2013年6月29日土曜日

『死の家の記録』・・・ 褌子

   4月にiPhoneを買った。5月にTwitterとフェースブックを始めた。電車のなかで本も読まず、居眠りもせずにピコピコやっている奴をしんそこ軽蔑していた自分が、ピコピコ族に転落した。
  夜9時ごろ寝ると朝4時過ぎに目が覚めてフトンのなかでしばし沈思黙考。あれやこれやと腹がたつことが多いなあ。安倍首相が「事故を経験したから日本の原発は世界最高水準の安全技術」をもっていますと、あっちこっちに核のトップセールスをして自慢している。高市早苗自民党政調会長が「原発事故でひとりも死亡していないのだから、再稼動もしたらどうか」と演説したこと・・・これらは橋下の慰安婦発言よりも莫大な復興予算を関係ないことに流用していたというニュースよりも腹が立った。腹にためておくのは身体によくないと清少納言もいっているので、ちょっと腹がたったことをわずか140字以内でTwitterで文字通りつぶやくように発信するのである。そうすると数分以内にどこのどういう人かはわからんが何人もの人から反応らしきものがある。さらに、賛否もふくめて首相のトップセールスに対する発言などを自動的に広い集める機能が働いて一時間くらいで何十人もの意見が自分の携帯電話上に次々とあふれる。(世の中ヒマジンが多いらしいが、世の中同憂の士も多いようだ) 
   慰安婦発言で大阪市議会で橋下市長の問責決議案がでたときに、公明党がどたんばで維新側について辞職が不発になった夜には数千人が「コウメイはコウモリだ」とか「やっぱりそうか、そうかがっくり党」などの発言がTwitter上にあふれた。右翼の誹謗中傷(ネトウヨというらしい)、「なりすまし発言らしきもの」はブロックすれば来なくなる。こういうネット上での即時的な簡単な意見交換の場というのはいままでなかったから流行っているのもうなずける。わたしもときどきつぶやくが、下品な個人攻撃などは決して書かないように注意している。
   いっぽうフェースブックは匿名性がないかわりいくらでも書ける、友達の友達…というふうに交換の輪がどんどん増えていくが、ある一定の枠のなかでの情報交換のようだ。Twitterのように、はちゃめちゃな四方八方への広がりがない。私の性格ではいまのところTwitterのほうがおもしろく、しかも外出中、電車のなかなどで世論の動向を観察するのに向いている。Twitterで情報が流れて一日くらいたつとテレビや新聞がおそるおそる報道するがメディアが流すものは権力迎合の取捨選択されたものが多いのだと痛感させられる。
   「アベノミクス 株価」などと打ち込んで検索すると、もうかったぞ、いま買えという株屋らしき発言、いやアワノミクス、サギノミクスだと損して怒り狂っている人、アホノミクスだと早くから一刀両断して警告していた浜矩子同志社大教授への共感と反発、構造改革なくして経済成長はありません貴方も株買って経済再建に一役をなどと年中しゃべりちらしている竹中平蔵などの御用学者などなど百花繚乱の場外乱闘。
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   もちろん、Twitterよりもフトンのなかで読む小説のほうがはるかに面白いのはいうまでもない。「光文社古典新訳文庫」というのはありがたい。いま読んでいるドストエフスキー『死の家の記録』もむかし難解だなあと投げ出したことがあるが、望月哲男訳だとすらすら読める。人間、いつの時代も地球上のどこにいてもやること考えることは似たようなものだな…いやいやそうと決めてかかると間違うぞ。人間離れした囚人たちの異様な体験告白、言動の数々・・・

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