2013年11月29日金曜日

能登旅行記その1  ・・・褌子

   11月23日、逸徳さんのウルシ資料を読んでいるうちにANA機は能登空港へ下降をはじめた。右翼の下に白銀の立山連峰がみえる。(立山の新雪雪崩で七人死亡したことを輪島のホテルで知った) 富山湾は雲がおおっていて海面はなにもみえない。裏日本なのである。
  空港には小林さんが予約してくれたジャンボタクシー下道運転手が迎えにでている。輪島朝市を見学して輪島漆器資料館と石川県輪島漆芸美術館を訪ねたあと、赤木工房へと向かう。漆工房は冬季2㍍も雪が積もる山の中。輪島塗の底知れぬ奥深さを語る工房の親方赤木明登塗師の話にうたれた。逸徳さんの高校の教え子で修業中のHさんと会う。
  夜はノドグロ屋で高級魚ノドグロを食べた。
  翌24日、朝からH嬢も同乗し7人で能登半島西岸を北上。「白米の千枚田」は田植え後や刈り入れ前だったらどんなにきれいだろうなあと思った。海辺すれすれの珍しい千枚田。むかし、女房といった北ベトナムの千枚田は中国雲南省まで延々数十キロ、耕して天に登るで水牛に乗る子供が豆粒ほどにみえた。簑のした耕し残る田が二枚。
  南惣美術館、時國家、上時國家、窓岩、垂水の滝をみて、(有)新海塩産業で奥能登珠洲天然塩を買う。
  菊や山茶花が咲くのどかな坂道を上って白亜の小さな灯台のある半島最北端の禄剛崎へ。佐渡島が北東東にうっすらと見えたような気がした。ここは日本の中心だという碑がたっている。岬に針をたててコンパスをまわすと弧状列島北端の稚内と九州南端が同じ距離だという意味らしい。(日本列島全体の重心は岐阜の郡上八幡とのこと)  蜩が鳴く能登のはずれのどんづまり、の誓子の句碑があった。上五が字余りだと思った。挨拶句だからと猫跨ぎさんが解説してくれた。
  禄剛崎ふもとでカツカレー昼食。黒瓦、黒板塀のランプの宿をみて半島東岸を南下する。  珠洲市上戸町寺社の「倒さ杉」は、東大寺南大門の運慶快慶の仁王みたいに筋骨隆々の太い枝をくねらせて地面まで下げて更に立ち上がっているのだ。逆杉(さかさすぎ)は栃木の那須など方々にあるが、この「倒さ杉」の偉容は別格総本山官弊大社超弩級で、しかも全く有名でないのが実にいい。特別サービスで立ち寄ってくれた下道さんに感謝したい。
  珠洲という風雅な地名に感じ入っているのだが須須神社という古社に由来しているのであろう。見附島は2007年能登半島地震で島の社が崩れ落ちたというが、まことに軍艦島の名前通りの島。
  車は半島を西岸へと横断しふたたび輪島市へ。前の座席では逸徳さんと教え子の話がはずんでいる。彼女は赤木親方にきたえられ、やさしい逸徳先生に見守られ、きっと立派な輪島塗の塗師(ぬし)になるのではなかろうか。
  総持寺祖院をみてから門前町の一角の能登天領黒島の町並みへ。黒島の角海家は北前船の廻船問屋住宅。黒島は北前船の船頭や水主の住まいの町だったという。冬は日本海は荒れて北前船は航行できない。冬期間の船員たちはこの黒島に家族と住み、春になると遠い大阪にでて出港準備をするのである。佐渡小木、酒田、深浦、三国、福浦、境湊と北前船の寄港地をいろいろ訪ねてきたが、このような船員の出稼ぎの基地の町があったとは知らなかった。
  夕闇迫る道を二泊目の輪島へ戻る。夜は小蔵ひでをさんの本邦初公開の秘話で盛り上がり実に美味しく楽しい酒であった。そういえば赤木工房では親方にそれぞれ自己紹介をしたが冷間鍛造を説明した小蔵ひでを社長のはなしがいちばんわかりやすく秀逸であった。
  翌朝、いちおう解散し小林さんは京の紅葉見物に向かった。逸徳さんと国兼さんと三人でバスで金沢へ。西金沢から石川線で鶴木(つるぎ)に着くと獅子吼荘のおやじさんが迎えにでている。白山比咩神社(しらやまひめ)へ立ち寄る。霊峰白山の麓の加賀一宮である。参道脇の紅葉がすばらしい。
  東アジア全体の獅子頭を陳列する珍しい博物館をみて夕食。どぶろくをたっぷり飲む。
逸徳さんがしきりに、どぶろく製造法をきいている。
  白山は、麓に近過ぎて鶴木からは山容をみることができないのが残念。加賀、越前、飛騨の三国に囲まれて白山はあるが、山域ほとんどが加賀らしい。山へ登る表道は越前の白山神社から。越前人は白山が加賀にあることが悔しくてしょうがないと司馬遼太郎の街道を行くシリーズ「越前の諸道」にある。この巻は白山信仰については詳しいが、能登や加賀の諸道のシリーズはない。
  翌朝、雨のなかを歩いて鶴木駅へ。途中、墓場のそばを通る。数百基の墓石がみな「南無阿弥陀仏」と掘ってあり、台座に小さく○○家の墓とある。まっこと浄土真宗のくになのである。
  また、ひなびたローカル線で金沢へともどる。小松空港へ向かう逸徳さんと別れて米原へ急行白山に乗る。途中の福井県の敦賀、武生(たけふ)などは好きな地名だ。朝倉を滅ぼした柴田勝家がいた越前北の荘はいまの福井市のこと。国兼さんのご先祖は越前福井だという。いま越前のくにが原発銀座になっているのが野暮で残念。こんどの旅行で越前カニを食えなかったのもこれまた残念。
  米原で新幹線に乗るとここからは表日本。空気も空の色も一変する。国兼さんとお酒を飲みながらみた富士山が実にきれいだった。真っ白に冠雪してこそ富士だ。♪越中じゃあ立山、加賀は白山、駿河の富士山三国一よ~と昔、富山出身の橋本君が歌っていた。
  いい旅だった。が、新幹線のテロップが「秘密保護法、衆院で強行採決」と流しているのをみて酔いもさめてしまった。日本は確実に戦争する暗い国へと向かっている。
  

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