函館もようやく、春というか夏というか、一緒にやって来たらしいですね。北海道はこの時期、四季の分類が相応しくないね。
・夜釣人言葉を釣り上げるやうに・・・「中七の表現がどうもしっくりこない。函館港でも今は烏賊の夜釣り盛ん。」
これは、作句の言葉選びを、まるで夜の海から何かを釣り上げるような感覚を言ったつもり。当たりを待って暗い海を見つめている・・・
・麦秋や屈んで参る去来墳・・・「向井去来は蕉門十哲の一人。墓も小さく質素に作られているのだろう。」
この前、京都へ行った折、落柿舎を訪ねた。その近くにこじんまりした墓所があって、去来の墓がある。実に小さい。膳所の義仲寺の芭蕉墓も小さい。いや、まことにこうありたいものだ。昨今の句碑の立派で馬鹿でかいこと。
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り・・・「中七の「枇杷の実あかり」の表現が新鮮に感じた。真夜中の葬式の帰りと一寸くどさも感じたが余程大切な人だったのだろう。枇杷は北海道では御目に掛れないのが残念。準特選。」
「枇杷の実あかり」は小生の発見(笑)でちょっと自慢だが、葬帰りと言うなら、「真夜中の」は言わずもがなか。ここは変えたいね。我が家の前にある枇杷の木。鈴生りだった。
・蜜豆やSPレコードすぐ終り・・・「蜜豆とSPレコードとの取り合わせ絶妙。と同時に下五の止めが句全体によく効いていると感じた。特選。」
SPレコードを手回し蓄音機で聞いていたのはついこの前のような気がする。レコードのカバーがおもむきがあったなあ。
しかしレコードはあっという間に消えたね。CDは音質がどうも、というマニアの声もなつかしい。映画もいまはフィルムではなく、弁当箱みたいな記録素子を映写機に嵌め込むだけらしい。
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