2013年6月14日金曜日

那須の千振・・・・褌子

 先週末のはなしだが、那須にいってきた。
 車で東北道を北上中、佐野SAの朝飯を食べて車で本線に出ようとしたら、二人の青年が小雨の中に「仙台方面ヒッチハイク中。日本語できます」の看板をもって立っている。「親切なひとに会えるようにと2時間たっている…」とのこと。次の上河内SAまで30分くらい乗せてやった。スエーデンとエストニアからきた早大への留学生で日本語も通じる。ふたりとも21才で仙台では漫画喫茶に泊まり、松島と津波の被災地をみるのだという。上河内でコーヒー飲ませてメールアドレスなど交換。傘をプレゼントして握手して別れた。千葉のわが家まで遊びにくるかもしれない。【写真右側がエストニア人】
 那須にいく目的のひとつは満蒙開拓団が帰国して入植した千振(ちふり)地区を訪ねることである。
 さらに那須連山のひとつ清水平のふもとに樹齢300年という五葉つつじ(シロヤシオ)の日本一の群落地があるというのである。
 那須塩原市にはいって数キロ山道を歩いて尚仁沢という名水を15キロも汲んでリュックでよろよろしながら車まで運んだ。さらに、むかし、仲人した夫婦が那須塩原に住んでいるので立ち寄った。骨董屋で飯を食っている。会津方面の旧家から骨董を仕入れて、あっちこっちの骨董市場で出店している。植木用のいい鉢をいくつももらった。放射能が高くて今年は山菜を食うのをやめたといっていた。放射能汚染物持ち込み反対のハタが途中にたくさん立っていた。苦労して汲んできた尚仁沢の名水も放射能に汚染されているのではないかと苦笑い。
 駒止の滝などをみて、地元のペンションに一泊し朝一番のゴンドラに乗ったが、シロヤシオはどうも見ごろは過ぎているようだ。ブナ林の林をぬけて那須連山の一峰の清水平(1810㍍)の頂上近くまでふらふらになって登った。頂上近くと書くのは、足が前に一歩も進まなくなり山頂目前で弁当にしてしまったからである。大きな白鷺のような雪渓のはるか向こうに主峰茶臼岳(1915㍍)から噴出している蒸気が見える。昔は硫黄鉱山があったそうだ。シャクナゲの何とも美しい花にみとれていると、中高年の登山グループが登ってきて、リーダーが山の向こうは会津藩ですよ、ここで深呼吸して体調をととのえましょうとラジオ体操をはじめた。まったく元気な連中だ。
 おにぎり食ったら急に元気がでてきたので下山をはじめる。雨が降ってきて、女房が用意してきたポンチョというものをたぶん45年ぶりくらいに頭からすっぽりかぶりゴンドラ乗り地までたどり着くとそこは晴れていた。
 千円の風呂に入って汗を流し、地図とカーナビを頼りに千振地区へと降りていく。
北海道みたいな広々とした牧草地をぬけたところに一軒家があって、老人の姿がちらりとみえたので車をとめる。
「おじさーん! ここら辺に満州からきた開拓地、千振がありませんかあ?」と聞いたら「ここだよ。ここが千振。下ったところに開拓の記念碑がたっている。女房が吉林省の千振から4才で最後の汽車で命からがら帰ったきたんだ。おれは枡田茂というもんだ。昭和6年生まれ福井の貧乏農家出身だが千振にきてもう50年近くになるなあ」とまるで昔からの親しい知己のように話し始めた。私が千葉で中国残留孤児の支援活動をしているというと、昭和50年発行の『千振開拓30年のあゆみ』と『昭和という時代に生まれて』という自分史を貸してくれた。なんとも気だてのいいおじさんだ。
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 いま、借りてきた本を読んだところ。さっそく感想をFAXする。この枡田おじさんとはこれからずっとおつきあいをすることになりそうだ。しかし今度いつ那須に行くかわからんが。
 じつにいい出会いにめぐまれた、素晴らしい旅であった。

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