2013年12月15日日曜日

初冬の読書あれこれ・・・・・  褌子

  堤清二として西武セゾングループを率いながら、作家活動をつづけ秀逸な文学評論も残した辻井喬が亡くなった。
 新聞の訃報記事に接して、書棚にあった辻井喬『私の松本清張論』を読んでみた。
 辻井は「私の好きな清張作品」として
『火の記憶』と『張込み』、そして有名な『点と線』をあげている。私も同感。とくに『火の記憶』は忘れがたい印象を残す短編だった。
 辻井が清張作品に興味を持ちだしたのは映画『砂の器』をみたのがきっかけだという。『砂の器』は昭和35年に原作が発表され二度も映画化され何年か前にはテレビ映画にもなった。
 私も昔、どこかの映画館で、男の子とハンセン病の父とがお遍路の装束に身をつつんで海岸を歩くシーンに涙した記憶があり、松本清張を読み出すきっかけになった。(もっとも原作にはこの海岸の描写はない)
 能登旅行から帰って、三日かけて『砂の器』を再読した。結末もじゅうぶん承知していても、筋の展開がむしょうに面白い。どういうわけか先日、逸徳さん國兼さんと訪ねた加賀の鶴木の町のどんよりとたれこめた空が思い出された。
 刑事が石川県に出張し、妻に輪島塗の帯留めを買う数行もある。作中、五十五、六の痩せた老人が…などと書いてあると昭和35年頃は五十代で老人と書いても読者は違和感がなかったのかと思ったりする。
 犯人らしき男が「カメダのほうは…」と東北弁で話していたというトリスバーの客の証言で秋田の羽後亀田に行った刑事が、じつは島根県の出雲の山奥にズーズー弁をはなす亀嵩という地名があることに気づくところなどは、おもわずうなってしまった。
 仁句の
 ・富士の山中央線から冬にいる
 中央線は地質学の中央構造線とも中央高速道路ともとれるが、『砂の器』を読んだ直後だと、返り血をあびた白いシャツを犯人の恋人が切り刻んで富士のみえる中央本線を走る汽車の窓から紙吹雪のように捨てるくだりがあって、すぐ仁句の印象と結合した。
  猫跨ぎ句の
・千枚田を転がり落ちる鎌鼬   は愉快。笑ってしまった。
 カマイタチというのは、原因不明の切り傷で佐渡でもよくあったと親が昔いっていた。
 越後七不思議ともいわれる鎌鼬があの白米の千枚田をころがりおちるというのが面白い発想。カマイタチというイタチの種があるわけではない。宮部みゆきに『かまいたち』という佳作がある。
・寒菊や若き塗師の手の汚れ
 逸徳さんはいい教え子をもったものだね。春の東京麻布の展示会では再会したいものだ。

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