2013年11月30日土曜日

真贋の森   ・・・褌子

   真贋の森などと大げさなタイトルだが、「南惣美術館」のことが帰ってからも頭から離れない。パンフをよむと「南惣」は奥能登大野村の天領庄屋南家の屋号。左大臣平時忠が能登に流された文治元年にはすでに奥能登の豪族として栄えていたという二五代を数える名家だという。
  むかしは能登集古館南惣といったらしいが昭和46年に米倉を改装した自称美術館には、野々村仁清や本阿弥光悦、柿右衞門、尾形乾山などの焼き物がごろごろ並んでいる。絵は俵屋宗達や長谷川等伯、丸山応挙、狩野探幽、酒井抱一、橋本雅邦など。雪舟や蕪村の書画もある。書蹟は千利休、小堀遠州、沢庵和尚、芭蕉、加賀の千代女とつづき、はては後鳥羽上皇や後花園天皇の「後宸筆」もある。何でも鑑定団の中島先生絶賛の古九谷の名品もあるが、先生がこの古九谷いがいにはひと言もふれてないのが意味深。
  とにかく国宝、重文級のものが、床がデコボコした締まりのない建物の薄いガラスの向こうにずいぶん無造作に何の脈略もなく並んでいて、しまいには陸軍兵士が宮城遙拝している戦争画まで陳列してある奇妙な私設美術館。登録有形文化財とパンフには記されてあったが、これが全部、本物だとすると守衛が目を光らせている国立博物館あたりに鎮座しているはずだが。泥棒や火事の心配もありそうだが、ひとのよさそうなおばさんひとりで店番していた。おばさんから柚羊羹とお茶をごちそうになり銀杏を買って館の外にでたら、屋敷の庭には柊や馬酔木の巨木があり、山のように大きなドウダンツツジの紅葉が美しい。やはり能登きっての名家なのであろう。
   松本清張の中篇傑作『真贋の森』は浦上玉堂の偽物づくりで大もうけをたくらむ落ちぶれた美術史家が貧乏画家、骨董屋と組むはなしで、この世界らしい迫力あるリアリティがあって面白い。骨董集めなどに夢中になっている金持ちが読むと参考になるかもしれない。
  いぜん、割烹経営者の相談にのったことがある。バブルのころ大もうけしたので銀座のデパートでフランス=バルビゾン派の画家の風景画を800万円でぽんと買った。デパートの美術部長が車で自宅まで届けてくれたそうだ。居間で10年くらい眺めていたが、何となく贋作でないかと疑念が生じて鑑定してほしいというのである。
  額の裏にはパリの画商の鑑定書がついているがフランス語なのでさっぱりわからない。   大事にお預かりしてある洋画家にみてもらった。老画伯はしきりに首をかしげていたがやがて芸大同期のある美術館の館長に電話をかけた。電話の向こうでミレーなどバルビゾン派の研究家でもある館長が画家の名前をなんども聞き質している。その結果、「贋作ではありませんよ。有名でない画家の作品を模造する意味がまったくありませんからねぇ」
  割烹の御主人には「まちがいなく本物だそうです。大事にされていつまでも楽しんでください…」と何でも鑑定団の中島先生みたいなこと言って、堅牢なケース入りの絵を丁重にお返しした。

2013年11月29日金曜日

能登旅行記その1  ・・・褌子

   11月23日、逸徳さんのウルシ資料を読んでいるうちにANA機は能登空港へ下降をはじめた。右翼の下に白銀の立山連峰がみえる。(立山の新雪雪崩で七人死亡したことを輪島のホテルで知った) 富山湾は雲がおおっていて海面はなにもみえない。裏日本なのである。
  空港には小林さんが予約してくれたジャンボタクシー下道運転手が迎えにでている。輪島朝市を見学して輪島漆器資料館と石川県輪島漆芸美術館を訪ねたあと、赤木工房へと向かう。漆工房は冬季2㍍も雪が積もる山の中。輪島塗の底知れぬ奥深さを語る工房の親方赤木明登塗師の話にうたれた。逸徳さんの高校の教え子で修業中のHさんと会う。
  夜はノドグロ屋で高級魚ノドグロを食べた。
  翌24日、朝からH嬢も同乗し7人で能登半島西岸を北上。「白米の千枚田」は田植え後や刈り入れ前だったらどんなにきれいだろうなあと思った。海辺すれすれの珍しい千枚田。むかし、女房といった北ベトナムの千枚田は中国雲南省まで延々数十キロ、耕して天に登るで水牛に乗る子供が豆粒ほどにみえた。簑のした耕し残る田が二枚。
  南惣美術館、時國家、上時國家、窓岩、垂水の滝をみて、(有)新海塩産業で奥能登珠洲天然塩を買う。
  菊や山茶花が咲くのどかな坂道を上って白亜の小さな灯台のある半島最北端の禄剛崎へ。佐渡島が北東東にうっすらと見えたような気がした。ここは日本の中心だという碑がたっている。岬に針をたててコンパスをまわすと弧状列島北端の稚内と九州南端が同じ距離だという意味らしい。(日本列島全体の重心は岐阜の郡上八幡とのこと)  蜩が鳴く能登のはずれのどんづまり、の誓子の句碑があった。上五が字余りだと思った。挨拶句だからと猫跨ぎさんが解説してくれた。
  禄剛崎ふもとでカツカレー昼食。黒瓦、黒板塀のランプの宿をみて半島東岸を南下する。  珠洲市上戸町寺社の「倒さ杉」は、東大寺南大門の運慶快慶の仁王みたいに筋骨隆々の太い枝をくねらせて地面まで下げて更に立ち上がっているのだ。逆杉(さかさすぎ)は栃木の那須など方々にあるが、この「倒さ杉」の偉容は別格総本山官弊大社超弩級で、しかも全く有名でないのが実にいい。特別サービスで立ち寄ってくれた下道さんに感謝したい。
  珠洲という風雅な地名に感じ入っているのだが須須神社という古社に由来しているのであろう。見附島は2007年能登半島地震で島の社が崩れ落ちたというが、まことに軍艦島の名前通りの島。
  車は半島を西岸へと横断しふたたび輪島市へ。前の座席では逸徳さんと教え子の話がはずんでいる。彼女は赤木親方にきたえられ、やさしい逸徳先生に見守られ、きっと立派な輪島塗の塗師(ぬし)になるのではなかろうか。
  総持寺祖院をみてから門前町の一角の能登天領黒島の町並みへ。黒島の角海家は北前船の廻船問屋住宅。黒島は北前船の船頭や水主の住まいの町だったという。冬は日本海は荒れて北前船は航行できない。冬期間の船員たちはこの黒島に家族と住み、春になると遠い大阪にでて出港準備をするのである。佐渡小木、酒田、深浦、三国、福浦、境湊と北前船の寄港地をいろいろ訪ねてきたが、このような船員の出稼ぎの基地の町があったとは知らなかった。
  夕闇迫る道を二泊目の輪島へ戻る。夜は小蔵ひでをさんの本邦初公開の秘話で盛り上がり実に美味しく楽しい酒であった。そういえば赤木工房では親方にそれぞれ自己紹介をしたが冷間鍛造を説明した小蔵ひでを社長のはなしがいちばんわかりやすく秀逸であった。
  翌朝、いちおう解散し小林さんは京の紅葉見物に向かった。逸徳さんと国兼さんと三人でバスで金沢へ。西金沢から石川線で鶴木(つるぎ)に着くと獅子吼荘のおやじさんが迎えにでている。白山比咩神社(しらやまひめ)へ立ち寄る。霊峰白山の麓の加賀一宮である。参道脇の紅葉がすばらしい。
  東アジア全体の獅子頭を陳列する珍しい博物館をみて夕食。どぶろくをたっぷり飲む。
逸徳さんがしきりに、どぶろく製造法をきいている。
  白山は、麓に近過ぎて鶴木からは山容をみることができないのが残念。加賀、越前、飛騨の三国に囲まれて白山はあるが、山域ほとんどが加賀らしい。山へ登る表道は越前の白山神社から。越前人は白山が加賀にあることが悔しくてしょうがないと司馬遼太郎の街道を行くシリーズ「越前の諸道」にある。この巻は白山信仰については詳しいが、能登や加賀の諸道のシリーズはない。
  翌朝、雨のなかを歩いて鶴木駅へ。途中、墓場のそばを通る。数百基の墓石がみな「南無阿弥陀仏」と掘ってあり、台座に小さく○○家の墓とある。まっこと浄土真宗のくになのである。
  また、ひなびたローカル線で金沢へともどる。小松空港へ向かう逸徳さんと別れて米原へ急行白山に乗る。途中の福井県の敦賀、武生(たけふ)などは好きな地名だ。朝倉を滅ぼした柴田勝家がいた越前北の荘はいまの福井市のこと。国兼さんのご先祖は越前福井だという。いま越前のくにが原発銀座になっているのが野暮で残念。こんどの旅行で越前カニを食えなかったのもこれまた残念。
  米原で新幹線に乗るとここからは表日本。空気も空の色も一変する。国兼さんとお酒を飲みながらみた富士山が実にきれいだった。真っ白に冠雪してこそ富士だ。♪越中じゃあ立山、加賀は白山、駿河の富士山三国一よ~と昔、富山出身の橋本君が歌っていた。
  いい旅だった。が、新幹線のテロップが「秘密保護法、衆院で強行採決」と流しているのをみて酔いもさめてしまった。日本は確実に戦争する暗い国へと向かっている。
  

函館通信223・・・物忘れ・・・仁兵衛

 物忘れがひどい!パーキンソン病の進行か。いや単に加齢現象か。十一月の俳句出します。

・富士の山中央線から冬にいる
・アイロンのスチーム止まり時雨かな
・文化の日楠のある小学校
・小春空インク滲ませ文を書く
・暮れ早し学童疎開の兄戻る
・四十ワット突然切れて冬隣
・日短シャンソン唄ひはじめてる
・ジオラマに無口集まり小春かな
・冬めきて月命日の海の色
・初雪やあらくさ原で嘶きて

2013年11月20日水曜日

ケネディ大使・・・猫跨ぎ

  ケネディが暗殺されてからもう50年か。あの日の朝をよく覚えている。日米間のテレビ通信回線が開通して最初の実況放送がこの事件報道だった。 恵迪寮にテレビがあったのかどうかはっきりしないが、何だか騒がしかった。あの後の民青の諸君の反応が印象的で今でも覚えている。共通して「それがどうした」と、何か知らんが妙に平気を装っていたふうに見える。「もっと大事なことがあるだろう」ということなのだろう。皆揃ってそういう反応が印象的だった。
  それから葬式に池田首相が出かけたが、向こうへ着いて、出迎えの米側高官に笑顔で応じていて「不謹慎でないか」と問題になった。この感覚、何となく判るね。曖昧な表情の時にふと出る笑顔―日本人特有だ。
早いものだね、人生の過半が経ったわけだ。あの時の小さい少女が大使か。年をとった訳だなあ。

「パッチギ」は封切りの時見た。沢尻エリカという美少女にはびっくり。すごく印象的だった。あのまま育ってくれれば良いものを、何やら異形の姿になっちゃったな。

パッチギ!    褌子

   キリストの冬瓜に似るルオー展  は特選級だ。キリストばかりでなく、ルオーの描く人物達はみんなトウガンみたいな福福しい顔をしている。
   近所の映画好きを集めて映画会をやった。第一回目は制作は十年前の映画だが、井筒和幸監督『パッチギ!』
   舞台は1968年の京都。朝鮮高校の生徒と日本人高校生との血みどろのケンカ、友情、恋。
   1968年といえば、中国では文革が荒れ狂い、日本では全共闘がゲバ棒で革命ゴッコやっていたころ。昭和43年だから私は新潟の山の中の化学工場で昼休みにテレビで東大紛争の実況中継をのんびりみていたことを思い出す。
  『パッチギ!』は朝鮮・韓国と日本人の古くて新しい問題を涙と笑いの究極の青春映画のなかに投影している。初めて観た映画だが、日本と朝鮮の長い歴史を思ってなぜか涙がでてしまった。
  中国残留孤児たちの苦難をきいたばかりのせいか、年のせいか涙もろくなったなあ。パッチギとは突き破るという朝鮮語。最近、年老いてゆく中国残留日本人孤児の聞き書きを中国人留学生の通訳協力を交えてはじめた。オーラルヒストリーというか、何か記録として残せないかと考えている。彼らは正確な誕生日を覚えていないが我々と同じ年頃ではないか。壊滅した満蒙開拓団の遺児たち。祖国日本に生きて帰り着きながら、中国語しか話せない「孤児」も多い。日本と中国の近代史に翻弄された人生。
  ♪悲しくて悲しくてとてもやりきれない
  この思いを誰かに告げようか~♪
  

2013年11月17日日曜日

サラエボ・・・猫跨ぎ

  異民族への憎しみは根深いものがあってちょっと絶望的になることがある。
ユーゴスラビアの動乱は記憶に新しい。サラエボという綺麗な町があった。ボスニアの中心都市。この町は徹底的に破壊された。破壊は各地に広がった。原因は?ユーゴが分解し、クロアチア人とボスニア人とセルビア人がそれぞれの勢力を少しでも広げようと無秩序な攻撃をしあったわけだ。ユーゴスラビアの時代には平穏に暮らしていた人々が、突然憎み合う。竹馬の友が殺し合う。民族浄化という名の下に、破壊と殺戮が繰り返される。あいつらがもう帰って来れないようにと住居を破壊する。厖大なレイプ事件。今は嘘のように静まりかえっているが、もうあんな事はないでしょうねと外国人が安直に聞くと、みな否定するという。被害者であるが加害者でもあった自分たちを信用できないということもあるのではないか。繰り返すが、何故だ?ルポを読み、学者の説明をいくら聞いてもさっぱり説得されない。不気味な暗黒部分がある。人間には。

ルオー展やっているね。句会で 〈キリストの冬瓜に似るルオー展〉なる一句を出したが、余り評判は良くなかった。

ロボット兵器とキリスト教徒・・・  褌子

    先日のテレビでロボット兵器が次々と開発され、実用段階になっている映像をみて暗い気持ちになった。
  アフガンでの米軍の無人機攻撃ではすでに大勢の犠牲者がでているという。
  千葉市立美術館に、ルオー展(ジョルジュ・ルオー1871~1958)を見に行った。太い絵筆による宝石のような色彩の絵の数々に暖かい気持ちになった。
  底辺の貧しい人々をたくさん描いている。そして瞑想するイエス・キリストの何ともいえないほどやさしい慈愛にみちた顔を何枚も。「祈りの画家ルオー」と言われる所以。
 ヨーロッパ人とキリスト教・・・。そしてつい考えてしまう。
 正義と慈愛、隣人愛と贖罪を説くキリスト教世界に生きるヨーロッパ人の、ホロコーストにまで至るあの苛烈無比の反ユダヤ感情はどこからきたのか。
 以下は内田樹先生の著作からの引用であるが非常にわかりやすかった。
―――――
 反ユダヤ的な感情はヨーロッパ世界においてはごく自然なものでした。それはキリスト教がユダヤ教から「分派」した宗教として登場してきたから当然のことです。どのような宗派も政治党派も、「分派するだけの必然性があった」ことを主張するためには、彼らがもともと属していた「母胎」が腐りきっていて、使い物にならないものであることを主張しなければなりません。(中略)
 やがて中世に至って、ヨーロッパ全土がキリスト教化された結果、反ユダヤ感情はヨーロッパ人の宗教感情の「基準」になりました。そして何かキリスト教世界の結束を固める必要が出てくるごとに、(ペストなどの疫病や戦争のたびに)「いけにえ」としてユダヤ人を組織的に迫害することが行われたのでした。
 過去2000年にわたるユダヤ人迫害の歴史はほんとうに紹介するのが気の毒になるほどです。ただ、そういう反ユダヤ的な行動はきわめて感情的なもので、「思想」というほど体系的なもので基礎づけられていたわけではありません。どうしてこれほどユダヤ人が憎いのか、反ユダヤ的行動をしている当人も説明できなかった。(ここんところは在日朝鮮人に対するヘイトスピーチを想起する)
 政治思想としての近代反ユダヤ主義はその憎しみを「説明」する理論です。19世紀の末に登場しました。.政治思想として反ユダヤ主義が定式化したということは、これから先、人々は「憎しみ」の支援抜きに、知性的に、事務的に、効率的にユダヤ人を殺すことが可能になったということを意味します。その近代反ユダヤ主義の最大の「成果」がナチスによる「ホロコースト」です。
 (アメリカ軍は、イスラム教徒でない西欧人に対しても無人機やロボット兵器をつかうことができるのだろうか? 原爆投下も)

鉄人28号・・・猫跨ぎ

  今日の東京新聞のコラムに、アトムと鉄人28号の比較をしていた。兵器として考えたとき、アメリカ国防省はどちらを選ぶか。いうまでもなく鉄人の方である。アトムは戦いに際して時にためらい思い悩む。鉄人は悩まない。正太郎少年の「リモコン」に命じられたまま、敵を攻撃する。
  米軍がパキスタンでタリバンを攻撃している無人攻撃機のことを言っている。米軍は遠く離れた基地のなかでモニターを見ながら、ミサイルを発射する。誤射はあろうが、誤差の内、こっちは全く安全だ。ゲーム感覚でやっているのかも知れない。

それにつけても思い出すのは映画「シベールの日曜日」の元兵士。シベールと心を通わせる、ちょっと異常な男だ。フランスのベトナム戦争で空軍パイロットだった彼は、急降下する前方に恐怖に顔を引きつらせた母子を見つつ機関銃を撃った。戦後それがトラウマになって精神に異常を来してしまう。それが原因だった。何だか遠いお伽の国の話に思えてくる。
  中国が無人攻撃機を開発中という。極東でアメリカに張り合っていると思っていたが、どうも真反対の新疆のイスラム教徒との戦いを念頭に置いているのではないかと思えたりする。
IT技術があらゆる分野に浸透していく真っ只中にいるが、戦争もそうで、無感動、無慈悲のバーチャルの世界になっていくのではないか。

「シベールの日曜日」。乾君が五本さんと一緒に見に行って、その後、大通り公園のベンチで星空を眺めながら語り合ったという、あの映画だ。

2013年11月13日水曜日

♪宇宙の果てはこの目の前に~♪・・・褌子

  宇宙は137億年前に誕生したというのが現在のビックバン宇宙論の到達点です。
時間も空間もそのときに誕生したとされます。よく宇宙が誕生する前はどうなっていたのかという質問が出されますが、時間自体が宇宙誕生とともに始まったのですから、それより前の時間というものは存在しません。
 次回は宇宙の果てはどうなっているのか。宇宙の果てのその向こうはどうなっているかについて説明してみたいと思います。
     めぐりくる時空の重さ去年今年  佐藤一城   (FBへの投稿から転載)

2013年11月7日木曜日

かぶれた話・・・猫跨ぎ

  ウルシといえば、かぶれる話を思い出す。その昔、秋になると、北海道の子供達は、遠足を兼ねて暖房用のたきぎ取りに里山に送り込まれた。正確にいうと、五、六年生の高学年の児童で、低学年だった我々は行かなかったが。で、行った子供達の何人かが必ずウルシにかぶれた。顔中に真っ白に薬を塗られて、翌日学校に来ていたなあ。今昔の感がある。今じゃ、PTAが怒鳴り込んで来るのだろうが。
ウルシ職人も敏感な人は最初はかぶれるらしい。耐性をつける為に、ちょっと飲ませて強制的にかぶれさせるって聞いたことがあるが。孕石さんはどうだったのかな。はらみいしさん?珍しい名前だね。辞書にもある。こもちいし、ともいう―石の中にまた小さな石を持っているもの、とか。謂われがありそうだね。
  ウルシ製品の起源は、世界最古が函館にあるらしい。垣ノ島B遺跡で、縄文前期9000年前に遡る漆製品が発見されたとか。それまでは中国浙江省河姆渡(かぼと)遺跡で出土した7000~8000年前のものが最古と言われていた。それから、これも北海道の恵庭のカリンバ遺跡から、真っ赤な漆塗りの櫛が出土している。これは3000年前とか。日用品を越えて装飾品にまでだ。恐ろしく古い。まさに日本列島固有の文化だ。

漆=Urushi・・・    褌子

   こんどの能登旅行では逸徳さんのおかげで漆塗りの工房を見学できるというので楽しみである。漆の語源は「潤し、麗し」だという。漆器をJapan(陶器はChina)というくらい、漆と日本民族とのつきあいは古い。桑、茶、楮など三草四木のひとつ。漆器は日本では6500年前の縄文時代、福井県鳥浜遺跡にて出土されたのが現存するものでは一番古いらしい。やはり日本海側だ。
  奈良時代の傑作、興福寺の阿修羅像は脱乾漆という、粘土で成形された原形に麻布を張り重ね、木粉と漆などを練り合わせた下地漆で細部を整え、さらに表面を漆で仕上げられている。つまり粘土と漆と布だけで造られている、あの阿修羅の青年の瞳がたまらなくいいねえ。
 ウルシオールについては国兼博士から詳しい説明があると思うので省略する。
 写真は漆とは何の関係もないが、ノササゲ。赤みを帯びた暗紫色の莢がすばらしい。




  
  新米の粥透きとおる漆椀
              廣川昂臣

2013年11月5日火曜日

能登いらんけ・・・猫跨ぎ

  水森かおりは御当地ソング歌手で有名だが、なにか便利屋みたいな(失礼)ところがあって、他の歌手の持ち歌も良く歌うという印象。大ヒットというのがない歌手だね。両肩丸出しのドレスをいつも着ている。
  「能登はいらんかいね」ってどんな意味だろう、と思ってネットを見てみたら色々書いてある。まず能登では「能登いらんけ」が普通で、「いらんかいね」とは言わないとか。能登は貧しく、加賀とか越中に行っては「能登の人間だけど何か仕事はないか、何でもするよ」と要するに「能登の人間を買ってくれ」という意味とか。しかし本当かいな。惨めったらしくて嫌な話だ。向こうの人に聞くと、失笑され、逆に「能登はいいところだ」という意味とか。よく判らん。向こうで実際に聞いてみよう。

2013年11月4日月曜日

身捨つるほどの・・・・・褌子

   いよいよ二週間ちょっと後に迫ってきましたね。
  行きつけの「ほのか」のママさんは大の水森かおりファン。ご当地ソングのナンバーワン歌手だそうだ。「安芸の宮島」「熊野古道」「函館山」「鳥取砂丘」「ひとり薩摩路」「釧路湿原」「明石海峡」「三陸海岸」「五能線一人旅」とか店内中にポスターを貼ってある。(佐渡流人行がないのがさみしい)
 特に水森かおりは『輪島朝市』がいいのだそうだ。こんど輪島に行ってくるといったら、これ練習して宴会でお友達に聴かせてあげなさい!… と『輪島朝市』のカセットテープを貸してくれた。早速きいてみる。(坂本冬美ファンの柳生さんが大好き『能登はいらんかいね~』も捨てがたいが、まずはかおりちゃんから。逸徳さん「五能線一人旅」も練習してゆけばよかったねえ)

♫愛をなくした 心のように
空は重たい 鉛色
輪島朝市~
涙をひとり 捨てに来た
寒さこらえて 店出す人の
声がやさしい 能登訛り

♫知らず知らずに わがままばかり
無理を通して いたみたい
輪島朝市~
女の夢は 帰らない
詫びの手紙を あなたに当てて
書いてまた消す 旅の宿

♫まるで私を 見送るように
沖は潮鳴り 風が泣く
輪島朝市~
出直すための 足がかり
強く生きろの 言葉をあとに
明日へ踏み出す 能登めぐり

七 七七五 五七五 七 七七五となっている。
五七五を切り取ると、輪島朝市 涙をひとり 捨てに来た
             店出す人の 声がやさしい 能登訛り
  輪島朝市 女の夢は 帰らない
  輪島朝市 出直すための 足がかり 
日本人は万葉の昔から五七五が頭に染みこんでいるんだなあ。中国から輸入した漢字を改造して真名から見事な仮名文字を創り上げた。こういうのが日本人の得意技。
  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司
  戦争する国についに組しゆく小さな国のたそがれにゐる       馬場あき子

何でもあり・・・猫跨ぎ

  中国はGDPは世界第二位。堂々たる大国だ。ネットを見ていたら、月探査ロケットを年内に打ち上げるらしい。月面では無人探査車を走らせ、石を持ち帰るとかで、大したもんだ。航空母艦、無人偵察機、ステルス戦闘機など軍の近代化も怠りない。一方、北京とか大都会ではPM2.5の問題で視界不良とかで凄いことになっている。外国人の帰国が相次いでいると報じられている。
  ウィグル族の車突入事件は国際テロ組織の犯行との公式発表だが、あの映像を見ると抗議の焼身自殺という説が頷ける。老婆が乗っていてガソリンを積んでいた。一家の覚悟の心中か。どんどん漢族が入植してウィグル族を追い立てている。これ、戦前の満州の構図だな。新疆ウィグル自治区の直ぐ隣に同じトルコ系のイスラム国家が控えている。中央アジアに地鳴りが聞こえる。大きな争乱が起きそうだ。習鈞平の就任演説で、中華民族の権益は充分回復していないと言っていた。清の頃の最大版図は死んでも確保するという宣言だろうが、その後の民族自決の歴史を顧慮していない。日本に偉そうに言う前に、歴史をもっと学ばねば。それはそうと、「中華民族」の代わりに「ドイツ民族」と言えば、ヒトラーが政権奪取したときと同じ演説になる。
  先端的な部分と前近代的な遅れた部分―19世紀的な社会的矛盾、環境破壊、傍若無人の帝国膨張主義が,あざなえる縄の如く存在している。時空を超えて、何でもありのヌエみたいな状況の隣国だ。

2013年11月3日日曜日

啄木・・・猫跨ぎ

  啄木の元愛人が、その幸江さんだったかどうか詳らかでないが、私もそのころの新聞で啄木のことを「大嘘つきの人」と言っていたのを記憶している。借金踏み倒しとか色んな不義理をしながらの一生だったのだろう。そういえば、盛岡に行ったとき、新婚当時住んでいた住居が記念館として公開されていたのを覗いたことあり。
  砂山の砂に腹ばひ初恋の痛みを遠く思い出づる日
なんて言われると、幸江さんならずともころっと騙されて、耳朶を噛ませるわけだ。

猫跨ぎ句を鑑賞しつつ思うこといろいろ・・褌子

・双腕に室津港あり酔芙蓉
   室津の湊の地形は知らないが、双腕とあるから舞鶴や佐世保みたいに馬蹄形の陸に囲まれた良港なのかもしれない。遣唐使船と酔芙蓉があう。酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついた。蓮=Lotusは中国では芙蓉と書くから間違えやすい。
・大伽藍のいくつ亡びし稲の花
    福原京跡とかどこかで詠んだ句に違いないが、――平城京跡にて詠める――とか前書きがあると助かります。
・下総の月夜に太るけむり茸
特選  
・医務室の耳の模型や毒茸
たしかに
・俎板の章魚引き剥がす秋の暮
タコ・蛸・鮹・章魚。吸盤が最後の抵抗をしている。奇っ怪な姿ながら、あの白身の刺身がたまらない。秋の暮れのわびしさが余命幾ばくもないタコの悲哀を強調した。準特選かな
・氷頭鱠ふるさと遠き噛み応へ
なんとなく借金ふみたおし釧路を追われた啄木を想起した。『啄木日記』というのは面白いらしい。夭折した天才ながら「釧路の幸江は馬鹿で始末に負えない。別れるのにほとほと手を焼いた女」なんて、ずいぶん正直に書いてある。天才歌人の愛人だったことを自慢していた幸江さんが、啄木没後この日記を読んで激怒。啄木をのろい続けて昭和四〇年だったか亡くなったと、道新で読んだ記憶がある。幸江さんの源氏名は小奴。 
じつは『啄木日記』を先日、三省堂書店で立ち読みしたが幸江さんとのポルノチックの個所がローマ字で書いてあった。
  小奴といひし女のやはらかき耳朶なども忘れがたかり
釧路には何と二十五も啄木の歌碑があるそうだ。 いちばん有名なのは幣舞橋ちかくの米本公園の
  しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな
リラの君とふたりで歌碑を訪ね歩きたかったなあ・・・

・秋冷や硝子断面海の色
    晩秋いや初冬か。空気がきんと冷えている

仁句鑑賞しつつあれこれ書くと・・・褌子

・右ひだり踝まはす野分あと
逡巡道草台風やっと過ぎ去りて、久しぶりに係留摩周丸わきでラジオ体操でもやるか
・耳奥からころがり落ちて木の実かな
   木の実状の巨大耳垢がでてきて巷の噂話がよく聞こえるワイ
・物言いのつけ様もなし金木犀
金木犀といえばあの芳香だが、相撲となにか関連があるのですか
・ユトリロの白引き立ちて秋の風
特選
   春はアケボノ秋はユトリロ。オーカーにホワイト。じつに秋風にひきたつわい
   ユトリロに秋冷いたる津軽かな
   日展の入選派閥枠に笑ってしまった。全部カネカネカネ。絵より書のほうがこの世界は怪しい。絵や彫刻などはいちおう自然が対象だから、ユトリロはいいなあとか秋野不矩を真似したみたいな平山郁夫はどこがいいのかなあとか小生でも一言くらいはいえる。宮田某氏(佐渡高校の後輩です)は芸大学長になってテレビでおしゃべりしていて仕事するヒマあるのかとか。ところが前衛書道とかとなると誰もわからない。エライ先生に金積んでエイやーっコレ入選と指さしてもらった方が勝ちなのではないか。面白うてやがて哀しき鵜飼いかな、だ。・・・・詩歌管弦はそんなことないと信じたいが。文学は実力の世界らしい。苦節五十年、芥川賞直木賞もらってもすぐ消えてしまうひともいる。自然科学の研究もきびしそう。小生なんぞちょいと小窓からチラリと覗いて一目散に撤退してよかった。小窓も曇りガラスだったし。♪くもりガラスを手でふいて~あなたぁ明日が見えますか♪
松本清張『ある小倉日記伝』のはなしも哀しいねえ。神の手とはやされて石器捏造していた東北考古学研究所のあの先生いま何やって食ってるかな。

・ボイジャーの進む空間神無月
    仁ちゃんはむかし、神の皆地底に降りて秋の夜
   と地下にもぐったが今回は天空高く羽ばたいた。広大無辺の時空とボイジャー。のびのびしたいい句だなあ。
     きのうはバスで4時間乗って原発反対福島大集会に参加した。千葉は曇りなのに福島市は秋晴れ。じつに気持ちよかった。写真は原発反対の横断幕をかかげた数百台のダンプの壮観。福島市の新幹線の橋脚下の大広場。そぐそばの民家では除染中だった。除染した汚染土を庭に積み上げている家が目立った。福島市は中通りでしかも宮城に近い県北。小児をかかえた家庭は心配なことだろう。
  余談だが福島県は大藩があった会津若松が県都になって大学もあってしかるべきだが、賊軍にされて…。閑散とした福島駅前をデモ行進していたら郡山を県庁所在地にすればよかったんだとデモのおじさんたちがしゃべっていた。
��写真・玄関脇にブルーシートで積み上げた汚染土)

・鬼の子の一丁前に笑ひけり
   広辞苑をひくと枕草子43段に「蓑虫いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて」 清少納言がいいたいことはわかるが、蓑虫が一人前に笑っている…函館方面ではこういう笑うミノムシが発生しているのかもしれん

・爽籟やロケット作る町工場
   きいたこともない難語の季語が、先端技術にこつこつ挑戦するさわやかな町工場の雰囲気とどうもマッチしないように思う。
   コスモスやロケット作る町工場     ではだめですか?