺されずに済んだかもしれない。
  軍事をもっては世界のもめ事は結局は解決しない、いっそう事態は複雑になり犠牲者の身内から報復にもえるテロリストがでてくるということを示している。