ちょっと要点だけ述べさせてもらう。
原発の可否について。いま原発賛成といおうものなら奇人変人の扱いだ。しかし巨大な社会構造をもった国が、エネルギー政策を根本から変えることは容易でない。そのことは体制のexcuseの代弁でなく言っておこうと思う。端的に言って一月に3兆円の貿易赤字は何時まで可能か。
それからドイツをやたら褒めるのも如何か。どうも西欧人の狡猾なところを見落としている。戦争責任についてもそうだ。彼等はナチスに戦争責任のあらかた全部を押しつけた。全部あいつ等のせいだ、と。そういうまことに具合のいいすり替えで、ドイツ人は「原罪」意識を免れている。彼等の原発廃止論議も日本で言われているほど明解にことが進んでいるわけではない。その科学者なんとかも、たくみに何事かをすり込ませているはずだ。
その戦争責任についていうなら、第二次世界大戦後、ドイツ、日本を裁いた国際裁判から新たな神話が始まったと思っている。「人類に対する犯罪」などという極めて不確実な傲慢な判決は考えれば考えるほどおかしい。全く実態のない空論だ。或いは勝者の立場を今後とも固定化したい狡猾な論理だといってもいい。
戦争は人類開闢以来一度とて犯罪と見られたことはなかった。戦争は運命という他ないものだった。あえて言えば、戦争は”悪”ではあっても、犯罪ではなく人類の背負った業、宿業というべきものだ。
2013年9月30日月曜日
今度は中国江南の旅です、、、、こんし
いま、紹興酒の紹興にいます。
上海からきた中国人留学生の面倒を三年ばかりみてきたが、昨年、帰国。両親が、娘がお世話になったお礼に中国に招待したいというので女房と五泊の中国の江南旅行にでかけた。きのうが杭州。南宋の古都である。西湖見物のあと、霊隠寺門前の民宿みたいな風情のある旅館にとまり、紹興酒「古越龍山」を飲む。朝の茶粥が旨かった。杭州からさらに南下して紹興へ。司馬遼太郎の街道シリーズ「江南の道」の会稽山、呉越同舟、臥薪嘗胆、西施、勾銭・・・の紹興であるが、まずはまっすぐ魯迅故居に向かった。
魯迅の生まれた家は想像以上の大地主の大邸宅で清代の古い遺構をそのまま残している。たくさんの部屋。魯迅の名篇「故郷」の終章が胸にあらためて迫った。ーーーー魯迅の子供のころ、魚とりなど夢中でいっしょに遊びまわった友達の陳、男の子のいろんな冒険を教えてくれた大好きな陳。勇気があって快活な頼もしい兄貴分の陳・・・・何十年ぶりに北京から懐かしい故郷の紹興の実家に帰って、誰よりも誰よりも真っ先に陳に会いたい!。あの陳に!ーーーー ところが、やっと再会した陳は、大地主の跡取りの魯迅の前で、おびえたように頭をさげてばかりいる小作人の卑屈な男になっていた・・・
上海からきた中国人留学生の面倒を三年ばかりみてきたが、昨年、帰国。両親が、娘がお世話になったお礼に中国に招待したいというので女房と五泊の中国の江南旅行にでかけた。きのうが杭州。南宋の古都である。西湖見物のあと、霊隠寺門前の民宿みたいな風情のある旅館にとまり、紹興酒「古越龍山」を飲む。朝の茶粥が旨かった。杭州からさらに南下して紹興へ。司馬遼太郎の街道シリーズ「江南の道」の会稽山、呉越同舟、臥薪嘗胆、西施、勾銭・・・の紹興であるが、まずはまっすぐ魯迅故居に向かった。
魯迅の生まれた家は想像以上の大地主の大邸宅で清代の古い遺構をそのまま残している。たくさんの部屋。魯迅の名篇「故郷」の終章が胸にあらためて迫った。ーーーー魯迅の子供のころ、魚とりなど夢中でいっしょに遊びまわった友達の陳、男の子のいろんな冒険を教えてくれた大好きな陳。勇気があって快活な頼もしい兄貴分の陳・・・・何十年ぶりに北京から懐かしい故郷の紹興の実家に帰って、誰よりも誰よりも真っ先に陳に会いたい!。あの陳に!ーーーー ところが、やっと再会した陳は、大地主の跡取りの魯迅の前で、おびえたように頭をさげてばかりいる小作人の卑屈な男になっていた・・・
どうも気になるので・・・逸徳
こちらでは、よせばよいのに中電が浜岡原発の再申請を出して、稼働への意志を鮮明にしはじめた。とにかく、衣のしたの鎧が見えるどころじゃあない。ころもがズタズタなのだ。いよいよひとごとではなくなってきた静岡である。
お師匠の指摘について。 対案を出すという建設的議論が必要なことは当然なのだが、どうも見ていると東電の体質だろうが、情報が完全に公開されていないようにみえる。つまり対案を出したくても、はじめから批判派の方には情報のハンディキャップがあるのではないか。 これではちと無理だ。それにくらべてドイツのメルケル首相が設置した、科学者だけの独立委員会の議論は見事だったと思う。とにかく日本は主要な報告書だけで三本も出ており、何がなんだかわからん。 それで思い出すのが、スペースシャトル事故のとき大統領が設置した事故調査委員会のファインマン博士の活動である。科学が、資本や権力がら独立して、キチンと信頼できる活動をしていたのは、この辺までだったかもしれんなあ。 それにくらべて、原子力にむらがる科学技術者のふるまいは、とても科学とはいえない行動が多かった。テレビでプルトニウムなんて、食べても大丈夫といった某東大教授や、福島の地元にすんだ方が健康にいいとくちばしった東電のえらい人など、笑い話にもならない話が続いた。科学への信頼が地に落ちたのである。あいつら万死に値すると思う。
で、対案をというお師匠の意見を考えていたら、はたと気が付いたことがある。今の事態は敗戦後の状況に似ていないか。 地震のように戦争は、庶民からみればどこか遠い空のかなたからやってきて、大災害をもたらした。で、終わってみると原因追究は「一億そうざんげ」とかなんとかごまかされ、責任はなすりあいになり、要するにごまかされ、基本的な土台は何も変わらず、食べていくことが先だと、戦争責任はすくなくとも日本人の手でキチンとやることはなかった。あれをきちんとやっていたら、戦後の日本の歩みはもうすこしは変わっていただろうに。
今回の件もそっくりだ、上の流れはそっくりあてはまらないか。 したがって、原因の追究と責任の明確化の作業は絶対必要だし、これは対案の議論とは別の問題である。また日本人はおんなじことをやるのだろうか。 沢山の原発が再稼働をめざしているのは、まるっきり戦後日本の歩みを再現していないか。
お師匠の指摘について。 対案を出すという建設的議論が必要なことは当然なのだが、どうも見ていると東電の体質だろうが、情報が完全に公開されていないようにみえる。つまり対案を出したくても、はじめから批判派の方には情報のハンディキャップがあるのではないか。 これではちと無理だ。それにくらべてドイツのメルケル首相が設置した、科学者だけの独立委員会の議論は見事だったと思う。とにかく日本は主要な報告書だけで三本も出ており、何がなんだかわからん。 それで思い出すのが、スペースシャトル事故のとき大統領が設置した事故調査委員会のファインマン博士の活動である。科学が、資本や権力がら独立して、キチンと信頼できる活動をしていたのは、この辺までだったかもしれんなあ。 それにくらべて、原子力にむらがる科学技術者のふるまいは、とても科学とはいえない行動が多かった。テレビでプルトニウムなんて、食べても大丈夫といった某東大教授や、福島の地元にすんだ方が健康にいいとくちばしった東電のえらい人など、笑い話にもならない話が続いた。科学への信頼が地に落ちたのである。あいつら万死に値すると思う。
で、対案をというお師匠の意見を考えていたら、はたと気が付いたことがある。今の事態は敗戦後の状況に似ていないか。 地震のように戦争は、庶民からみればどこか遠い空のかなたからやってきて、大災害をもたらした。で、終わってみると原因追究は「一億そうざんげ」とかなんとかごまかされ、責任はなすりあいになり、要するにごまかされ、基本的な土台は何も変わらず、食べていくことが先だと、戦争責任はすくなくとも日本人の手でキチンとやることはなかった。あれをきちんとやっていたら、戦後の日本の歩みはもうすこしは変わっていただろうに。
今回の件もそっくりだ、上の流れはそっくりあてはまらないか。 したがって、原因の追究と責任の明確化の作業は絶対必要だし、これは対案の議論とは別の問題である。また日本人はおんなじことをやるのだろうか。 沢山の原発が再稼働をめざしているのは、まるっきり戦後日本の歩みを再現していないか。
2013年9月25日水曜日
紅の豚----こんし
「紅の豚」は宮崎アニメでも異色でした。イタリア軍の反ファッショの飛行艇乗りの男たちの盛んな喫煙場面がありましたね。「風立ちぬ」も見たいです。安倍がまた汚染水が完全にブロックされていると言ったので、福島の被災地では嘘つけと「腹立ちぬ」だそうです。原発建屋に流れこむ地下水を汲みあげるとその分、海水が海から地下に侵入してくる。海岸部では地下水と海水とは行ったり来たり相互浸透している。そんなことも東電は二年半もわかっていなかった。海水平均温度18度、地下水は14度、原発建屋を凍土壁で囲い込んでも莫大な電力を使って凍土壁の崩壊を何十年間も食い止めるのは極めて
困難だと言えそうです。
困難だと言えそうです。
2013年9月24日火曜日
風立ちぬを見てきた・・・・逸徳
宮崎監督最後の作品ということで、風立ちぬを見てきた。ちなみに、監督は我々とほとんど同じ世代で、彼のメンタリティには前から共感するところの多い人である。 特に飛行機は、かって10代のころ飛行機オタクとして航空工学をやりたいと夢見ていたおいらとしては、監督の飛行機への思い入れにはすごく共感、感動している。 したがって、今までの作品の中で好きなのが「紅の豚」である。 飛行機と、雲の描きかたがよかった。ついでにいうと「とべない豚はぶたじゃあねえっ!」という主人公のせりふのかっこうよさにしびれた記憶がある。
今回の作品の見事さはすでにお師匠が述べており、まったくその通りだと思うので、重なる部分ははぶく。 ただ、風の描写は見事だなあと思った。あれは実写では出ないと思う。 監督は風さえ重要な役者として見事に使いこなしている。 ホントにスクリーンから風が吹いてくるような思いにとらわれた。
「風立ちぬ、いざいきめやも」という詩はポール・ヴァレリイの原詩があるが、これは堀辰夫の誤訳という説があるらしい。まあそんなことはどうでもいい。「生きめやも」をどうとるかだが、 生きようとする意志と、その後に襲ってくるであろうある不安な状況を予覚した表現であろうと思う。
作中で、主人公とイタリアの航空設計家カプローニ伯爵との会話が何回か出てくる。 伯爵は何回も主人公に問う。「君、風は立っているか」と。このときの風とは何だろうか。 それが気になった。 うまくいえないのだが、主人公をとりまく状況と、彼の内面の自覚的に生きようとすることを刺激してくれるある何か、なのかな。
ただ、風にはもう一つのとらえ方もある。歴史といってしまえば簡単だが、彼をとりまく時代状況である。 一万機以上もつくったゼロ戦は、とびたって結局一機ももどってきませんでした、という主人公の哀しみに満ちたセリフは、彼をまきこんでとうとうと流れた時代の風を感じさせる。 そういう風の中で彼は「いきめやも」としたのかもしれない。
飛行機というものは機能美というものがもっとも明確にあらわれてくる存在である。飛行機は確かに美しい。そして、美しい飛行機ほど性能がいい。
状況がどんなに激動しても、環境がどんなに変化しても、その中を時代を超えて貫く一本の線のようなものがあると思う。それは、ひとつの信念だったり、思想だったり、あるいは守りとおしたい価値だったり、真理や美や愛といったきわめて抽象的なものだったり、人によってみんな違う表現になるのかもしれない。ただ、そういう線を自覚的にとらえていくかいかないか、その線との距離や関係性において、その人の生き様が決まるような気がする。
そして、主人公にとってそれは「美しい飛行機」というものでなかったか。 彼はその美しさにとらわれ、それに恋い焦がれるようにして生きてきた。モデルの堀越二郎は戦後も飛行機とかかわりつづけ、YS11の設計にかかわっている。 つまり美しい飛行機を彼は見果てぬ夢のように追い続けていくのである。彼の中にも風は吹き続けていたのかもしれない。幸せだったと思う。
風立ちぬ。いざ生きめやも・・・このことばも人によって違うとらえ方をされるだろう。おいらは関連してひとつの詩を思い出す。前にも書いたかもしれないが、もう一度紹介する。アメリカの詩人ロバートフロストの作品「白い森の中で」の最後の部分である。最後の節が「いざ生きめやも」と共鳴する。でもこういうとらえ方はもう年ということかもしれんなあ。
森はやさしく暗くそして深い
だが私には約束の仕事がある
眠るまでにはまだ何マイルかいかねばな
らぬ
眠るまでにはまだ何マイルかいかねばな
らぬ
今回の作品の見事さはすでにお師匠が述べており、まったくその通りだと思うので、重なる部分ははぶく。 ただ、風の描写は見事だなあと思った。あれは実写では出ないと思う。 監督は風さえ重要な役者として見事に使いこなしている。 ホントにスクリーンから風が吹いてくるような思いにとらわれた。
「風立ちぬ、いざいきめやも」という詩はポール・ヴァレリイの原詩があるが、これは堀辰夫の誤訳という説があるらしい。まあそんなことはどうでもいい。「生きめやも」をどうとるかだが、 生きようとする意志と、その後に襲ってくるであろうある不安な状況を予覚した表現であろうと思う。
作中で、主人公とイタリアの航空設計家カプローニ伯爵との会話が何回か出てくる。 伯爵は何回も主人公に問う。「君、風は立っているか」と。このときの風とは何だろうか。 それが気になった。 うまくいえないのだが、主人公をとりまく状況と、彼の内面の自覚的に生きようとすることを刺激してくれるある何か、なのかな。
ただ、風にはもう一つのとらえ方もある。歴史といってしまえば簡単だが、彼をとりまく時代状況である。 一万機以上もつくったゼロ戦は、とびたって結局一機ももどってきませんでした、という主人公の哀しみに満ちたセリフは、彼をまきこんでとうとうと流れた時代の風を感じさせる。 そういう風の中で彼は「いきめやも」としたのかもしれない。
飛行機というものは機能美というものがもっとも明確にあらわれてくる存在である。飛行機は確かに美しい。そして、美しい飛行機ほど性能がいい。
状況がどんなに激動しても、環境がどんなに変化しても、その中を時代を超えて貫く一本の線のようなものがあると思う。それは、ひとつの信念だったり、思想だったり、あるいは守りとおしたい価値だったり、真理や美や愛といったきわめて抽象的なものだったり、人によってみんな違う表現になるのかもしれない。ただ、そういう線を自覚的にとらえていくかいかないか、その線との距離や関係性において、その人の生き様が決まるような気がする。
そして、主人公にとってそれは「美しい飛行機」というものでなかったか。 彼はその美しさにとらわれ、それに恋い焦がれるようにして生きてきた。モデルの堀越二郎は戦後も飛行機とかかわりつづけ、YS11の設計にかかわっている。 つまり美しい飛行機を彼は見果てぬ夢のように追い続けていくのである。彼の中にも風は吹き続けていたのかもしれない。幸せだったと思う。
風立ちぬ。いざ生きめやも・・・このことばも人によって違うとらえ方をされるだろう。おいらは関連してひとつの詩を思い出す。前にも書いたかもしれないが、もう一度紹介する。アメリカの詩人ロバートフロストの作品「白い森の中で」の最後の部分である。最後の節が「いざ生きめやも」と共鳴する。でもこういうとらえ方はもう年ということかもしれんなあ。
森はやさしく暗くそして深い
だが私には約束の仕事がある
眠るまでにはまだ何マイルかいかねばな
らぬ
眠るまでにはまだ何マイルかいかねばな
らぬ
2013年9月23日月曜日
曼珠沙華が咲き出した・・・猫跨ぎ
常々思っているが、褌子氏の評は核心を突く場合が多いね。トンデモなこともないではないが。俳句に向いている感性があると思う。なのにこれが俳句をはじめないらしい。とにかく風貌によらず羞恥心が強いんだな。別にち○ぽ○を出せと言っているわけではないのだから。
うちの結社にも九十過ぎの人が何人かいるが、俳句への執念はすさまじい。それが為に生きているといってもいいくらいだ。身体の衰えは隠せないが(とは言え句会に出て来るのだ)頭ははっきりしている。俳句のお蔭と言っていい。自分への内観、他者、自然との関係性の思考、それが十七音の彫琢で絶え間なく実行される。老けるわけにはいかないらしい。
このまえ、102歳の俳人、金原まさ子女史が「徹子の部屋」に出ていた。自らを「102歳の不良少女」、「腐女子」と称し、煙に巻いていた。明晰で綺麗なのにびっくりした。
うちの結社にも九十過ぎの人が何人かいるが、俳句への執念はすさまじい。それが為に生きているといってもいいくらいだ。身体の衰えは隠せないが(とは言え句会に出て来るのだ)頭ははっきりしている。俳句のお蔭と言っていい。自分への内観、他者、自然との関係性の思考、それが十七音の彫琢で絶え間なく実行される。老けるわけにはいかないらしい。
このまえ、102歳の俳人、金原まさ子女史が「徹子の部屋」に出ていた。自らを「102歳の不良少女」、「腐女子」と称し、煙に巻いていた。明晰で綺麗なのにびっくりした。
初秋だね・・・・褌子
やっと朝晩は涼しくなりましたが日中はまだ暑い。
庭に白花の彼岸花が咲いております。
先日、大雪山旭岳に初冠雪とのニュース。9月9日に逸徳さんとロープウエーで登ったときには、やっとナナカマドが紅くなり出したばかりで汗をかきながら噴煙近くまで一周したのだが。
猫跨ぎさんの句を鑑賞する
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと
神社の秋祭りも始まった。御輿の担ぎ手がいなくて何処も困っている。
夜祭りでのベッコウ飴が踏まれて砕けている。季節の移ろいを感ずる
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる
これも祭りの風景か。たばこ、酒、焼き鳥の匂い。なにか侘びしい夏の終わりの季節感がある。
・滑走路の先の夏野や将門記
関東各地に平将門伝説が残っている。夏野といっても草いきれよりもススキの初穂か。
朝廷に抗して滅び去ったものへの哀感。飛び立つジャンボ機との対比。
・エジプト争乱瓜番の深ねむり
特選!
・八月の消えては灯る街路灯
やっぱり晩夏だ。滅びの前の蛾。
・万葉は相聞ばかり稲の花
万葉集中、相聞歌の数はどのくらいですか
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
・初潮や倭寇末裔らしき声
室津での一句かも。
和冦末裔らしきとは相当荒々しい漁師の声だったのか
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮
時間がゆらゆら過ぎていく。破れ蓮の花がゆらゆら風にゆれている。
お釈迦様だけが知る無限大無限小の時空。先日、台北のホテルで村山斉『宇宙になぜ我々は存在するのか――最新素粒子入門』を読んだ。時間と空間は同じものなんだというのがわかったようで、まだわからない。われ亡くて山辺の桜咲きにけり、だ。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し
常住坐臥、観るもの聴くもの、なんでも秀句になるのだねえ。
むかし韓国安東で唐辛子がぶりと食って火がでるほど辛かった。水をのんだらますますひりひりした。ホントにホントに辛かった。
・サングラス外して表情筋豊か
ボクもサングラスの似合うおじいさんになりたかった
庭に白花の彼岸花が咲いております。
先日、大雪山旭岳に初冠雪とのニュース。9月9日に逸徳さんとロープウエーで登ったときには、やっとナナカマドが紅くなり出したばかりで汗をかきながら噴煙近くまで一周したのだが。
猫跨ぎさんの句を鑑賞する
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと
神社の秋祭りも始まった。御輿の担ぎ手がいなくて何処も困っている。
夜祭りでのベッコウ飴が踏まれて砕けている。季節の移ろいを感ずる
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる
これも祭りの風景か。たばこ、酒、焼き鳥の匂い。なにか侘びしい夏の終わりの季節感がある。
・滑走路の先の夏野や将門記
関東各地に平将門伝説が残っている。夏野といっても草いきれよりもススキの初穂か。
朝廷に抗して滅び去ったものへの哀感。飛び立つジャンボ機との対比。
・エジプト争乱瓜番の深ねむり
特選!
・八月の消えては灯る街路灯
やっぱり晩夏だ。滅びの前の蛾。
・万葉は相聞ばかり稲の花
万葉集中、相聞歌の数はどのくらいですか
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
・初潮や倭寇末裔らしき声
室津での一句かも。
和冦末裔らしきとは相当荒々しい漁師の声だったのか
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮
時間がゆらゆら過ぎていく。破れ蓮の花がゆらゆら風にゆれている。
お釈迦様だけが知る無限大無限小の時空。先日、台北のホテルで村山斉『宇宙になぜ我々は存在するのか――最新素粒子入門』を読んだ。時間と空間は同じものなんだというのがわかったようで、まだわからない。われ亡くて山辺の桜咲きにけり、だ。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し
常住坐臥、観るもの聴くもの、なんでも秀句になるのだねえ。
むかし韓国安東で唐辛子がぶりと食って火がでるほど辛かった。水をのんだらますますひりひりした。ホントにホントに辛かった。
・サングラス外して表情筋豊か
ボクもサングラスの似合うおじいさんになりたかった
2013年9月22日日曜日
昼深し・・・猫跨ぎ
台風とそれに伴う豪雨なんかで驚いたが、一転して穏やかな気候。中秋の名月を経て、ようやく秋の風情ということになった。
仁ちゃんの丁寧な鑑賞に感謝。
ちょっと付言すると、
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる: この季語は「網戸」。開け放した夏の気分だね。この句は、寄合を外から見た風景。
・滑走路の先の夏野や将門記 :成田空港の風景。平将門が此処まで来たかどうかは定かでないが。それから成田闘争で中央権力に戦いを挑んだひとびとと、将門のまつろわぬ反骨を重ね合わせた気分もちょっとある。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し : 昼深しは昼闌けると言うような意味。何度か詩歌なんかで見た記憶がある。たとえば、北原白秋に
大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
というなかなか魅力的な一首がある。
仁ちゃんの丁寧な鑑賞に感謝。
ちょっと付言すると、
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる: この季語は「網戸」。開け放した夏の気分だね。この句は、寄合を外から見た風景。
・滑走路の先の夏野や将門記 :成田空港の風景。平将門が此処まで来たかどうかは定かでないが。それから成田闘争で中央権力に戦いを挑んだひとびとと、将門のまつろわぬ反骨を重ね合わせた気分もちょっとある。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し : 昼深しは昼闌けると言うような意味。何度か詩歌なんかで見た記憶がある。たとえば、北原白秋に
大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
というなかなか魅力的な一首がある。
2013年9月21日土曜日
函館通信220・・・名月・・・仁兵衛
函館は雲が薄らとかかってしまい残念ながら名月ははっきりとしなかった。昨日彼岸参りに行ったが風がひんやりとして季節の変り目が実によく感じられた。大雪山では七合目まで初冠雪があり北海道は足早に冬を向かえ様としている。
猫跨ぎ氏の格調高い句を評す。
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと ・・・ お祭りで鼈甲細工を見るのは楽しみの一つでした。
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる ・・・ 季語が無いけど力強い男等の躍動感すら感じられる。準特選。
・滑走路の先の夏野や将門記 ・・・ 承平・天慶の乱の時代背景をよく理解していないので句の良さが半分しか解らない。
・エジプト争乱瓜番の深ねむり ・・・ 取合せが非常に面白い。特選。瓜番の深ねむりは色んな事を想像させてくれる。
・八月の消えては灯る街路灯 ・・・ 消えては灯る街路灯はいたる所にありそう。
・万葉は相聞ばかり稲の花 ・・・ 今年も沢山の稲の花がつきましたが貴女は如何お過ごしですか。
・初潮や倭寇末裔らしき声 ・・・ 初潮とは陰暦8月15日の大潮とある。歴史を背景にした大きな句だ。準特選。
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮 ・・・ 霞ヶ浦付近の蓮田を思い出している。時間ゆらゆらの表現が素晴らしい。佳作。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し ・・・ 昼深しが一寸解らなかった。
・サングラス外して表情筋豊か ・・・ 表情筋が何ともユーモアを感じさせてくれた。佳作。
猫跨ぎ氏の格調高い句を評す。
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと ・・・ お祭りで鼈甲細工を見るのは楽しみの一つでした。
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる ・・・ 季語が無いけど力強い男等の躍動感すら感じられる。準特選。
・滑走路の先の夏野や将門記 ・・・ 承平・天慶の乱の時代背景をよく理解していないので句の良さが半分しか解らない。
・エジプト争乱瓜番の深ねむり ・・・ 取合せが非常に面白い。特選。瓜番の深ねむりは色んな事を想像させてくれる。
・八月の消えては灯る街路灯 ・・・ 消えては灯る街路灯はいたる所にありそう。
・万葉は相聞ばかり稲の花 ・・・ 今年も沢山の稲の花がつきましたが貴女は如何お過ごしですか。
・初潮や倭寇末裔らしき声 ・・・ 初潮とは陰暦8月15日の大潮とある。歴史を背景にした大きな句だ。準特選。
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮 ・・・ 霞ヶ浦付近の蓮田を思い出している。時間ゆらゆらの表現が素晴らしい。佳作。
・一本だけ辛き獅子唐昼深し ・・・ 昼深しが一寸解らなかった。
・サングラス外して表情筋豊か ・・・ 表情筋が何ともユーモアを感じさせてくれた。佳作。
2013年9月19日木曜日
仲秋の名月が・・・猫跨ぎ
中秋の名月が煌々と天にある。。こんな雲のない月夜は珍しい。
九月の十句。
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる
・滑走路の先の夏野や将門記
・エジプト争乱瓜番の深ねむり
・八月の消えては灯る街路灯
・万葉は相聞ばかり稲の花
・初潮や倭寇末裔らしき声
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮
・一本だけ辛き獅子唐昼深し
・サングラス外して表情筋豊か
九月の十句。
・鼈甲飴の微塵に砕け祭あと
・男らの匂ひ網戸を抜けてくる
・滑走路の先の夏野や将門記
・エジプト争乱瓜番の深ねむり
・八月の消えては灯る街路灯
・万葉は相聞ばかり稲の花
・初潮や倭寇末裔らしき声
・枯死までの時間ゆらゆら破蓮
・一本だけ辛き獅子唐昼深し
・サングラス外して表情筋豊か
2013年9月18日水曜日
台風一過・・・猫跨ぎ
昨日から台風一過の快晴が続いている。全く何日ぶりかな。風が心地よい。昨日は初物の秋刀魚。主夫としては秋刀魚はまことに有難い。さっと塩してグリルで焼くだけ。何の下準備もいらない。それにしても褌子氏は台湾か。多動爺という言葉はあなただね。
さて仁句を見よう。自然な秋の風景が多いね。
・ 秋桜ゆっくり曲る市電かな
コスモスの揺らめきが背景にある。その撓りと電車のカーブが重なっている。準特選。
・実玫瑰ドクターヘリの横切りて
玫瑰(はまなす)とドクターヘリの取り合わせは、まあ感じるしかないが。
戦後、玫瑰の実は食べたよね。いまはさすがにいないだろうが。
・ さがりだけ握りて戻る九月かな
多分負け相撲か。勝ち力士への歓声をよそに、下がりを握りしめ背に砂を着けて戻って行く。哀感も秋は一入か。特選
・ 色変へぬ松やひそかに笑ひけり
仁ワールドなので通り過ぎよう。
・ 錦秋や溶け出してゆくグラニュー糖
グラニュー糖を福島の核燃料に見立てた解釈を思ったが、多分深読みか。こんな意図で、「大西日赤い岩塩ゆっくり溶け」と作った。
・ 鈴虫や送って下さいファックスで
切れ字の「や」は場面転換だから、ここは、「を」の方がいいかと思うが。それはともかく、音はメールで送れるのでは。方法は知らないけど。西原氏ならたちどころに教えてくれるだろうが。
・ ちちろ虫半額シール付けたまま
ちちろ虫、コオロギ、つづれさせ、とも。虫を売っている屋台か。半額の値をつけられているのも知らずコロコロ鳴いている。
・ 蟷螂や長編漫画の主人公
カマキリは実に色んなキャラクターを持っている。長編だから栄枯盛衰全部演ずるわけだ。
・ 合唱からソロへと替り秋の蝉
まあ、そういうことですね。
・ コンビーフ帯切り損ね後の月
これは始末に悪いね。ペンチなんか持ち出して後処理。最近はあまり食べないなあ。
やっかいだなあという気分と後の月がいい。
さて仁句を見よう。自然な秋の風景が多いね。
・ 秋桜ゆっくり曲る市電かな
コスモスの揺らめきが背景にある。その撓りと電車のカーブが重なっている。準特選。
・実玫瑰ドクターヘリの横切りて
玫瑰(はまなす)とドクターヘリの取り合わせは、まあ感じるしかないが。
戦後、玫瑰の実は食べたよね。いまはさすがにいないだろうが。
・ さがりだけ握りて戻る九月かな
多分負け相撲か。勝ち力士への歓声をよそに、下がりを握りしめ背に砂を着けて戻って行く。哀感も秋は一入か。特選
・ 色変へぬ松やひそかに笑ひけり
仁ワールドなので通り過ぎよう。
・ 錦秋や溶け出してゆくグラニュー糖
グラニュー糖を福島の核燃料に見立てた解釈を思ったが、多分深読みか。こんな意図で、「大西日赤い岩塩ゆっくり溶け」と作った。
・ 鈴虫や送って下さいファックスで
切れ字の「や」は場面転換だから、ここは、「を」の方がいいかと思うが。それはともかく、音はメールで送れるのでは。方法は知らないけど。西原氏ならたちどころに教えてくれるだろうが。
・ ちちろ虫半額シール付けたまま
ちちろ虫、コオロギ、つづれさせ、とも。虫を売っている屋台か。半額の値をつけられているのも知らずコロコロ鳴いている。
・ 蟷螂や長編漫画の主人公
カマキリは実に色んなキャラクターを持っている。長編だから栄枯盛衰全部演ずるわけだ。
・ 合唱からソロへと替り秋の蝉
まあ、そういうことですね。
・ コンビーフ帯切り損ね後の月
これは始末に悪いね。ペンチなんか持ち出して後処理。最近はあまり食べないなあ。
やっかいだなあという気分と後の月がいい。
台湾で初秋の俳句鑑賞:::こんし
台北からです。千葉より涼しいくらいです。近所のおじいちゃんの懇願で同行し台北にきた目的達成しましたので小籠包がおいしい。仁ちゃんの俳句を鑑賞しています。
・秋桜ゆっくり曲がる市電かな
市電がごとごとのんびり走る風景はいいですね。コスモスのシーズンとなりました。函館のナナカマドの並木も紅葉がはじまったことだろう。
・実◎◎ドクターヘリの横切りて
パソコン持ってきてないので◎◎の読み方に苦労したがiPhoneで検索するとマイカイとか読むらしいが…。ハマナスの赤い実という季語らしい。静と動の対比あざやか
・さがりだけ握りて戻る九月かな
さがり、は相撲取りの褌の前にさげているヒモだと解した。力士がよくみせる仕草をずばりとらえた秀句。國兼さんも、さがりをたくさんぶら下げた褌にすると見栄えがいいねえ
・色変えぬ松やひそかに笑ひけり
松竹梅の筆頭、松は目出度い木だ。白砂青松。日本人がいちばん好きな風景。ひそかに笑うが、なにやら意味深。美保の松原で天女が羽衣を松の木にかけて、一糸まとわぬストリップショーを演じて老松が思わず、こりゃまたとない目の保養。長生きするわいと、ひそかに笑ひけり… 逸徳さんも静岡だから眼福うらやましい
・錦秋や溶けだしてゆくグラニュー糖
紅葉みながらあわてずさわがずブルーマウンテンかキリマンジャロか。
・鈴虫や送って下さいファックスで わかりやすい。松虫でもよいがどうしてもリーンリーンの鈴虫でないと
・ちちち虫半額シール付けたまま
チンチロリンでなく、ちちちと鳴くのは何だっけ。蟋蟀?
・蟷螂や長編漫画の主人公
カマキリは奇っ怪な愛すべき虫で漫画の主人公のイメージがふくらむ。交尾真っ最中にメスに食われるオスが本当に気の毒。人間のオスに生まれてよかった。
・合唱からソロへと替わり秋の蝉
この句が一番気にいりました。特選。夕闇せまるころカナカナと蜩に鳴かれると、諸行無常のひびきあり。
・コンビーフ帯切り損ね後の月
あの缶詰のブリキの帯は切り損ねると厄介なんだ。ゆんべ飲んだ台湾ビールのプルタブも折れてしまい厄介であった。ついでにいうと泊まっている福華大飯店という上級ホテルなのに、トイレはまだ日本式洗浄水がぴゅーと出てこないタイプ。あれは本当に日本人の大発明である。痔主だった小倉さんも私もTOTOに感謝している。・・・ところで原発といえばトイレのない高級ホテルみたいなもの。海洋にまで流出する膨大な放射能汚染水の前に呆然と立ちすくんでいる東電。この会社は破綻処理し日本政府の全責任で汚染水問題を解決して廃炉に向かうとき。いまこそ、人類のもつ技術を総結集するときだ。待ったなしの人類的危機。ホテルのフロントでの日本人女性は原発から子供と逃げてきた宮城の女性だった。放射能で太平洋の魚を汚染しながらオリンピックなんてちゃんちゃらおかしいですといっていた。
・秋桜ゆっくり曲がる市電かな
市電がごとごとのんびり走る風景はいいですね。コスモスのシーズンとなりました。函館のナナカマドの並木も紅葉がはじまったことだろう。
・実◎◎ドクターヘリの横切りて
パソコン持ってきてないので◎◎の読み方に苦労したがiPhoneで検索するとマイカイとか読むらしいが…。ハマナスの赤い実という季語らしい。静と動の対比あざやか
・さがりだけ握りて戻る九月かな
さがり、は相撲取りの褌の前にさげているヒモだと解した。力士がよくみせる仕草をずばりとらえた秀句。國兼さんも、さがりをたくさんぶら下げた褌にすると見栄えがいいねえ
・色変えぬ松やひそかに笑ひけり
松竹梅の筆頭、松は目出度い木だ。白砂青松。日本人がいちばん好きな風景。ひそかに笑うが、なにやら意味深。美保の松原で天女が羽衣を松の木にかけて、一糸まとわぬストリップショーを演じて老松が思わず、こりゃまたとない目の保養。長生きするわいと、ひそかに笑ひけり… 逸徳さんも静岡だから眼福うらやましい
・錦秋や溶けだしてゆくグラニュー糖
紅葉みながらあわてずさわがずブルーマウンテンかキリマンジャロか。
・鈴虫や送って下さいファックスで わかりやすい。松虫でもよいがどうしてもリーンリーンの鈴虫でないと
・ちちち虫半額シール付けたまま
チンチロリンでなく、ちちちと鳴くのは何だっけ。蟋蟀?
・蟷螂や長編漫画の主人公
カマキリは奇っ怪な愛すべき虫で漫画の主人公のイメージがふくらむ。交尾真っ最中にメスに食われるオスが本当に気の毒。人間のオスに生まれてよかった。
・合唱からソロへと替わり秋の蝉
この句が一番気にいりました。特選。夕闇せまるころカナカナと蜩に鳴かれると、諸行無常のひびきあり。
・コンビーフ帯切り損ね後の月
あの缶詰のブリキの帯は切り損ねると厄介なんだ。ゆんべ飲んだ台湾ビールのプルタブも折れてしまい厄介であった。ついでにいうと泊まっている福華大飯店という上級ホテルなのに、トイレはまだ日本式洗浄水がぴゅーと出てこないタイプ。あれは本当に日本人の大発明である。痔主だった小倉さんも私もTOTOに感謝している。・・・ところで原発といえばトイレのない高級ホテルみたいなもの。海洋にまで流出する膨大な放射能汚染水の前に呆然と立ちすくんでいる東電。この会社は破綻処理し日本政府の全責任で汚染水問題を解決して廃炉に向かうとき。いまこそ、人類のもつ技術を総結集するときだ。待ったなしの人類的危機。ホテルのフロントでの日本人女性は原発から子供と逃げてきた宮城の女性だった。放射能で太平洋の魚を汚染しながらオリンピックなんてちゃんちゃらおかしいですといっていた。
2013年9月17日火曜日
函館通信219・・・台風・・・仁兵衛
函館もだいぶ雨は降ったが今回の台風被害は殆ど無く終わった。昨日の虹と大夕焼、今日の青空が本当にまぶしい。
40年前にいわきで、30年前に関西で台風による水被害を経験しているが今マンションの四階に住んでいると水害意識は皆無に近いものになっている自分に気がつかされる。台風、竜巻、水害、地震、火山噴火等といった自然災害は当り外れがあると言ったら怒られるかも知れないが福島原発の様に自然災害の後に起こされた人災には憤りだけを感じざるを得ない。
原発近くに37年も住んでいたので余計その思いが強いのかも知れぬ。近作十句。
・ 秋桜ゆっくり曲る市電かな
・ 実玫瑰ドクターヘリの横切りて
・ さがりだけ握りて戻る九月かな
・ 色変へぬ松やひそかに笑ひけり
・ 錦秋や溶け出してゆくグラニュー糖
・ 鈴虫や送って下さいファックスで
・ ちちろ虫半額シール付けたまま
・ 蟷螂や長編漫画の主人公
・ 合唱からソロへと替り秋の蝉
・ コンビーフ帯切り損ね後の月
40年前にいわきで、30年前に関西で台風による水被害を経験しているが今マンションの四階に住んでいると水害意識は皆無に近いものになっている自分に気がつかされる。台風、竜巻、水害、地震、火山噴火等といった自然災害は当り外れがあると言ったら怒られるかも知れないが福島原発の様に自然災害の後に起こされた人災には憤りだけを感じざるを得ない。
原発近くに37年も住んでいたので余計その思いが強いのかも知れぬ。近作十句。
・ 秋桜ゆっくり曲る市電かな
・ 実玫瑰ドクターヘリの横切りて
・ さがりだけ握りて戻る九月かな
・ 色変へぬ松やひそかに笑ひけり
・ 錦秋や溶け出してゆくグラニュー糖
・ 鈴虫や送って下さいファックスで
・ ちちろ虫半額シール付けたまま
・ 蟷螂や長編漫画の主人公
・ 合唱からソロへと替り秋の蝉
・ コンビーフ帯切り損ね後の月
2013年9月16日月曜日
台北から・・・こんし
いま台北に来ています。遊びではありません。純粋に仕事で82才のおじいさんといいホテルに泊まって81才の高雄のおじいちゃんと三人で美味しい紹興酒をいただいています。成田空港では台風で飛行機が飛び立つかハラハラしましたが、無事、台湾に着くことができました。いい天気でしかもあまり暑くありません。iPhoneひとつ持っていれば、パリからでも、台北からでも簡単に発信できます。いわゆる携帯メッセージならWi-Fiにつながなくてもメッセージを日本とやりとりできるので全く便利な世の中になったものです。
バレンティン・・・猫跨ぎ
台風はこちらはさほどのこともなく北関東を駆け抜けているらしい。雲が切れて青空が見えてきた。京滋は大雨で、渡月橋が冠水したことを報じていた。
バレンティンが55号の日本記録を塗り替えたね。ホームランレースの2位がブランコの36号だから、とにかくずば抜けたペースで、タダモノでない。
ひところ王の記録が何か神聖視されていた。阪神のバースが絶好調で、55号を破る勢いだったが、野球界のみならず世間もなにか金縛りにあったみたいになり、四球を繰り返し、結局54本で終わってしまった。なんだか後味が悪かったのを覚えている。外人助っ人にたいする一種の差別が根底にあった。
今は様変わりだ。バレンティン頑張れの横断幕が出るし、マスコミも当然視していた。いつまでも神話は続かない。記録が破られる前から、もう憑き物が落ちたみたいな雰囲気だった。日本人も大リーグで結構やっているし、彼我の違いをあれこれいう雰囲気もなくなってきたという事だろう。国際化というか平準化というか、こんなところから始まるのだろう。
バレンティンが55号の日本記録を塗り替えたね。ホームランレースの2位がブランコの36号だから、とにかくずば抜けたペースで、タダモノでない。
ひところ王の記録が何か神聖視されていた。阪神のバースが絶好調で、55号を破る勢いだったが、野球界のみならず世間もなにか金縛りにあったみたいになり、四球を繰り返し、結局54本で終わってしまった。なんだか後味が悪かったのを覚えている。外人助っ人にたいする一種の差別が根底にあった。
今は様変わりだ。バレンティン頑張れの横断幕が出るし、マスコミも当然視していた。いつまでも神話は続かない。記録が破られる前から、もう憑き物が落ちたみたいな雰囲気だった。日本人も大リーグで結構やっているし、彼我の違いをあれこれいう雰囲気もなくなってきたという事だろう。国際化というか平準化というか、こんなところから始まるのだろう。
2013年9月14日土曜日
科学誌Natureまでが安倍内閣批判・・・・褌子
神戸女学院大学の内田樹先生は引用自由ですといっているので『Nature』誌の内田先生の抄訳文をそのまま転載する。
―――――
9月3日のNature のEditorialに福島原発からの汚染水漏洩への日本政府および東電の対応について、つよい不信感を表明する編集委員からのコメントが掲載された。
自然科学のジャーナルが一国の政府の政策についてここまできびしい言葉を連ねるのは例外的なことである。
東電と安倍政府がどれほど国際社会から信頼されていないか、私たちは知らされていない。
この『ネイチャー』の記事もこれまでの海外メディアの原発報道同様、日本のマスメディアからはほぼ組織的に無視されている。
汚染水の漏洩で海洋汚染が今も進行しているとき、世界の科学者の知恵を結集して対応策を講ずべきときに、日本政府は五輪招致と米軍のシリア攻撃への「理解をしめす」ことの方が優先順位の高い課題だと信じている。五輪招致を成功させたければ、まず事故処理について日本政府は最大限の努力をもって取り組んでいるということを国際社会に理解してもらうのが筋だろう。
だが、招致委員長は「東京と福島は250キロも離れているので、心配ありません」という驚くべき発言を昨日ブエノスアイレスで行った。海外の科学者たちが「福島の事故は対岸の火事ではない。私たち自身に切迫した問題だ」という危機意識を持って国際的な支援を申し出ているときに、東京の人間が「福島の事故は250キロ離れた『対岸の火事』ですから、五輪開催に心配ありません」と言い放っているのである。怒りを通り越して、悲しみを感じる。
英語を読むのが面倒という読者のために『ネイチャー』の記事の抄訳を試みた。
■■■
破壊された福島の原子力発電所から漏洩している放射性物質を含んだ流出水は、1986年ウクライナでのチェルノブイリ・メルトダウン以後世界最大の原子力事故の終わりがまだ見通せないことをはっきりと思い出させた。
��011年3月に福島原発に被害を与えた地震と津波の後、この地域を除染するための努力は今後長期にわたるものとなり、技術的にも困難であり、かつとほうもない費用を要するものであることが明らかとなった。
そして今またこの仕事が原発のオーナー、東京電力にはもう担いきれないものであることがあらわになったのである。
日本政府は9月3日、東電から除染作業を引き継ぐ意向を示したが、介入は遅きに失した。
事故から2年半、東電は福島の三基の破壊された原子炉内の核燃料の保護措置についての問題の本質と深刻さを認識していないことを繰り返し露呈してきた。
毎日およそ40万リットルの水がロッドの過熱を防ぐために原子炉心に注水されている。汚染された水が原子炉基礎部に漏水し、コンクリートの裂け目を通じて地下水と近隣の海水に拡がっていることを東電が認めたのはごく最近になってからである。
東電以外の機関による放射能被曝の測定は難しく、私たちが懸念するのは、この放射能洩れが人間の健康、環境および食物の安全性にどのような影響をもたらすことになるのかが不明だということである。
問題はそれにとどまらない。使用済みの冷却水を保存している1000の貯蔵庫があり、これらは浄化システムによる処理を経ているにもかかわらずトリチウムやその他の有害な放射性核種を含んでいる。漏洩はこのシステムがいつ爆発するかわからない時限爆弾(laxly guarded time bomb)だということを明らかにした。
ゴムで封印されたパイプや貯蔵タンクが漏水を引き起こすことは誰でも知っていることである。東電が漏水を検知する定期点検を信頼していたというのは無責任とは言わぬまでも不注意のそしりは免れ得ない。(careless, if not irresponsible)(・・・)
政府の過去の対応と情報政策から判断する限り、日本政府も、東電と同じく、この状況を制御し、パブリックに対して情報を開示する能力がもうないのではないかという疑念を抱かせる。(Given the government's past actions and information policies, one might doubt whether it would be any more competent than TEPCO at managing the situation and communicating it to the public)
週明けに、漏水しているタンク付近の放射線量は最初に報告された数値の18倍であることがわかった。漏水は当初ただの「異常」とされたが、のちに真性の危機(a genuine crisis)であることがわかったのである。
日本は国際的な専門家に支援のための助言を求めるべきときを迎えている。米国、ロシア、フランス、英国などは核エンジニアリング、除染および放射線の健康被害についてのノウハウを持っており、日本の役に立つはずである。
国際的な研究と除染のための連携はモニタリングと危機管理の有用性と有効性についての粉々に打ち砕かれた信頼(shattered public trust)を回復するための一助となるであろう。漏水が最も大きな影響を及ぼすのは福島沖とそこから拡がる太平洋への影響である。この影響については精密なモニターがなされなければならない。
日米の科学者によって2010年と2011年に行われたアセスメントでは二つの重大な問題が答えられぬまま残った。どれだけの放射能が海洋に浸入しているのか?原発事故以後長い時間が経ったにも拘わらずいくつかの種において高いレベルの放射能が検知されているわけだが、問題の地域の魚介類の消費がいつ可能になるのか?漏水によって、これらの問いへの答えることが喫緊の課題となっている。(・・・)
安倍晋三首相と彼の政府は科学研究支援を約束した。彼らには情報を集め、それを共有することを通じて世界中の研究者を激励し、支援する義務がある。チェルノブイリでは科学者たちは原発事故後に何が起きるかについて研究する機会を逸した。福島ではせめてそれだけでも成し遂げたい。
―――――
9月3日のNature のEditorialに福島原発からの汚染水漏洩への日本政府および東電の対応について、つよい不信感を表明する編集委員からのコメントが掲載された。
自然科学のジャーナルが一国の政府の政策についてここまできびしい言葉を連ねるのは例外的なことである。
東電と安倍政府がどれほど国際社会から信頼されていないか、私たちは知らされていない。
この『ネイチャー』の記事もこれまでの海外メディアの原発報道同様、日本のマスメディアからはほぼ組織的に無視されている。
汚染水の漏洩で海洋汚染が今も進行しているとき、世界の科学者の知恵を結集して対応策を講ずべきときに、日本政府は五輪招致と米軍のシリア攻撃への「理解をしめす」ことの方が優先順位の高い課題だと信じている。五輪招致を成功させたければ、まず事故処理について日本政府は最大限の努力をもって取り組んでいるということを国際社会に理解してもらうのが筋だろう。
だが、招致委員長は「東京と福島は250キロも離れているので、心配ありません」という驚くべき発言を昨日ブエノスアイレスで行った。海外の科学者たちが「福島の事故は対岸の火事ではない。私たち自身に切迫した問題だ」という危機意識を持って国際的な支援を申し出ているときに、東京の人間が「福島の事故は250キロ離れた『対岸の火事』ですから、五輪開催に心配ありません」と言い放っているのである。怒りを通り越して、悲しみを感じる。
英語を読むのが面倒という読者のために『ネイチャー』の記事の抄訳を試みた。
■■■
破壊された福島の原子力発電所から漏洩している放射性物質を含んだ流出水は、1986年ウクライナでのチェルノブイリ・メルトダウン以後世界最大の原子力事故の終わりがまだ見通せないことをはっきりと思い出させた。
��011年3月に福島原発に被害を与えた地震と津波の後、この地域を除染するための努力は今後長期にわたるものとなり、技術的にも困難であり、かつとほうもない費用を要するものであることが明らかとなった。
そして今またこの仕事が原発のオーナー、東京電力にはもう担いきれないものであることがあらわになったのである。
日本政府は9月3日、東電から除染作業を引き継ぐ意向を示したが、介入は遅きに失した。
事故から2年半、東電は福島の三基の破壊された原子炉内の核燃料の保護措置についての問題の本質と深刻さを認識していないことを繰り返し露呈してきた。
毎日およそ40万リットルの水がロッドの過熱を防ぐために原子炉心に注水されている。汚染された水が原子炉基礎部に漏水し、コンクリートの裂け目を通じて地下水と近隣の海水に拡がっていることを東電が認めたのはごく最近になってからである。
東電以外の機関による放射能被曝の測定は難しく、私たちが懸念するのは、この放射能洩れが人間の健康、環境および食物の安全性にどのような影響をもたらすことになるのかが不明だということである。
問題はそれにとどまらない。使用済みの冷却水を保存している1000の貯蔵庫があり、これらは浄化システムによる処理を経ているにもかかわらずトリチウムやその他の有害な放射性核種を含んでいる。漏洩はこのシステムがいつ爆発するかわからない時限爆弾(laxly guarded time bomb)だということを明らかにした。
ゴムで封印されたパイプや貯蔵タンクが漏水を引き起こすことは誰でも知っていることである。東電が漏水を検知する定期点検を信頼していたというのは無責任とは言わぬまでも不注意のそしりは免れ得ない。(careless, if not irresponsible)(・・・)
政府の過去の対応と情報政策から判断する限り、日本政府も、東電と同じく、この状況を制御し、パブリックに対して情報を開示する能力がもうないのではないかという疑念を抱かせる。(Given the government's past actions and information policies, one might doubt whether it would be any more competent than TEPCO at managing the situation and communicating it to the public)
週明けに、漏水しているタンク付近の放射線量は最初に報告された数値の18倍であることがわかった。漏水は当初ただの「異常」とされたが、のちに真性の危機(a genuine crisis)であることがわかったのである。
日本は国際的な専門家に支援のための助言を求めるべきときを迎えている。米国、ロシア、フランス、英国などは核エンジニアリング、除染および放射線の健康被害についてのノウハウを持っており、日本の役に立つはずである。
国際的な研究と除染のための連携はモニタリングと危機管理の有用性と有効性についての粉々に打ち砕かれた信頼(shattered public trust)を回復するための一助となるであろう。漏水が最も大きな影響を及ぼすのは福島沖とそこから拡がる太平洋への影響である。この影響については精密なモニターがなされなければならない。
日米の科学者によって2010年と2011年に行われたアセスメントでは二つの重大な問題が答えられぬまま残った。どれだけの放射能が海洋に浸入しているのか?原発事故以後長い時間が経ったにも拘わらずいくつかの種において高いレベルの放射能が検知されているわけだが、問題の地域の魚介類の消費がいつ可能になるのか?漏水によって、これらの問いへの答えることが喫緊の課題となっている。(・・・)
安倍晋三首相と彼の政府は科学研究支援を約束した。彼らには情報を集め、それを共有することを通じて世界中の研究者を激励し、支援する義務がある。チェルノブイリでは科学者たちは原発事故後に何が起きるかについて研究する機会を逸した。福島ではせめてそれだけでも成し遂げたい。
2013年9月13日金曜日
総力戦・・・猫跨ぎ
オリンピックが来ようが来まいが、福島の事故は制圧し収束させねばならない。安倍首相の発言は国際公約と考えればいい。言うように、これは国難であり、いや人類への挑戦、災禍だろう。地下水が千トン/日、原発敷地へ押し寄せているなんて想像もしていなかった。まずこれを原発と切り離すことが前提は誰でも判る。その上の燃料冷却だが、工程に入っている抜本策はないのかねえ。鉛による冷却は初耳で惹かれる。良く理解できない所があるが期待したい。
しかし喫緊の懸念として、いま直接作業にあたっている人たちのモラル継続だ。これで行くという明確な目標のないまま、ある意味絶望的な毎日を送っている。積み上げては崩れる石を今日も積むというシジフォスの神話の如く。何時までもつか。国家総力で知恵を絞るしかない。
しかし喫緊の懸念として、いま直接作業にあたっている人たちのモラル継続だ。これで行くという明確な目標のないまま、ある意味絶望的な毎日を送っている。積み上げては崩れる石を今日も積むというシジフォスの神話の如く。何時までもつか。国家総力で知恵を絞るしかない。
『日刊ゲンダイ』から小出裕章先生が語る・・・褌子
「放射能は完全にブロックされている」「コントロール下にある」。IOC総会で、安倍首相は汚染水について豪語。首相の言葉はすなわち、国際公約になった。現地では今も1日400トンもの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込み、海に漏れている。原子力の第一人者小出裕章京大助教はどう見ているか。
■「首相は何を根拠にコントロールできていると言っているのか。福島原発は今、人類が初めて遭遇する困難に直面、想像を絶する状況が進行している。
■「汚染水の現状は予想できたこと。事故が起きた福島原発では溶けた炉心の核燃料を冷却する必要がある。水を入れれば核燃料に触れた水の汚染は避けられない。福島原発は水素爆発で原子炉建屋の屋根が吹き飛び、地震と津波で、施設のあちこちが壊れている。汚染水は必ず外部に漏れてくる。それが原子炉建屋やタービン建屋の地下、トレンチといった地下トンネルにたまり、あふれ出る。誰が見ても、当たり前のことが起こっている」
■政府の汚染水対策の柱は「凍土壁」と、汚染水から放射性物質を取り除く多核種除去装置「ALPS」の増設・改良。「ALPS」が稼働すれば状況は改善されるのですか。
「動かさないよりも動かした方がいい。しかし、汚染水問題の根本解決は困難。汚染水の濃度があまりに高いから。法令上の基準値は1リットル当たり30ベクレル以下。しかし、先日、福島原発の地上タンクから漏出した汚染水は1リットル8000万ベクレルと報道されている。許容濃度にするには、300万分の1以下に処理しなければならない。私は不可能だと思う。さらに、トリチウムは三重水素と呼ばれる水素ですから、水そのもので、ALPSで除去することはできない」
■凍土壁は効果ありますか。
「遮水壁は鉄とコンクリートで造るべきだ。耐久性があり、最低でも10~20年は持つ。しかし、造るのに時間もカネもかかる。待ったなしの状況を考えれば、急場しのぎの凍土壁も造った方がいい。ただ、凍土壁が冷却に失敗したら地下に巨大な穴が開く恐れがある上、何年維持できるのか分からない。最終的には、やはり、凍土壁の周囲を鉄とコンクリートの遮水壁で覆う必要がある」
■小出さんは最近、水を使った冷却をやめるべきと言っていますね。
「水を使い続ける限り、汚染水は増え続ける。今のような状況は何としても変えなくてはなりません。重要なことは冷やすこと。つまり、冷やすことさえできれば、手段は問わない。金属を使うことが考えられます。仮に(融点の低い)鉛などを炉心に送ることができれば、最初は熱で溶けて塊になるものの、塊が大きくなるにつれて次第に熱では溶けなくなる。その後は自然空冷という状態になる。ただ、これが確実に有効な対策かと問われると正直、分かりません。金属の専門家などを集めて知恵を絞るしかありません」
■福島原発はどうすれば廃炉できるのでしょうか。
「チェルノブイリ原発のように石棺しか方法はないと思います。ただ、事故から27年経った今、コンクリートのあちこちが壊れ始めている。福島は事故を起こした原子炉が4基もあり、石棺にするにしても、使用済み核燃料プールにある燃料棒は必ず取り出す必要がある。その燃料棒の取り出しに一体何年かかるのか…」
■簡易型タンクで急場をしのぐだけの東電の後手後手対応にも呆れます。
「現場は猛烈に放射線量が高く、一帯は放射能の沼のようになっている。貯水タンクを溶接型にしたり、漏出がないかどうかを24時間体制で監視すれば、確実に作業員の被曝線量が増える。つまり、作業を厳格にしようとすれば、その分、作業員の被曝線量が増えてしまう。だから、場当たり的な作業にならざるを得ないのだ」
「チェルノブイリでは、収束のために60万~80万人が作業に当たりました。27年経った今も、毎日数千人が作業しています。原子炉1基の事故でさえ、この状況です。福島は原子炉が4基もある。一体どのくらいの作業員が必要になるのか見当もつきません」
■それなのに安倍政権は原発を再稼働する気です。
「町の小さな工場でも毒物を流せば警察沙汰になり、倒産する。しかし、福島原発の事故では東電はいまだに誰も責任を問われていません。電力会社が事故を起こしても免責になることに国が“お墨付き”を与えたようなものです。だから、全国の電力会社が原発再稼働に走るのです」
■「首相は何を根拠にコントロールできていると言っているのか。福島原発は今、人類が初めて遭遇する困難に直面、想像を絶する状況が進行している。
■「汚染水の現状は予想できたこと。事故が起きた福島原発では溶けた炉心の核燃料を冷却する必要がある。水を入れれば核燃料に触れた水の汚染は避けられない。福島原発は水素爆発で原子炉建屋の屋根が吹き飛び、地震と津波で、施設のあちこちが壊れている。汚染水は必ず外部に漏れてくる。それが原子炉建屋やタービン建屋の地下、トレンチといった地下トンネルにたまり、あふれ出る。誰が見ても、当たり前のことが起こっている」
■政府の汚染水対策の柱は「凍土壁」と、汚染水から放射性物質を取り除く多核種除去装置「ALPS」の増設・改良。「ALPS」が稼働すれば状況は改善されるのですか。
「動かさないよりも動かした方がいい。しかし、汚染水問題の根本解決は困難。汚染水の濃度があまりに高いから。法令上の基準値は1リットル当たり30ベクレル以下。しかし、先日、福島原発の地上タンクから漏出した汚染水は1リットル8000万ベクレルと報道されている。許容濃度にするには、300万分の1以下に処理しなければならない。私は不可能だと思う。さらに、トリチウムは三重水素と呼ばれる水素ですから、水そのもので、ALPSで除去することはできない」
■凍土壁は効果ありますか。
「遮水壁は鉄とコンクリートで造るべきだ。耐久性があり、最低でも10~20年は持つ。しかし、造るのに時間もカネもかかる。待ったなしの状況を考えれば、急場しのぎの凍土壁も造った方がいい。ただ、凍土壁が冷却に失敗したら地下に巨大な穴が開く恐れがある上、何年維持できるのか分からない。最終的には、やはり、凍土壁の周囲を鉄とコンクリートの遮水壁で覆う必要がある」
■小出さんは最近、水を使った冷却をやめるべきと言っていますね。
「水を使い続ける限り、汚染水は増え続ける。今のような状況は何としても変えなくてはなりません。重要なことは冷やすこと。つまり、冷やすことさえできれば、手段は問わない。金属を使うことが考えられます。仮に(融点の低い)鉛などを炉心に送ることができれば、最初は熱で溶けて塊になるものの、塊が大きくなるにつれて次第に熱では溶けなくなる。その後は自然空冷という状態になる。ただ、これが確実に有効な対策かと問われると正直、分かりません。金属の専門家などを集めて知恵を絞るしかありません」
■福島原発はどうすれば廃炉できるのでしょうか。
「チェルノブイリ原発のように石棺しか方法はないと思います。ただ、事故から27年経った今、コンクリートのあちこちが壊れ始めている。福島は事故を起こした原子炉が4基もあり、石棺にするにしても、使用済み核燃料プールにある燃料棒は必ず取り出す必要がある。その燃料棒の取り出しに一体何年かかるのか…」
■簡易型タンクで急場をしのぐだけの東電の後手後手対応にも呆れます。
「現場は猛烈に放射線量が高く、一帯は放射能の沼のようになっている。貯水タンクを溶接型にしたり、漏出がないかどうかを24時間体制で監視すれば、確実に作業員の被曝線量が増える。つまり、作業を厳格にしようとすれば、その分、作業員の被曝線量が増えてしまう。だから、場当たり的な作業にならざるを得ないのだ」
「チェルノブイリでは、収束のために60万~80万人が作業に当たりました。27年経った今も、毎日数千人が作業しています。原子炉1基の事故でさえ、この状況です。福島は原子炉が4基もある。一体どのくらいの作業員が必要になるのか見当もつきません」
■それなのに安倍政権は原発を再稼働する気です。
「町の小さな工場でも毒物を流せば警察沙汰になり、倒産する。しかし、福島原発の事故では東電はいまだに誰も責任を問われていません。電力会社が事故を起こしても免責になることに国が“お墨付き”を与えたようなものです。だから、全国の電力会社が原発再稼働に走るのです」
2013年9月12日木曜日
神に誓って真実を述べます・・・・逸徳
釣り人の話は、ひとつの物語である。それはきちんとした展開と山があって、感動(本人のみ)がある。 つまり物語は、必ずしも真実ではない。周知のことであるが。 そこにきて、釣り人の性格がある。 彼は、感動するとそれを何回も繰り返し言葉にする。 それは丁寧であり、心がこもっている。だが、どういうわけか、次のような格言が、ふっと頭に浮かぶのだ。いわく「おなじうそでも1000回いいつづけると真実になる・・・・・」 (これで奥さんをだましたのか。)
閑話休題
というわけで、確かに吊り上げてすぐのヤマメを炭焼したのはうまい。 (ムニエルなんかもいいかもしれない) だが、サイズはまあ好意的にいって8がけだな、まあ。しかし、それもいい。 釣り人にとっては、逃がした魚は常に巨大であり、常に水中にうかがく魚影は大群なのだ。かれはつりあげた後も、その気分を持続しているに過ぎない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほんとにニクメナイイイヒト
泊まったファームイントントで柳生さんの弟さんと話したのだが(いつつ違いとうかがったが)ほんとにほんとに柳生君とそっくりで、特にしゃべり方など目をつぶって聞いていると聞き分けができない。そして、生き方がかっこういいと思う。羊の話をしたけれど、取り組む仕事に対する思いがつたわってきて、男としてうらやましく思った。
閑話休題
というわけで、確かに吊り上げてすぐのヤマメを炭焼したのはうまい。 (ムニエルなんかもいいかもしれない) だが、サイズはまあ好意的にいって8がけだな、まあ。しかし、それもいい。 釣り人にとっては、逃がした魚は常に巨大であり、常に水中にうかがく魚影は大群なのだ。かれはつりあげた後も、その気分を持続しているに過ぎない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほんとにニクメナイイイヒト
泊まったファームイントントで柳生さんの弟さんと話したのだが(いつつ違いとうかがったが)ほんとにほんとに柳生君とそっくりで、特にしゃべり方など目をつぶって聞いていると聞き分けができない。そして、生き方がかっこういいと思う。羊の話をしたけれど、取り組む仕事に対する思いがつたわってきて、男としてうらやましく思った。
2013年9月11日水曜日
深山幽谷の巨大魚・・・褌子
ひょいと昔の飛鳥旅行の民宿の名前を思い出した。民宿脇本だね。
前泊は国兼さんや小林さんと興福寺、東大寺、春日大社それに新薬師寺などいった。唐招提寺は工事中だった。
―――――美深のつづきです。
三人でトロッコ列車に乗って松山湿原へ。山内さんは宿の村上春樹の本を読みたいというので独りで歩いて帰る。山の上の湿原は誰もいないと思ったら、木道上に無心にチョウチョウを凝視している青年に出会った。蝶の研究家ですか?と声をかけたら、旅人です、とキザな答えがかえってきた。名古屋からきたという。(とにかく人にはめったに会わない。美深の街も過疎化でがらんとしている)
車で帰る途中に道北の滝を撮影しているという青年に会う。いい滝を紹介しますというので車でついて行くと、深山のなかの名瀑だった。滝壺の周辺に目をこらすと50センチくらいのニジマスがユラ~とみえるではないか。宿に帰ると釣り竿も餌用のイクラもあるという。
翌朝、五時に宿を出て霧の山道を40分走って、昨日の滝壺に着く。イクラを三粒くらい釣り針にさして第一竿。一時間以上もねばるがぜんぜん当たりがない。ふとスコップでそばの雑草を掘って出てきたミミズをつけてみた。とたんに二匹も14~15センチのきれいなヤマメが釣れた。さらに30センチくらいのヤマメと40センチの黒っぽいマスを釣り上げ、歓声をあげる。宿で心配しているから、帰ろうとしきりに女房がいうので、チクショーまだ巨大ニジマスが…と後ろ髪を引かれる思いで帰る。宿では山内氏やほかのお客さんが、まだ飛び跳ねている魚をみて大騒ぎ。早速、塩焼きにして食ったが、深山幽谷で苦闘1時間半、釣り上げた魚の大きさは塩焼きを食った山内氏が本欄で証言してくれるはずだ。
もう帰る日である。白樺樹液100%の『森の雫』をたくさんお土産にもらって、旭川へ。富良野岳、十勝岳、美瑛岳、トムラウシの連峰を一望する望岳台にのぼり旭川空港から帰途についた。
レンタカーの運転ができないかわり、終始、車中で面白い話をしては居眠り運転防止にがんばった山内さんに本欄をお借りしてお礼を申し上げます。【宿の裏の白樺林で柳生氏の奥さんと】
前泊は国兼さんや小林さんと興福寺、東大寺、春日大社それに新薬師寺などいった。唐招提寺は工事中だった。
―――――美深のつづきです。
三人でトロッコ列車に乗って松山湿原へ。山内さんは宿の村上春樹の本を読みたいというので独りで歩いて帰る。山の上の湿原は誰もいないと思ったら、木道上に無心にチョウチョウを凝視している青年に出会った。蝶の研究家ですか?と声をかけたら、旅人です、とキザな答えがかえってきた。名古屋からきたという。(とにかく人にはめったに会わない。美深の街も過疎化でがらんとしている)
車で帰る途中に道北の滝を撮影しているという青年に会う。いい滝を紹介しますというので車でついて行くと、深山のなかの名瀑だった。滝壺の周辺に目をこらすと50センチくらいのニジマスがユラ~とみえるではないか。宿に帰ると釣り竿も餌用のイクラもあるという。
翌朝、五時に宿を出て霧の山道を40分走って、昨日の滝壺に着く。イクラを三粒くらい釣り針にさして第一竿。一時間以上もねばるがぜんぜん当たりがない。ふとスコップでそばの雑草を掘って出てきたミミズをつけてみた。とたんに二匹も14~15センチのきれいなヤマメが釣れた。さらに30センチくらいのヤマメと40センチの黒っぽいマスを釣り上げ、歓声をあげる。宿で心配しているから、帰ろうとしきりに女房がいうので、チクショーまだ巨大ニジマスが…と後ろ髪を引かれる思いで帰る。宿では山内氏やほかのお客さんが、まだ飛び跳ねている魚をみて大騒ぎ。早速、塩焼きにして食ったが、深山幽谷で苦闘1時間半、釣り上げた魚の大きさは塩焼きを食った山内氏が本欄で証言してくれるはずだ。
もう帰る日である。白樺樹液100%の『森の雫』をたくさんお土産にもらって、旭川へ。富良野岳、十勝岳、美瑛岳、トムラウシの連峰を一望する望岳台にのぼり旭川空港から帰途についた。
レンタカーの運転ができないかわり、終始、車中で面白い話をしては居眠り運転防止にがんばった山内さんに本欄をお借りしてお礼を申し上げます。【宿の裏の白樺林で柳生氏の奥さんと】
2013年9月10日火曜日
美深......konshi
朝、寒いくらい。大雪山の旭岳に車で向かう。途中、旭岳源水に寄る。いつも寒暖計を胸に指している逸徳さんの測定では名水の水は8℃。忠別ダム湖をみて旭岳ロープウエーへ。紅葉はまだ。ナナカマドだけが色づいている。ミヤマリンドウのうすむらさきに何度もみとれる。はじめてきた旭岳。地獄谷からさかんに蒸気を噴き上げている。一瞬、ガスが晴れて山頂までくっきりと見えた。北海道最高峰。
高速道を飛ばして美深へ。高速道は熊は歩いてないが車も走ってない。やっと松山牧場に着く。白樺林を背に広大な羊の牧草地に面して柳生さんの弟さんのペンションがあった。風貌だけでなく物腰、話しぶりまで兄貴そっくり。みんなにそういわれます。六才も離れていて子供の時にはぜんぜん似てなかったのに、と弟さん。四十年ぶりくらいのジンギスカン。昔はもうもうと肉の油が燃えて屋内では臭いが大変だったが、柳生牧場のマトンは脂身がなくて柔らかくいくらでも食べられる。羊のソーセージ、ヨーグルトも旨い。奥さんは気さくなひとで、都会から来て母子で住みついている小中学生の山村留学の話などに花が咲いた。都会で働いている子供の父親は休日にやってくる。高校は美深高でなく旭川や札幌に行ってしまうとのこと。
夜、星を見に出たら真っ暗で懐中電灯がないと歩けない。。北斗七星をこんなにはっきりみたのは何十年ぶりか。
高速道を飛ばして美深へ。高速道は熊は歩いてないが車も走ってない。やっと松山牧場に着く。白樺林を背に広大な羊の牧草地に面して柳生さんの弟さんのペンションがあった。風貌だけでなく物腰、話しぶりまで兄貴そっくり。みんなにそういわれます。六才も離れていて子供の時にはぜんぜん似てなかったのに、と弟さん。四十年ぶりくらいのジンギスカン。昔はもうもうと肉の油が燃えて屋内では臭いが大変だったが、柳生牧場のマトンは脂身がなくて柔らかくいくらでも食べられる。羊のソーセージ、ヨーグルトも旨い。奥さんは気さくなひとで、都会から来て母子で住みついている小中学生の山村留学の話などに花が咲いた。都会で働いている子供の父親は休日にやってくる。高校は美深高でなく旭川や札幌に行ってしまうとのこと。
夜、星を見に出たら真っ暗で懐中電灯がないと歩けない。。北斗七星をこんなにはっきりみたのは何十年ぶりか。
2013年9月9日月曜日
旭川の朝、ホテルから、、、、こんし
夕波千鳥は荒都歌の一節だと思っていました。荒都歌は長恨歌のように延々とつづく長歌だったように思う。近江神宮は皇紀2600年の紛い物だったんですね。行ったのは四十年くらい昔だが、たしかに歴史のにおいがさっぱりしなかったし時計博物館も貧相だったし。そばの日吉大社は全国日吉神社の総社たる雰囲気だったが。ここは長浜旅行の時に前泊で國兼、小林さんたちと行きました。山内さんも加わって大津の飲み屋でモロコの塩漬けを一匹まるごと食ったがものすごく塩辛く閉口した。ゆんべの旭川の飲み屋天金の焼きたてのホッケもカレイも旨かったなあ。アンキモもこってりした味で男山とじつに相性が。岩牡蠣は山内君が三つとも独り占め・・・
おっと話がそれた…あのとき、比叡山から坂本に降りてきて穴太アノウ積みといったか石ころを積み上げた堂々たる石垣をみた。恥ずかしながら崇福寺とか西教寺とかは記憶なし。石山寺はいい寺だったが三井寺はおおざっぱな感じ。延暦寺と覇権を競った園城寺のころから何度も火事にあっているのではないか。延暦寺だって信長に全山焼き討ちにあっていることだし。小さな寺だが義仲寺がよかった。芭蕉の墓と巴御前の墓があったように記憶する。
國兼さんが書いている博多湾の防塁は、白村江から逃げ帰って作ったものではなく、六百年も後の世の元寇防塁ではないか。わたしは見にいったことがあるが今も海沿いの松林のなかに残っている。古代の防塁は猫跨ぎさんが書くように太宰府をまもる水城だと思うが。この、みずきも跡地がかなり残っている。玄界灘をこえて攻めてくる唐・白羅連合軍を水際で防ぐのでなくこんな内陸部の水城で守ろうと考えたのも、平地の明日香でなく琵琶湖沿いの大津京で都を守ろうとしたのも、なにか現代人の目からすると見当はずれな感じもするがやっと律令制度をととのえたばかりの朝廷は死にものぐるいだったのだろう。
いぜん日本と同盟していた百済の都、扶余にいった。百済滅亡のさい三千人の官女が身を投げたという白馬江を崖の上からのぞき込んだ。この川を船で下っていくと河口が白村江の古戦場なのか…とおもったが日程で行きそびれた。たしかこの旅は猫跨ぎさんと行く計画だったが奥様の体調で…。そこでむかし理学部地質学科にいた江川君といった。慶州で十一面観音やみろく菩薩をみたときには朝鮮半島と日本の一衣帯水を感じたものだ。
さて、飛鳥旅行の民宿名が思い出せない。ママさんは可憐な五本さんを少し大振りにした感じであった。牛乳したての水炊きだったな。玄関にウメモドキが紅葉していた。小倉さんが二上山にいくと行っていたが、大津皇子の墓があるそうで、あとで黒岩重吾作品をよんだときに二上山に行きそびれたことを後悔した。
おっと話がそれた…あのとき、比叡山から坂本に降りてきて穴太アノウ積みといったか石ころを積み上げた堂々たる石垣をみた。恥ずかしながら崇福寺とか西教寺とかは記憶なし。石山寺はいい寺だったが三井寺はおおざっぱな感じ。延暦寺と覇権を競った園城寺のころから何度も火事にあっているのではないか。延暦寺だって信長に全山焼き討ちにあっていることだし。小さな寺だが義仲寺がよかった。芭蕉の墓と巴御前の墓があったように記憶する。
國兼さんが書いている博多湾の防塁は、白村江から逃げ帰って作ったものではなく、六百年も後の世の元寇防塁ではないか。わたしは見にいったことがあるが今も海沿いの松林のなかに残っている。古代の防塁は猫跨ぎさんが書くように太宰府をまもる水城だと思うが。この、みずきも跡地がかなり残っている。玄界灘をこえて攻めてくる唐・白羅連合軍を水際で防ぐのでなくこんな内陸部の水城で守ろうと考えたのも、平地の明日香でなく琵琶湖沿いの大津京で都を守ろうとしたのも、なにか現代人の目からすると見当はずれな感じもするがやっと律令制度をととのえたばかりの朝廷は死にものぐるいだったのだろう。
いぜん日本と同盟していた百済の都、扶余にいった。百済滅亡のさい三千人の官女が身を投げたという白馬江を崖の上からのぞき込んだ。この川を船で下っていくと河口が白村江の古戦場なのか…とおもったが日程で行きそびれた。たしかこの旅は猫跨ぎさんと行く計画だったが奥様の体調で…。そこでむかし理学部地質学科にいた江川君といった。慶州で十一面観音やみろく菩薩をみたときには朝鮮半島と日本の一衣帯水を感じたものだ。
さて、飛鳥旅行の民宿名が思い出せない。ママさんは可憐な五本さんを少し大振りにした感じであった。牛乳したての水炊きだったな。玄関にウメモドキが紅葉していた。小倉さんが二上山にいくと行っていたが、大津皇子の墓があるそうで、あとで黒岩重吾作品をよんだときに二上山に行きそびれたことを後悔した。
近江神宮・・・猫跨ぎ
近江神宮は皇紀2600年創建の皇国史観丸出しの、まあ紛い物だね。朱塗り赤々とさっぱり有難くない。時計博物館も何やら穴埋めしているようで淋しい。あえて当時を偲ぶには、郊外の高台にある崇福寺。礎石しか残っていないが雰囲気がある。これも見方に依れば、この都の防御の拠点だね。この寺はその後もしばらくは存続した。
天智天皇陵は京都よりに鎮まっている。そうそう弘文天皇陵が大津市内にある。弘文天皇とは敗死した大友皇子に贈られた諡号。まあこの陵は全く嘘くさい。
それから一寸付言すると、夕波千鳥の歌は確かに人麻呂作だが、「近江荒都歌」とは別。これは長歌。万葉集の編纂は、どうもよく判らん所がある。同種の歌が飛び離れて存在する。頭の構造がちょっと変わっているんだね、今と。
男山で魚たらふくか。結構だねえ。好哉、好哉。
天智天皇陵は京都よりに鎮まっている。そうそう弘文天皇陵が大津市内にある。弘文天皇とは敗死した大友皇子に贈られた諡号。まあこの陵は全く嘘くさい。
それから一寸付言すると、夕波千鳥の歌は確かに人麻呂作だが、「近江荒都歌」とは別。これは長歌。万葉集の編纂は、どうもよく判らん所がある。同種の歌が飛び離れて存在する。頭の構造がちょっと変わっているんだね、今と。
男山で魚たらふくか。結構だねえ。好哉、好哉。
2013年9月8日日曜日
いま旭川 褌し
人麻呂は荒れた都をしのんで
おうみのみ夕波千鳥ながなけば心もしのにいにしへ思ほゆ
明日香から琵琶湖を近い江つまり近江、遠い江は浜名湖の遠江のくにつまり遠州だ。大津京のあとは何もないが天智天皇を祀る近江神宮には古代の時計である漏刻がのこっている。
額田王は天智、天武の両兄弟の愛人だったのだから後の世のお市の方をもしのぐ日本歴史上一番の才色兼備の女性だったのではないか。
いま、逸徳さんとうちの女房と三人で旭川にいる。男山の熱燗を二合のんで旨い魚をたらふく食ってホテルにかえったところ。明日は
松山農場だ。空港からみた夕陽が綺麗だった。
足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿
おうみのみ夕波千鳥ながなけば心もしのにいにしへ思ほゆ
明日香から琵琶湖を近い江つまり近江、遠い江は浜名湖の遠江のくにつまり遠州だ。大津京のあとは何もないが天智天皇を祀る近江神宮には古代の時計である漏刻がのこっている。
額田王は天智、天武の両兄弟の愛人だったのだから後の世のお市の方をもしのぐ日本歴史上一番の才色兼備の女性だったのではないか。
いま、逸徳さんとうちの女房と三人で旭川にいる。男山の熱燗を二合のんで旨い魚をたらふく食ってホテルにかえったところ。明日は
松山農場だ。空港からみた夕陽が綺麗だった。
足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿
明日香のこと・・・猫跨ぎ
明日香旅行は2006年ね。もう7年になるんだね。案内役の河野君も逝ってしまった。何か茫漠とした気持になる。
熱田津は、今の松山にあったことは判るが、どこの地点だったかは判然としないらしい。新羅・唐連合にこてんぱに負けて逃げ帰った中大兄皇子は、太宰府に大規模な防護壁をつくり、さらに都を琵琶湖に面した近江京(今の大津)に移したのもその一環だった。天智天皇(中大兄皇子)が死に、壬申の乱で大海人皇子が権力を握ると、都はさっさと元の明日香に戻したことからも、近江京がいかに付け焼き刃だったかが判る。近江はたちまちに寂れ、それを悲しんだ柿本人麻呂が 「近江荒都歌」を万葉集に詠っている。
額田王は生没不詳のひと。中大兄皇子と大海人皇子の両方に関わった魅力的な女性だっただけでなく、あんな歌を詠うところをみると、それなりの立場にいたのかとも想像するが、これも詳細は判らないらしい。宿の裏の墓碑は、まあ後世の私的な記念碑みたいなものじゃないかな。
ついでに、先日、室津で見た、山部赤人の句碑のことを記すと
「玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はざらむ」
��美しい藻を刈る唐荷島をめぐり飛ぶ鵜だからとて、家を思わないだろうか)
赤人は宮廷歌人で、天皇の行幸に随行した。西へ下る船上で、はるか都の妻を思い詠ったもの。
唐荷島は室津の沖の小島で、名前は唐の船が破船して荷が流れ着いた故事からとの説明があった。海藻を刈り取る場でもあったらしい。唐荷島を臨む岬にこの碑が建っている。
��写真は、沖の小島が唐荷島。小高い賀茂神社から臨む。瀬戸内海の海は透き通って予想外に綺麗だった。)
熱田津は、今の松山にあったことは判るが、どこの地点だったかは判然としないらしい。新羅・唐連合にこてんぱに負けて逃げ帰った中大兄皇子は、太宰府に大規模な防護壁をつくり、さらに都を琵琶湖に面した近江京(今の大津)に移したのもその一環だった。天智天皇(中大兄皇子)が死に、壬申の乱で大海人皇子が権力を握ると、都はさっさと元の明日香に戻したことからも、近江京がいかに付け焼き刃だったかが判る。近江はたちまちに寂れ、それを悲しんだ柿本人麻呂が 「近江荒都歌」を万葉集に詠っている。
額田王は生没不詳のひと。中大兄皇子と大海人皇子の両方に関わった魅力的な女性だっただけでなく、あんな歌を詠うところをみると、それなりの立場にいたのかとも想像するが、これも詳細は判らないらしい。宿の裏の墓碑は、まあ後世の私的な記念碑みたいなものじゃないかな。
ついでに、先日、室津で見た、山部赤人の句碑のことを記すと
「玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はざらむ」
��美しい藻を刈る唐荷島をめぐり飛ぶ鵜だからとて、家を思わないだろうか)
赤人は宮廷歌人で、天皇の行幸に随行した。西へ下る船上で、はるか都の妻を思い詠ったもの。
唐荷島は室津の沖の小島で、名前は唐の船が破船して荷が流れ着いた故事からとの説明があった。海藻を刈り取る場でもあったらしい。唐荷島を臨む岬にこの碑が建っている。
��写真は、沖の小島が唐荷島。小高い賀茂神社から臨む。瀬戸内海の海は透き通って予想外に綺麗だった。)
明日香の思い出…国兼
褌子さんが熟田津で額田王が詠んだ万葉の歌を書いたのを見て(最初は又いい加減な漢字を思いつくまま羅列したのではと思っていたら、よく見ると…真面目な万葉仮名で)、2006年の明日香の旅を思い出した次第。河野、八田両氏の実に行き届いた案内のおかげで楽しい旅をした。
その時宿泊した旅館が良かったネ(名前が出てこない)。その旅館の裏山に「額田王」のお墓があると、驚いた記憶がある。実に明日香は古き日本の歴史に富んだ町であると。その時みなと別れて猫跨ぎさんと訪れたのが犬養 孝の記念館であり、そこで彼の著書である「万葉の旅:上、中、下」を購入した。犬養先生の本によると、褌子さんの書いた万葉仮名は現代語で書くと
「熱田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と。
斉明天皇の7年(661年)、百済からの救援の依頼に新羅征討のために筑紫に向かった軍団が、伊予の宿泊地である熱田津で額田王が詠った歌であると。この軍団はその後「白村江の戦い」で新羅・唐の軍勢に完敗し、その報復を恐れ博多湾に防壁を構築することになる。この歌はその歴史的出来事の最初の一コマといえる。額田王も大海人皇子との間に姫を生んだらしいが、謎おおき人物らしい。
その時宿泊した旅館が良かったネ(名前が出てこない)。その旅館の裏山に「額田王」のお墓があると、驚いた記憶がある。実に明日香は古き日本の歴史に富んだ町であると。その時みなと別れて猫跨ぎさんと訪れたのが犬養 孝の記念館であり、そこで彼の著書である「万葉の旅:上、中、下」を購入した。犬養先生の本によると、褌子さんの書いた万葉仮名は現代語で書くと
「熱田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と。
斉明天皇の7年(661年)、百済からの救援の依頼に新羅征討のために筑紫に向かった軍団が、伊予の宿泊地である熱田津で額田王が詠った歌であると。この軍団はその後「白村江の戦い」で新羅・唐の軍勢に完敗し、その報復を恐れ博多湾に防壁を構築することになる。この歌はその歴史的出来事の最初の一コマといえる。額田王も大海人皇子との間に姫を生んだらしいが、謎おおき人物らしい。
2013年9月5日木曜日
古代日本の港・・・褌子
室津、坊津、熟田津など古代の湊は、北前船の寄港地なぞよりずっとロマンを感ずる。
坊津は鹿児島だが、熟田津は伊予は松山港あたりらしい。清盛の大輪田の泊がいまの神戸港か。
小生は遣唐船の帰り舟の出港地だった中国の寧波にいってみたいと思っている。鑑真和尚の揚州、魯迅の紹興も行きたいところ。しかし寧波も最近の改革開放の喧騒でそんなむかしの跡形もないそうだ。パリで晩飯を食いに行った揚州出身の一家は鑑真を知らなかった。
額田王 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
坊津は鹿児島だが、熟田津は伊予は松山港あたりらしい。清盛の大輪田の泊がいまの神戸港か。
小生は遣唐船の帰り舟の出港地だった中国の寧波にいってみたいと思っている。鑑真和尚の揚州、魯迅の紹興も行きたいところ。しかし寧波も最近の改革開放の喧騒でそんなむかしの跡形もないそうだ。パリで晩飯を食いに行った揚州出身の一家は鑑真を知らなかった。
額田王 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
2013年9月4日水曜日
室津・・・猫跨ぎ
ちょっと留守にしていたら昔話に花が咲いている。もう何というか、かなり朧の彼方だね。余り覚えていない。たまにそのころの夢をみるが、大学の研究と会社の仕事のあれこれがごっちゃになって、時間に追われている割りにははかばかしく進捗せず、胸苦しい中味ばかりだ。あまり夢見がよくない。何故かなあ、良いこともちょっとはあったんだけれど、さっぱり現れない。目が覚めて、そうかみんな終わってしまったんだなあと、深い開放感と、ほろ苦さに襲われる。
俳句の関係で岡山に行ってきた。終わってから、室津へ。播磨灘に面する小漁村。しかし奈良時代には播磨五泊の一つの要港。遣唐使船も碇泊。中世は倭寇の根拠地。江戸時代は瀬戸内海航路の寄港地で殷賑をきわめたという。遊郭が沢山あったことでも有名。
いまは何も残っていない。静まりかえった寒村。小高い岡に登りぼんやりと眺めた。港の規模ははなはだ小さい。まことに可愛らしい船だまりでしかない。こんなところから遣唐使船がでたのか。清盛も寄港したという。岬に万葉の歌人山部赤人の歌碑があった。
帰りしな雨が降ってきた。バスに時間があるので、「きむらや」という割烹旅館に飛び込んでビールだけ注文。もしやと思って、主人に司馬遼太郎のことを聞くと、「そうなんです、三泊されました」と。『街道をゆく』の取材に来ている。「あの方は、魚が駄目なんです。肉しか召し上がらないので、往生しました」。へー、聞いてみなけりゃ判らない。そんなことひと言も書いていなかった。
俳句の関係で岡山に行ってきた。終わってから、室津へ。播磨灘に面する小漁村。しかし奈良時代には播磨五泊の一つの要港。遣唐使船も碇泊。中世は倭寇の根拠地。江戸時代は瀬戸内海航路の寄港地で殷賑をきわめたという。遊郭が沢山あったことでも有名。
いまは何も残っていない。静まりかえった寒村。小高い岡に登りぼんやりと眺めた。港の規模ははなはだ小さい。まことに可愛らしい船だまりでしかない。こんなところから遣唐使船がでたのか。清盛も寄港したという。岬に万葉の歌人山部赤人の歌碑があった。
帰りしな雨が降ってきた。バスに時間があるので、「きむらや」という割烹旅館に飛び込んでビールだけ注文。もしやと思って、主人に司馬遼太郎のことを聞くと、「そうなんです、三泊されました」と。『街道をゆく』の取材に来ている。「あの方は、魚が駄目なんです。肉しか召し上がらないので、往生しました」。へー、聞いてみなけりゃ判らない。そんなことひと言も書いていなかった。
艶利己=笛瑠美・・・・褌子
日曜日から、逸徳さんとうちの夫婦で、柳生君の弟さん経営の美深松山牧場を訪ねることになった。
旭川空港に飛んで、旭川で一泊し、盛大な前夜祭の酒を飲み、翌朝からレンターカーで松山牧場に向かい二泊する。ジンギスカンや羊乳や白樺樹液を飲むのが楽しみ。ジンギスカンは、日本酒や焼酎にあうんだ。ジンギスカンは40年くらい食べてない。
昔、ポプラ並木で昼にジンギスカンやって、第2講座の輪講に遅刻してでたら、臭いがすごいと隣の窈子さんにくりくりした目で叱られた。逸徳さんには悪いが、僕たち叱ったり叱られたりする仲だったんだね。輪講はEnrico=Fermi 『Thermodynamics』で緑色っぽい薄い冊子だったが、まだ捨てないでとってある。
旭川空港に飛んで、旭川で一泊し、盛大な前夜祭の酒を飲み、翌朝からレンターカーで松山牧場に向かい二泊する。ジンギスカンや羊乳や白樺樹液を飲むのが楽しみ。ジンギスカンは、日本酒や焼酎にあうんだ。ジンギスカンは40年くらい食べてない。
昔、ポプラ並木で昼にジンギスカンやって、第2講座の輪講に遅刻してでたら、臭いがすごいと隣の窈子さんにくりくりした目で叱られた。逸徳さんには悪いが、僕たち叱ったり叱られたりする仲だったんだね。輪講はEnrico=Fermi 『Thermodynamics』で緑色っぽい薄い冊子だったが、まだ捨てないでとってある。
2013年9月2日月曜日
忘却の彼方から・・・・褌子
むかしの話で九州と北海道で盛り上がっていますな。
記憶にある西浦温泉というのは仁ちゃんがいうとおり、知多半島蒲郡にあることがわかった。
たぶん、仁ちゃんや栄蔵さんが奥多摩の御岳で同級会はじめて、二回目くらいが西浦温泉かもしれない。
この西浦温泉旅行ではこんなことあった。東京駅で新幹線こだまに乗った。となりにも紳士が座った。となりの紳士が中公新書の何とかいうのを読み出した。こっちは缶ビール飲みながら、ふーん最近のサラリーマンもまじめな本読むんだなあとおもったものだ。そして名古屋で降りようとしたら隣の紳士も降りる。ひょいと顔見たら何と中川徹君だった。
西浦温泉のあとはどこにいったか記憶がないが、仁ちゃんが書いているように、北海道へ何回か行ったようにおもう。札幌全日空ホテルで五本さん山田君に会った記憶がよみがえってきたから。とにかく仁ちゃん、英蔵さんなしにはこんな楽しい同級会をえんえんと続けることができなかった。本誌上をお借りして深甚からの感謝を申し上げたい。
小生の就職のはなしだが、札幌北高定時制で教育実習やって教職資格をとった。四年生の夏休みに、桑園寮でいっしょだった文学部の本多君の実家の標茶に、仁ちゃんのあと遊びに行ったことがあり、道教委の面接試験でどこに行きたいかときくので標茶高校といいかげんなこと言ったが不採用だった。採用されていたら五本さんの母校、名門釧路なんとか高校にも赴任し、逸徳先生に負けないような立派な教師人生を歩んだかも。
教職だめでした…と中川先生にいうと、君に向いている会社がある。戦争中、海軍中尉として軍用機の四エチル鉛開発でマルマル曹達二本木工場にいたんだが、妙高山のみえる風光明媚なのんびりした山のなかの工場。いっしょに仕事した当時の先輩が取締役になっているのでと紹介状書いてくれた。筆記試験がなく簡単な面接だけで採用になった。(東京での入社式は仁ちゃん宅に泊めてもらった)――― が、8年間も給料だけもらって辞めてしまったのだから、中川先生にも会社でお世話になった先輩諸兄にも申し訳ない。もう鬼籍に入ったひとが多いが、いいひとばかりだったなあ。時代もいい時代だったんだな。
親から生まれる時から、人生は偶然の積み重ね。「生は偶然、死は必然」(と、尾道の貧乏寺の山門に書いてあった)
記憶にある西浦温泉というのは仁ちゃんがいうとおり、知多半島蒲郡にあることがわかった。
たぶん、仁ちゃんや栄蔵さんが奥多摩の御岳で同級会はじめて、二回目くらいが西浦温泉かもしれない。
この西浦温泉旅行ではこんなことあった。東京駅で新幹線こだまに乗った。となりにも紳士が座った。となりの紳士が中公新書の何とかいうのを読み出した。こっちは缶ビール飲みながら、ふーん最近のサラリーマンもまじめな本読むんだなあとおもったものだ。そして名古屋で降りようとしたら隣の紳士も降りる。ひょいと顔見たら何と中川徹君だった。
西浦温泉のあとはどこにいったか記憶がないが、仁ちゃんが書いているように、北海道へ何回か行ったようにおもう。札幌全日空ホテルで五本さん山田君に会った記憶がよみがえってきたから。とにかく仁ちゃん、英蔵さんなしにはこんな楽しい同級会をえんえんと続けることができなかった。本誌上をお借りして深甚からの感謝を申し上げたい。
小生の就職のはなしだが、札幌北高定時制で教育実習やって教職資格をとった。四年生の夏休みに、桑園寮でいっしょだった文学部の本多君の実家の標茶に、仁ちゃんのあと遊びに行ったことがあり、道教委の面接試験でどこに行きたいかときくので標茶高校といいかげんなこと言ったが不採用だった。採用されていたら五本さんの母校、名門釧路なんとか高校にも赴任し、逸徳先生に負けないような立派な教師人生を歩んだかも。
教職だめでした…と中川先生にいうと、君に向いている会社がある。戦争中、海軍中尉として軍用機の四エチル鉛開発でマルマル曹達二本木工場にいたんだが、妙高山のみえる風光明媚なのんびりした山のなかの工場。いっしょに仕事した当時の先輩が取締役になっているのでと紹介状書いてくれた。筆記試験がなく簡単な面接だけで採用になった。(東京での入社式は仁ちゃん宅に泊めてもらった)――― が、8年間も給料だけもらって辞めてしまったのだから、中川先生にも会社でお世話になった先輩諸兄にも申し訳ない。もう鬼籍に入ったひとが多いが、いいひとばかりだったなあ。時代もいい時代だったんだな。
親から生まれる時から、人生は偶然の積み重ね。「生は偶然、死は必然」(と、尾道の貧乏寺の山門に書いてあった)
2013年9月1日日曜日
それは驚き! 九州の熊
いやいやそんな秘話があったなんて・・。覚えていないし仁ちゃんの発言もまったく記憶にありません。当時は(いまでもそうだけど)物事の判断をあまり深く考えないで決めるたちだったので。でも今になって考えてみるとどちらでもよかったような・・。仁ちゃんにみちを譲っていたらわたしも仁ちゃんも違う人生を歩んでいたことになる。それはそれでちょっと興味があるねぇ。磐木の方が都会(東京)に近いのでわたしはあまり馴染めなかったかもしれない。
函館通信218・・・有難う・・・仁兵衛
九州の熊さん、激励のお言葉有難う御座います。兎に角身体をだましだまししながらも生を愉しみます。今後とも宜しくご指導下さい!。
記憶の続きですが昭和40年の6月だったと思います。私が住友化学の入社に落ちて札幌に戻って次の会社を選ぼうと貼紙を見ていたら熊さんが冨士フィルムを断られて(この年冨士フィルムは正規募集をしてなかった)来てやはり次を探し始めました。熊さん曰く北海道から出来るだけ遠くを選びたいと旭化成を選択しました。実は私が受けたかった訳ですよ。先に言われてやむなく呉羽を選びました。ほんの僅かな言葉がその後の50年を決定付けて現在に至っています。熊さん覚えていますかね。
記憶の続きですが昭和40年の6月だったと思います。私が住友化学の入社に落ちて札幌に戻って次の会社を選ぼうと貼紙を見ていたら熊さんが冨士フィルムを断られて(この年冨士フィルムは正規募集をしてなかった)来てやはり次を探し始めました。熊さん曰く北海道から出来るだけ遠くを選びたいと旭化成を選択しました。実は私が受けたかった訳ですよ。先に言われてやむなく呉羽を選びました。ほんの僅かな言葉がその後の50年を決定付けて現在に至っています。熊さん覚えていますかね。
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