近江神宮は皇紀2600年創建の皇国史観丸出しの、まあ紛い物だね。朱塗り赤々とさっぱり有難くない。時計博物館も何やら穴埋めしているようで淋しい。あえて当時を偲ぶには、郊外の高台にある崇福寺。礎石しか残っていないが雰囲気がある。これも見方に依れば、この都の防御の拠点だね。この寺はその後もしばらくは存続した。
天智天皇陵は京都よりに鎮まっている。そうそう弘文天皇陵が大津市内にある。弘文天皇とは敗死した大友皇子に贈られた諡号。まあこの陵は全く嘘くさい。
それから一寸付言すると、夕波千鳥の歌は確かに人麻呂作だが、「近江荒都歌」とは別。これは長歌。万葉集の編纂は、どうもよく判らん所がある。同種の歌が飛び離れて存在する。頭の構造がちょっと変わっているんだね、今と。
男山で魚たらふくか。結構だねえ。好哉、好哉。
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