2013年12月19日木曜日

猪瀬辞任・・・猫跨ぎ

猪瀬知事が辞任するという。最近はお笑いのネタにされていたから何時まで恥を晒すのかと思っていたが。感想を二、三。

  人徳がないんだな。多少なりともかばう声がほとんど無かった。独断専行の独裁の匂いがするね。人相も良くない。改めて見直すと、いかにも愛嬌がない顔だ。

ホントに知事になりたかったんだね。権力者にすり寄る姿勢は以前から見えていたが、瓢箪から駒で知事になれるらしいとなると、目がくらんだのだろう。
  若干肩を持つと、選挙には実際湯水の如く金が出て行くらしい。1千万円があれよあれよとか。それ程肥大化しているんだね、最近の選挙は。そのための5000万円なのはだれの目から見ても明らかなのに、それを言えば公選法で即、アウトだからだらだらと恥を晒すハメとなった。どうせ駄目なのは目に見えているから、「そうです。選挙資金でした。」といえば、まだ後々目はあったのではないか。もう公人としてはトドメをさされた。いや、お笑いの道があるか。
  特捜が洗っているだろうが、徳田議員、徳州会という存在。ひところの田中角栄を思わせる。掴み金をばらまいていたのだろう。こういう存在がいつの世もいる。彼等から金を貰った政治家はどれだけいることか。翻って、猪瀬も5000万円を返しに行かなければ発覚しなかったのかもね。のこのこ返しに行ったところに政治家になりきれなかったウブさがあるのか。もっとも、特捜は結局は探り当てただろうが。特捜は直接これを手柄にすることはできなかったけれど、他に大物をねらっているのだろう。
今日、PHP新書から猪瀬の「勝ち抜く力」というビジネス書が発売されるという。最後にお笑いのネタを遺した。ブラックユーモア これに過ぎるものなしか。

しかし、道を歩いていて汚物を踏んだような気分だな、全く。

2013年12月17日火曜日

十二月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

もう、師走の句鑑賞になってしまったなあ。早いものだ。古希もあっという間に通り過ぎたし。

・冬支度豆粒ほどの火種から
火種といえば、煙管に火を継ぐとき、掌に一時的に前の火種を乗せておく芸当を見せられて子供心に感心したことがあったな。さて、冬支度の始まり、切っ掛けを言っているのかな。何となく腰が重そうな。
・小咄の火鉢一つに集めけり
火鉢を囲んでボソボソと世間話をしている風景か。
・革ジャンと鍵ジャラジャラと車椅子
頭はリーゼントか。この或る種の美学にとらわれる青年は何時の時代にも必ずいるね。
車椅子か。どうしたのだろう。
・月冴ゆる欠けた英字のビスケット
最近そのビスケット見掛けないなあ。
・行き着ひた防空壕跡雪しまき
「着きた」の音便で「着いた」だね。拙句の「~連隊跡しぐれ」と同じ気分か。
先年、褌子氏の案内で、館山の戦跡を訪ねたことがあった。首都防御という位置づけか、規模が大きかった。
・新雪の中に小銭を落しけり
何げない日常風景だけれど、なにか切ないね。これが特選。
・テロメアの長さ測りて冬の空
テロメア―染色体の末端にあって、細胞分裂回数、つまり寿命を記録する部分か。さて神は余命幾許と言い給うか。
・太陽に彗星呑まれ賀状書く
彗星の消失が何か日常の宇宙性を感じさせたりするね。先日句会で〈日の裏に彗星消えて日短か〉を出したが、反応はゼロだった。
・自転する星に生れて雪だるま
雪だるまは土やほこりで妙に縞模様を形成する。そう自転しているんだね、だるまも。
・四十ワット突然切れて大晦日
前回も四十ワット句があった。余程身近な、多分トイレではないかと思うが。年の最後の最後に切れたという、幕切れにしては些か出来すぎの暗転ではあるが、まあ気を取り直して行きましょう。

2013年12月16日月曜日

函館通信224・・・低気圧・・・仁兵衛

 NHKらじるらじるでワーグナーを聴きながら猫跨ぎさんの句を読む。また楽しからずや。

 ・東京の秋のスペイン坂下る・・・スペイン坂がどこにあったのかすっかり忘れてしまった。
 ・ぽつぺんのぺこぺこと秋惜しみけり・・・ぽつぺんもなんとなく思い出せない単語になってしまった。
 ・重砲兵第四連隊跡みぞれ・・・高校が青山連隊跡の建物を校舎に使っていた。下士官室が部室になっていて部活を楽しんだ。句は連隊跡の侘しさをみぞれで言い表して妙。佳作。
・秋風や万太郎碑の小さき文字・・・久保田万太郎は下町の粋人。美味しい食べ物を紹介してくれている。
・閉業のつづく木犀匂ふ街・・・閉業と聞くと東京と地方都市の格差を思い知らされる。
・下駄箱の中の釘箱冬構・・・箱の中に箱を置いているのが面白い構図だ。どこの家でもありそうな情景を上手く捉えているね。準特選
・地下室の思はぬ広さ冬に入る・・・地下室を持つほどの大きな家には住んでいないがそれでも中七の面白さは格別だ。季語の選択がこれまたいいね。特選。
・絵屏風を畳んで運ぶだけの役・・・どこの劇団でも黒子的存在は重要だ。いや大掃除で大切な屏風だけを運んで後は知らぬと逃げたのかな。想像が膨らむ。準特選。
・頬杖の真中に秋の虚空かな・・・何か情緒過ぎていて好みに合わなかった。
・幾たびも熊撃つ話今年酒・・・だいぶ酔っ払っているのかくどさが滑稽。佳作。
 
 書いている内に放送は邦楽に変わっている。三味線の音はしっとりとして又心を落ち着かせてくれる。ながら族の楽しみ。12月の十句そっと出す。

・冬支度豆粒ほどの火種から
・小咄の火鉢一つに集めけり
・革ジャンと鍵ジャラジャラと車椅子
・月冴ゆる欠けた英字のビスケット
・行き着ひた防空壕跡雪しまき
・新雪の中に小銭を落しけり
・テロメアの長さ測りて冬の空
・太陽に彗星呑まれ賀状書く
・自転する星に生れて雪だるま
・四十ワット突然切れて大晦日





















存在の哀しみ・・・猫跨ぎ

  根底には存在の不可思議さへのおののきがあり、それが詩歌に顕れるとき、存在の哀しみの表出となる。まあ、そんなところではないか。我ながら良いことをいうなあ。
「手の汚れ」にしても意識は同じだけれど。
今の俳句の大衆化、堕落はもはや度しがたい。店頭で俳句雑誌をパラパラと開いて欲しい。爺婆どもが相も変わらぬワビサビを装ったバカ俳句を量産している。俳句をやってますという形をとりたいだけだ。全く心に響かない。

閑話休題。漆器がああいう真摯な努力に支えられている。しかし塗り椀一つが15000円か。今の商品経済に乗せるとそう言うことになるのか。まあ徐々に身の回りに置いていきたいものだ。そうそう、ひでを氏が朝市の漆器店で奥方に洒落た花器を買っていた。帰って褒められたのではないか。

2013年12月15日日曜日

初冬の読書あれこれ・・・・・  褌子

  堤清二として西武セゾングループを率いながら、作家活動をつづけ秀逸な文学評論も残した辻井喬が亡くなった。
 新聞の訃報記事に接して、書棚にあった辻井喬『私の松本清張論』を読んでみた。
 辻井は「私の好きな清張作品」として
『火の記憶』と『張込み』、そして有名な『点と線』をあげている。私も同感。とくに『火の記憶』は忘れがたい印象を残す短編だった。
 辻井が清張作品に興味を持ちだしたのは映画『砂の器』をみたのがきっかけだという。『砂の器』は昭和35年に原作が発表され二度も映画化され何年か前にはテレビ映画にもなった。
 私も昔、どこかの映画館で、男の子とハンセン病の父とがお遍路の装束に身をつつんで海岸を歩くシーンに涙した記憶があり、松本清張を読み出すきっかけになった。(もっとも原作にはこの海岸の描写はない)
 能登旅行から帰って、三日かけて『砂の器』を再読した。結末もじゅうぶん承知していても、筋の展開がむしょうに面白い。どういうわけか先日、逸徳さん國兼さんと訪ねた加賀の鶴木の町のどんよりとたれこめた空が思い出された。
 刑事が石川県に出張し、妻に輪島塗の帯留めを買う数行もある。作中、五十五、六の痩せた老人が…などと書いてあると昭和35年頃は五十代で老人と書いても読者は違和感がなかったのかと思ったりする。
 犯人らしき男が「カメダのほうは…」と東北弁で話していたというトリスバーの客の証言で秋田の羽後亀田に行った刑事が、じつは島根県の出雲の山奥にズーズー弁をはなす亀嵩という地名があることに気づくところなどは、おもわずうなってしまった。
 仁句の
 ・富士の山中央線から冬にいる
 中央線は地質学の中央構造線とも中央高速道路ともとれるが、『砂の器』を読んだ直後だと、返り血をあびた白いシャツを犯人の恋人が切り刻んで富士のみえる中央本線を走る汽車の窓から紙吹雪のように捨てるくだりがあって、すぐ仁句の印象と結合した。
  猫跨ぎ句の
・千枚田を転がり落ちる鎌鼬   は愉快。笑ってしまった。
 カマイタチというのは、原因不明の切り傷で佐渡でもよくあったと親が昔いっていた。
 越後七不思議ともいわれる鎌鼬があの白米の千枚田をころがりおちるというのが面白い発想。カマイタチというイタチの種があるわけではない。宮部みゆきに『かまいたち』という佳作がある。
・寒菊や若き塗師の手の汚れ
 逸徳さんはいい教え子をもったものだね。春の東京麻布の展示会では再会したいものだ。

寒い・・・逸徳

寒くなった。静岡程度の寒さでさわいでいたら仁ちゃんに怒られそうだな。 しかし、年をかんじるのです。からっかぜが、関節にしみる。能登の旅ではお世話になりました。 あそこはまるで文化的な独立王国というか、不思議な世界だった。で、お師匠の作品拝見。独断と偏見でこころに残ったものだけあげてみた。
・ぽつぺんのぺこぺこと秋惜しみけり
・重砲兵第四連隊跡みぞれ
・閉業のつづく木犀匂ふ街
・地下室の思はぬ広さ冬に入る
・絵屏風を畳んで運ぶだけの役
・頬杖の真中に秋の虚空かな
 ・寒菊や若き塗師の手の汚れ
こうしてみると、なんとなく自分の心境がどこか反映している。一番すっきりとしたのが「頬杖の真中に秋の虚空かな」で、「地下室の思はぬ広さ冬に入る」とどっちかまよったが、特選と準特選ということで。 で、共通しているのは、最後の句をのぞいて、「空虚 なにもない からっぽ あわれ」という感覚である。こういうことに共感してしまうのは、これどういうことかなあ。もしかしたら、人生最終段階の先を無意識に考えているのかもしれない。 元気で、ポジティブに未来を語る年寄になりたいと思うのだが。

 最後の句。 あの、H嬢のように、若い人が自分の生き方をまっすぐにとらえて、前向きに生きようとしているのをみると、一種の欠落感、あるいはやり残し感を感じてしまうことがある。 ああ、この子にくらべておいらはどうだったんだ。やり残したことはないのか。過去を振り返ってもしょうがないが、人生の曲がり角のひとつひとつでやった自分の選択は正しかったか、あれでよかったのか。その選択の集大成として現在の自分がいる。そのことは重々わかっている。だが、ひとつ選択をかえていたらまったく別の物語が展開したのかもしれない。なんてことが頭にうかび、Hみたいのにあうと思わずがんばれよと、きこえないようにつぶやく。

まあみなさま。そういうわけで、H嬢東京後援会(事務局長は若い女の子が好きな褌子氏にぜひ)にぜひご加入いただきたく、もう5年くらいしてHが独立したら、お椀のひとつも買ってやってください。ふしてお願い申し上げます。

2013年12月12日木曜日

季節外れの投句・・・猫跨ぎ

今年の流行語大賞が四個同時受賞とか。世の中が動き出したという証左が何となくこんなところにも現れるのかな。
しかし世の中どこへ向かっているのかね。
��1月投句が遅れて、やや季節外れとなったけれどまあいいか。

・東京の秋のスペイン坂下る
・ぽつぺんのぺこぺこと秋惜しみけり
・重砲兵第四連隊跡みぞれ
・秋風や万太郎碑の小さき文字
・閉業のつづく木犀匂ふ街
・下駄箱の中の釘箱冬構
・地下室の思はぬ広さ冬に入る
・絵屏風を畳んで運ぶだけの役
・頬杖の真中に秋の虚空かな
・幾たびも熊撃つ話今年酒

2013年12月6日金曜日

能登五句・・・猫跨ぎ

取り敢えず能登旅行の五句

・寒菊や若き塗師の手の汚れ
・角海家(かどみけ)の鹿皮の半纏冬ざるる
・千枚田を転がり落ちる鎌鼬
・合鹿椀と須恵器の並ぶ小春かな
・怒濤噛む奇岩より冬始まりぬ

2013年12月4日水曜日

世の中いろいろ・・・猫跨ぎ

  NHKスペシャル「宇宙生中継 彗星爆発 太陽系の謎」を見た。タモリを司会者に、国際宇宙ステーションを結んでアイソン彗星大接近を伝えるNHK渾身の番組の計画だったようだが、あれあれ肝心のアイソン彗星が消えてしまった。空振り三振の筈が、何とかそれなりに仕上げていて結構面白かった。彗星の起源と惑星系の生成が絡んでいる最近の天文学は、見てきたような話でホントかいなと思うが、実にダイナミックで面白い。
  堤清二(辻井喬)氏が亡くなった。三~四年ほど前、成田市の書道会館で、日本近代文学館主宰の展示会&講演会があって、同氏が講演した。そう褌子氏と偶然同席した。東大学生時代の小説家たちとの交流話が面白かった。同じ頃ラジオかなんかで同氏のインタビューを聞いたが、異母弟の堤義明氏のことについて触れ、たまに会っても、彼とは全くディスカッションにならないんだと言っていたのが面白かった。成る程、水と油だろうな。実業家と詩人・小説家の二足のわらじを履き、それぞれに業績を上げた稀有な人物だった。  
  猪瀬知事が窮地に立たされている。石原前知事が、何故徳田議員のところへ行ったのかと訝っている。彼は石原の支持母体を後継者として引き継ぎ、選挙資金も潤沢だった筈だという。ノンフィクション作家として私も一目置いていたが、何だかこの人物の暗部を覗いた気がするね。 無利子無担保の巨額の現金授受の話が、先々露見しないとでも思ったのだろうか。彼ほどの犀利な人物にして、目がくらんだとしか言い様がない。オリンピック招致で得意満面から今、奈落へ転がり落ちる淵にいる。このどんでん返しの主人公がまさか自分とは。天を仰いでいるに違いない。この先ノンフィクションで書いたら大したものだ。

台北の紹興酒は美味い・・・褌子

 近所の82才のおじいさん夫婦の相談事で、いま台北のホテルにいる。おじいさんと同居している独身の弟が脳梗塞で倒れ動けなくなり意思表示もできない。その弟が年中、台湾に出かけていたというので、私が弟の部屋にあったたくさんの名刺に電話をかけまくって台湾の魯慶志さんという事業家に雇われていたことをつきとめたのである。おじいさんが高血圧なので懇願されて同伴、台北の魯さんの会社を訪ねたのが9月。今回は台湾南部の高雄の実家からでてきた魯さんと三人で台北のホテルに同宿している。
 三日間、福華大飯店ホテルで「陳年紹興酒」を飲みながら老人ふたりの話に耳をかたむけた。
 魯さんは昭和7年生まれで日本語が話せる。福建省から三百年以上前に高雄に移り住んで八代目。客家ではない。家系図があって先祖代々の商人。魯さんは20才で結婚し、ひ孫が五人。一番うえの曾孫が中学3年だが「ひいじいちゃんのような立派な商売人になりたい」といっているそうだ。そうすると11代目だとうれしそう。若い頃からアメリカ、日本などで夢中で働いた。いまは北欧の機械メーカーの台湾代理店だが81才で若い社長に譲り高雄に引退したばかり。魯家は商人の家系だが子供が親の商売を継がない。若いうちに失敗を体験し「失敗は成功のもと」にするんだ、という。悪いことはしない、困っている人を助ける、いつも神様に感謝して生きる、この三つを守れば必ず商売は成功し幸せになります、とのこと。
 同年の奥さんは熱心な仏教徒で、肉も魚も食べない。毎朝1時間もお経をあげている。魯さんの商売のことは全くわからず、7人の子供を育てることに専念してくれた実に優しい女なんだと女房自慢。奥さんは認知症がすすみ、今話したばかりのことも忘れるんだという。よくホテルから携帯電話で高雄の奥さんに電話をしている。同じ話を何度も何度も。
 八〇過ぎのお年寄りふたりとも高潔な人柄で学ぶものが多々ある。台北に来て三日間、閉口するのは、ふたりとも夜7時過ぎには寝て、朝の2時ぐらいから交互に起きだし、しょっちゅうトイレに行ったり薬を飲んだり、咳をしてはお茶を飲んだり、日本からおみやげに持参した血圧計で血圧はかったり。昼食後に2、3時間くらい昼寝するのも日台のお年寄りで共通。
・・・おれもあと10年生きると多分こうなるのだなあ。食事もゆっくりゆっくり。銀行への往復もゆっくりゆっくり歩く。
 台北はいまの時期、暑からず寒からず。昨日はタクシーで故宮博物館へ行ったら中国から観光客が押し掛けているので入館制限があるといわれてあきらめてホテルに帰って三人でまた昼寝。タクシーの中は日本のカラオケばかりで賑やかだ。台湾人は中国のことを「大陸」というが人は中国人という。台湾は中華民国だが自分のことを台湾人といっている。国父孫文の辛亥革命から102年経っているので銀行の為替レートの電光板には「民国102年12月3日」とあった。魯さんは台湾出身(本省人)ではじめて首相になった李登輝をいちばん尊敬しているという。ご先祖様は大陸人だが、魯さんは身も心も台湾人なのである。
 眼光はするどいが笑顔がすばらしい愛すべき台湾人と知り合いになった。銀行との協議で、次回は3月に三泊四日で来ることになった。
 いずれ、高雄の魯さん宅を訪ね、玉山=新高山にも行ってみたいものだ。

2013年12月3日火曜日

飛行機の旅・・・猫跨ぎ

  今回は羽田―能登と飛行機で往復したけど、早割、特割なんかを使えば随分安く旅行できる。LCCなんかの普及もあって旅行は様変わりになった。とはいうものの、気付いたことを二つほど。
  家を出るときに何げなく、アーミーナイフをリュックに入れたのが、搭乗の保安検査であっけなく引っ掛かった。検査機の精度は大したものだ。PETボトルと違ってこれは機内持ち込みは駄目で、預かりとなって向こうの空港で渡される。
  それから帰りの便が随分揺れた。当日、不連続線が列島を東へ横断中で、気流の具合が不安定だった。離陸間もなく、左右に大揺れし、思わず前の座席に掴まってしまった。女性の悲鳴があちこちから上がったが、乗務員はさすがに「危険はない」とことさらに落ちついた声で機内放送。しかしこの日彼女らは機長の指示とかで一度も座席を立たず、機内サービスは無しだった。一瞬、もしやの気持になったね。こういう状態の時は、乗客は全く為すすべはない。これは飛行機の旅の避けられないリスクだなあ。

2013年12月2日月曜日

十一月仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  北海道は完璧に冬ね。今年はJR北海道の事故続きが残念だった。みな旧知の体質がもろに露見したみたいなところがあるなあ。本質的に赤字構造で今後とも独立採算が可能とは思えない。これからどうなって行くんだろう。

・富士の山中央線から冬にいる
中央線からの遠望としての富士山。それが綺麗に冠雪しているのが見えた。沿線が晩秋とすれば、列島に冬が到来しているという実感か。
・アイロンのスチーム止まり時雨かな
アイロンのスチーム音が止まって、外の時雨の音が聞こえたという聴覚の繋がりを言っている。ちょっと微妙なところ。準特選。
・文化の日楠のある小学校
楠は常緑広葉樹。葉を採って、折りまげるとあの独特の香りが匂う。何というか昔の木造校舎が連想されるね。
・小春空インク滲ませ文を書く
周りから万年筆が本当に見られなくなった。贈答記念品とかになってしまったね。でも、神保町の金ペン堂はまだ健在。いつまで続くか。
・暮れ早し学童疎開の兄戻る
学童疎開は我々の年代では直接経験することは無かったが、作者にとって、終戦後かなり経ってからこういう事実があったのだろうか。
・四十ワット突然切れて冬隣
四十ワットはトイレの電球かな。急な闇に、冬到来を感じたということ。我が家の階段の電球取り替えがいつも苦労する。今度はLEDランプにするつもりだけれど。
・日短シャンソン唄ひはじめてる
日の短さとシャンソンの唄と取り合わせはちょっと実感がないけれど、どうかな。
・ジオラマに無口集まり小春かな
ジオラマ―博物館の昔の城下町俯瞰とか、身近には鉄道模型の背景としてのそれ。皆、じっと見入って無口になっている。確かに。
・冬めきて月命日の海の色
まあ、深沈とした心象風景が見える。特選。
・初雪やあらくさ原で嘶きて
荒れ野の馬の嘶きだけれど、初雪とくると、新春の溌溂とした風景となる。準特選。

2013年12月1日日曜日

能登そのあと・・・猫跨ぎ

  北前船といえば加賀、能登、越中、佐渡なんかを連想するが、日本海を大廻りする交易路という捉え方をすると、結局は大阪の大商人が総合プロデュースしていた事業なんだろうな。黒島角海家はいわば中継地の中小商社みたいなものか。能登の船乗りを束ねて、春に大坂へ送り出していたということだろう。坂本冬美の「能登はいらんかいね」を思い出す。何人かに聞いたが、結局はかばかしい返答はなかったが、まあ、有り体に言って、能登は労働力を提供する役割であったのだろう。
  三日目は小倉さんとタクシーの五時間コースで、松本清張のヤセの断崖、義経の舟かくし、増穂浦の「世界一長いベンチ」(主旨不明)、別名能見二見の機具岩(はたごいわ)、能登金剛名勝のシンボルの巖門、などの有名どころを周り、創建700年の妙成寺(日蓮宗)の五重塔、石川県最大という気多大社(けたたいしゃ)を見た。この大社には「入らずの森」が奥にあって、神韻たる雰囲気があり神社の古い形式を感じさせる。この地点より直ぐ南に、波打ち際を車で走るという千里浜なぎさドライブウェイがあるが、寄らず反転し能登道路で七尾に向かい、能登島大橋を渡って能登島へ行った。まあ、一応上陸したということで記録しておく。ツインブリッジで直ぐに戻り、途中、「ボラ待ち櫓」なるけったいな木組みをみつつ、JR終点穴水駅を横目に通過して能登空港へ到着した。
  断崖の連なる景観は見もので、ここを見ずして能登に来たというなかれ、画竜点睛を欠くと言っておこう(笑)。しかし突き出た能登半島を、半島たらしめるこの堅い岩盤は、いかなる地質構造によるものか。
��つづく)