2010年11月28日日曜日

仁句評釈 ・・・猫跨ぎ

 
 仁句は、俳句は日常の些事でよしとし、いわば日記であるという考えに徹している。それは多としたいが、最近とみに抽象性と省略をきかせてきて、一読意味が窺えないことがある。その辺が読者と乖離が出来てきているのではないか。ちょっとそれだけぬき出してみる。

・パスポート見せ合いながら鮭の秋
 パスポート見せ合いながら、がまず判らない。海外旅行の打合せをしているのだろうか。 昔の思い出に耽っているのか。従って季語の斡旋もよく判らない。 
・桟橋の二号道糸冬に入る
 二号道糸とは何か。函館特有の呼称か。 
・冬の浜素足のままの広東語
 素足のままの広東語。広東語を話す中国人が素足で浜辺に、とは意外性は感じるが、
 よく見えてこない。 
・六の花遅れて届く江戸便り
 六の花がよく判らない。江戸便りとは。現在只今に、あえて江戸とする意味合いが判ら ない。 
・カプセルの枯野の先に消えにけり
 カプセルとは、薬のカプセル、カプセルホテル、etc. 意味が判らない。 

以下の五句は判る。

・丸めたり引き伸ばしたり冬の空
判るけれど、丸めたり引き伸ばしたりする主体はだれなのだろうか。勿論、解釈は自由 でいいけれど、すぐ視覚に見えてこない。
・風呂敷の結び目解け冬の雲
これは、抽象性がうまく行った例ではないか。冬の雲の動きがそれを連想させたのであ ろう。
・整体のボキボキボキと小春空
・手袋を脱いで指切り針千本
・ななかまど実を踏んでゆく市電かな
 この三句は具象性がはっきりして、冬の風景が浮かんでくる。
 

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