真贋の森などと大げさなタイトルだが、「南惣美術館」のことが帰ってからも頭から離れない。パンフをよむと「南惣」は奥能登大野村の天領庄屋南家の屋号。左大臣平時忠が能登に流された文治元年にはすでに奥能登の豪族として栄えていたという二五代を数える名家だという。
むかしは能登集古館南惣といったらしいが昭和46年に米倉を改装した自称美術館には、野々村仁清や本阿弥光悦、柿右衞門、尾形乾山などの焼き物がごろごろ並んでいる。絵は俵屋宗達や長谷川等伯、丸山応挙、狩野探幽、酒井抱一、橋本雅邦など。雪舟や蕪村の書画もある。書蹟は千利休、小堀遠州、沢庵和尚、芭蕉、加賀の千代女とつづき、はては後鳥羽上皇や後花園天皇の「後宸筆」もある。何でも鑑定団の中島先生絶賛の古九谷の名品もあるが、先生がこの古九谷いがいにはひと言もふれてないのが意味深。
とにかく国宝、重文級のものが、床がデコボコした締まりのない建物の薄いガラスの向こうにずいぶん無造作に何の脈略もなく並んでいて、しまいには陸軍兵士が宮城遙拝している戦争画まで陳列してある奇妙な私設美術館。登録有形文化財とパンフには記されてあったが、これが全部、本物だとすると守衛が目を光らせている国立博物館あたりに鎮座しているはずだが。泥棒や火事の心配もありそうだが、ひとのよさそうなおばさんひとりで店番していた。おばさんから柚羊羹とお茶をごちそうになり銀杏を買って館の外にでたら、屋敷の庭には柊や馬酔木の巨木があり、山のように大きなドウダンツツジの紅葉が美しい。やはり能登きっての名家なのであろう。
松本清張の中篇傑作『真贋の森』は浦上玉堂の偽物づくりで大もうけをたくらむ落ちぶれた美術史家が貧乏画家、骨董屋と組むはなしで、この世界らしい迫力あるリアリティがあって面白い。骨董集めなどに夢中になっている金持ちが読むと参考になるかもしれない。
いぜん、割烹経営者の相談にのったことがある。バブルのころ大もうけしたので銀座のデパートでフランス=バルビゾン派の画家の風景画を800万円でぽんと買った。デパートの美術部長が車で自宅まで届けてくれたそうだ。居間で10年くらい眺めていたが、何となく贋作でないかと疑念が生じて鑑定してほしいというのである。
額の裏にはパリの画商の鑑定書がついているがフランス語なのでさっぱりわからない。 大事にお預かりしてある洋画家にみてもらった。老画伯はしきりに首をかしげていたがやがて芸大同期のある美術館の館長に電話をかけた。電話の向こうでミレーなどバルビゾン派の研究家でもある館長が画家の名前をなんども聞き質している。その結果、「贋作ではありませんよ。有名でない画家の作品を模造する意味がまったくありませんからねぇ」
割烹の御主人には「まちがいなく本物だそうです。大事にされていつまでも楽しんでください…」と何でも鑑定団の中島先生みたいなこと言って、堅牢なケース入りの絵を丁重にお返しした。
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