しばらくご無沙汰していた。北陸の芭蕉の足跡を辿り、ついでに京都をあちこち歩き回ってきた。この辺の話はいずれまた。
褌子氏のどこかへ書いた記事の転載かな。いろいろと活躍の舞台が広いのに感心。記載の事実は全く知らなかった。知っている人は余りいないのではないか。明治末期から大正にかけての中国の革命前夜の胎動のころか。魯迅の「藤野先生」を思い出す。そんな民間人が沢山いたのだろう。孫文と言えば、宮崎滔天という破天荒な人物を想起せねばなるまい。二人は同士のごとく激しく極東を動き回った。巨像がゆっくり倒壊していくような清末期。新しいアジアの夜明けを信じて熱烈に支持し行動する空気が当時あった。一種ロマン主義がまだ生きていた時代の話だ。その後、日本は日露戦争の美酒に酔いしれて、対支二十一箇条の要求などの愚策へ落ち込んでゆくのだが。
今はどうだ。自由資本主義の市場原理のみが世界を席巻している。動きがやたら速く、それ以外のどんな主義主張も掻き消されて見えない。アセアンの会議で、中国の何とかいう副参謀総長は「南シナ海は二千年来、中国の支配下にある」と豪語したらしい。ベトナムやフィリピンはそのころ腰簑をつけていたのではないかと言わんばかりだ。
孫文の夢といかにかけ離れていることか。いや周恩来だってこの傲岸不遜には激怒したに違いない。
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