その振武寮のことは、以前にも当欄に投稿しておられたね。お忘れかな。私も同じ頃、ラジオでこの事件を調べた人の話を聞いた。壮大な悲劇というしかない。
最近、岩手在住の九十何歳の老人で、特攻隊とともに飛び立ち戦果を見届け戻る任務を(そんな任務があったのだ)、終戦まで続けた元海軍士官の話を聞いた。彼は戦後、遺族に隊員の最期を報告伝達してまわった。
250キロ爆弾を抱え、或る角度範囲で敵艦の中心部に突っ込むのは極めて難度が高い技術を必要とした。
一つの思い出話として、出撃前夜、隊員の宿舎を見回りに行ったときのこと、車座でひそひそ話をしていた隊員たちは入ってきた彼に敬礼するどころか、ジロリをにらんだきりだったという。ところが翌日、一同集結した顔は一変し、皆晴れ晴れと挨拶し、整然と出撃して行き、攻撃の成果も一級だった。
何が一体あったのか。確実に死地に行く人間の心理状態など、容易には判らない。
妻の必死の思いで特攻隊を出され一命を取り留めた夫婦のはなし。物語なら、めでたしめでたしで終わりだが、小生には、戦後この夫婦がどんな人生を歩んだのか興味がある。戦後民主主義の平穏でいささか緊張感の欠けた環境のなかで、どう人生を組み立てていったのだろう。あの記憶の反動はいかばかりか。こちらの方が、現代にあっては切実なドラマではないか。
とにもかくにも、特攻隊の話は、「鎮魂」でのぞむしかない。
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