2013年10月6日日曜日

「風立ちぬ」再び・・・猫跨ぎ

  宮崎駿の「風立ちぬ」 の印象を引きずっていていて何か心にわだかまりが残っている。で、もう一度見てきた。この映画については、逸徳氏が独自の鑑賞記を載せていた。新しい飛行機(戦闘機)に懸ける主人公の渾身の日々がドラマの主軸とすると、菜穂子との関わりが底流の旋律として流れている。
そのわだかまりを解くために原作、堀辰雄の「風立ちぬ」を読まずばなるまい。で、読んだ。そう、こういう世界がかってあった。何だろう、感傷の奥に深い憂鬱がある。哀しみの奥の煩悶がある。あの映画にも流れていた。こういう負の感情の重畳感は、その昔あったんだ。そんなことを気づかせてくれた映画だった。

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