2013年6月29日土曜日

ピコピコ・・・猫跨ぎ

 Twitter、Facebook が世界中に蔓延しているらしい。時の総理大臣が、もと高級官僚を名指しでやっつけたりしている。岩手の県会議員がアホなこと言ったのは悪いが、ブログが炎上したとかで、自殺してしまった。死ぬことはあるまいに。しかしネットは肉声でないからどんどんエスカレートする。この恐怖心は経験しないと判らないらしい。
電車の中は言うまでもないが、最近は駅のホームで歩きながらピコピコやっており、放送で注意を喚起している。とにかくしゃべりたいんだね。自己表現、自己露出、したくてしたくてか。おおむね自分は安全なところにいて、玉を打ちまくる。あまり健康的じゃない。
ポアンカレの問題に没頭し世捨て人になってしまったロシアの数学者を対極におき、人間の知性の奥深さを珠には拳々服膺したいものだ。

『死の家の記録』・・・ 褌子

   4月にiPhoneを買った。5月にTwitterとフェースブックを始めた。電車のなかで本も読まず、居眠りもせずにピコピコやっている奴をしんそこ軽蔑していた自分が、ピコピコ族に転落した。
  夜9時ごろ寝ると朝4時過ぎに目が覚めてフトンのなかでしばし沈思黙考。あれやこれやと腹がたつことが多いなあ。安倍首相が「事故を経験したから日本の原発は世界最高水準の安全技術」をもっていますと、あっちこっちに核のトップセールスをして自慢している。高市早苗自民党政調会長が「原発事故でひとりも死亡していないのだから、再稼動もしたらどうか」と演説したこと・・・これらは橋下の慰安婦発言よりも莫大な復興予算を関係ないことに流用していたというニュースよりも腹が立った。腹にためておくのは身体によくないと清少納言もいっているので、ちょっと腹がたったことをわずか140字以内でTwitterで文字通りつぶやくように発信するのである。そうすると数分以内にどこのどういう人かはわからんが何人もの人から反応らしきものがある。さらに、賛否もふくめて首相のトップセールスに対する発言などを自動的に広い集める機能が働いて一時間くらいで何十人もの意見が自分の携帯電話上に次々とあふれる。(世の中ヒマジンが多いらしいが、世の中同憂の士も多いようだ) 
   慰安婦発言で大阪市議会で橋下市長の問責決議案がでたときに、公明党がどたんばで維新側について辞職が不発になった夜には数千人が「コウメイはコウモリだ」とか「やっぱりそうか、そうかがっくり党」などの発言がTwitter上にあふれた。右翼の誹謗中傷(ネトウヨというらしい)、「なりすまし発言らしきもの」はブロックすれば来なくなる。こういうネット上での即時的な簡単な意見交換の場というのはいままでなかったから流行っているのもうなずける。わたしもときどきつぶやくが、下品な個人攻撃などは決して書かないように注意している。
   いっぽうフェースブックは匿名性がないかわりいくらでも書ける、友達の友達…というふうに交換の輪がどんどん増えていくが、ある一定の枠のなかでの情報交換のようだ。Twitterのように、はちゃめちゃな四方八方への広がりがない。私の性格ではいまのところTwitterのほうがおもしろく、しかも外出中、電車のなかなどで世論の動向を観察するのに向いている。Twitterで情報が流れて一日くらいたつとテレビや新聞がおそるおそる報道するがメディアが流すものは権力迎合の取捨選択されたものが多いのだと痛感させられる。
   「アベノミクス 株価」などと打ち込んで検索すると、もうかったぞ、いま買えという株屋らしき発言、いやアワノミクス、サギノミクスだと損して怒り狂っている人、アホノミクスだと早くから一刀両断して警告していた浜矩子同志社大教授への共感と反発、構造改革なくして経済成長はありません貴方も株買って経済再建に一役をなどと年中しゃべりちらしている竹中平蔵などの御用学者などなど百花繚乱の場外乱闘。
―――――
   もちろん、Twitterよりもフトンのなかで読む小説のほうがはるかに面白いのはいうまでもない。「光文社古典新訳文庫」というのはありがたい。いま読んでいるドストエフスキー『死の家の記録』もむかし難解だなあと投げ出したことがあるが、望月哲男訳だとすらすら読める。人間、いつの時代も地球上のどこにいてもやること考えることは似たようなものだな…いやいやそうと決めてかかると間違うぞ。人間離れした囚人たちの異様な体験告白、言動の数々・・・

2013年6月27日木曜日

そして日本は・・・猫跨ぎ

 ぱたと訪れが無いので続けよう。都議選が終わって、参議院の選挙も大体結果が予想されるようになった。自公の圧勝、民主、維新の惨敗。安倍内閣の異様な人気で他は蹴散らされた感がある。共産党のみは自公の反措定との位置づけで存在感を発揮したと言うことか。
  民主党、維新の凋落は、ふわふわした民意が如何にはかないことかということの証左だろう。民主党は、綱領がないことに象徴されるが結局何をしたいのか判らないままだった。憲法改正可不可、原発推進可不可もはっきりしない。小澤、鳩山、管の結党三人男が政界から事実上消えてしまった。こんな事ありか。消えただけでなく、罵詈雑言を浴びせられている。なんの蓄積のないまま消えてゆくのは、政党政治の歴史の中で損失だろうに。維新は、太陽の党と合流したあたりから、急におかしくなった。しばらくは大阪で実績を上げていればよかったのではないか。慰安婦発言がなくても失速していたと思う。
  やれやれ自民党の利権政治がまた復活するのだろう。目に見える。
その前に、アベノミックスの行く末はどうか。誰も予想できない。株価上昇、円安というまるで絵に書いたような推移にあっけにとられているのが現状。マスコミは、一時東証が大幅に下げ、円高に振れたとき、そら見たことかと手を叩き、メッキが剥げたと囃したが、それも収まるとまた黙ってしまった。それに増してけしからんと思うのは、多くの経済学者だ。今は黙っている。行方が見えて来たときに、偉そうに後講釈をするのだろう。過去十年の悪性デフレに対し何の処方箋も出せずにきた連中だ。

2013年6月25日火曜日

ついでにCIA・・・猫跨ぎ

ついでに、CIA職員がCIAの大規模な盗聴を暴露した事件。香港政府が匿い、出国させてモスクワ経由でキューバを経て、エクアドルへ亡命させるということだった。ところが今朝、モスクワで行方不明になったと報じられた。一週間ほど前、ロシア通の元外交官佐藤優がもしロシアの手に落ちたら最後、彼は洗いざらい知っていることをしゃべらされる、そういう薬剤を彼等は持っていると言っていた。これはお膳立てされた筋書きと思われる。
職員はそういう罠に知ってか知らずか落ち込んだのだろう。それから冷戦時代の構図が世界地図上にまだしっかりと残っているという事だろう。

2013年6月24日月曜日

判らんことが多い・・・猫跨ぎ

  これも新聞を読んでの雑感なのだが、ぎょっとしたことが続いている。パキスタンの最高峰ナンガパルパットを目指していた外国登山隊(ウクライナ人、中国人など)をタリバンが襲撃し10人が殺害された。これは、その前にタリバンの指導者が殺害された事への報復という。登山隊と何の関係があるのか。
  それから先々週だったか、パキスタン南西部の都市で女子大生の乗った通学バスが爆破されて大勢が殺傷された。念の入ったことに、負傷者が担ぎ込まれた病院も一味に襲撃されて多くが死んだという。これはスンニ派の過激集団が、多数派のシーア派との紛争の一環という。手当たり次第の襲撃で、目的も効果も見通しも何も考えずやっているとしか思えない。
  イスラム過激派が無茶苦茶するという印象は数年前、アルジェリアで武装集団が、いきなり村を襲って女子供老人構わず殺害を繰り返したのを思い出す。同胞だろうにと思うが、宗派間の対立は半端な物ではないのだ。これがこの前、日揮のいたプラントを襲った北アフリカのイスラム過激集団のルーツだろう。
全く、世の中判らんことが多い。彼等に一つ転んで、核兵器が転がり込んだらどうなるか。躊躇しないだろうなと思う。そういう時代だ。

2013年6月23日日曜日

存えて古希・・・猫跨ぎ

昨日の葬式参列の件は、今月の10句の内容と無関係です。念のため。

冷酒や存へ卒寿の喉仏
の存へは、ながらえ、ですね。 生きながらえて卒寿の爺さんの意。

梅雨曇り・・・褌子

・冷酒や存へ卒寿の喉仏
存へは何と読むのですか?
・降り出しはいろいろ匂ふ夏の雨
なるほどねえ。たしかにそういわれれば
・アマリリス右脳の夜の襞の中
「夜」を「昼」にすると一句の味わいが千分の一くらいになる。襞を皺にすると印象が百分の一くらいになってしまうし、アマリリスをクレマチスにすると句の諧謔が台無しになる。理屈っぽい逐語的な左脳に比べて、アマリリスのおおらかで、おおざっぱな雰囲気がなんともよい。。右脳で俯瞰しどんどん歩いて左脳でちょいと立ち止まり地図をみるのが粋な生き方らしいが。右も左も襞も皺もないとどう生きればいいのか。深い苦脳  
・満州の野を駆け抜けし跣足かな
    そういう経歴の持ち主だったのですか故人は
・夏蝶や軍人手帳の高値札
そういうものが柩のなかに入っていたのですか。
いぜん、あるひとの葬儀にいったら柩のなかに大学時代のゼミの古ぼけたノートが入っていた。びっしり鉛筆で書き込みがしてある。奥さんが、このノートが主人の出発点だと思って…と言っていた。
・卯の花腐し叔父が鶏絞めに来る
少年のころの記憶?
―――――  
  松本清張の『古代史疑』をぱらぱらと読んだ。
  日本古代史に関する最古の資料とされている『魏志倭人伝』について日本人が鎌倉室町のころから現代にいたるまで、どう読み解こうとしてきたのかをざっと全部俯瞰して論点難点を整理し、発掘された考古資料まで駆使して邪馬台国と卑弥呼について自説を開陳している。推理小説の大家だけに四方八方から切り込む深い推察が読者をうならせる。二世紀後半から三世紀前半の古代日本。霧がかかっていてよくみえない。いぜん、玄界灘にのぞむ糸島半島前原の古代史博物館を訪ねたことがある。魏使はこの伊都国にまで対馬、壱岐をへて来たことは間違いない。そこからが魏使がどう歩いたのか、本当に歩いたのか…なんとも難しい。
とにかく清張は右脳も左脳もおそろしく襞が深い。

2013年6月22日土曜日

六月十句・・・猫跨ぎ

蒸し暑い日が続くね。まあ、季節相応か。
今日は北関東へ結社の大先輩の葬式へ参列。禅僧。八十七歳の大往生。

今月の十句

・冷酒や存へ卒寿の喉仏
・降り出しはいろいろ匂ふ夏の雨
・アマリリス右脳の夜の襞の中
・満州の野を駆け抜けし跣足かな
・夏蝶や軍人手帳の高値札
・故事来歴知らず紫陽花寺に入る
・夏の日のクレヨン水色ばかり減る
・香水の香や漱石のデスマスク
・古簾捨てに行くため巻き直す
・卯の花腐し叔父が鶏絞めに来る

遠郭公出発前の二番線 ・・・褌子

梅雨真中フェリーで渡る養蜂家
が私もいちばんいいと思いました。 
遠郭公出発前の二番線
も旅愁がわく。ああまた旅にでたい。先日、那須岳にいったときにも遠郭公の澄んだ鳴き声をしきりに耳にした。
 逸徳さん紹介の 重松清「希望の地図―3.11から始まる物語」 を読んでみます。
 今朝、読み上げたばかりの『海賊とよばれた男』(百田直樹・講談社)が面白かった。
 国岡鐵造という出光佐三をモデルにした一代記である。出光は「株上場もなく定年制も労組もなく経営者も従業員も全員一体化した大家族制の会社」で、出光佐三は天皇家を崇拝しているときいて??と昔、思ったことがある。しかし、昨今のユニクロやワタミに象徴されるように青年労働者を使い捨てにしているブラック企業が横行しているだけに、この一代記はじつに新鮮で痛快である。著者の百田直樹氏が出光佐三の生前に取材して書いていないので、主人公の国岡鐵造がモデルの実像にどのくらい肉薄した作品なのかが気にかかるところだ。二代目の日章丸がイギリスや石油メジャーの目を盗んでイラン産原油を日本にもちかえるところが圧巻。出光佐三は80才過ぎて『資本論』を読んで感動し、『マルクスが日本に生まれていたら』(春秋社)を書いていて、この本の仏訳を読んだアンドレ・マルローと対談している。マルロー『日本への証言』なども読んでみたいものだ。
  先日、那須の開拓農民からもらった枡田茂さんの「昭和という時代に生きて」という自分史も面白かった。福井の寒村に生まれた少年が那須の開拓にはいり満蒙開拓団の生き残りの女性と結婚して生き抜いてきた八十年の歴史を淡々とつづっている。
 枡田さんに私が感想を書き送ったら大喜びで、八月はじめにトウモロコシができるので車でたくさんもらいに来ないかとさそわれた。行きたい。一泊どまりで誰かいっしょに行きませんか。

2013年6月21日金曜日

いろいろと・・・・逸徳

じんちゃんの作品拝見。 なんだか、現状にいきづまり旅に出てみたくなっていたところに、作品を見て、もっと旅ごころを誘われた。 いいなあ。 じんちゃんの作品の好きなところは、その光景がくっきりと目に浮かぶところだ。すきというより波長があった作品を。
・ 梅雨真中フェリーで渡る養蜂家・・・ミツバチがどんどん死んでいるらしいね。どっかいい環境でいきてくれ、ミツバチクン。
・ 木陰から食み出た梅雨のずる休み・・・・言葉の面白さ。そこからよけいにイメージがひろがる。ずる休みにはまいった。
・ 左搓り結き直して三社祭・・・これは解説があってはじめてわかった。だが、解説があってもっと面白くなった。 左搓りが最初わからず、いなせな兄さんの ねじり鉢巻きを想像してしまった。しかし、目のつけどころがいいね。
・ 青蛙赤房下へ寄倒し・・・・天然色の鳥獣戯画をすぐ連想
・ 遠郭公出発前の二番線・・・・ 旅立ち直前の心の鋭敏さ。ああこういう光景には何度かであっている。既視感がある。独身のころひとり日高線に乗った旅を思い出した。あれはどこに行くときだったか。なんだかあれからずっと旅している気分 
・ 一本の割箸ずるり心太・・・・そりゃ食べにくいだろうなあ。
・ 蛇の目蝶じゃれあってをり額の花・・・・・ああ無邪気にじゃれたいねえ。誰に?いや誰でもいい。 なんだか置いてきた光景を見ているようだ。

で褌子氏のコメント  いいねえ。 まっすくな若い精神と誠実に対話できることは、実は年寄には稀有の体験であり、なんだか、心が洗濯できる。で、褌子氏にひかれてまけずにひとつ本の紹介を。 こちらの9条の会の通信にのせた駄文です。ひさしぶりにいい本だと思いました。おすすめ。

・・・・・・・今まで、この連載では、9条に関する参考図書や、平和を考える文学作品などについてご紹介してきましたが、今回は、すこし違った角度からの紹介です。作品は、直木賞作家重松清「希望の地図―3.11から始まる物語」(幻冬舎)です。青少年に向けてかかれていますが、どっしりと大地に足をつけて、未来と希望を語らなくてはいけない大人のひとたちにこそぜひ読んでほしいと思います。3.11以後にうまれた、もっとも良質な文学作品のひとつでしょう。ながく読み継がれる作品になるのではないでしょうか。

 重松清さんは大震災以後活発な活動をしてきた作家のひとりです。彼は単に遠くにいて憂うるのではなく、現場で見、聞き、触れるという活動をしてきました。本作はそのひとつの過程として生まれてきた物語といえます。主人公は中学受験に失敗し、不登校となった少年光司。彼を東日本大震災の現場へと連れ出すのは、光司の父親の友人であるルポライターの田村。( これは重松さんのもうひとつのペンネームです) 光司の存在はフィクションですが、ふたりが現地で出会う人たちはすべて実在の人物であり、岩手、宮城、福島3県の被災地の“今”を訪ね、復興に取り組む人々にインタビューを重ねていき、その人たちの言葉と、ほんとうにあったエピソードが続きます。
 
大人たちの「震災でたいへんな目に遭っても必死にがんばっている人たち」を見れば不登校の少年も再び学校に通い出すのでは、という目論みで旅は始まります。読んでいる側も、またいつもの重松ワールドか、と思ってしまう書き出しです。
 しかし、被災地で精いっぱい生きる人たちの姿に、光司とともに出合うたびに、これは確かに重松ワールドではあるけれど、もっとスケールの大きな、強いメッセージが込められた物語ということに気づかされます。

 この物語にはたびたび「希望」とは何かということが問われています。 登場人物たちが語ります。
 例えば、「生き残ったことには、やっぱりなにかがあると思うんです。だから、とにかく生きよう、生きていこう、というのが『希望』なのかもしれませんね」(第一章)、「夢は無意識のうちに持つものだけど、希望は、厳しい状況の中で、苦しみながらも持つものなんですよ」(第二章)、「僕の考える希望の最も根源的な定義は「生き延びるための底力」-それ以外にはないのだから」(第二章)、といったように。

 しかし、おそらく重松さんはその答えを本作を読んでいる読者それぞれにゆだねているような気がします。
 それぞれに「希望」があるように、実際は「希望」の定義もそれぞれかもしれません。そんなそれぞれの「希望」をつないだところに、明日が生まれるような気がします。東日本大震災は悲しい出来事であることは間違いない事実です。その事実の先にあるものをしっかり見つめていかなければ、「希望」は生まれてこないでしょう。
 不登校であった光司は被災された人々から多くのことを学びました。そして、ゆっくりではありますが、歩き始めます。
 「希望」とは歩きはじめるための、光のみちすじではないでしょうか。
 この物語もまた、そんな光のみちすじです。

心にのこったことばのいくつかを作品の中から・・・
・・・ぼくらは、世界に対して無力さを感じることに負けてはいけない
・・・がんばれる人だけが、がんばってください。無理のできない人は無理する必要はありません。
・・・風景が変わる悲しさもあれば、風景が変わらない悲しさだってあるんだ。
(山内一徳)

2013年6月20日木曜日

「見えない雲」・・・・褌子

中学生の孫が学校で観て、観るといいよ、とすすめられていた映画。以下の感想を書き送った。 
     ■■■ ドイツ映画『見えない雲』の感想 ■■■
 いぜん紹介されたドイツ映画『見えない雲』(2006年グレゴール・シュニッツラー監督)を市原市五井公民館で6月18日に鑑賞しました。
 原発事故の放射能の恐ろしさが本当によくわかるすばらしい映画でした。日本から原発をなくすために、あらためてがんばろうと決意しました。
 私は核兵器反対運動は、太郎君がお母さんから生まれるずっと前から、いや太郎君のお母さんが、おばあちゃんから生まれる前から取り組んできました。
 私の大学生の時には、北海道の漁村を泊まり歩きながら、原水爆反対の署名を集めて歩いたこともあります。核戦争が起きれば人類は滅びてしまうと一生懸命、核兵器廃絶(はいぜつ)運動に取り組んできました。太郎のお母さんが小学3年生の時に、いっしょに広島の原水禁大会にも参加しましたよ。
 しかし、いま私は大きな反省をしております。
 核兵器反対運動には長年とりくんできたのに、原発建設反対運動にはアメリカのスリーマイル島の事故や旧ソ連の悲惨なチェルノブイリ原発事故のあともずっと、一昨年の東電福島第一原発の大事故が起きるまでは、参加したことは全くありませんでした。
 ウランやプルトニウムの核分裂をいっきにすすめて大爆発させるのが原子爆弾であり、ウランやプルトニウムの核分裂を制御棒(せいぎょぼう)で少しずつ核分裂させて、出てきた熱で蒸気をつくりタービンをまわして発電するのが原子力発電です。つまり原爆も原発もまったく同じ原理で核エネルギーをとりだしているのです。いっきょに熱と放射線を人間を殺すためにまきちらすか、少しずつ熱を発電に利用して放射線を原子炉の中に永久に閉じ込めておくか・・・の違いだけなのです。
 神奈川県にも原発がありますよ! それは日本中でいちばん危険な波の上の動く原発です。横須賀を母港として一年のうち何ヶ月も停泊しているアメリカ軍の原子力空母ジョージ・ワシントンです。この空母の原発が大事故を起こせば、首都圏全体が住めなくなるかもしれません。私は原子力空母母港化反対の運動には2回だけ千葉から参加したことがありますが、地震国の日本に54基もつくってしまった原発の建設反対に、福島の大事故までは無関心であったことを反省しています。
 『見えない雲』は原発が制御不能(せいぎょふのう)の事故を起こした場面そのものはでてきませんでしたが、原発から放出されてしまった膨大な放射性物質を含む雲から市民が大混乱におちいって逃げまどう様子がじつにリアルに映像化されていて世界中の人々にみてもらいたい映画だと思いました。(この映画は1986年のチェルノブイリ原発事故の翌年にグードルン・パウゼヴァングという女性作家の発表した小説をグレゴール・シュニッツラー監督が20年後に映画化したのだそうですね。ドイツ政府は福島の事故のあと原発をすべて廃棄すると決定しましたが、日本に比べてドイツは立派だと思います。)
 なお「放射能」とは「ウランなどの放射性物質が放射線をだす現象や性質」をいうもので、放射能と放射線とを区別して理解することが大切です。私もずっとごっちゃにしていました。
 ところで、『見えない雲』の放射線被害の描き方で疑問をもったところがありますので書いておきます。ハンナが放射性物質をたくさんふくんだ雨にうたれて免疫力が低下し頭髪が抜けてガンなどの病気になっていくことを予見させる場面がありましたね。しかし、放射線は人体を突き抜けるさいに細胞を傷つけるので細胞の病気であるガンになる可能性が大変高くなるのですが、ハンナの身体に放射性物質がいつまでも残留して、その放射線が他人に伝染するわけではありません。放射線は細菌のように増殖し伝染するものではありません。ハンナの恋人のエルマーにまでハンナの放射線が恋人同士の抱擁によって伝染するような描き方は誤解を与えるのではないかと思いました。ハンナは逃げ遅れて、しかも弟を交通事故で失ったショックのあまり、放射線量の高い雨にうたれてしまったところが映画で描かれていますが、恋人のエルマーがどこでどんな風に放射線に被曝(ひばく)してしまったのかもきちんと映画のなかで描けばもっとよかったと思いました。そうでないと被曝をさけて福島から移住している被災者までが誤解されることになりかねません。
 放射性物質がだす放射線はごく少ない線量であれば地球上の空気のなかにも大地の中にも常に存在します。厚生省は一年間に一ミリシーベルトまでの被曝量なら健康に影響がないと発表しています。宇宙から地球に大量にふりそそいでいて人体を常に通過している宇宙線も放射線の一種です。(なお、キュリー夫人が発見したのはラジウムという放射性元素でしたね。)
 また、すべての放射性物質は半減期(はんげんき)といってあっというまに消えてしまうものもあれば放射線を出し続けて半減するまで何万年もかかるものまであります。(セシウムとかストロンチウムとか放射性元素についての半減期も調べてください。アルファ線とかベータ線、ガンマ線などの放射線の種類と性質についてはこんど千葉に来たらいっしょに調べましょう。)
 とにかく、原子炉から事故で各種の放射性物質がいったん大気中にとびだし、風や雨で空気や水の中に拡散してしまったら、人類は元に戻すということは絶対にできないのです。
 また事故を起こさなくても、原子炉のなかにたまってゆく大量に放射性物質をふくんだいわゆる「核のゴミ」の処理もきわめてむつかしく、結局、原子力発電ほど取り返しのきかない危険性をもち、コストのかかる発電システムはないと多くの科学者たちが証言しています。
 何万年も何十万年も待って放射線量が減衰(げんすい)していくのを待つしかない・・・だからどんなにわずかでも事故を起こす可能性が絶対ゼロではない原発はもう建設してはいけないし再稼働もしてはいけない、核兵器と同じように原発も人類と結局、共存できないのではないだろうかと私は思っています。将来の人類が放射性物質を未来永劫閉じ込めることができる絶対安全な原発を発明できる日が果たして来るだろうか???
いろいろ『見えない雲』の感想を書いてしまいました。私が勘違いして書いているところがあったら教えて下さい。
 この映画を紹介してくれた太郎君と先生に感謝します。
NoNukes! 

俳句は難しい・・・猫跨ぎ

  いやいや丁寧に解説して貰うとは恐縮です。俳句は何でもありの立場を小生も任じており、したがって、写生句から逸脱していわばイメージや幻想の世界に入ることも大いにありでしょう。深淵な印象句もその出自は実にささいな些事で、なあんだという事が多い。それも承知しています。
  自句自解は両刃の剣で、その弊害は要注意であることも判ります。本来は読み手の想像に任せるべきで、それで良しとするべきでしょう。そういう意味では、強要した格好になり申し訳ない。今後はこの要請はしません。
  ただね(笑)、以上は公信。仲間内の私信としては、素人も多いことだし、まあぶっちゃけ吐露してもいいのではとも思いますけどね。

 そう言う意味で、私は、句会で見せる場合は、読み手に解釈の手掛かりになる細い糸はちょこっと出しておく心がけは必要と常日頃思っています。とは言え、まあ言うは易くしてね。

函館通信210・・・作句意図・・・仁兵衛

 猫跨ぎさん早速の句評有難う御座います。ご指摘の通り日記的に思いついたままを作った句が多く理解不能致し方なしと思います。そして実景を詠んだ句は本当に少なく想像いや妄想表現も多々ありますよ。TV画面、新聞の記事、写真などがそのねたになっているのが現状です。その中でもたまには読者に強い共感を感じてもらえるものが僅かにある事もありそうですね。狭い個人的経験とのご指摘はまさにその通りだと思います。余り解説をしても意味ないでしょうが今回は少々述べてみたいと思いました。

・ 青蛙赤房下へ寄倒し ・・・ BSで序二段の相撲を見ていたら湧いてきました。
・ 遠郭公出発前の二番線 ・・・ 大沼公園駅で聞こえてきた郭公の声から。
・ 不如帰待受け画面這入りこむ ・・・ 不如帰の声を聞きたいと思っての妄想
・ 一本の割箸ずるり心太 ・・・ 心太を割り箸一本で食わせるところがあるという記事が出ていたか?

・ 木陰から食み出た梅雨のずる休み ・・・ 梅雨のずる休みは私の造語に近く(ラジオで誰かが)言葉遊び要素大。
・ 左搓り結き直して三社祭 ・・・ 御神輿を担ぐ棒を固定させる作業をTVで見ていたら左に搓った注連縄を使い棒の交差する所に結わ(ゆわ)いていくその職人の力強さと緊張感に惚れ込んだ訳。

 こんな訳でこれ以上でもないので意味不詳の句はどんどん飛ばして行って下さい。



 

2013年6月18日火曜日

六月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

今回は、私の理解に余る作品が多かった。
当地も梅雨空故、はっきりした単純な作品が欲しいねえ。ところで、テレビで北海道のどこかで、でんすけ西瓜のセリををやっていた。すごいご祝儀相場がついていたが、温室物なんだろうね。

・ 3四歩角筋あけて梅雨の空
囲碁、将棋の一コマを句材にするのは一工夫と思う。だが、困ったときの碁、将棋頼みみたいなところがあるなあ。
・ 梅雨真中フェリーで渡る養蜂家
これはいいね。養蜂家が巣箱を持って海峡を渡るところが、エキゾチックで、景が大きい。
・ 3L品五割引して梅雨晴間
春物処分市がさかんに実施中。季節の変わり目の風景か。
・ 蛇の目蝶じゃれあってをり額の花
自然な写生句。もう紫陽花?実景かなあ。

さて、以下は何を言っているのかは判るが、意味不明のもの。実景を切り取ったのだとしたら、個人的な体験というしかないなあ。
・ 青蛙赤房下へ寄倒し
・ 遠郭公出発前の二番線
・ 不如帰待受け画面這入りこむ
・ 一本の割箸ずるり心太
以下は意味不詳の作品。
・ 木陰から食み出た梅雨のずる休み
・ 左搓り結き直して三社祭
左搓(よ)りを結き直すが判らなかった。結きは読み方が判らない。どういう場面かな。


2013年6月17日月曜日

ツイッターまがいの戯言   九州の熊

仁ちゃんの函館通信は200号余 3年くらい経っていると思うので年間70号 週一よりも少し多い こまめだなぁ おれはずぼらになってしまったなぁ 
最近の話題から プロ野球統一球の件/組織運営がずぼらとしかいいようがない 原発の件/国民の声はNOの比率の方が多いと思うけど安倍内閣の支持率は6割超を維持している なんか不思議 このまま惰性で原発容認になっていくのかなぁ スポーツ界の快挙/錦織世界ランク11位 松山USオープン10位タイ でもここから先頂点までが気が遠くなるほど遠い サムライジャパンの頂点への道のりはあと10~20年はかかるね 熱烈応援しているけど・・ 
わたしは6月20日をもって古希到達 長い年月だけどここまで来てみるとあっという間という気もする 親と女房に感謝

函館通信209・・・梅雨・・・仁兵衛

 六月の投稿は少ないようですね。
 梅雨というと北海道には無いんだと云われて来ている。確かに今年は寒さが長くて沖縄で梅雨が明けても北海道の各地でストーブをつけたままという状態が続いている様だ。しかしこれも気象変化の長い目で見たら誤差範囲かもしれないと見ている。函館なんかだんだん梅雨らしい梅雨がこれからは毎年経験させられるかもしれない。
 女房に言わせると梅雨の湿気が多い時より冬の寒さの方が過ごし易いと感じているそうだ。私はなかなかそこまでは言い切れない。梅雨には梅雨での良さがあると感じているからだろう。そんな梅雨を中心に十句作ってみた。宜しく。

・ 3四歩角筋あけて梅雨の空
・ 梅雨真中フェリーで渡る養蜂家
・ 木陰から食み出た梅雨のずる休み
・ 3L品五割引して梅雨晴間
・ 左搓り結き直して三社祭
・ 青蛙赤房下へ寄倒し
・ 遠郭公出発前の二番線
・ 不如帰待受け画面這入りこむ
・ 一本の割箸ずるり心太
・ 蛇の目蝶じゃれあってをり額の花

2013年6月14日金曜日

那須の千振・・・・褌子

 先週末のはなしだが、那須にいってきた。
 車で東北道を北上中、佐野SAの朝飯を食べて車で本線に出ようとしたら、二人の青年が小雨の中に「仙台方面ヒッチハイク中。日本語できます」の看板をもって立っている。「親切なひとに会えるようにと2時間たっている…」とのこと。次の上河内SAまで30分くらい乗せてやった。スエーデンとエストニアからきた早大への留学生で日本語も通じる。ふたりとも21才で仙台では漫画喫茶に泊まり、松島と津波の被災地をみるのだという。上河内でコーヒー飲ませてメールアドレスなど交換。傘をプレゼントして握手して別れた。千葉のわが家まで遊びにくるかもしれない。【写真右側がエストニア人】
 那須にいく目的のひとつは満蒙開拓団が帰国して入植した千振(ちふり)地区を訪ねることである。
 さらに那須連山のひとつ清水平のふもとに樹齢300年という五葉つつじ(シロヤシオ)の日本一の群落地があるというのである。
 那須塩原市にはいって数キロ山道を歩いて尚仁沢という名水を15キロも汲んでリュックでよろよろしながら車まで運んだ。さらに、むかし、仲人した夫婦が那須塩原に住んでいるので立ち寄った。骨董屋で飯を食っている。会津方面の旧家から骨董を仕入れて、あっちこっちの骨董市場で出店している。植木用のいい鉢をいくつももらった。放射能が高くて今年は山菜を食うのをやめたといっていた。放射能汚染物持ち込み反対のハタが途中にたくさん立っていた。苦労して汲んできた尚仁沢の名水も放射能に汚染されているのではないかと苦笑い。
 駒止の滝などをみて、地元のペンションに一泊し朝一番のゴンドラに乗ったが、シロヤシオはどうも見ごろは過ぎているようだ。ブナ林の林をぬけて那須連山の一峰の清水平(1810㍍)の頂上近くまでふらふらになって登った。頂上近くと書くのは、足が前に一歩も進まなくなり山頂目前で弁当にしてしまったからである。大きな白鷺のような雪渓のはるか向こうに主峰茶臼岳(1915㍍)から噴出している蒸気が見える。昔は硫黄鉱山があったそうだ。シャクナゲの何とも美しい花にみとれていると、中高年の登山グループが登ってきて、リーダーが山の向こうは会津藩ですよ、ここで深呼吸して体調をととのえましょうとラジオ体操をはじめた。まったく元気な連中だ。
 おにぎり食ったら急に元気がでてきたので下山をはじめる。雨が降ってきて、女房が用意してきたポンチョというものをたぶん45年ぶりくらいに頭からすっぽりかぶりゴンドラ乗り地までたどり着くとそこは晴れていた。
 千円の風呂に入って汗を流し、地図とカーナビを頼りに千振地区へと降りていく。
北海道みたいな広々とした牧草地をぬけたところに一軒家があって、老人の姿がちらりとみえたので車をとめる。
「おじさーん! ここら辺に満州からきた開拓地、千振がありませんかあ?」と聞いたら「ここだよ。ここが千振。下ったところに開拓の記念碑がたっている。女房が吉林省の千振から4才で最後の汽車で命からがら帰ったきたんだ。おれは枡田茂というもんだ。昭和6年生まれ福井の貧乏農家出身だが千振にきてもう50年近くになるなあ」とまるで昔からの親しい知己のように話し始めた。私が千葉で中国残留孤児の支援活動をしているというと、昭和50年発行の『千振開拓30年のあゆみ』と『昭和という時代に生まれて』という自分史を貸してくれた。なんとも気だてのいいおじさんだ。
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 いま、借りてきた本を読んだところ。さっそく感想をFAXする。この枡田おじさんとはこれからずっとおつきあいをすることになりそうだ。しかし今度いつ那須に行くかわからんが。
 じつにいい出会いにめぐまれた、素晴らしい旅であった。

2013年6月8日土曜日

三浦賞・・・褌子

安倍内閣が三浦賞創設するんだって。
80過ぎて3にん子供がつくったひとなどが対象らしい。国兼さんがんばって!
いま那須岳からiPhoneで発信してみた。

追加・・・猫跨ぎ

  いま明け方の四時。目覚めてしまったので、PCを開いたところ。気が付いたので追加したい。三浦雄一郎氏の八十歳エベレスト登頂のことだ。褌子氏もちょっと触れていたが、ちょっとわだかまりがある、と思っていたら、週刊誌に矢張り出た。見出しだけで買う気もないが、三浦隊諸経費1億5千万円。同じ頃、近くのヒマラヤで下山途中で斃れた河野さんとか言ったかな、女性登山家の予算200万円。何とも厳しい現実だ。河野女史の遺体は収容されもせずこの先放置されるらしい。週刊誌も端倪すべからざるところがある。

2013年6月7日金曜日

新聞を読んで・・・猫跨ぎ

  新聞を見ていたら、ガーナで中国人120人余りが金の盗掘で逮捕されたとの報。何事かと見ると、いまガーナに不法入国含め1万人の中国人がおり、金山で一攫千金を夢みて掘りまくっているとか。最近、アフリカへ中国の進出が著しいと聞いてはいたが、これがその一端か。あるいは象徴かもしれない。いろんな施設、産業を中国の援助で作る。しかし同時に労働者もどっと押し寄せて、現地人はそれを指をくわえて見ているという構図らしい。何か、国家主導の移民政策ではないかという気がしてくる。中国の人口圧力は為政者にとって恐怖に近い。食わせねばならない。移民は国家の重要課題なのかもしれない。シベリアへ中国人がその膨張圧力のまま、浸透していくのは時間の問題か。ロシアの悪夢だろう。日ロ交渉の背景に、ロシアの喫緊の課題として、これはあると思う。
  慰安婦問題は国際問題になってしまった。橋下は政治家としては手ひどい失敗をしたが、かえって本質がむき出しになったのではないか。いろんな思惑で周りは発言しているが、戦勝国側の戦後秩序を崩すまいとする姿勢が仄見える。そこに知的頽廃を見るが、いつまでもこの状態ではすむまい。
  よく判らないのは、AKB48というタレント集団の総選挙。誰が選んで、選ばれて、それからどうなるというのか。要するに何なんだ?いい大人が若者に媚びを売ってかどうか、話を合わせているが、醜い。

2013年6月6日木曜日

はなづくし・・・・褌子

   庭の花からいくつか。
   アナベル←は紫陽花に似ているが紫陽花よりも地味。
   少し灰色っぽい純白。
   大きい花だがひっそりと咲いているのがいい。
   いま咲いている西洋オダマキは、小さい花弁の構造が面白い。→
   ビヨウヤナギ(未央柳)はいっせいに咲き出すと見応えが。
   類縁種の金糸梅よりもおちついた黄色の花弁。 
    

    トラノオは文字通り、虎の尾。
虎尾草をいっぽん持って恋人来 なんて句もありましたね。
    黒澤明の初期の映画『虎の尾をふむ』が記憶に残る。


   

2013年6月1日土曜日

松本にあって会津にないもの・・・褌子

    大阪のひとは今でも家康嫌いの秀吉ファンが多い。司馬遼太郎も大阪人だから先天的なものかもしれない。
  太閤記のせいか、日本の子供はたいてい家康が(頼朝も)大嫌いだったが、戦国時代のあとの長い太平の世の基礎をつくったんだから日本歴史上、第一の人物だ。日光に三体(?)の神輿が並んでいて、真ん中が家康公、右が頼朝公、左が秀吉公の神輿と記してあった。
   もし五体の神輿が並んでいるとすると真ん中が権現様の家康、右に天智天皇か天武天皇または聖武天皇を従えて、左に秀吉、信長または足利尊氏ということになるか。いや万一そんなことをしたら右翼が不敬罪だと許すまい(笑い)
  むかし名古屋出身のひとが家康も秀吉も信長も愛知県人ですと妙な自慢をしていた。日光の装飾過多をみると私も北京や台北の金ぴか寺院を想起する。金だけでなく銀色、白、朱、青、緑の多用が目に余る。それでも台北で見た道教寺院などもっと野卑でごてごてしていたなあ。
  余談に属するが、城下町松本には旧制松本高校があったし、いま信州大学医学部もある。うちの近所の横川医院の先生は会津出身である。会津会というのをつくっていて、明治新政府の会津への仕打ちを診察しながら、いつもいつもうらんでいる。保科正之を藩祖とする会津藩ほどの徳川御三家につぐ超名門の城下町に官立大学をもってこなかった。仙台はむろん弘前だって盛岡だって秋田だって米沢だって長岡だって佐幕派の東北列藩同盟の藩都に官立大学がちゃんとあるではないか!。それをなんで会津にはないのか差別きわまれり!というのである。(それに江戸にだって、といったかどうかは聞き漏らした。たぶん横川先生のご先祖は会津の士族なんだろうな)
  だいたい福島の県都が仙台の衛星都市みたいなあんな県北の田舎町の福島にあるのがちゃんちゃらおかしい。本来、会津が福島県の県都であるべきなのだ、百歩ゆづって郡山ならがまんできるが、とにかく県庁までゆくのに不便でいかん! 
  「あのうセンセイ、テレビ『八重の桜』みてますか?」ときいたら、あれは生ぬるいなあ、と一言。早乙女貢『会津士魂』は?ときいたら、早乙女さんは会津人かね?本もそのうち読みましょうということだった。『会津士魂』は大長編で私も読んでないが。(調べたら、早乙女貢は満州生まれで曾祖父が会津藩士。ペンネームは若い女性に金品を貢ぐという意味らしい)
【写真 日光家光廟の大猷院の九輪草】