26日より一泊二日の俳句の錬成会と称する懇親会で三河の岡崎へ行ってきた。岡崎が徳川家康の生まれ故郷ということで、岡崎城中心の岡崎公園がなんと言っても町のシンボルとなっている。司馬遼太郎は信長、秀吉に比べ家康が嫌いで、岡崎人のことを陰険で頑固でアナクロだと言っていたとされ、一方、岡崎の本屋の書棚には司馬本は無い―まさかね、嘘に決まっているが、どこかで読んだ記憶がある。時間が無くて確認はできなかったが。そう、東照宮の過剰な装飾は何故とよく言われる。この前、横浜中華街を歩いていて関帝廟に立ち寄ったとき、雰囲気が東照宮に似ていると思ったことがある。調べていないが両者に関係があるのかな。
さて、翌日,足助に回って八丁味噌など色々見学後、懇親会は解散。そのあと、一人の俳句仲間と名古屋から中央線で松本に入り、上高地へ行ってきた。以前来たときは河童橋を見ただけで殆ど記憶に残っていない。今回は大正池から明神池まで梓川沿いを往復4時間掛けて歩いた。穂高、明神岳、焼岳なども眺望でき、よかった。たぶんこれが最後か。翌日は国宝松本城、旧開智学校などを見学。小澤征爾のサイトウキネンオーケストラでも有名。松本はきちんとした街という印象だね。
2013年5月30日木曜日
新緑の日光・・・褌子
いぜんベトナム北部の棚田を女房と見にいったことがある。たまたまマレーシアからきた40代の夫婦と二日間、いっしょに世界有数の壮大な棚田をゴム長に雨合羽で観て歩いたものだ。
その中国系マレーシア人が家族三人で遊びにきて二日間、日光など案内した。日光は東照宮だけでなく、となりの二荒山神社や家光廟所の大猷院などもはじめて入ってみた。九輪草の群落がみごと。大猷院の猷という字はどんな意味ですかと受付の青年僧にきいたら「はかりごと」と辞典に書いてあります、とのこと。ユダヤ=猶太などの猶とはちがう字だときづいた。猶は「ひきつづいて変わらず」のような意味らしい。執行猶予と書くなあ。
東照宮は、極端な装飾過多でいつ来てもうんざり。白鳳、天平などの清新な文化を生み出した日本人が千年後にはどうしてまあ・・と思わずにはいられない。
竜頭の滝から、戦場ヶ原をへて湯の滝まで数キロを散策。郭公の声が遠くから聞こえ、ズミの開花まえの蕾の赤い色に魅入った。
マレーシアからの客人が、秋にはクアラルンプールから飛行機で一時間のボルネオのキナバルあたりを案内してくれるとのこと。4095メートルのキナバルはガイド同伴で途中、二泊しないと登頂できない。自分の体力では無理。いまさら筋トレもめんどう。
三浦雄一郎は体力も財産もあって家族にもめぐまれ幸せな人だな。『ナショジオ』5月号を読んだら、エベレストは夏の槍ヶ岳よりも登山ラッシュで頂上を目の前に渋滞で二時間待ちということもあるそうだ。遭難者の遺体が放置されていて、夏も凍結している遺体のそばを沈黙した登山者が登ってゆく。ベースキャンプはゴミと排泄物の山で困っているが、ネパール政府も回収の予算がない、と書いてあった。
日光の戦場ヶ原では自然指導員の60代のおばさんが小さなゴミも見逃さずひろって歩いていた。マレーシアからの客人もトイレの清潔さにも驚いていた。【日光の五重塔でマレー美人と】
その中国系マレーシア人が家族三人で遊びにきて二日間、日光など案内した。日光は東照宮だけでなく、となりの二荒山神社や家光廟所の大猷院などもはじめて入ってみた。九輪草の群落がみごと。大猷院の猷という字はどんな意味ですかと受付の青年僧にきいたら「はかりごと」と辞典に書いてあります、とのこと。ユダヤ=猶太などの猶とはちがう字だときづいた。猶は「ひきつづいて変わらず」のような意味らしい。執行猶予と書くなあ。
東照宮は、極端な装飾過多でいつ来てもうんざり。白鳳、天平などの清新な文化を生み出した日本人が千年後にはどうしてまあ・・と思わずにはいられない。
竜頭の滝から、戦場ヶ原をへて湯の滝まで数キロを散策。郭公の声が遠くから聞こえ、ズミの開花まえの蕾の赤い色に魅入った。
マレーシアからの客人が、秋にはクアラルンプールから飛行機で一時間のボルネオのキナバルあたりを案内してくれるとのこと。4095メートルのキナバルはガイド同伴で途中、二泊しないと登頂できない。自分の体力では無理。いまさら筋トレもめんどう。
三浦雄一郎は体力も財産もあって家族にもめぐまれ幸せな人だな。『ナショジオ』5月号を読んだら、エベレストは夏の槍ヶ岳よりも登山ラッシュで頂上を目の前に渋滞で二時間待ちということもあるそうだ。遭難者の遺体が放置されていて、夏も凍結している遺体のそばを沈黙した登山者が登ってゆく。ベースキャンプはゴミと排泄物の山で困っているが、ネパール政府も回収の予算がない、と書いてあった。
日光の戦場ヶ原では自然指導員の60代のおばさんが小さなゴミも見逃さずひろって歩いていた。マレーシアからの客人もトイレの清潔さにも驚いていた。【日光の五重塔でマレー美人と】
2013年5月20日月曜日
函館通信208・・・五月猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛
夏場所が始まった。らじるらじるで放送をPCで聴きながらこれを書いている。昔懐かしいながら族スタイルです。と思ったら猫跨ぎさんの句の面白い事上手い事でラジオで勝ち名乗りを誰が上げたか忘れてしまった。
・天平の微熱ほのかに袋角・・・・・天平の微熱とは歴史の何を言うのだろう。そして袋角との取合せ、これから想像させるものが大きくあるように思う。
・火星移住計画ふはりしゃぼん玉・・・・・「宇宙兄弟」という漫画を面白く読んでいる。月面に宇宙天文台を造る計画中だ。火星移住計画も実感が少し湧いて来ているのではなかろうか。しゃぼん玉との取合せがくすぐっくなるほど面白く感じた。
・ピザに振るタバスコ赤すぎる遅日・・・・・タバスコのかけ過ぎは健康にいいのか悪いのか。季語の遅日との取合せでユーモアを感じさせる。
九日目の取り組みが終った。日本人大関稀勢の里がどうにか頑張っている。それ以上に白鵬は強いな。
・天平の微熱ほのかに袋角・・・・・天平の微熱とは歴史の何を言うのだろう。そして袋角との取合せ、これから想像させるものが大きくあるように思う。
・火星移住計画ふはりしゃぼん玉・・・・・「宇宙兄弟」という漫画を面白く読んでいる。月面に宇宙天文台を造る計画中だ。火星移住計画も実感が少し湧いて来ているのではなかろうか。しゃぼん玉との取合せがくすぐっくなるほど面白く感じた。
・ピザに振るタバスコ赤すぎる遅日・・・・・タバスコのかけ過ぎは健康にいいのか悪いのか。季語の遅日との取合せでユーモアを感じさせる。
九日目の取り組みが終った。日本人大関稀勢の里がどうにか頑張っている。それ以上に白鵬は強いな。
2013年5月19日日曜日
五月猫跨ぎ句を鑑賞・・・褌子
・観音に弛緩のすこし花馬酔木
観世音菩薩さまのお仕事は、悩み多きすべての衆生救済であるから、きりりと引き締まった厳しいお顔でなく、すこし抜けた優しさあふれる顔でなくてはならない。向源寺の十一面観世音菩薩も古拙の微笑をたたえ、国兼さんを悩殺するS字カーブを描いたお腰であった。こんなことどもを「弛緩のすこし」と喝破したのは見事と言うしかない。馬酔木の壺状にたくさん下垂する小白花は観音様の「弛緩」にあう。超特選級。
・天平の微熱ほのかに袋角
そうか、あの再生中の角を袋角というんだね。夏の季語なのか。俳句は深いなあ。シベールの日曜日の微熱、天平の微熱、いろいろあるなあ。特選。
・拝殿の奥のもの見え春夕焼
夕闇迫る頃の拝殿の奥の方… むかし多武峰の談山神社でちょっと怪異な不思議な経験をした。あれは秋の夕暮れであったが。
・春雨や休診つづく外科医院
春愁。外科は疲れるからなあ。老先生も内科だったらまだまだ
・ピザに振るタバスコ赤すぎる遅日
日脚伸ぶの季節になったが
・口中の飴割れ四月終りけり
こういうふうに時間は過ぎ年老いてゆくのか・・・
・春愁や会津八一の碑をなぞり
会津八一は新潟のひとで新潟市に記念館がある。こんど郷里に帰るときに行きたいと思っている。大漢和の諸橋轍次博士の記念館も新潟にある。春愁というといつも思い出してしまうのは能村登四郎の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」
・フランスパンの袋長すぎ薄暑かな
面白い。あの袋は長い。夫婦げんかはあれでやれば痛いが怪我はしないね。
・この狒狒(ひひ)も東京生まれ夏来たる
狒狒爺さんのことではなさそうだ。上野動物園のことかも。
・火星移住計画ふはりしゃぼん玉
いずれ太陽の超新星爆発で地球はのみ込まれる。火星もだめなのでは。人類の寿命もシャボン玉のようにはかない。
観世音菩薩さまのお仕事は、悩み多きすべての衆生救済であるから、きりりと引き締まった厳しいお顔でなく、すこし抜けた優しさあふれる顔でなくてはならない。向源寺の十一面観世音菩薩も古拙の微笑をたたえ、国兼さんを悩殺するS字カーブを描いたお腰であった。こんなことどもを「弛緩のすこし」と喝破したのは見事と言うしかない。馬酔木の壺状にたくさん下垂する小白花は観音様の「弛緩」にあう。超特選級。
・天平の微熱ほのかに袋角
そうか、あの再生中の角を袋角というんだね。夏の季語なのか。俳句は深いなあ。シベールの日曜日の微熱、天平の微熱、いろいろあるなあ。特選。
・拝殿の奥のもの見え春夕焼
夕闇迫る頃の拝殿の奥の方… むかし多武峰の談山神社でちょっと怪異な不思議な経験をした。あれは秋の夕暮れであったが。
・春雨や休診つづく外科医院
春愁。外科は疲れるからなあ。老先生も内科だったらまだまだ
・ピザに振るタバスコ赤すぎる遅日
日脚伸ぶの季節になったが
・口中の飴割れ四月終りけり
こういうふうに時間は過ぎ年老いてゆくのか・・・
・春愁や会津八一の碑をなぞり
会津八一は新潟のひとで新潟市に記念館がある。こんど郷里に帰るときに行きたいと思っている。大漢和の諸橋轍次博士の記念館も新潟にある。春愁というといつも思い出してしまうのは能村登四郎の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」
・フランスパンの袋長すぎ薄暑かな
面白い。あの袋は長い。夫婦げんかはあれでやれば痛いが怪我はしないね。
・この狒狒(ひひ)も東京生まれ夏来たる
狒狒爺さんのことではなさそうだ。上野動物園のことかも。
・火星移住計画ふはりしゃぼん玉
いずれ太陽の超新星爆発で地球はのみ込まれる。火星もだめなのでは。人類の寿命もシャボン玉のようにはかない。
2013年5月18日土曜日
五月仁句を観賞・・・褌子
・ ふらここや一往復にある記憶
ひとは事故などで落下する瞬間に生きてきた一生が脳裏をかけめぐるという。
ふらここの一往復だからせいぜい数秒だが、あの浮揚感が忘却のかなたにあったあれやこれやをふと思いおこさせるのである。いきなり特選。
ブランコを鞦韆といい、ふらここといい、春の季語であることを知ったのも俳句にふれたおかげ。三橋鷹女の、鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべしは強烈だった。三橋鷹女は成田山の門前町に生家がある。
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
なんとなく情景がうかぶ
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
春のアンニュイというか倦怠、退屈、屈託
・ SLや三歳の春総身に・兄六つ弟いつつ苺かな・泣き笑ひ出来て嬰児風光る
可愛いねえ。赤ちゃんが心底可愛いと思う年にこっちもなった。自分の娘よりずっと若いお母さんがしっかり乳児を抱いているのをみると、がんばれと応援したくなる。
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
問わず語り は源氏物語にもでてくる美しい日本語。英語などにない表現ではないか。
古希をむかえた老夫婦のきままな散策の情景か。岬で物語性がでてきたので倦怠期のシニア世代の旅行かも。
青き踏むが踏青、野遊び。鞦韆とおなじく中国由来の季語だと知った。
いっぽう 青鞜=bluestockingは平塚らいてうらが婦人解放をとなえた雑誌の名。
・ アスパラの曲った先から五月晴
面白いシュールレアリスム的感性
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
緞帳、連獅子、リラで短編小説が。シベールの日曜日の青春。壮年の連獅子。
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
いい焼き物だ。艶の絡みと新茶の対比鮮やか。これも特選である。
新茶は夏の季語なんですね。函館も冬は脱したようだ。
仁ちゃん 先日、桑園寮でいっしょだった明神さん(北教大釧路分校の先生)と向山君と飲みました。桑園寮時代の思い出話に花が咲きました。
ひとは事故などで落下する瞬間に生きてきた一生が脳裏をかけめぐるという。
ふらここの一往復だからせいぜい数秒だが、あの浮揚感が忘却のかなたにあったあれやこれやをふと思いおこさせるのである。いきなり特選。
ブランコを鞦韆といい、ふらここといい、春の季語であることを知ったのも俳句にふれたおかげ。三橋鷹女の、鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべしは強烈だった。三橋鷹女は成田山の門前町に生家がある。
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
なんとなく情景がうかぶ
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
春のアンニュイというか倦怠、退屈、屈託
・ SLや三歳の春総身に・兄六つ弟いつつ苺かな・泣き笑ひ出来て嬰児風光る
可愛いねえ。赤ちゃんが心底可愛いと思う年にこっちもなった。自分の娘よりずっと若いお母さんがしっかり乳児を抱いているのをみると、がんばれと応援したくなる。
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
問わず語り は源氏物語にもでてくる美しい日本語。英語などにない表現ではないか。
古希をむかえた老夫婦のきままな散策の情景か。岬で物語性がでてきたので倦怠期のシニア世代の旅行かも。
青き踏むが踏青、野遊び。鞦韆とおなじく中国由来の季語だと知った。
いっぽう 青鞜=bluestockingは平塚らいてうらが婦人解放をとなえた雑誌の名。
・ アスパラの曲った先から五月晴
面白いシュールレアリスム的感性
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
緞帳、連獅子、リラで短編小説が。シベールの日曜日の青春。壮年の連獅子。
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
いい焼き物だ。艶の絡みと新茶の対比鮮やか。これも特選である。
新茶は夏の季語なんですね。函館も冬は脱したようだ。
仁ちゃん 先日、桑園寮でいっしょだった明神さん(北教大釧路分校の先生)と向山君と飲みました。桑園寮時代の思い出話に花が咲きました。
2013年5月17日金曜日
五月度投句・・・猫跨ぎ
五月度の投句。奈良吟行句の残りを少し。
・観音に弛緩のすこし花馬酔木
・天平の微熱ほのかに袋角
・拝殿の奥のもの見え春夕焼
・春雨や休診つづく外科医院
・ピザに振るタバスコ赤すぎる遅日
・口中の飴割れ四月終りけり
・春愁や会津八一の碑をなぞり
・フランスパンの袋長すぎ薄暑かな
・この狒狒(ひひ)も東京生まれ夏来たる
・火星移住計画ふはりしゃぼん玉
2013年5月16日木曜日
五月仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
しばし音信不通になっていた彼女の消息を探し当てたのは仁ちゃんだった。そしてその後もね。
さて、五月度仁句鑑賞。今日は当地は蒸し暑いくらいの気候。申し訳ないが風が心地よい。
・ ふらここや一往復にある記憶
ブランコに乗ってゆっくりと揺れている。自然に気持が過去へいざなわれるということであろう。繰り返しの動きのなかに、自分も人も自然も同じ事を繰り返すものだという感覚も仄見える。
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
前書きにみるように、花冷えとはいえ如何にも寒いと思いながら歩いている。海岸か、神社の境内か。砂利の音が我が身に沁みるようだ。冴えないなあ。
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
冴えないことの極みみたいな句だなあ。このあと夏が急にやって来るから、まあ気を確かに。
・ SLや三歳の春総身に
・ 兄六つ弟いつつ苺かな
・ 泣き笑ひ出来て嬰児風光る
孫三句。子供は実に屈託がない。寒ければ寒いなりに元気に飛び回る。
うちの孫も乗り物に目がない。一時期、踏切のそばで通過する電車をそれこそ総身に感動を顕して見入っていた。動物園の動物なんかにはさっぱり関心を示さない。
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
岬がしばしば登場するが、いつもの散策コースから見えるお馴染みの風景なのだろうか。
ようやく生えそろった春草を踏みながらのそぞろ歩きの向こうにいつもの岬が見える。早春の感動とは些か遠い屈託が感じられる。
・ アスパラの曲った先から五月晴
こういう近景、遠景の取り合わせに、なにか心情をこめているのだろうが、うむ、あまり跳ねた感じはしないねえ。そういう気分がよく見える。
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
リラの花に舞い終えた後の連獅子を見たのだろう。
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
新茶という季語はさわやかな初夏のまろやかさという何と言うことのないもの。淹れた茶器の肌合いを愛でて居るのだろう。「絡みて」が何か引っかかりを感じさせるが、本人しか判らない。
さて、五月度仁句鑑賞。今日は当地は蒸し暑いくらいの気候。申し訳ないが風が心地よい。
・ ふらここや一往復にある記憶
ブランコに乗ってゆっくりと揺れている。自然に気持が過去へいざなわれるということであろう。繰り返しの動きのなかに、自分も人も自然も同じ事を繰り返すものだという感覚も仄見える。
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
前書きにみるように、花冷えとはいえ如何にも寒いと思いながら歩いている。海岸か、神社の境内か。砂利の音が我が身に沁みるようだ。冴えないなあ。
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
冴えないことの極みみたいな句だなあ。このあと夏が急にやって来るから、まあ気を確かに。
・ SLや三歳の春総身に
・ 兄六つ弟いつつ苺かな
・ 泣き笑ひ出来て嬰児風光る
孫三句。子供は実に屈託がない。寒ければ寒いなりに元気に飛び回る。
うちの孫も乗り物に目がない。一時期、踏切のそばで通過する電車をそれこそ総身に感動を顕して見入っていた。動物園の動物なんかにはさっぱり関心を示さない。
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
岬がしばしば登場するが、いつもの散策コースから見えるお馴染みの風景なのだろうか。
ようやく生えそろった春草を踏みながらのそぞろ歩きの向こうにいつもの岬が見える。早春の感動とは些か遠い屈託が感じられる。
・ アスパラの曲った先から五月晴
こういう近景、遠景の取り合わせに、なにか心情をこめているのだろうが、うむ、あまり跳ねた感じはしないねえ。そういう気分がよく見える。
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
リラの花に舞い終えた後の連獅子を見たのだろう。
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
新茶という季語はさわやかな初夏のまろやかさという何と言うことのないもの。淹れた茶器の肌合いを愛でて居るのだろう。「絡みて」が何か引っかかりを感じさせるが、本人しか判らない。
2013年5月15日水曜日
函館通信207・・・リラ忌・・・仁兵衛
本当に思い出させてくれるね。小倉さん、国兼さんと3人で盤渓の施設に行ったのがもう十年前になるのだろうか。未だ車椅子で微笑みもあった。次は山田さんと褌子さんとの3人で札幌駅に近い時計台病院に行った時は既に横たわったまま寝ており微笑みはもう無かった。そして最後は一人で新札幌の記念塔病院に行った時はかなり荒い呼吸に変っていた。何も言えずに黙って帰ってきた。今になって彼女の愛らしさと優しさが強く思い出される。
それにしても寒い。五稜郭の桜は満開になったのだが毎日花冷えの状態だ。曇っていて兎に角日照時間が無さ過ぎる。桜だけではない木の芽の出方が弱々しいばかりか地面の草花も全く冴えない。どうにかしてくれよと叫びたいくらいだ。ぼやきはまだ続きそうだ。ぼやきながら近作十句。
・ ふらここや一往復にある記憶
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
・ SLや三歳の春総身に
・ 兄六つ弟いつつ苺かな
・ 泣き笑ひ出来て嬰児風光る
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
・ アスパラの曲った先から五月晴
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
それにしても寒い。五稜郭の桜は満開になったのだが毎日花冷えの状態だ。曇っていて兎に角日照時間が無さ過ぎる。桜だけではない木の芽の出方が弱々しいばかりか地面の草花も全く冴えない。どうにかしてくれよと叫びたいくらいだ。ぼやきはまだ続きそうだ。ぼやきながら近作十句。
・ ふらここや一往復にある記憶
・ 花冷や猫背で作る砂利の音
・ 誉め言葉一つも無しに春の往く
・ SLや三歳の春総身に
・ 兄六つ弟いつつ苺かな
・ 泣き笑ひ出来て嬰児風光る
・ 青き踏む問わず語りの岬かな
・ アスパラの曲った先から五月晴
・ 緞帳の下りた連獅子リラの花
・ 釉薬の艶の絡みて新茶くむ
微熱を発したのは・・・褌子
リラ冷えやシベールを見し夜の微熱
微熱を発したのは小蔵ひでをさんです。熱い思いを打ち明けられなかったのがボクたちです。
「母がきのう亡くなりました」の電話が次男さんからあったのが5月17日の朝。六年前になる。だから5月16日がリラ忌ということになる。18日のお通夜に山田君が代表して参列し私も同期生一同で弔電をうった。6月16日に房州白浜で五本さんを偲んで小蔵ひでをさんの「蝶の髪飾り」を歌った。翌年、2008年10月18日、札幌里塚霊園にみんなで墓参りした。灘の生一本の複刻酒なるものを河野君がもってきて墓前で飲んだ。その河野君もいまはいない。
微熱を発したのは小蔵ひでをさんです。熱い思いを打ち明けられなかったのがボクたちです。
「母がきのう亡くなりました」の電話が次男さんからあったのが5月17日の朝。六年前になる。だから5月16日がリラ忌ということになる。18日のお通夜に山田君が代表して参列し私も同期生一同で弔電をうった。6月16日に房州白浜で五本さんを偲んで小蔵ひでをさんの「蝶の髪飾り」を歌った。翌年、2008年10月18日、札幌里塚霊園にみんなで墓参りした。灘の生一本の複刻酒なるものを河野君がもってきて墓前で飲んだ。その河野君もいまはいない。
2013年5月14日火曜日
リラ忌・・・猫跨ぎ
仁ちゃんの話にあるように、今年の北海道は異様に寒く遅い春だったようだ。桜もいまようやく満開らしい。
「シベールの日曜日」を一緒に見たあと、大通公園のベンチで語り合ったのは誰だったかな。まあ誰でもいいや。
・リラ冷えやシベールを見し夜の微熱
2013年5月11日土曜日
サルトリイバラ・・褌子
久しぶりの雨である。田植えがすんだ田んぼにしとしとふる雨はあうなあ。
先日、山草マニアの女性からもらったサルトリイバラが根付いた。ベランダに這わせたらなかなか風情がある。サルトリイバラは西日本では柏餅の葉のかわりに餅をくるむそうだ。東日本では文字通り柏の葉っぱでくるむ。ところがこれは俗説で柏の木は西日本でもいくらでもあるのだそうで、地方によって柏の葉っぱやサルトリイバラの葉っぱなどばらばらだそうだ。ちなみに佐渡では柏もちも桜餅も食った記憶がない。よく食べたのは朴の葉や笹の葉でくるんだ粽=ちまき。あんこのかわりによく干し柿がはいっていた。べきらの淵に投身した屈原をしのんで粽を食べるのだなどの話を知ったのは随分大きくなってからのこと。
先日、山草マニアの女性からもらったサルトリイバラが根付いた。ベランダに這わせたらなかなか風情がある。サルトリイバラは西日本では柏餅の葉のかわりに餅をくるむそうだ。東日本では文字通り柏の葉っぱでくるむ。ところがこれは俗説で柏の木は西日本でもいくらでもあるのだそうで、地方によって柏の葉っぱやサルトリイバラの葉っぱなどばらばらだそうだ。ちなみに佐渡では柏もちも桜餅も食った記憶がない。よく食べたのは朴の葉や笹の葉でくるんだ粽=ちまき。あんこのかわりによく干し柿がはいっていた。べきらの淵に投身した屈原をしのんで粽を食べるのだなどの話を知ったのは随分大きくなってからのこと。
切れ味悪し・・・猫跨ぎ
昼夜のしきいがはっきりしなくなるのは共通しているなあ。私も12時ころ寝て本など読みかけるが寝付きの良いのが数少ない長所のひとつで、すぐ寝込む。ただし2時~3時にトイレにおきて本をだらだら読むのも同じだが、これもほんのいっとき。それが二、三度。はなはだ切れ味悪く朝を迎える。起床は7時半ころ。
朝食後ラジオを聞きながら新聞を読み、ここで居眠り。昼、夜の食事の後もいっとき、必ずうつらうつらしているなあ。従って昼も切れ味がはなはだよろしくない。まあ、年齢相応かも知れんと最近思うようになった。
将棋の名人戦が森内、羽生の因縁の対戦で羽生が一矢を報い、一勝二敗とした。対戦後の双方のコメントが淡々としていて、なおかつ冷静に振り返っているのがいい。
ところで、女子では里見香奈という女性が女流五冠を達成したという。ずば抜けた実力者らしいが、日本棋院の奨励会というプロの登竜門に女性として初めて参加したらしい。ここで勝ち抜いて四段になると、プロの扱いとなる。なんと彼女は去年ようやく初段となったというのだ。男女の差はかくも大きい。名人級の実力たるやちょっと素人には計り知れない。その名人級と丁々発止と闘っている三浦九段が、なんとコンピューターソフトに敗れたとこの前話題になった。やれやれ、そんな時代か。
さて久々の雨模様。これから句会で市川まで。
朝食後ラジオを聞きながら新聞を読み、ここで居眠り。昼、夜の食事の後もいっとき、必ずうつらうつらしているなあ。従って昼も切れ味がはなはだよろしくない。まあ、年齢相応かも知れんと最近思うようになった。
将棋の名人戦が森内、羽生の因縁の対戦で羽生が一矢を報い、一勝二敗とした。対戦後の双方のコメントが淡々としていて、なおかつ冷静に振り返っているのがいい。
ところで、女子では里見香奈という女性が女流五冠を達成したという。ずば抜けた実力者らしいが、日本棋院の奨励会というプロの登竜門に女性として初めて参加したらしい。ここで勝ち抜いて四段になると、プロの扱いとなる。なんと彼女は去年ようやく初段となったというのだ。男女の差はかくも大きい。名人級の実力たるやちょっと素人には計り知れない。その名人級と丁々発止と闘っている三浦九段が、なんとコンピューターソフトに敗れたとこの前話題になった。やれやれ、そんな時代か。
さて久々の雨模様。これから句会で市川まで。
春はとにかく眠い・・・褌子
逸徳さんの朝6時起床に笑ってしまった。こちとらは朝3時ごろにだいたい目が覚めてしまう。おしっこして布団のなかで2時間くらい文庫本を片眼で読む。(両目だと焦点があわない) 5時ごろ起きだし、ゴミ出し、庭の手入れと散水、赤旗しんぶん配達やビラ配りがないときは20分くらいの散歩。帰ってくると、家のまえあたりにたむろしている近所のひまな奥様方としばしさわやかな談笑。そのあと隣の畑の野菜のできぐあいを観察し(インゲン、ネギをもらったりする)、そのあと朝ドラ「あまちゃん」をみながら朝飯食っていると、女房が寝ぼけ眼で起きてくる。(女房は夜1時過ぎに寝る)
夜は9時過ぎにもう眠くなるのが困る。女房の話ではテレビをみているときも、ほとんど寝ているらしい。10時頃いっきょに寝る。昼は事務所にでかけて生活相談などうけていると眠くなる。電車は座ると居眠り。車の運転中の睡魔には困る。停車してほんの10分くらい寝ると頭がすっきりとして猛然と食欲がわいてくる。たいてい千葉駅裏の飲み屋のママさんとこで五百円のカレーライスを食べる。このめっぽう気立てのいいママさんはなぜか僕にだけ旨い刺身とか煮魚を毎回一品サービスにつけてくれる。それでたったの五百円。「センセイだけよ」と耳にささやくのが心地よい。センセイはやめてよといったら「背広のでぶはシャチョウ。メガネの一見シンシ風はセンセイ」と呼ぶことにしているとのこと。九州生まれのじつに可愛らしいおしゃべりママさん。百円のインスタントコーヒーもまあまあ旨い。店じゅう水森かおりと石川遼のポスターぺたぺた貼っていて散らかっている。こんど皆さんにも紹介します。あらーッ!センセのお友達? 素敵ね-とかお世辞いって歓迎まちがいなし
・・話がそれてしまった
夜は9時過ぎにもう眠くなるのが困る。女房の話ではテレビをみているときも、ほとんど寝ているらしい。10時頃いっきょに寝る。昼は事務所にでかけて生活相談などうけていると眠くなる。電車は座ると居眠り。車の運転中の睡魔には困る。停車してほんの10分くらい寝ると頭がすっきりとして猛然と食欲がわいてくる。たいてい千葉駅裏の飲み屋のママさんとこで五百円のカレーライスを食べる。このめっぽう気立てのいいママさんはなぜか僕にだけ旨い刺身とか煮魚を毎回一品サービスにつけてくれる。それでたったの五百円。「センセイだけよ」と耳にささやくのが心地よい。センセイはやめてよといったら「背広のでぶはシャチョウ。メガネの一見シンシ風はセンセイ」と呼ぶことにしているとのこと。九州生まれのじつに可愛らしいおしゃべりママさん。百円のインスタントコーヒーもまあまあ旨い。店じゅう水森かおりと石川遼のポスターぺたぺた貼っていて散らかっている。こんど皆さんにも紹介します。あらーッ!センセのお友達? 素敵ね-とかお世辞いって歓迎まちがいなし
・・話がそれてしまった
2013年5月7日火曜日
善と毒・・・猫跨ぎ
医療費逓減、死亡率、認知症低下、結局自分たち老後の為―とどのつまりは、みな良いことだねえ。 貴方は神の生まれ変わりか。待てよ、死亡率低下はどうか。爺婆は適宜、減って貰った方がいいのだが。ここにひとつ悪をこっそり滑り込ませるとは憎いね。
まあ冗談は別にして、「悪いこと」というのはどうも当を得ていない。毒を持つとというとやや的を射るか。そうだな、毒を併せ持たないと、善行賞ばかりでは、この身が持つまい。これぞ心理学の対象ではないか。鏡を片手にエスカレーターに乗った大学教授がいたなあ。通称ミラーマン。これはしかし今じゃ古典的。
まあ冗談は別にして、「悪いこと」というのはどうも当を得ていない。毒を持つとというとやや的を射るか。そうだな、毒を併せ持たないと、善行賞ばかりでは、この身が持つまい。これぞ心理学の対象ではないか。鏡を片手にエスカレーターに乗った大学教授がいたなあ。通称ミラーマン。これはしかし今じゃ古典的。
そりゃそうだ・・・・逸徳
ははは。十分悪いことやってる。ここに書けないだけだ。・・・・・ばれたら、警察とか女房においだされる。 けっこう喧嘩っ早いのも、そういうバランスの問題かもしれんと思っているがね。 サロン活動は、ただいいことというだけでない。 裏の目的は老人医療費軽減なのである。わが町も国保税が厳しい。 結局自分のためにもなるのである。もうひとつ・・・・究極の自分のための活動。こういう高齢者の社会参加活動は、それによって、自分の健康を維持させる。たとえば、死亡率や認知症発生率を低下させるのである。特に死亡率の低下がいちじるしく、これについては膨大な社会心理学者の研究がある。最初そういう研究を勉強したときはショックを受けた。つまりなさけはひとのためならず、という諺には科学的うらずけがあると思っているわけ。
しかし、最近やや不眠症。昨日プールにいってちと体を使ってみたのだが、6時には起きてしまった。8時間グッスリ寝たいとおもうができなくなってきた。老化現象のひとつかなあ。
しかし、最近やや不眠症。昨日プールにいってちと体を使ってみたのだが、6時には起きてしまった。8時間グッスリ寝たいとおもうができなくなってきた。老化現象のひとつかなあ。
2013年5月6日月曜日
どうしてそんな・・・猫跨ぎ
回遊マグロとは笑ってしまうね。そこまで戯画化しなくてもいいと思うけれど。人間は他者との関係性において生きていくから、一概に恣意的に断ち切ることも出来ないというのもわかる。それにしても、見事に社会に関わりのある真面目なものばかりだね。今度は高齢者サロンか。高齢化社会にも目配せを怠らない。むむ・・。かくなる上は、介護に面倒を掛けぬよう心してこれからを送らねば申し訳がたたんなあ。どうして、そんなに良いことばかりするのかねえ。どこかで思いきって悪いことをしなきゃ、バランスがとれないよ。
うーん ちと違う・・・・逸徳
なんだかなあ。微妙なちがいかなあ。 第一にわが人生、何かひとつキチンとやりとげたかというと、そう自信を持っていえるものが実はない。 何をやっていてもそこそやってしまうが、どこか傍観者的だったのだ。つまり典型的器用貧乏。ほんとに自慢するものがないのである。 したがってひとつの事にうちこめる人は尊敬しかない。 つまり、このことで人に一目おかれるというのがない。そこそこのことをやっていながら、傍観者的であったので、そこで完全燃焼していないのである。そうなる前にまず自分がどっかしらけてしまう。 で、俳句いっぽんというお師匠にはリスペクト以外のなにものでもない。 だって、退職後のわずかな時期にここまで来てしまったのだから。昔は俳句のくの字のムードもないと思っていた人が、あれよあれよだと思うのである。
で、おいらの多動爺について。実は自分から飛び込んだものは科学少年団くらいで、その他はひっぱりこまれた。で、それもいいことだからやってやろうかという心理とちと違う。いいことをやるべきなら、このからだいくらあってもたらない。 で、引き受けたとき漠然と感じたのは、我が人生の終わりのイメージである。限定されたこの期間をどうしてやるか。そういう意識が確かに心のどっかにただよっていた。要はへんな言い方だけど演劇の演出家なのだ。「人生は芝居 ひとはみな役者」といったのはシェークスピアか。だから正義感とか社会的良心とか、思想とか、なんか鎧みたいな言葉の群れは、わかることはわかるが、3メートルくらい上空を通過していっている。 今まで、自分が果たしてきた社会的な役割の延長上を、最後まで驀進するしかないんだろうなあ。 なんだかあわれでしんどい。とまったら死ぬ回遊マグロみたいで、なんだかあわれ。
で、おいらの多動爺について。実は自分から飛び込んだものは科学少年団くらいで、その他はひっぱりこまれた。で、それもいいことだからやってやろうかという心理とちと違う。いいことをやるべきなら、このからだいくらあってもたらない。 で、引き受けたとき漠然と感じたのは、我が人生の終わりのイメージである。限定されたこの期間をどうしてやるか。そういう意識が確かに心のどっかにただよっていた。要はへんな言い方だけど演劇の演出家なのだ。「人生は芝居 ひとはみな役者」といったのはシェークスピアか。だから正義感とか社会的良心とか、思想とか、なんか鎧みたいな言葉の群れは、わかることはわかるが、3メートルくらい上空を通過していっている。 今まで、自分が果たしてきた社会的な役割の延長上を、最後まで驀進するしかないんだろうなあ。 なんだかあわれでしんどい。とまったら死ぬ回遊マグロみたいで、なんだかあわれ。
ゾルレン・・・猫跨ぎ
おだやかな良い天気だね。二階の部屋から、このところ急に繁ってきた凌霄花が見える。
今年は根元から伐採しようかと思っていたのだが、うかうかと切り損ねて、まあもう一年我慢するかというところ。
しかし逸徳氏の活動振りも大したものだね。でもね、それは、本人が好きでやっているわけね、それぞれ。忙しくて敵わんといっても、心のそこでは、多動爺を喜んで演じている。 この辺は褌子氏も同じだね。まあ、そこそこ健康に留意して頑張って下さい。
私は自慢もなにも、正直に言うだけだが、俳句しかやっていない。全くの単線運転。身近にも自分のなかにも文句を言うのは皆無だからね。ただ、俳句に絡んで関心の蔓があちこと伸びて、まあ伸びるに任せているわけだけれど。これがまた面白い。森羅万象こもごも、改めて発見した分野が多い。
ゾルレン(かくあるべきこと)から解放された―と思いきや、現役のころの、あれこれのしがらみが夢に出てくるんだね。実に夢見が悪い。大脳の中の海馬はコントロール出来ない。
今年は根元から伐採しようかと思っていたのだが、うかうかと切り損ねて、まあもう一年我慢するかというところ。
しかし逸徳氏の活動振りも大したものだね。でもね、それは、本人が好きでやっているわけね、それぞれ。忙しくて敵わんといっても、心のそこでは、多動爺を喜んで演じている。 この辺は褌子氏も同じだね。まあ、そこそこ健康に留意して頑張って下さい。
私は自慢もなにも、正直に言うだけだが、俳句しかやっていない。全くの単線運転。身近にも自分のなかにも文句を言うのは皆無だからね。ただ、俳句に絡んで関心の蔓があちこと伸びて、まあ伸びるに任せているわけだけれど。これがまた面白い。森羅万象こもごも、改めて発見した分野が多い。
ゾルレン(かくあるべきこと)から解放された―と思いきや、現役のころの、あれこれのしがらみが夢に出てくるんだね。実に夢見が悪い。大脳の中の海馬はコントロール出来ない。
おひさ
おひさ。 ここはいつも全部読んでいるんだが、考えているうちに話題が変わって、ついていけん。どうも体内のサイクルが変化しているのではないか。 最近は曜日がわからなくなってきた。曜日という時計目盛を必要としなくなってきたのだ。 とにかくちといそがしすぎる。地元の原発反対の市民の会、憲法9条の会、さらに地域づくりの住民研究組織、ここでは近々高齢者サロンを立ち上げる。そして科学少年団と、まあ多動爺の面目躍如なのだが、いささかくたびれて来た。どっか手を引きたいと思うが、信頼している人でおいらより年上の人ががんばっていると、そこからぬけるのはやっぱり申し訳ないという気分になる。ようするに、逃げ出すにしても二番目か三番目にしたいのである。(いったい何いっているんだろう) ただはっきりしていることがある。 今だったら自分の葬式にきてほしいのはこういう運動をやっている人たちで、過去はどうでもよくなってきた。過去を振り返ると、大学時代と、現場のときに深くつきあった卒業生ぐらいで、中高の同窓会などあまり関心がなくなった。 要するに遠くなり、同一平面で生きているという感覚が薄くなってしまったのだ。 まあいいや。 義理で同窓会に出るのはやめた。初恋のひとはどっかの人の妻、というわけだし。それよりホロホロカイで悪口いいあっているほうがいいなあ。 大学というのは、後天的個体の発生の場であるといった人がいたが、誰だっけ。 確かに大学より前と、大学からではその間に心の中に深い溝があるような気がする。昔はなつかしいが、まだなつかしいという感情にひたっている気になれない。
で、花粉がひどい。 おいらのうちから富士山を見ると晴れた日はよく見えるが、これが見事に花粉まみれで、地平線に近づくほど、空のいろが黄粉色になってくるのだ、この辺では「おふじさん」という愛称でよぶこともあるのだが、この美女おしろいではなく花粉で化粧しているのである。ここではーくしょん くしゃみをひとつ。いやたまらん。
で、もうひとつ。 科学少年団の活動が5年目にはいったのだが、発展してきて、とうとうJAXAが接触してきた。JAXAは税金をいっぱい使うので広報活動にも力をいれており、こっちで科学少年団とコラボして何かやれんかということである。 6/2にこちらを視察に来ることになった。 うーん、一発菊川からロケット打ち上げさせるか。おもしろい。で、JAXAの相模原キャyンパスも見学させてくれるという。時間がよかったらどなたか行きたいかたいますか。 しかしだ、こういうことに行政は金だしてくれんなあ。
で、花粉がひどい。 おいらのうちから富士山を見ると晴れた日はよく見えるが、これが見事に花粉まみれで、地平線に近づくほど、空のいろが黄粉色になってくるのだ、この辺では「おふじさん」という愛称でよぶこともあるのだが、この美女おしろいではなく花粉で化粧しているのである。ここではーくしょん くしゃみをひとつ。いやたまらん。
で、もうひとつ。 科学少年団の活動が5年目にはいったのだが、発展してきて、とうとうJAXAが接触してきた。JAXAは税金をいっぱい使うので広報活動にも力をいれており、こっちで科学少年団とコラボして何かやれんかということである。 6/2にこちらを視察に来ることになった。 うーん、一発菊川からロケット打ち上げさせるか。おもしろい。で、JAXAの相模原キャyンパスも見学させてくれるという。時間がよかったらどなたか行きたいかたいますか。 しかしだ、こういうことに行政は金だしてくれんなあ。
雑感・・・褌子
近所では田植えもだいたい終わり、蛙が盛んにないている。庭のムクゲにアブラムシが、椿の若葉にチャドクガの細い虫がびっりり付いているのをみつけてキンチョールをふきかけた。ゆんべはブーンと蚊音まで寝床でしたから、まさに春から夏へと季節は動き出した感。
ところがきのうだったか札幌では雪が降ったというから一体どうなっているのか。
高橋和巳という私には難解な日本型ドフトエフスキスキー的作家?の『悲の器』を読み終わり、上巻だけ読んだ『邪宗門』の下巻を900円くらいでアマゾンで注文してしまった。こんなインターネット書店がはびこると町の本屋はますます困るだろうが便利さには勝てない。
村上春樹の妙に長いタイトルの新刊がマスコミをにぎわしているがどうも手を出す気がしない。猫跨ぎさんが紹介してくれた小澤征爾と村上春樹の音楽に関する対談は読んだが。
近況だが、最近ツイッターをはじめてみた。フェースブックもやってみるつもり。EverNoteはやや熱が冷めてきた(笑い)
連休中に中学生の孫がきて、『シェーン』をDVDでいっしょにみた。孫はかっこいい、と思ったようだが、こっちは何にも感じなかった。同世代の男性が『シェーン』に夢中になって三十回もみて本までだしているので、どれどれそんなにいい映画だったのかと観たのだが途中で寝てしまった。
逸徳さんのメールをみると科学少年団で子供たちと惑星の観察に熱中しているようだ。
わたしもいまテレビのコズミックフロントなどをみると、わくわくしてしょうがない。宇宙は広いな大きいな。
ところがきのうだったか札幌では雪が降ったというから一体どうなっているのか。
高橋和巳という私には難解な日本型ドフトエフスキスキー的作家?の『悲の器』を読み終わり、上巻だけ読んだ『邪宗門』の下巻を900円くらいでアマゾンで注文してしまった。こんなインターネット書店がはびこると町の本屋はますます困るだろうが便利さには勝てない。
村上春樹の妙に長いタイトルの新刊がマスコミをにぎわしているがどうも手を出す気がしない。猫跨ぎさんが紹介してくれた小澤征爾と村上春樹の音楽に関する対談は読んだが。
近況だが、最近ツイッターをはじめてみた。フェースブックもやってみるつもり。EverNoteはやや熱が冷めてきた(笑い)
連休中に中学生の孫がきて、『シェーン』をDVDでいっしょにみた。孫はかっこいい、と思ったようだが、こっちは何にも感じなかった。同世代の男性が『シェーン』に夢中になって三十回もみて本までだしているので、どれどれそんなにいい映画だったのかと観たのだが途中で寝てしまった。
逸徳さんのメールをみると科学少年団で子供たちと惑星の観察に熱中しているようだ。
わたしもいまテレビのコズミックフロントなどをみると、わくわくしてしょうがない。宇宙は広いな大きいな。
時代背景・・・猫跨ぎ
youtubeを見てたら、井上陽水と吉田拓郎が対談をしている。面白かったので小一時間見ていた。彼等が世に出て来たのが70年代後半かと思う。あのころフォークソングブームで、演歌が主流であった時代に、やたら突っ張った連中だった。反戦、反体制の歌をさかんに歌っていたと思う。ふと気付くと、この二人が残っていまや大御所になっている。二人ともどちらかと言えばエンターテインメントの色彩が強い。反戦、反体制で活動していた面々はいつの間にか姿を消した。時代背景と完全に連動していると思う。
高橋和己も大学紛争のさなかの時代背景に生まれたものだね。小説も、そう、エンターテインメント濃厚化の流れで、これはどうしようもないね。
高橋和己も大学紛争のさなかの時代背景に生まれたものだね。小説も、そう、エンターテインメント濃厚化の流れで、これはどうしようもないね。
2013年5月2日木曜日
『舟を編む』が映画化 ・・褌子
もう五月になってしまった。
三浦しをん『舟を編む』が映画化されて先日、新宿でみました。若い監督でしたがさわやかな出来映えで面白かった。
『広辞苑』や『大辞林』もこんなふうにできたのかなあと大型国語辞典編纂の舞台裏を描く映画を興味深くみていると、映画の最後に岩波書店や三省堂辞書部の指導をうけたとでてきた。
帰ってきたら、テレビで三省堂『新明解国語辞典』三版の出版裏話をやっていた。この辞典がでたとき「恋」の語釈など話題になったことをおぼえている。見坊と山田という三省堂辞典編集部を代表する二人の日本語の専門家の確執と友情を描いていてテレビもなかなか面白かった。話題の『新明解国語辞典』三版は私は買わなかったが、中学一年になったときに国語の引野先生という女の先生が、担任の生徒全員に金田一京助『明解国語辞典』を買わせた。先生から代金引換に手渡たされてなにか一寸大人になったような気分がしたことが記憶に残っている。
このまえ書いた話だが、渋谷で池谷薫監督の『先祖になる』も観てきました。津波で息子も家も流されたおじいさんが、裏の山の木を切って家を建て直すという単純な話で、1年以上密着してのドキュメンタリー映画だが実にいい映画だと思いました。
毎晩、高橋和巳『悲の器』を少しずつ読んでいるが重苦しく暗い夢までみてしまったが、人間の業を描いた何故かやめられない不思議な小説だ。こんな小説ははやくとばし読みしてもっと楽しいものをよみたいものだ。
三浦しをん『舟を編む』が映画化されて先日、新宿でみました。若い監督でしたがさわやかな出来映えで面白かった。
『広辞苑』や『大辞林』もこんなふうにできたのかなあと大型国語辞典編纂の舞台裏を描く映画を興味深くみていると、映画の最後に岩波書店や三省堂辞書部の指導をうけたとでてきた。
帰ってきたら、テレビで三省堂『新明解国語辞典』三版の出版裏話をやっていた。この辞典がでたとき「恋」の語釈など話題になったことをおぼえている。見坊と山田という三省堂辞典編集部を代表する二人の日本語の専門家の確執と友情を描いていてテレビもなかなか面白かった。話題の『新明解国語辞典』三版は私は買わなかったが、中学一年になったときに国語の引野先生という女の先生が、担任の生徒全員に金田一京助『明解国語辞典』を買わせた。先生から代金引換に手渡たされてなにか一寸大人になったような気分がしたことが記憶に残っている。
このまえ書いた話だが、渋谷で池谷薫監督の『先祖になる』も観てきました。津波で息子も家も流されたおじいさんが、裏の山の木を切って家を建て直すという単純な話で、1年以上密着してのドキュメンタリー映画だが実にいい映画だと思いました。
毎晩、高橋和巳『悲の器』を少しずつ読んでいるが重苦しく暗い夢までみてしまったが、人間の業を描いた何故かやめられない不思議な小説だ。こんな小説ははやくとばし読みしてもっと楽しいものをよみたいものだ。
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