2014年6月30日月曜日

新自由主義的徴兵制    ・・・褌子

    ■ 新自由主義的徴兵制=経済的徴兵制ともいう ■
  ベトナム戦争のあとアメリカは徴兵制を廃止。選択的徴兵制とか試行錯誤をかさねながら今はいちおう志願制によって膨大なアメリカ軍をなんとか維持している。(できれば日本など同盟国の青年に肩代わりしてもらいたいと念願しながら。げんに米韓同盟のもとベトナム派遣の韓国軍は五千人戦死)
 要するに新自由主義の経済政策で極端な貧富の差をつくりだせば、食い詰めた貧困家庭の青年たちが軍隊に自然と集まってくるというのである。とはいってもイラク戦争で三千人もの米兵が戦死したので、兵隊集めに苦労している様は、マイケルムーア監督『シッコ』にもくわしい。(イラク派遣の五万人の米兵のなかに上下院議員の子弟はひとりもいないではないか!と、ただひとりブッシュの戦争に反対し続けた女性下院議員がいましたね)
 日本の自衛隊はむろん志願制であるが、私には新自由主義的徴兵制がすでにしかれているように思えてならない。小泉・竹中コンビによって格差社会がつくりだされ安倍政権によって、さらに貧しい青年たちが大量に政策的につくりだされている。自衛隊にはいれば飯がくえる、免許など資格もとれる、いちおう公務員らしいから親も安心してくれるかもしれない・・・。
 千葉の幕張メッセで「にこにこ超会議」というのが五月にあって、わたしもみに行った。平均年齢20才くらいの数万人もの若者たちで熱気むんむん。
 私の目をひいたのは共産党の出店ブースの百メートルくらい離れたところに、自衛隊と在日米軍が若者たちをいっぱい集めていたことである。大きな戦闘ヘリがあって、陸上、海上、航空自衛隊の制服を着てはカッコいい現役自衛隊員と肩を組んでキャアキャアと楽しく写真をとっているのである。息子さん娘さんにどうぞとわたしにも美麗な入隊勧誘パンフをくれた。
 そうか、戦時体制はこんなふうに、ニコニコしながらやってくるんだなあ。

2014年6月24日火曜日

北海道もようやく・・・猫跨ぎ

函館もようやく、春というか夏というか、一緒にやって来たらしいですね。北海道はこの時期、四季の分類が相応しくないね。

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに・・・「中七の表現がどうもしっくりこない。函館港でも今は烏賊の夜釣り盛ん。」
これは、作句の言葉選びを、まるで夜の海から何かを釣り上げるような感覚を言ったつもり。当たりを待って暗い海を見つめている・・・
・麦秋や屈んで参る去来墳・・・「向井去来は蕉門十哲の一人。墓も小さく質素に作られているのだろう。」
この前、京都へ行った折、落柿舎を訪ねた。その近くにこじんまりした墓所があって、去来の墓がある。実に小さい。膳所の義仲寺の芭蕉墓も小さい。いや、まことにこうありたいものだ。昨今の句碑の立派で馬鹿でかいこと。
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り・・・「中七の「枇杷の実あかり」の表現が新鮮に感じた。真夜中の葬式の帰りと一寸くどさも感じたが余程大切な人だったのだろう。枇杷は北海道では御目に掛れないのが残念。準特選。」
「枇杷の実あかり」は小生の発見(笑)でちょっと自慢だが、葬帰りと言うなら、「真夜中の」は言わずもがなか。ここは変えたいね。我が家の前にある枇杷の木。鈴生りだった。
・蜜豆やSPレコードすぐ終り・・・「蜜豆とSPレコードとの取り合わせ絶妙。と同時に下五の止めが句全体によく効いていると感じた。特選。」
SPレコードを手回し蓄音機で聞いていたのはついこの前のような気がする。レコードのカバーがおもむきがあったなあ。
しかしレコードはあっという間に消えたね。CDは音質がどうも、というマニアの声もなつかしい。映画もいまはフィルムではなく、弁当箱みたいな記録素子を映写機に嵌め込むだけらしい。

函館通信239・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 やっといい気候になって来た。函館にも夏競馬がやって来た。パドックに行きたいのだが馬券を買うのにだいぶ歩かねばならない。自信が無くネット購入で我慢せざるを得ない。
 さて、猫跨ぎさんの十句楽しく鑑賞させて戴きました。

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに・・・中七の表現がどうもしっくりこない。函館港でも今は烏賊の夜釣り盛ん。
・苺つぶして漂泊のこころあり・・・最近苺をつぶして練乳をかけて食べる事をしていない。つぶす事に何か特別な思い入れがあるのかな。
・祭笛神馬は巫女に逆らはず・・・競走馬と異なり神馬はおとなしく躾けられているね。
・麦秋や屈んで参る去来墳・・・向井去来は蕉門十哲の一人。墓も小さく質素に作られているのだろう。
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り・・・中七の「枇杷の実あかり」の表現が新鮮に感じた。真夜中の葬式の帰りと一寸くどさも感じたが余程大切な人だったのだろう。枇杷は北海道では御目に掛れないのが残念。準特選。
・蜜豆やSPレコードすぐ終り・・・蜜豆とSPレコードとの取り合わせ絶妙。と同時に下五の止めが句全体によく効いていると感じた。特選。
・寺山忌タオルにくるむモデルガン・・・寺山修司、競馬の好きな多能な人だったな。中七・下五が秘められた能力の発現をしようとする一部なのかな。怖さもあるな。
・もう六月さあどうすると言はれても・・・「もう六月」感じる人と「まだ六月」と感じる人の両方が居る様に思うが私はまだ後者に近い。ユーモアがあって好きな句だ。準特選。
・アマリリスのリリスの辺り媚びてゐる・・・アマリリスは最近殆ど観ていない。熱帯性植物のどぎつさは常に何かを誘っているようだ。
・ワールドカップ流砂のごとく人流れ・・・首都圏等の馬鹿騒ぎをTVで観るが人口の少ない所では人の流れも無し。新聞だけが変にうるさい。

2014年6月22日日曜日

H26。6月度投句・・・猫跨ぎ

  一昨日、池袋駅を通ったが、サッカー日本代表チームのグッズコーナーで店員が大声で客を呼んでいた。通行人は素通りするばかり。熱は一気に冷めたね。これがあるから恐ろしい。当て込んでいた関係者は大変だ。
  大体、世界ランクで44位とかなんだろう。それで上位のコートジボワールに勝つのが当然みたいな煽り立てはどうだ。こちらが必死なら、相手も必死だ。どれだけサッカー歴があるのか知らないが、判ったような分析屋がぺらぺらとよく喋る。訳知りの戦犯探しの喧噪がこのあと当分続きそうだ。

ということで
六月度の近作十句

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに
・苺つぶして漂泊のこころあり
・祭笛神馬は巫女に逆らはず
・麦秋や屈んで参る去来墳
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り
・蜜豆やSPレコードすぐ終り
・寺山忌タオルにくるむモデルガン
・もう六月さあどうすると言はれても
・アマリリスのリリスの辺り媚びてゐる
・ワールドカップ流砂のごとく人流れ

祭りの終焉・・・国兼

半年前頃は、羽生だ浅田と騒ぎ、かわいそうに女子ジャンプの高梨さんは期待外れで無視されて・・・・。何かお祭りが無いと一日が過ごせない民族性のためか、今度は本田だ、香川だ岡崎だと、ベスト16だ、優勝だと大太鼓を打ち鳴らしていたが、もう数日でこのお祭りも終わりそうだね!!!これからは、いつものように、自称評論家諸君が寄ってたかって、第1級戦犯は誰とか、作戦がどうのこうのと・・・。不思議なことにまだ終わっていないにもかかわらず、日本サッカー協会の理事なる人物がザック監督の采配に口出しに行くらしい。4年間任せたのであれば、信頼して最後まで任せるという度量がほしいものだ。

 話代わって、今日の天声人語に偶然か、茨木のり子さんのことが書かれていた。記者もおそらく世田谷の文学館を訪れたのであろう。
 私がこの詩人を知ったのは、定年後に朝日に記載された「惜別」の記事である。「このたび私はこの世をおさらばすることになりました云々。この手紙は生前に記した云々と・・・・」。こういうのも良いかなと、私もしておこうかなと思い名前を見たら茨木のり子と。詩人の関係者が彼女の死後朝日に送ったようである。
その昔に天声人語で彼女の詩集「倚りかからず」を取り上げたところ本屋に注文が殺到したらしい。そのような縁があったらしい。
 今日の記事には彼女の「私が一番きれいだったとき」その時は敗戦前後の19歳のときで、とても不幸せな時と・・・もう一つが「平和」という詩で、「男がなよなよして、女が溌剌になる・・・・」、なよなよした男に愛想を尽かし、勇ましそうに見える男に世を託し、やがては女子供が巻き込まれる世の中へと。

2014年6月19日木曜日

茨木のり子展・・・猫跨ぎ

  茨木のり子展は今月29日まで開催中だね。私は先月行ってきた。
現代の女性詩人のなかで最も人気のある一人か。最近特に。「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」の詩句が有名だが、これは勿論自分を叱咤した言葉。
掲示されていた次の下りが率直でいい。「あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと…」。こういう直截な表出は詩という形式なればこそか。俳句と比べてだが。この詩人のイメージはひと言で言えば、「澄明」。庶民の上質な感性そのもののような気がする。
  会場の最後に天井からレースのカーテンで仕切られたコーナーがあって、何かと思わせるが、先立たれた夫、三浦安信とのプライベートに関するもの。文書箱に生前公開されなかった十篇以上の作品が残されていた。それらも一部分陳列されている。「セクス」で始まる赤裸々なものもあって、思わずどきりとする。死後の公表は応諾していたとか。凜としたイメージがこの詩人の印象だが、これらも含めて、この詩人の全体像として記憶されるのだろう。これらの詩篇については、最近出た岩波文庫の詩集に収録されている。  
女性詩人に美人が多いとは私の持論であるが、茨木のり子さんもまた論を待たない。もう一度行こうと思っていたが、ちょっと無理かな。

茨木のり子     ・・・褌子

 茨木のり子展を世田谷文学館でみてきた。
 「感受性くらい」や「倚りかからず」など茨木のり子の詩は、テキトウに生きてきた私のような人間をときにしゃんとさせてくれる効用がある。
 与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴というタイプのまったく違う詩人4人を茨木のり子が描き出した『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)を読んだ。
 高村光太郎を紹介する章の一節、『日本人の「典型」』のところが、戦争をする国へとすすむ現今の政治や世情を考えるととくに印象的。
 青春時代からもちこたえてきた、光太郎の芸術の先覚者としての、知識人としての精神活動は、智恵子の死(昭和13年)を境に、くずれ去ったようにみえます。―――と茨木は書いて、天皇あやうし!陛下をまもれ!と叫ぶ詩「真珠湾の日」を3年後に発表するまでの光太郎というか当時の日本人の心境を次のように述べている。
――― 光太郎の心の荒廃に、しのびよってきたのは、なんと、かつてあれほどきらった父、光雲に代表された、下町の庶民感覚だったのです。
 しんせつで、心あたたかく、おせっかいでもあり、権威に弱く、他人の暮らしのすみずみまで知りたがり、義理人情でバランスをとり、事があれば、よく考えもせず「やっちまえ!」と叫ぶ、むかしながらの日本人の心のふるさとへ――こういう里帰りの心を、「日本への回帰」と呼びますが、日本人は、どんなにモダンな人でも、老年に近づくと、こういう現象があらわれてくることが多いのです。(中略)
 光太郎も六十代になって、例外ではありませんでした。.父や母や祖父たちの遠いなつかしい亡霊にひきよせられるようにあともどりして、折りしもはじまった太平洋戦争に、「日清」「日露」の戦争に熱狂した先祖たちとおなじように、夢中になっていったのです。
 
��写真は、友人だった詩人谷川俊太郎が撮影したもの。茨木のり子の魅力的な風貌をはじめて知った)

2014年6月15日日曜日

こむらがえり その他いろいろ      九州の熊

こむら返りにはストレッチが効くよ わたしは毎朝食事前に、背伸び、ふくらはぎからアキレス腱のかけての引き伸ばし、股関節の延伸、背中の後ろ反い、くびのまえ倒し、うしろ倒し、首回転をやる 約10分かかる でも爽快だね すっきりめが覚める めしがうまい あまり永生きするつもりはない 召されたら素直にそれを受け入れる、と思っているがそれでも健康寿命へのこだわりは結構あるね

ワールドカップサッカーがうるさい・・か でもAKB48選挙よりはいいのでjは NHKが全国ニュースで話題にしたのにはおどろいた

柔道 剣道 居合道 相撲道・・ 「道」がつく格闘技は勝ち負けだけではない”勝負の美”がある 柔道や相撲は外国人がその「こころ」の部分を蹴散らして勝ち負けにこだわった その結果柔道も相撲もいろんな問題が噴出した とわたしはみている そういう見方からするとサッカーのようなスポーツは日本人に向いていない? 残念ながらサッカーは一次リーグ敗退だね


H26.6月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  ファンには申し訳ないが、サッカーがうるさい。テレビ、ラジオ、新聞、ネット、バカ騒ぎだ。いい加減にして欲しい。
さて、今年はホトトギスが良く啼く。夜中も啼いている。六月仁句鑑賞。

��.老鶯や送られて来た手沢本
手沢本とは前の持ち主の触った跡の付いた本のこと。想像するに、親類もしくは友人が亡くなり、遺族から送呈されたものか。共通の或る思い出があるのだろう。準特選。
��.蝦夷梅雨や強がり言った医師の前
蝦夷梅雨か。前からある言葉なのかな。「いやあ、このところ快調です」。ただでさえ鬱陶しい天気、そう言ってしまうね。
��.験担ぐ弟と居る木下闇
どういう状況かな。験担ぎはあまりしない方だね。ホテルは相変わらず、4のつく部屋番号はない。何時になったらこの馬鹿な習慣はなくなるのかな。しかし、担ぐ人は、切実だ、とすれば、無くならないか。木下闇で怪談でも聞かされたか。
��.卯の花やそろそろおむつ取れる頃
そう、うちの孫もその年頃。電話で「ウン、トイレ行かないの」と威張っていたが。
��.時の日のこむら返りの痛さかな
最近はあまり無くなった。返りそうな瞬間があって、咄嗟に足の指を引っ張って対処すれば、何とかなる。時の日か。何か思い起こさせるのかな。
��.万緑や古式泳法演じ切る
深山の渓谷の、流れの緩やかなところかな。昔の思い出だろう。
��.短夜や暴き切れない血圧計
暴くとは。血圧計には何の責任もない。あらぬ数値を出す当方の側の問題か。
��.ラジオネーム宇宙人と書きソーダ水
ラジオ番組に投稿しているらしいね。
��.室内の手摺伝わり夏の月
急に話が現実的になってきた。この前満月だったね。
10.宇宙まで途中下車なし蝸牛
蝸牛を己に見立てている。天上まで何の障害もなく行きたい、行くつもりだということか。特選。

2014年6月13日金曜日

函館通信238・・・蝦夷梅雨・・・仁兵衛

国兼さん、御帰りなさい。まだまだあっちへ行くには早過ぎますよ。兎に角お互いに言葉が交わせる位置に留まっていましょうや。
それにしても函館はこの一週間曇りー霧ー小雨ー大雨ーかみなりと梅雨の真っただ中にあります。道内全体も似た様な状況ですので北海道もいよいよ梅雨が定着しつつあるようです。しかも御しとやかな雨ならともかくいたる所でゲリラ豪雨を呈し暴れまくっています。
こんな蝦夷梅雨の中での十句宜しくご鑑賞下さい。

��.老鶯や送られて来た手沢本
��.蝦夷梅雨や強がり言った医師の前
��.験担ぐ弟と居る木下闇
��.卯の花やそろそろおむつ取れる頃
��.時の日のこむら返りの痛さかな
��.万緑や古式泳法演じ切る
��.短夜や暴き切れない血圧計
��.ラジオネーム宇宙人と書きソーダ水
��.室内の手摺伝わり夏の月
10.宇宙まで途中下車なし蝸牛


2014年6月10日火曜日

1ヶ月後の身体状況…国兼

退院してから1ヶ月過ぎた。心臓周辺の違和感も生じることなく、以前と変わったことといえば、脈拍が50~60と10ぐらい減ったことと、夜中に一度ぐらいトイレに起きることである。新たに飲んでいる血管膨張の薬と関係しているのかもしれないが、熟睡の途上で目が覚めるというのは、あまりいい気持ではない。
 タバコを止め、早寝早起きのせいか以前に比べ朝飯は特に美味しく感じる。でも、この1ヶ月の間で何回かタバコを吹かしている夢を見た。1度なんかは、慌ててもみ消していた。夢の中でも喫煙は駄目だというマインドコントロールが作用しているのかと・・・。後どのぐらいすると吹っ切れることやら??

 話代わって、 最近の中国のこと、かって1周遅れの帝国主義をアジアにおいて行った日本、更に1周遅れの武を南シナ海で用いようとしている中国、眠れる獅子が牙をむきだしてきた感じである。日本には過去の歴史を、歴史をと叫んでいる割には歴史を学んでいないのではと・・・。武に金をつぎ込み、2千年を越えるはるか昔の秦時代の焚書坑儒のような中華のノスタルジアに帰るよりも、孔子や孟子のような「礼の世界」や、或いは杜甫や白居易のごとき「文の世界」や世界を幸せにするような「サイエンスの世界」でと思う。  中国の動きに待っていましたと言わんばかりにわが日本のボンボンも集団的自衛権をと、嫌な、きな臭い様相を示しつつある。

 ともあれ、ひでをさんの書かれていた「愉快な出会いと、まだまだ人生楽しいものだと」、私も運良くこの世に戻ったからには楽しまなくてはと思う。そう、「リラ忌」も忘れてはいけない!!ホロホロ会の毎年の旅も忘れてはいけないのだ!
 ところで、青木は何をしているやら????


2014年6月9日月曜日

孫文と滔天・・・猫跨ぎ

  しばらくご無沙汰していた。北陸の芭蕉の足跡を辿り、ついでに京都をあちこち歩き回ってきた。この辺の話はいずれまた。
  褌子氏のどこかへ書いた記事の転載かな。いろいろと活躍の舞台が広いのに感心。記載の事実は全く知らなかった。知っている人は余りいないのではないか。明治末期から大正にかけての中国の革命前夜の胎動のころか。魯迅の「藤野先生」を思い出す。そんな民間人が沢山いたのだろう。孫文と言えば、宮崎滔天という破天荒な人物を想起せねばなるまい。二人は同士のごとく激しく極東を動き回った。巨像がゆっくり倒壊していくような清末期。新しいアジアの夜明けを信じて熱烈に支持し行動する空気が当時あった。一種ロマン主義がまだ生きていた時代の話だ。その後、日本は日露戦争の美酒に酔いしれて、対支二十一箇条の要求などの愚策へ落ち込んでゆくのだが。
  今はどうだ。自由資本主義の市場原理のみが世界を席巻している。動きがやたら速く、それ以外のどんな主義主張も掻き消されて見えない。アセアンの会議で、中国の何とかいう副参謀総長は「南シナ海は二千年来、中国の支配下にある」と豪語したらしい。ベトナムやフィリピンはそのころ腰簑をつけていたのではないかと言わんばかりだ。
孫文の夢といかにかけ離れていることか。いや周恩来だってこの傲岸不遜には激怒したに違いない。

2014年6月7日土曜日

投稿    ・・・・褌子

    千葉大学医学部の辛亥革命赤十字隊記念碑
                沙飛研究日本の会世話人 西沢昭裕
 1912年(大正元年)といえば沙飛が広州に生まれた年だが、この1912年が辛亥革命によってアジアで初めての共和国が中国に成立した年であることはいうまでもない。
 1911年、辛亥の年に孫文ひきいる中華革命党が武昌に挙兵すると清朝政府軍とのあいだに内戦がおこった。当時、アジアでいち早く近代化をなしとげたかにみえる日本には中国からも大勢の留学生がきていたが、清朝末期の腐敗と列強諸国の侵略に心を痛めていた。武昌蜂起をきいて祖国の革命戦争にはせ参じようという気運が中国人留学生のあいだに大きくなった。
 その先陣をになったのが千葉医学専門学校(現千葉大医学部)の中国人留学生30名の国民革命軍赤十字部隊としての派遣だといわれている。
 私は千葉県の市原市に住んでいるが、自宅から車で20分ほどの千葉市亥鼻の台地に千葉大学医学部がある。千葉医専、千葉医大の伝統をうけつぐ古びた医学部本館の玄関脇に、「辛亥革命赤十字隊記念碑」があるというので訪ねた。
 記念碑は赤十字隊派遣のちょうど一年後の1912年11月9日建立とある。100年の風雪でかなり摩耗してか私には中国語の碑文が読み取れないが、刻印された30名の留学生の姓名のあとに「中華民国留学生千葉医学専門学校学生同建」とある。そばにていねいな説明板がたっている。この説明文は2009年に千葉大学元学長の故井出源四郎名誉教授が医学部創設135周年にあたり書かれたと記されている。
 井出源四郎先生の説明文によれば、祖国の革命戦争に参加したいという留学生30名の懇請をうけて、当時の荻生録造学長が留学生たちの休学と祖国の戦陣より帰還のあとは必ず復学させるという認可を文部省、外務省からとりつけたとある。
 派遣が決定となり急きょ、日本赤十字千葉支部の協力もえて、戦時医学を学んだ派遣赤十字学生隊に教職員や学友たちがカンパをつのり壮行費用や医療器具や医薬品を寄贈、1911年11月9日に数百人の教職員学生が千葉駅の壮行会を催して見送った。同年秋から翌12年にかけての革命戦争の末、孫文を臨時大総統として中華民国樹立が宣言されて、赤十字隊は全員復学を果たすことができたのである。
 「この壮挙は千葉大学医学部史の宝であり、日中の間に何が起ころうとも、(中略)貴重な日中友好の絆は決して断ち切ってはならないと確信し決意するものである」と井出先生は結ばれていて感慨深い。

【付記】
 仙台医専を中退して東京で文学活動をはじめた魯迅は1909年に帰国している。救国抗日運動への参加を決意した沙飛が魯迅最期の姿を上海でカメラにおさめたのは1936年。
 辛亥革命で成立したばかりの中華民国は袁世凱らの軍閥の裏切りによって共和政体が崩壊。1919年に中国国民党を結成して国民革命をすすめる孫文も1925年に志半ばに倒れる。 沙飛はその翌26年7月に国民革命軍の通信兵として北方の軍閥政府を打倒する北伐戦争に参加する。国民革命の根拠地となった広州で生まれた沙飛であるがまだ14才の少年であった。

2014年6月2日月曜日

We meet only to part, as they say.  褌子

  青木君、信田君に関する小蔵ひでをさんの発言を興味深く拝見。
    熱燗や合縁奇縁ちくわ穴  なんて句がありましたな。
 私もむかしhorohorokaiの西浦温泉への旅行で東京駅から新幹線に乗り、となりに座っている紳士が中川徹君だとは名古屋駅で降りるまでまったく気がつかなかったことがあります。
 ぐぐっと近寄っても決して交わることなく双曲線みたいに永遠に別れてしまった女性が私の場合、じつに多かったなあ。手をにぎることも話を交わすこともなく。鴎外の『雁』のお玉さんみたいに…。ホントに、会うは別れの始め、なんだねぇ。
  「会うは別れの始めとはいうけれど」を英語でいうと We meet only to part, as they say. となるがどうもしんみりした雰囲気がでないなあ。
 天の川銀河の比較的ちかくにいるマゼラン星雲も実は急速に遠ざかっていて、この大宇宙のなかでマゼラン星雲と天の川銀河が二度と邂逅することはないのだそうだ。それどころか、二兆年後には銀河系以外は何も見えなくなる、というのだ。
 いま、読んでいるローレンス・クラウス『宇宙が始まる前には何があったのか?』(原題A UNIVERSE FROM NOTHING青木薫訳・文藝春秋)の目次を紹介してみよう。

■はじめに 何もないところから、何かが生まれなければならない
■第一章 いかに始まったか  
  始まりの一秒。百億度のプラズマ状態。陽子と中性子が結びついては、さらなる衝突のためにふたたびバラバラになる。ビックバン・モデルでさかのぼる原初の宇宙の状態とは……。
■第二章 いかに終わるのか?
  「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」のいずれかで、終末のシナリオは3つある。この予想の鍵をにぎるのが、目に見えない大量の暗黒物質だ。その正体を捉えることはできるのか。
■第三章 時間の始まりからやってきた光
  生まれてまもない高温の宇宙で発せられた光の残照、それが宇宙マイクロ波背景放射である。宇宙誕生の瞬間を見ることは不可能だ。しかし、誕生から30万年後の姿は見ることができる。
■第四章 ディラックの方程式
  ミクロなスケールの世界から記述する量子力学。そこでは、何もないところから仮想粒子が生成消滅する。特殊相対性理論と量子力学を結びあわせたディラックは、宇宙の始まりにも関係する重大な発見をする。
■第五章 99パーセントの宇宙は見えない
  エネルギーを含んだ空っぽの空間の中に、「暗黒物質」の海があり、わずか1%の目に見える物質がその海の中に浮かんでいる。それが現在の物理学が到達した宇宙像なのである。
■第六章 光速を超えて膨張する
  われわれに観測可能な宇宙も、膨張の速度が加速し、やがて光速を超える。アインシュタインが課した制限速度も、空間そのものにはあてはまらない。
■第七章 二兆年後には銀河系以外は見えなくなる
  宇宙がこのまま膨張し続けると、二兆年後にはすべての天体が遠ざかり姿を消す。ビックバンの手がかりも消えるだろう。われわれは宇宙を観測できる貴重な時代を生きているのである。
■第八章 その偶然は人間が存在するから?
  インフレーション・モデルや「ひも理論」によると、宇宙はひとつではなく無数に存在するという。とすると、われわれの宇宙は人間が存在するのに適した宇宙に過ぎないのではないか。

―――――以下、面倒くさくなってきたのであとは章立てだけを書く
■第九章  量子のゆらぎ
■第十章  物質と反物質の非対称
■第十一章 無限の未来には
■エピローグ 宇宙が始まる前には何があったのか?