2013年10月13日日曜日

補陀落渡海 その2   ・・・褌子

 インターネット恐るべし。
 フェースブックに補陀落渡海(ふだらくとかい)のことを熊野那智地方にかつてあった「海の姥捨山」だと知ったかぶりで少し書いたら、違うという電話が知人から入った。熊野の「海の姥捨山」ではないというのだ。彼は井上靖『補陀落渡海記』も読んでいて次のように説明をしてくれた。
  9世紀半ばから10世紀初頭のころ、熊野那智の海岸からはしばしば補陀落渡海が行われたという。海岸線にある補陀落山寺の僧が単身、インド の南海岸にある、観音菩薩の住む浄土である補陀落(チベットのポタラ宮の「ポ タラ」と同じ)をめざして、30日分の食糧だけを積んだ船で出かけたのだ。風 まかせ、船室は板戸で打ち付けられたというから、いわば即身成仏の一つの形 である・・・・。
  ―――――わたしは、岩手や信州に残る姥捨山伝説の海洋版だと早合点していたが、山形の月山ふもとの注蓮寺などに残る即身成仏の海洋版だったのである。東シナ海の舟山列島の補陀落山寺もただしくはチベットのポタラ宮をはるかに望んで建立されたと解するべき。(じつはhorohorokaiで那智に泊まったときに、夕食前に諸兄らは補陀落寺を見学にでかけた。ところが小生はちょうど込み入った電話が美濃加茂市から入っていてお寺見物にいけなかった。だからしったかぶりの勘違いが発生したのかも)

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