森鴎外は偉大な文豪だが、陸軍軍医総監として頑迷固陋な医学者でもあったという逸話がある。
『陽だまりの樹』にもさかんにでてくるが幕末から明治にかけてコレラが大流行し日清戦争の戦死者のかなりの部分がコレラ菌の犠牲者だった。
この影響もあって、日清戦争の10年後の日露戦争のときに日本兵がつぎつぎと脚気で倒れてゆく原因を森陸軍軍医総監は正体不明の細菌のせいだと頑強に主張する。(日露戦争の戦死五万の半分が脚気で死亡したという説もあるくらい)
農村出身の二三男の兵達が白いご飯が毎日食べられると軍にあこがれるような当時の日本庶民の非常な貧しさが背景にあって、脚気の原因がビタミンB欠乏症だということに日本の医学はまだ気づいていなかった。
陸軍側の細菌説に反論したのが海軍の高木軍医少将で栄養に関係があると主張した。けっきょく日露戦争直前に二艘の駆逐艦に白米ばかり食う水兵と白米を食わせない水兵をのせてハワイまで往復させるという実験をして、栄養原因説の正しさを立証した。
それでも森軍医総監は日露戦争中も細菌説に固執してドイツ医学がビタミン欠乏症だと完璧に証明するまで自説を決して撤回しようとしなかったと、吉村昭『白い航跡』は詳細な調査にもとづいて書いているから、森軍医総監が名作『雁』や『高瀬舟』の森鴎外と同一人物かと驚く。
高木督篤は日本最初の看護学校の創立者でいまの慈恵医大の前身だそうだ。
――――― 朝散歩したら、もう桜は完全に散ってしまっている。地面の花びらも風でとんでしまいどこにも見あたらない。
藪のなかではシャガの花が咲いていた。ヤブ蚊もでてきてもう初夏の気配…。ウグイスの鳴き声もものうい。
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