2011年6月8日水曜日

見立て ・・・ 猫跨ぎ

  癌になったらねえ。状況によるが、今の自分なら勿論告知してもらい、すぐ後始末にかかるということかね。①と③の違いがよく判らないが、運命を受容するには、それこそ無数のパタンがあるのだろう。告知せずだまして欲しいなんて、この期に及んで甘えても仕方ない。
ただどうかな。最近は基本的には本人に告知する流れじゃないか。ひところよりその傾向が強くなっているように思う。大体、気付く。隠しおおせない。むしろ知らせて、治療に立ち向かわせる。治る癌は治る時代だ。逆に治らないのはどうしても駄目だね。変な言い方だけれど。
  今の日本を癌に例えるのはどうか。見守る家族が日本人で、絶望的状況を告知すべきかどうか。妙な例えだね。しかし、東北の被災地の復興にかける姿などを見ると、そういう見立てはすべきではあるまいね。そうか、そういう不用意さがPSEUD何とかと言われるんだ。

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