その中国系マレーシア人が家族三人で遊びにきて二日間、日光など案内した。日光は東照宮だけでなく、となりの二荒山神社や家光廟所の大猷院などもはじめて入ってみた。九輪草の群落がみごと。大猷院の猷という字はどんな意味ですかと受付の青年僧にきいたら「はかりごと」と辞典に書いてあります、とのこと。ユダヤ=猶太などの猶とはちがう字だときづいた。猶は「ひきつづいて変わらず」のような意味らしい。執行猶予と書くなあ。
東照宮は、極端な装飾過多でいつ来てもうんざり。白鳳、天平などの清新な文化を生み出した日本人が千年後にはどうしてまあ・・と思わずにはいられない。
竜頭の滝から、戦場ヶ原をへて湯の滝まで数キロを散策。郭公の声が遠くから聞こえ、ズミの開花まえの蕾の赤い色に魅入った。
マレーシアからの客人が、秋にはクアラルンプールから飛行機で一時間のボルネオのキナバルあたりを案内してくれるとのこと。4095メートルのキナバルはガイド同伴で途中、二泊しないと登頂できない。自分の体力では無理。いまさら筋トレもめんどう。
三浦雄一郎は体力も財産もあって家族にもめぐまれ幸せな人だな。『ナショジオ』5月号を読んだら、エベレストは夏の槍ヶ岳よりも登山ラッシュで頂上を目の前に渋滞で二時間待ちということもあるそうだ。遭難者の遺体が放置されていて、夏も凍結している遺体のそばを沈黙した登山者が登ってゆく。ベースキャンプはゴミと排泄物の山で困っているが、ネパール政府も回収の予算がない、と書いてあった。
日光の戦場ヶ原では自然指導員の60代のおばさんが小さなゴミも見逃さずひろって歩いていた。マレーシアからの客人もトイレの清潔さにも驚いていた。【日光の五重塔でマレー美人と】
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