2013年6月20日木曜日

「見えない雲」・・・・褌子

中学生の孫が学校で観て、観るといいよ、とすすめられていた映画。以下の感想を書き送った。 
     ■■■ ドイツ映画『見えない雲』の感想 ■■■
 いぜん紹介されたドイツ映画『見えない雲』(2006年グレゴール・シュニッツラー監督)を市原市五井公民館で6月18日に鑑賞しました。
 原発事故の放射能の恐ろしさが本当によくわかるすばらしい映画でした。日本から原発をなくすために、あらためてがんばろうと決意しました。
 私は核兵器反対運動は、太郎君がお母さんから生まれるずっと前から、いや太郎君のお母さんが、おばあちゃんから生まれる前から取り組んできました。
 私の大学生の時には、北海道の漁村を泊まり歩きながら、原水爆反対の署名を集めて歩いたこともあります。核戦争が起きれば人類は滅びてしまうと一生懸命、核兵器廃絶(はいぜつ)運動に取り組んできました。太郎のお母さんが小学3年生の時に、いっしょに広島の原水禁大会にも参加しましたよ。
 しかし、いま私は大きな反省をしております。
 核兵器反対運動には長年とりくんできたのに、原発建設反対運動にはアメリカのスリーマイル島の事故や旧ソ連の悲惨なチェルノブイリ原発事故のあともずっと、一昨年の東電福島第一原発の大事故が起きるまでは、参加したことは全くありませんでした。
 ウランやプルトニウムの核分裂をいっきにすすめて大爆発させるのが原子爆弾であり、ウランやプルトニウムの核分裂を制御棒(せいぎょぼう)で少しずつ核分裂させて、出てきた熱で蒸気をつくりタービンをまわして発電するのが原子力発電です。つまり原爆も原発もまったく同じ原理で核エネルギーをとりだしているのです。いっきょに熱と放射線を人間を殺すためにまきちらすか、少しずつ熱を発電に利用して放射線を原子炉の中に永久に閉じ込めておくか・・・の違いだけなのです。
 神奈川県にも原発がありますよ! それは日本中でいちばん危険な波の上の動く原発です。横須賀を母港として一年のうち何ヶ月も停泊しているアメリカ軍の原子力空母ジョージ・ワシントンです。この空母の原発が大事故を起こせば、首都圏全体が住めなくなるかもしれません。私は原子力空母母港化反対の運動には2回だけ千葉から参加したことがありますが、地震国の日本に54基もつくってしまった原発の建設反対に、福島の大事故までは無関心であったことを反省しています。
 『見えない雲』は原発が制御不能(せいぎょふのう)の事故を起こした場面そのものはでてきませんでしたが、原発から放出されてしまった膨大な放射性物質を含む雲から市民が大混乱におちいって逃げまどう様子がじつにリアルに映像化されていて世界中の人々にみてもらいたい映画だと思いました。(この映画は1986年のチェルノブイリ原発事故の翌年にグードルン・パウゼヴァングという女性作家の発表した小説をグレゴール・シュニッツラー監督が20年後に映画化したのだそうですね。ドイツ政府は福島の事故のあと原発をすべて廃棄すると決定しましたが、日本に比べてドイツは立派だと思います。)
 なお「放射能」とは「ウランなどの放射性物質が放射線をだす現象や性質」をいうもので、放射能と放射線とを区別して理解することが大切です。私もずっとごっちゃにしていました。
 ところで、『見えない雲』の放射線被害の描き方で疑問をもったところがありますので書いておきます。ハンナが放射性物質をたくさんふくんだ雨にうたれて免疫力が低下し頭髪が抜けてガンなどの病気になっていくことを予見させる場面がありましたね。しかし、放射線は人体を突き抜けるさいに細胞を傷つけるので細胞の病気であるガンになる可能性が大変高くなるのですが、ハンナの身体に放射性物質がいつまでも残留して、その放射線が他人に伝染するわけではありません。放射線は細菌のように増殖し伝染するものではありません。ハンナの恋人のエルマーにまでハンナの放射線が恋人同士の抱擁によって伝染するような描き方は誤解を与えるのではないかと思いました。ハンナは逃げ遅れて、しかも弟を交通事故で失ったショックのあまり、放射線量の高い雨にうたれてしまったところが映画で描かれていますが、恋人のエルマーがどこでどんな風に放射線に被曝(ひばく)してしまったのかもきちんと映画のなかで描けばもっとよかったと思いました。そうでないと被曝をさけて福島から移住している被災者までが誤解されることになりかねません。
 放射性物質がだす放射線はごく少ない線量であれば地球上の空気のなかにも大地の中にも常に存在します。厚生省は一年間に一ミリシーベルトまでの被曝量なら健康に影響がないと発表しています。宇宙から地球に大量にふりそそいでいて人体を常に通過している宇宙線も放射線の一種です。(なお、キュリー夫人が発見したのはラジウムという放射性元素でしたね。)
 また、すべての放射性物質は半減期(はんげんき)といってあっというまに消えてしまうものもあれば放射線を出し続けて半減するまで何万年もかかるものまであります。(セシウムとかストロンチウムとか放射性元素についての半減期も調べてください。アルファ線とかベータ線、ガンマ線などの放射線の種類と性質についてはこんど千葉に来たらいっしょに調べましょう。)
 とにかく、原子炉から事故で各種の放射性物質がいったん大気中にとびだし、風や雨で空気や水の中に拡散してしまったら、人類は元に戻すということは絶対にできないのです。
 また事故を起こさなくても、原子炉のなかにたまってゆく大量に放射性物質をふくんだいわゆる「核のゴミ」の処理もきわめてむつかしく、結局、原子力発電ほど取り返しのきかない危険性をもち、コストのかかる発電システムはないと多くの科学者たちが証言しています。
 何万年も何十万年も待って放射線量が減衰(げんすい)していくのを待つしかない・・・だからどんなにわずかでも事故を起こす可能性が絶対ゼロではない原発はもう建設してはいけないし再稼働もしてはいけない、核兵器と同じように原発も人類と結局、共存できないのではないだろうかと私は思っています。将来の人類が放射性物質を未来永劫閉じ込めることができる絶対安全な原発を発明できる日が果たして来るだろうか???
いろいろ『見えない雲』の感想を書いてしまいました。私が勘違いして書いているところがあったら教えて下さい。
 この映画を紹介してくれた太郎君と先生に感謝します。
NoNukes! 

0 件のコメント:

コメントを投稿