褌子さん鑑賞評価有難う御座います。俳句には個人的な内容を包み込むとつくづく読む人には判らなくなってしまうもんだと感じました。私には「俳句は日記だ」という気持ちが側面にあるので読む人には理解されなくても良いと一部に思っているのでしょう。
「 桜桃忌竹竿のある取水口」・・・太宰は昭和23年6月13日玉川上水に入水した。遺体の上がったのが実家近くの永福町の取水口であった。当時私は小学校一年生何も知らないのが当然である。所が五年生になったときと思う又入水者の遺体が上がったと友達と遊んでいるときにたまたま情報が入った。それ行け!野次馬根性である。一キロぐらい先にある取水口を見下ろせる橋に行った。既に処置は終わっていたので二三人の人が残っていただけだった。引き上げるのに使ったと思われる濡れた竹竿があった。
こんな場景が記憶の中から時々現れてくる。これを句にしてしまったのだから読んでくれる人にはさっぱり判らないのが当然だ。
これからもこんな場面が出てくると思いますけど宜しく。
0 件のコメント:
コメントを投稿