きのう、大倉集古館にいった。大倉喜八郎は大成建設、サッポロビール、富士銀行などを創業した越後新発田出身の財界人。戊辰戦争、日清・日露戦争でのしあがったので死の商人ともいわれたが、東京経済大学や大倉集古館の設立もした文人の側面もある。アメリカ大使館そばのホテルオークラの前庭にたつ大倉集古館は、西安や洛陽あたりにあるような不思議な建物。
一階は国宝古今和歌集20巻の巻子本の展示でにぎわっていたが、私はもっぱら二階や建物周辺の古代中国の春秋戦国時代の遺物や北魏の古拙な仏像、高句麗の石塔などにみとれた。王義之などの書画、杜甫や王維の漢詩を日本の江戸期の文人たちがきそって書いた掛け軸もおおい。
中国文明は朝鮮半島を経由して日本にはいり成熟した。いぜん韓国慶州でみた石仏の十一面観音と滋賀近江の観音様とはそっくりだが成熟さがまるでちがう。一衣帯水の東アジア大陸と日本列島の文物の悠久の交流をおもう。
明治維新でいちはやくなりあがった近代日本の中国侵略、朝鮮植民地化も、ごく最近数十年の尖閣・竹島のこぜりあいも遠い昔のことのように忘れてしまうかのようなひとときを大倉集古館で過ごした。
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