ちょっと要点だけ述べさせてもらう。
原発の可否について。いま原発賛成といおうものなら奇人変人の扱いだ。しかし巨大な社会構造をもった国が、エネルギー政策を根本から変えることは容易でない。そのことは体制のexcuseの代弁でなく言っておこうと思う。端的に言って一月に3兆円の貿易赤字は何時まで可能か。
それからドイツをやたら褒めるのも如何か。どうも西欧人の狡猾なところを見落としている。戦争責任についてもそうだ。彼等はナチスに戦争責任のあらかた全部を押しつけた。全部あいつ等のせいだ、と。そういうまことに具合のいいすり替えで、ドイツ人は「原罪」意識を免れている。彼等の原発廃止論議も日本で言われているほど明解にことが進んでいるわけではない。その科学者なんとかも、たくみに何事かをすり込ませているはずだ。
その戦争責任についていうなら、第二次世界大戦後、ドイツ、日本を裁いた国際裁判から新たな神話が始まったと思っている。「人類に対する犯罪」などという極めて不確実な傲慢な判決は考えれば考えるほどおかしい。全く実態のない空論だ。或いは勝者の立場を今後とも固定化したい狡猾な論理だといってもいい。
戦争は人類開闢以来一度とて犯罪と見られたことはなかった。戦争は運命という他ないものだった。あえて言えば、戦争は”悪”ではあっても、犯罪ではなく人類の背負った業、宿業というべきものだ。
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