2013年10月29日火曜日

函館通信222・・・秀句鑑賞・・・仁兵衛

猫跨ぎさんの秀句鑑賞。
・大伽藍のいくつ亡びし稲の花・・・大きな歴史変遷を感じながら同時に毎年稲穂が稔るのを見ている。歴史と現実の調和が実に見事だと感じた。特選。
・医務室の耳の模型や毒茸・・・一転してユーモアたっぷりな滑稽さが引きたった取り合わせが面白い。
・氷頭鱠ふるさと遠き噛み応へ・・・氷頭を食する風習は北海道なのだろうか。見てもあまり美味しそうには見えないんだけど。この膾で一杯やるのがいいのかな酒飲みには。
・秋物セールポイント溜まる溜めておく・・・破調も良し悪しなんだろうけど面白さを頂いた。準特選。
・ケロリンの桶の伏せある秋日かな・・・ケロリンに弱いね!頭痛直しの薬だったかな。懐かしい銭湯での宣伝看板を思い出させられた。


2013年10月26日土曜日

土下座・・・猫跨ぎ

  みのもんたが朝の報道番組を降りるという。みのは別に好きでもないしその番組は全然みていないが、ちょっと可哀相だ。バカ息子が酔って路上に寝込んでいる通行人のバッグを盗んでキャッシュカードを抜き、ATMで金を引き出そうとしたという。日テレの社員で30歳を越えた成人だ。人間の芯が腐っていてこういうのは多分更生できないだろう。
それはともかく、みのに無関係とは言わないがしょせん30歳の別人格の人物の事件だ。週刊誌のみの叩きは常軌を越えていた。ここまで言われねばならないのか。
  それから半沢直樹ドラマは痛快ではあったが、土下座は後味が悪い。人格を徹底的に踏みにじる懲罰行為。案の定、これを真似る事件が起きている。乗客が駅員を、客が店員を、親が教師を土下座させる。
上位に立つと(思いこんだら)下の立場の人間を徹底的に追いつめる。過剰な懲罰意識だ。いやな風潮だ。惻隠の情、慈悲心に繋がるものが希薄になっている。

しゃっくり・・・猫跨ぎ

  女衒屋のおやじみたいな写真を見ながら相変わらずだとおもっていたら、しゃっくりか。11日間など聞いたこともない。急に驚かす、舌を引っ張るなどは駄目だったか。横隔膜の神経を切断する治療法もあるらしいが、そうならずに良かったね。こういう不随意筋の痙攣が10日以上も続くとはどういうことなんだろうね。傍から見ていると、どうしても笑いの対象になる。くしゃみも同じ。当人は真剣そのものなんだろうが。まあ、奥方の言うとおりだね。身を固めるのが一番だ。
  

2013年10月25日金曜日

罪と罰・・・・・ 褌子

   お久しぶりです。
   ドストエフスキーの『罪と罰』だけはいっきに引きづり込まれるように読んだが、いま亀山郁夫の『悪霊』を読んでいる。わかりやすい翻訳ではあるが妙な名前の人物が次々と登場するので結構めんどくさい。松本清張の『砂漠の塩』は半日で読んでしまったのに。西口克己『山宣』は大部であるがすいすいと読めるのに。ドストエフスキーやトルストイやバルザックや『ユリシーズ』やプルーストや『静かなるドン』や『大菩薩峠』などはそのうち惚けないうちに読んでおこうと思っているのだがけっこう難儀している。やはり古典文学は若いうちにちゃんと読んでおくべきだったなあ・・・・
  さて罪と罰である。
  昔、日本曹達を退職後、つとめていた市原民主商工会の旅行に誘われ栃木の奥の湯西川温泉にいってきた。残念ながら紅葉はまだだったが山奥のじつにすばらしい旅館であった。
  湯西川温泉からの帰途、竜王峡により、バスのなかですっかり親しくなった韓国人の若い女性4人に囲まれて写真をとった。鼻の下をめいっぱい長くしたうれしそうな顔をみていただきたい。 ⇒
  ところが彼女らに囲まれすっかりいい気持ちになってバスのなかで冷たいウーロンの真露ハイを何杯も何杯も韓国キムチで飲み過ぎたのか、しゃっくりが起きたのである。なんと猛烈なしゃっくりが11日間もつづき、朝から晩寝るまでひっくひっく、電話も話もできず疲れ果ててしまった。深夜などあまり連発すると眠ることもできず救急車もたかがしゃっくりでは呼べず、けっこう呼吸困難にもなる始末。
 何軒も医者をまわったがどこもだめ。インターネットで柿のヘタを煎じて飲むといいと書いてあるが試してみたがだめ。若い女性に囲まれていい気になって写真など撮ったから天罰が下ったのだと女房にさんざんしかられた。むかし風邪薬の副作用でしゃっくりがでて、脳の検査をしたことがあったが今回は薬の副作用でないので原因がわからずほとほと困ってしまった。
  ワラをもすがる気持ちで昨日、むかし中耳炎の手術をしてもらった和田耳鼻咽喉科をたずねたら、「しゃっくりに効く薬はありません」といきなりいわれたが詳しく症状をきいてくれてリーゼ錠、テルネリン錠を横隔膜の緊張をやわらげる薬を2種類処方してくれた。さらに三井鍼灸・整体院をたずね、横隔膜につながっている背骨の脇の神経系統を入念に一時間半も指圧してもらった。
  そのけっか、さしもの頑固なしゃっくりが下火になり今日12日めになってついに止まったのである。こうしてやっとパソコンに向かってものを書くことができるようになったのである。
  いまお祝いに中国からお土産にもらった紹興酒『古越龍山』の八年ものを燗をして飲んでいるところ。これは能登の旅行に持って行って諸兄に飲ませるつもりであったのだが、全部飲んでしまいそう。能登旅行では冷たいウーロン杯は厳につつしみご遠慮申し上げたい。年増女性の人肌にあたためた日本酒『加賀白山』などの熟成した般若湯にゆっくりと舌鼓をうちたい。まことに「女は年増・酒は古酒」である。
  いや誠におそまつな「罪と罰」であった。

2013年10月24日木曜日

花壇など ・・・猫跨ぎ

また台風、しかも二つ。「藤原の効果」とかで進路の予測が定まらないらしい。
私事ながらわが茅屋の庭に小振りな花壇を設け、周りにぐるりと細石を敷いた。このイメージを抱いて、ようやく庭いじりをする気持になってきた。さあ、やるぞ。

それでは10月の10句。
・双腕に室津港あり酔芙蓉
・大伽藍のいくつ亡びし稲の花
・下総の月夜に太るけむり茸
・医務室の耳の模型や毒茸
・俎板の章魚引き剥がす秋の暮
・黄昏や胸の高さに曼珠沙華
・氷頭鱠ふるさと遠き噛み応へ
・秋物セールポイント溜まる溜めておく
・ケロリンの桶の伏せある秋日かな
・秋冷や硝子断面海の色

2013年10月20日日曜日

十月仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

今でしょが流行語らしいが、まさに現在進行形の世の中のあれこれを題材にしている。それらと古来の季語のとりあわせが、成功するかどうかが判断のしどころか。
 ・秋時雨ホームページを見よといふ
 ・鬼やんま挙りて泥を掻い出せり
・ボイジャーの進む空間神無月
・爽籟やロケット作る町工場
上の二句は、今回の台風、大雨被害のことのようだ。
後の二句は、今も飛行を続ける惑星探査機と大田区などの企業の取り組みのことらしい。
ただ、全般的に好意的に見ている姿勢は理解できるね。
爽籟は秋風の傍題らしいが、こういう難しい季語をあえて使うこともあるまいと思うけれど、どうかな。あとの鬼の子も蓑虫で良いんじゃないか。

・右ひだり踝まはす野分あと
・耳奥からころがり落ちて木の実かな
・塵手水指の先まで牛膝
・物言いのつけ様もなし金木犀
・ユトリロの白引き立ちて秋の風
・鬼の子の一丁前に笑ひけり
これは季節の移ろい、秋到来を詠っている六句。耳奥の句はなにか心象風景らしいが。
塵手水も難しいなあ。いま大相撲でしか使わないんじゃないか。チリを切るとよく言うね。いのこずちを払っている風景か。今年は金木犀の当たり年だったけれどその後の風雨であっという間に終わってしまった。ユトリロは建物の色が何とも言えない白色だね。
蓑虫が笑っているのは、いささかシュール。
踵をまわす句は、ちょっと歯が立たなかった。

2013年10月16日水曜日

函館通信221・・・さむか!・・・仁兵衛

 堀口さんとの連絡がつく様になった事に関し国兼さんや信田さん、小林さんのご努力に感謝致します。
 函館も急に寒くなって慌てて暖房器具を揃え始めています。
 オール電化にしたのはいいのですが電気料金の値上げで今冬はどうなる事やら先が思いやられます。
 台風の雨は少し大目ですが風はたいしたことなく函館を過ぎて行きそうです。
 
 右ひだり踝まはす野分あと
 秋時雨ホームページを見よといふ
 鬼やんま挙りて泥を掻い出せり
 耳奥からころがり落ちて木の実かな
 塵手水指の先まで牛膝
 物言いのつけ様もなし金木犀
 ユトリロの白引き立ちて秋の風
 ボイジャーの進む空間神無月
 鬼の子の一丁前に笑ひけり
 爽籟やロケット作る町工場


2013年10月14日月曜日

注連寺・・・ 褌子

   広大無辺お釈迦さまのような猫跨ぎさんに感謝したい。
  わたしは西方浄土の極楽しか知りませんでした。いつもくたばったら極楽に行きたいと一日一善を実行している。昨日はニ善も実行してしまった。有楽町の小さなラーメン屋さんのために、500円の中ジョッキで十分なのにお昼から1000円の特大ジョッキを頼んでしまった。総武線で終着千葉駅に着いたら、眠り込んでいる女性がいるので、「お嬢さん千葉駅ですよー!」と声をかけた。あのまま寝ていたら、東京まで逆戻りだ。ありがとうございますと立ち上がった寝ぼけた顔が可愛かった。眼福。
  さて、注連寺は(蓮でなく連だった)は月山のふもとの寺だと思いこんでいた。というのは森敦『月山』の一節を刻んだ大きな石碑があったからだ。ところが猫跨ぎさんの指摘するように湯殿山なのである。京都などの隅々まで掃き清めた観光寺よりも、あのおおざっぱな作りの伽藍もよいものだ。しかし回廊にうじゃうじゃいたカメムシに恐れをなしたが鉄海上人だったか即身仏を拝んでおくべきだった。高橋さんというジャンボタクシーの運転手さんといろんな話をしたが。
��わたしの佐渡の実家の縁の下にはカメムシがいる場所があって、子供のころ、あのにおいがだいきらいだった)  
  それにしても羽黒山の五重塔はよかったなあ。

補陀洛浄土・・・猫跨ぎ

インド仏教では、東西南北に壮大なイメージを展開している。この空間感覚には目くるめくものがあるなあ。インドは深い。
南に補陀落浄土があり観世音菩薩がいる。西はご存知の西方極楽浄土があって、阿弥陀仏がおわす。東には瑠璃光浄土があり薬師如来がいる。そして北には弥勒浄土があり弥勒菩薩がいる。
つまり、京の南に熊野があり、さらにその南方に補陀落浄土があるとイメージしたのだろう。

注蓮寺は湯殿山だね。森敦の大きな碑があった。あそこに暫く逗留していたらしい。
即身仏が安置されていた。カメムシが沢山いたなあ。
  即身仏の赤き衣や屁放虫

2013年10月13日日曜日

補陀落渡海 その2   ・・・褌子

 インターネット恐るべし。
 フェースブックに補陀落渡海(ふだらくとかい)のことを熊野那智地方にかつてあった「海の姥捨山」だと知ったかぶりで少し書いたら、違うという電話が知人から入った。熊野の「海の姥捨山」ではないというのだ。彼は井上靖『補陀落渡海記』も読んでいて次のように説明をしてくれた。
  9世紀半ばから10世紀初頭のころ、熊野那智の海岸からはしばしば補陀落渡海が行われたという。海岸線にある補陀落山寺の僧が単身、インド の南海岸にある、観音菩薩の住む浄土である補陀落(チベットのポタラ宮の「ポ タラ」と同じ)をめざして、30日分の食糧だけを積んだ船で出かけたのだ。風 まかせ、船室は板戸で打ち付けられたというから、いわば即身成仏の一つの形 である・・・・。
  ―――――わたしは、岩手や信州に残る姥捨山伝説の海洋版だと早合点していたが、山形の月山ふもとの注蓮寺などに残る即身成仏の海洋版だったのである。東シナ海の舟山列島の補陀落山寺もただしくはチベットのポタラ宮をはるかに望んで建立されたと解するべき。(じつはhorohorokaiで那智に泊まったときに、夕食前に諸兄らは補陀落寺を見学にでかけた。ところが小生はちょうど込み入った電話が美濃加茂市から入っていてお寺見物にいけなかった。だからしったかぶりの勘違いが発生したのかも)

なつかし普陀落渡海    ・・・褌子

   松本清張『陸行水行』は短編なので有楽町の喫茶店で読み終えた。はじめて読んだが、巻末の解説には、清張が1963年頃週刊文春に連載し、北九州か畿内か?と邪馬台国古代史ミステリーブームに火をつけた作品だとある。作品では北九州説をとっているのだが、反響に気をよくした清張が古代史研究を本格化させ『古代史疑』を発表するきっかけになった。
 小生は『古代史疑』を読んで、さらに大部の『火の路』を読み、伊都国の糸島半島まで足を伸ばし、宇佐八幡宮もみてきたことがある。もう、十年くらい前だが、『火の路』についてはかつてブログに書いたら猫跨ぎさんからもコメントをもらった。
 清張の『眩人』を読んだときには、シルクロードに行きたくなり、実現したもののタクラマカン砂漠一周の最中に引率の女先生とはしたない喧嘩をしてしまい…。思い出したくないが件の先生が17日に千葉に来るんだ困った
  いっぽう、司馬遼太郎『韃靼疾風録』も痛快な作品で、これを読んだら寧波とか杭州湾沖の舟山諸島の普陀落山とか行きたくなる。今回、紹興まで行ったのに、あと百キロ先の寧波まで、案内してくれた中国人留学生一家に遠慮して行きそびれたのは残念であった。寧波(にんぽう)には遣唐使や遣隋使の出入りした古代の湊があった。普陀落山は、先年、horohorokaiが熊野の那智にいったときの普陀落である。井上靖『普陀落渡海記』もいずれ読んでみたい作品だ。
   
普陀落や曲り角には唐辛子   (小生の句ではありません念のため)

陸行水行.......こんし

さっきのつづきです。巨大な大ジョッキで1000えんでした。すっかり真っ昼間からほろ酔いきぶんで原発反対集会をあきらめて
有楽町の三省堂書店へ。一階はハウツウ物ばかりで二階へ。もう来年の日記帳が山積みになっている。奥の方に目当ての光文社古典新訳文庫がみつかった。ドストエフスキーの「悪霊」三巻と松本清張「陸行水行」を買う。陸行水行とは例の魏志倭人伝の言葉だ。こういう言葉にであうと自称「東北アジア古代文化研究会」の名誉会長として、いぜん福岡の糸島半島の魏志倭人博物館を訪ねた時のようなワクワク感をおさえきれない。大ジョッキの醸し出す自然現象で三階レストルウムへ。いま、三階の休憩所の無料の椅子で座りながらかいている。外は快晴だがここは暑からず寒からず*\(^o^)/*暑からず
寒からず。NYの堀口さん、こんな調子で気楽に投稿をお願いします(猪坂
)

堀口くんへ、、、、こんし(猪坂)

のどが渇いて冷たいサッポロビール飲んだばかりで今とても幸福な気持ちです。きょうは素晴らしい晴天。東京の原発反対大集会にでかけました。ところが12時からの日比谷公会堂の大江健三郎などのシンポが満席。日比谷公園をこっそり独りぬけだし有楽町のガード下へひるめしを食いに。途中の帝国ホテルロビーをちょいと覗くと有閑マダム達が談笑している。ガード下の「ひむろ」というラーメン屋に入った。チャーシュー味噌ラーメン950円で薄く切ったチャーシューがラーメンの鉢のまわりを万里の長城のように取り囲んでいる。このチャーシューがうちのきんじょの王将ラーメンのチャーシューより硬いがよく噛むとじつに味わい深い。サッポロビールのだいじょっきがなんと500円。ぎんぎんにひえている。いま、全部飲んで
食ってお勘定のまえにiPhoneで発信しているところ。いやあこんなに美味かったのに、たった1950円だ。
帝国ホテルなら15000円取られるところだった。
NYの堀口さん!まあ、こんな調子で
どんな下らんことでもかまいません。気軽に日本語で書いてください*\(^o^)/*

2013年10月12日土曜日

『孔乙己』    ・・・褌子

 真夏みたいな暑い日である。まだ蚊がいる。
 国兼さんのおかげで、同級生ほぼ全員の消息がわかった。
 堀口君もこのブログにニューヨークから書いてくれたら面白くなるね。
 ツイッターに毎日はまっているせいか、最近めっきり本を読む時間が減った。
 ドストエフスキー『死の家の記録』は二ヶ月たってもまだ終わらない。ドストエフスキー自身がシベリア流刑地の囚人として足かせをはめられながら、同じ監獄内の囚人達の言動と内面を克明に観察し記録に残した。終身刑や死刑囚ではないせいか暗い話ばかりではない。『白痴』『悪霊』なども光文社古典新訳文庫で読みたいものだ。
  工学院大学孔子学院主催の写真コンテスト「わたしと中国」に応募してくれと電話がかかってきたので、せんじつ中国で出会った可愛いこどもたちの写真を送ったら佳作になった。昨年の二等賞に比べると見劣りがする。背景の建物が平凡すぎる。
  もう一枚の写真は魯迅故居そば紹興酒の老舗まえに立つ『孔乙己』(こんいーち)像。魯迅の短編『孔乙己』は貧しくおひと好しの男が毎日しごとを終えて数粒の豆をさかなに酒を飲むのが唯一の楽しみという話。像は左手に豆ひとつぶ、右手に杯。

 

2013年10月7日月曜日

ゲルベゾルテ・・・猫跨ぎ

  そうか国兼さんも見たか。禁煙学会なるもののクレームは、お話にならん話で、私も前回の投稿で書いたが、何というか、昨今の日本人の幼稚化のあらわれだと思っている。今の自分たちの関心事だけにアタマが集中していて、時間軸をずらすなど、視野を広げることが出来ない。これはバカ女の特徴だったが、最近は日本人一般まで広がってきた。

ゲルベゾルテは懐かしい。楕円形の形で、片開きの箱に入っていた。重い独特の味だった。中川先生がフアンで大量に買って、きっちりと密閉して冷蔵庫に保管していた筈だ。私がドイツへ行ったときはもう見当たらなかった。タバコの味がどんどん薄くなって行く中で真逆の味だったからね。

「風立ちぬ」を観てきた…国兼

   前に猫跨ぎさんの「風立ちぬ」の投稿で、この映画に「禁煙学会」なるフカシゲナる学会が、有害映画であるというクレームをつけたという内容を読んで、スモーカーの一人としてどんな喫煙シーンを撮っているのかと、宮崎駿監督への友情支援を兼ねて先週久しぶりに映画館に足を運んだ。

 堀越次郎さんの喫煙シーンは、何ということもない友達との会話の中で、或いは設計に没頭し自分の思うように進まないときの一服であろう。なかんずく、「禁煙学会」が極めて悪質で子供たちに見せてはいけない有害映画と言っているシーンは、肺病を患った菜穂子の病床で次郎さんがタバコをふかしていると。馬鹿を言えと、次郎さんは菜穂子を思って外でタバコを吸いに行こうとしたのを菜穂子が言う、「行かないでと、ここで吸っていていいの、1分1秒でもあなたがそばにいて欲しいの」と。
 このような男女のプラトニックな人間の機微を「禁煙学会」なる学会はもっと勉強して欲しいものだ。その存在を鼓舞するための、クレームをつけるための学会ではなく、もっとおおらかなる「風は立ったか?」という宮崎駿監督の心を理解して欲しいものである。

 堀越次郎氏の設計したゼロ戦は、軽量なるを基本設計とし、牛若丸のごとく空中を回り、敏速に敵機の後ろについて攻撃するのが目的であった。まさか、そのゼロ戦が重い爆弾を積んで特攻機となって飛行するとは夢にも思ってもいなかっただろう。大勢の特攻隊兵を無残にも死なせるような飛行機設計を・・・、私が設計したかった飛行機とは戦争のための飛行機設計ではなく、子供たちにも夢を与えるような飛行機なのだと、「風は立ったか」というカプローニ伯爵の繰り返されるレフレインの中で宮崎駿監督は言いたかったのではと・・・。

 ちなみに、次郎さんの吸っていたタバコは「CHERRY」で、灰皿への吸い殻の量からかなりのスモーカーである。このタバコは戦後に(昭和40年代ごろに売り出された)チェリーなるタバコとは別物である。また、ドイツ人の吸っていたタバコは「ゲルべゾルデ」で、昭和50年、60年代にドイツに出張した仲間たちのお土産で吸ったことがあるが、楕円形した珍しいタバコであった。今はもう消滅したのでは。「紅の豚」でもタバコをふかすシーンが多かったが、宮崎監督もきっとかなりのスモーカなのであろう。
 ともあれ、タバコの方ばかりに気を取られて、肝心の映画鑑賞がお留守になってしまった。又、みてこようかなと・・・。

2013年10月6日日曜日

「風立ちぬ」再び・・・猫跨ぎ

  宮崎駿の「風立ちぬ」 の印象を引きずっていていて何か心にわだかまりが残っている。で、もう一度見てきた。この映画については、逸徳氏が独自の鑑賞記を載せていた。新しい飛行機(戦闘機)に懸ける主人公の渾身の日々がドラマの主軸とすると、菜穂子との関わりが底流の旋律として流れている。
そのわだかまりを解くために原作、堀辰雄の「風立ちぬ」を読まずばなるまい。で、読んだ。そう、こういう世界がかってあった。何だろう、感傷の奥に深い憂鬱がある。哀しみの奥の煩悶がある。あの映画にも流れていた。こういう負の感情の重畳感は、その昔あったんだ。そんなことを気づかせてくれた映画だった。

2013年10月3日木曜日

今静岡で・・・・逸徳

あんまり風流もなにもないが、ことのついでに原発がらみで静岡で話題になっていることを紹介する。 東南海地震などで原発が事故を起こしたとき、原発から5キロ圏内と30キロ圏内では対応がちがう。 例えば5キロ圏ではすぐにヨウ素剤を飲む。そして避難するわけだが、地元の御前崎市からの避難経路5本のうち4本までは、液状化現象の可能性があり、道路の保全が心配されている。にげるにも道がつかえなくなるというのだ。 何をかいわんや。
そして30キロ圏。この中には11市町村があり、人口は約90万人。事故になったら、このひとたちをどこかに避難させなくてはならない。そして我が家は約18キロ地点である。そういう時は地震でJRが動く保証はない。 役場の安全課長にきいたら「原則は自家用車でにげる」ということだそうだ。車のないうちはどうするんだ。 で、各自治体は避難先の検討にはいっている。つまり他地区の特定の自治体と協定を結び、いざというとき受け入れてもらうということである。ところがそのような避難先自治体は、それが東南海地震の想定被害地域にはいっていればだめで、そうすると神奈川愛知山梨はダメ。かろうじて長野かそれより遠方になる。そこで各自治体が避難先をかってにバラバラに探すと混乱するというので、県が交通整理にはいっているのだが、これがまとまらない。そんなに簡単に、はいどーぞといってくれる自治体はないのである。しかも風向きによって東側と西側の二方向に避難先を探す必要がある。いやはや、今やわやくちゃの混乱状態なのである。で、今のところわが菊川市で候補にあがっているのが長野県小谷村と下関市であるそうだ。小谷村はちいさい。 つまりおいらたちは下関までにげるということになる。うーん、いきたくねえ。(ふぐが食えるかな) で、考えたが、いざとなったら佐渡がいいのではないか。 そういうわけで、西沢さんよろしく。また旅行で背中かいてあげるから。 

アメリカでは避難計画は、その原発が稼働するための条件になっていて、だめなら稼働が認められない。ニューヨークに近いショーラム原発は結局、避難計画ができず、一度もつかわないで廃炉になった。最後は1ドルで売られたそうな。

 おもしろいのは、ショーラム原発でも避難計画はつくられたそうな。しかし、それはまったくの空論で、とにかく時速100キロでにげるなんて項目がはいっていて、住民の総スカンをくい地元議会で否決されたらしい。ここで教訓的にわかること。とにかく役人は、どんなに不可能なことでもそれがやれるという作文をつくってしまう性向があるということである。(書いている役人自身が不可能なことはわかっていてもである。) 哀しい性なのだろうか。 そして作文であっても、まだ日本では30キロ圏までの避難計画を持つ原発はない。 それが静岡の現実である。

2013年10月2日水曜日

わかりやすい! 小泉元首相の演説・・・こんし

小泉元首相「原発進める方が無責任」と首相だったときの考えを撤回した。名古屋で講演。以下、上海で読んだ朝日新聞の小泉発言からの引用ーーーーーーー
 経済界では大方が原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもな
いのに原発を進める方がよほど無責任だ。
首相の時代には原子力はクリーンでコストの安いエネルギーという専門家の話
を信じたが、東日本大震災が起きて、原子力を人類が制御できるか大きな疑問を
抱いた。
��月に視察したフィンランドでは設備が10万年もつかこれから厳しい審
査がある。それでもフィンランドにある原発4基のうち2基分の廃棄物しか処理
できない。現地の人は、10万年後の人類に(廃棄物を)取り出してはいけない
と言って分かってもらえるかまで心配している。
原発から出るエネルギーは本当に安いのか。事故が起きれば人体や農作物、地
域へのリスクは計り知れず、原発ほどコストのかかるものはないと多くの国民は
理解している。
捨て場所もないような原発を経済成長に必要だからといってつくるよりも同じ
金を自然エネルギーに使って循環型社会をつくる方が建設的じゃないか。原発の必要論者は『将来はゼロにする方がいいが、今はダメだ』と言う。しかし、早く方針を出した方が企業も国民も原発ゼロに向かって準備もできる、努力
もできる、研究もできる。
今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる。

海嘯 ...konshi

江南の旅の最後が銭塘江の海嘯見物。アマゾンの海嘯はテレビでみたことがある。旧暦8月18日の満月の日。大潮で膨れ上がった杭州湾から銭塘江へとおしよせるアジア最大の海嘯見物には20万人でにぎわい、今年は何人溺死するかという賭けまであるというから中国らしい話し。満潮、干潮は毎日あるから今日は10時過ぎらしいと朝7時に上海を7人で車で出発。浙江省の嘉興という町の銭塘江の河岸に着く。
中流域だというのに対岸が霞んでいるほどの大河。海嘯見物の名所らしく延々と続く巨大な堤防には露店まで出ている。1時間くらい待ったが偉大な自然現象が始まらない。危険!の看板を無視して、のんびり魚釣りまでしている始末。サトウキビを鉈でけずったのを噛みながらボンヤリ待つ。いい天気。青山碧水藍空はきのうの天目湖、きょうの銭塘江は水も空もはるかな対岸も全体が霞んでいる。時空の感覚がおかしくなってきた。待潮の今が未来やそして過去。そのうち本日の満潮は11時から11時半くらいという情報が流れてきた。・・・・というわけで今まちくたびてこんな事をかいている。女房も下手くそなスケッチをはじめた。だんだん堤防上の見物人がふえてきた。遠くからサイレンが切れ切れに聴こえ爆竹が遠雷のようにきこえてきた。警察が岸辺に近づくな!とまわりだした。始まるかな・・・・・

2013年10月1日火曜日

中国の天目湖遊覧船上で観戦中::こんし

年相応に落ち着いて議論しましょう。紹興の東湖の入門でパスポート見せてと女の子に言われた。生年月日をチラリと見て
70歳になっています。古希おめでとうございます。入場料は紹興市のご好意で無料にいたしますと大声で言われて妙な気持ちになりました。とにかく東電に事故処理能力がないことが明らかになったのでこの会社は破綻処理すべきです。そうでないと企業として生き残るための柏崎原発再稼働とかとんでもない、、、、あ電池が切れてしま!!!

まちがえた・・・・逸徳

はやがてんだ。まちがえた。すまん。 犯罪と悪が頭のなかで混乱した・・・ぼけたな

取り敢えずひとこと・・・猫跨ぎ

原発については物事には順序があると言っている。あまり興奮しなさんな。
戦争は悪では無いなんていつ言ったかな。よく読んでくれ。その悪がなぜ何時までも繰り返されるのか。なぜその一部だけを取り出して戦争責任を問われるのか、の話だ。

ちょっとまて・・・・逸徳

原発の状況評価をめぐる客観的な議論をしようとしているのであって、ちと議論がずれている感じがするがいかがか。 原発についていえば、そう簡単にはいかんというお師匠の指摘はわかる。だが、これはもうどうにもならんのであって、結論は明確に見えているのだと思う。つまり、おいらからいえばあれはもう人類の遺伝子プール全体をかく乱する反倫理的技術なのだ。 だから日本経済がどうであっても、青酸カリを飲み続けるわけにはいかんということであって、要はいかにはやくやめるかという議論しかない。それにともなう副作用は、もうこれは何がおきてもしょうがない。おいらはそう思っている。ちなみに倫理というより環境という要因を考慮にいれていない経済学や、経済活動はいびつだなあ。だから、再稼働を申請している電力資本とそれにつらなる一連の資本は、あれはもう麻薬中毒にちかいな。

 ある社会的政治的選択が行われたとき、その結果に対して分析評価し、問題があれば責任を取るというのは、当然のことだろうし、めずらしいことではない。戦争責任もその範疇にはいる。だからこの問題は、別に国際的な力関係とか、傷者や敗者とか、東京裁判などはどうでもいい。歴史論の議論としてはわかるが。問題は日本人が日本人自身の問題として、どう対処してきたかだ。あれを業や宿命だとはおいらは300万の死者の前ではとてもいえん。戦争は悪ではない。そうかもしれない。だが問題は善悪の議論ではないのだ。それじゃあまるで倒産した会社の社長が、責任をとらず「運命です」といっているようにみえるがいかが。(ちなみにその社長が悪人であるという結論は、倒産ということからはでてこない。) 東電の社長もその口か。地震のせいにし続けるメンタリティはまさにそうみえる。はやく東電は破たん処理してしまうべきではないか。
 ここでいいたかったのは、原発に対する状況と戦争に負けたときの状況の類似性だ。歴史はくりかえすのだろうか。