太閤記のせいか、日本の子供はたいてい家康が(頼朝も)大嫌いだったが、戦国時代のあとの長い太平の世の基礎をつくったんだから日本歴史上、第一の人物だ。日光に三体(?)の神輿が並んでいて、真ん中が家康公、右が頼朝公、左が秀吉公の神輿と記してあった。
もし五体の神輿が並んでいるとすると真ん中が権現様の家康、右に天智天皇か天武天皇または聖武天皇を従えて、左に秀吉、信長または足利尊氏ということになるか。いや万一そんなことをしたら右翼が不敬罪だと許すまい(笑い)
むかし名古屋出身のひとが家康も秀吉も信長も愛知県人ですと妙な自慢をしていた。日光の装飾過多をみると私も北京や台北の金ぴか寺院を想起する。金だけでなく銀色、白、朱、青、緑の多用が目に余る。それでも台北で見た道教寺院などもっと野卑でごてごてしていたなあ。
余談に属するが、城下町松本には旧制松本高校があったし、いま信州大学医学部もある。うちの近所の横川医院の先生は会津出身である。会津会というのをつくっていて、明治新政府の会津への仕打ちを診察しながら、いつもいつもうらんでいる。保科正之を藩祖とする会津藩ほどの徳川御三家につぐ超名門の城下町に官立大学をもってこなかった。仙台はむろん弘前だって盛岡だって秋田だって米沢だって長岡だって佐幕派の東北列藩同盟の藩都に官立大学がちゃんとあるではないか!。それをなんで会津にはないのか差別きわまれり!というのである。(それに江戸にだって、といったかどうかは聞き漏らした。たぶん横川先生のご先祖は会津の士族なんだろうな)
だいたい福島の県都が仙台の衛星都市みたいなあんな県北の田舎町の福島にあるのがちゃんちゃらおかしい。本来、会津が福島県の県都であるべきなのだ、百歩ゆづって郡山ならがまんできるが、とにかく県庁までゆくのに不便でいかん!
「あのうセンセイ、テレビ『八重の桜』みてますか?」ときいたら、あれは生ぬるいなあ、と一言。早乙女貢『会津士魂』は?ときいたら、早乙女さんは会津人かね?本もそのうち読みましょうということだった。『会津士魂』は大長編で私も読んでないが。(調べたら、早乙女貢は満州生まれで曾祖父が会津藩士。ペンネームは若い女性に金品を貢ぐという意味らしい)
【写真 日光家光廟の大猷院の九輪草】
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