2011年6月28日火曜日

中国から発信。沙飛を調査する旅・・・・褌子

  上海で一泊し、翌日上海の魯迅記念館を訪問し、懇談した。さらに飛行機で3時間、河北省の省都である石家荘に飛んだ。ここでは双方山記念館というところを視察した。象形文字でかいた漢詩の額がすばらしい。
  さらに井陘炭坑を見学し、鉱区ホテルに二泊したが、それまで高級ホテルだったのに急に二晩もお湯が故障してでない。そのうえ夕べは蚊に悩まされた。しかし外は曇っているせいか、いがいと涼しい。飯もうまい。
  20世紀はじめにドイツ人によって開発された井陘炭坑にドイツ人がたてた煉瓦の給水塔が残っているがすばらしい芸術品のようなつくりである。そのご日本軍がこの炭坑を占領し、福岡の貝島炭坑が経営したが、病気になった中国人労務者をいきたまま捨てた万人坑跡は見るのがつらい。貝島炭坑の幹部の社宅が残っているが60年たっても煉瓦のびくともしない瀟洒なつくりであった。
   ホテルからみると朝早くから老若男女がひろばで太極拳とか楽しそうにやっている。十年くらいまえにはよくいた押し売りや物乞いが少なくなったような気がする。中国側の魯迅・沙飛の研究者などと食事をしていると、原発・津波・尖閣問題などが話題になる。
中国人研修生を津波から守って、自分は津波に飲みこまれてしまった社長さんのはなしは中国でもなんども報道されてみんな知っていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿