いっぱいメカブをお土産にもらい昼の弁当食べて帰ることに。おやじさんが何にもあげるもんがなくてさあと恐縮するが、また来年もきますと約束する。
石見君が女川港を案内してくれた。高台の女川中央病院から見下ろすと眼下に三階建てのビルが横倒しになっている。銀行員が屋上に避難したが一人をのぞいて全員流されたという銀行支店が目の前にある。女性がじっと手すりにもたれて港をみていた。病院の調理室にいて首まで海水につかったそうだ。いまでも津波襲来の映像はみられないと言っていた。電源喪失まで危機一髪だった女川原発は山のずっとむこうで見られなかった。カモメが群れ飛ぶこんな穏やかな海が千年に一回とはいえ、あの日にかぎって黒山のようにふくれあがって全てをさらっていったのか。
津波で廃校になった学校のちかくの月浦港の丘のうえで支倉常長像【写真】をみる。支倉常長は伊達政宗の命で慶長年間にメキシコをへてイスパニア・ローマに月浦から旅だった。常長は8年後に受洗もして帰国したがキリシタン禁制で不遇のうちに1622年に故郷で没する。その390年後、未曾有の大津波が月浦をはじめ故郷の村々を壊滅させることなど常長は知るよしもなく像は太平洋をみわたす丘に静かに立っていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿