2010年11月23日火曜日

いやあ~独り旅ってホントにいいもんだねえ・・・・褌子

   みなさん、お久しぶりでございます。
  ただいま九州四泊五日のひとり旅から帰ってまいりました。
  帰ってきたら、ドウダンツツジが真っ赤になっており、逸徳さんと同じく道路はいちめん落ち葉だらけでした。
  まず、日中戦争の時に八路軍の将軍と日本人少女が手をつなぐ写真を撮った沙飛の研究会が、宮崎県都城であり、参加するために羽田を飛び立ちました。
  10月の旅行では石見銀山へ行こうと石見空港へ降り立ったところ全く方向ちがいで失敗しましたので、こんどは國兼さんに笑われないようにと地図をみたところ、都城は宮崎県南端で鹿児島に近いところで、しかも九州の熊さんお住まいの延岡は大分県にちかい県北なので熊さんの安眠を妨げないように連絡することなく宮崎空港へ着陸しました。
  やく一時間のバスで都城へ到着し、中国からの研究者一行は例の尖閣のおもわぬ余波で来なくなり、日本側だけで「沙飛研究・日本の会」が発足いたしました。
  夜は都城の高級芋焼酎をごちそうになり、翌日は、すばらしい晴天で同じく沙飛研究仲間の鹿児島県歴史教育協議会の北先生の車ではじめて鹿児島の地をふみました。
  縄文の大遺跡群である上野原遺跡では眼下に錦江湾をのぞみ桜島を遠くに見ることができました。
  しかも桜島を囲む巨大なカルデラをぐるっと遠望し、高千穂峯、韓国岳(からくにだけ)の間には新燃岳(しんもえだけ)が盛んに白い煙をあげておりました。さすがに開聞岳まではみえませんでしたが絶景を堪能しました。錦江湾はちょうど東京湾くらいの広さとのこと。
  大隅の国一の宮の鹿児島神宮に行くと北先生の教え子の可愛い巫女さんが出迎えてくれ、恐れ多いので握手は遠慮しましたが、仲良く並んで写真をとりました。また明治の廃仏毀釈は鹿児島ではとくに激しかったそうですが、神仏習合の名残をのこす変わった灯籠が残っていると鹿児島神宮の若い宮司さんに説明してもらいました。
  神宮前の弥勒院という由緒あるお寺は廃仏毀釈でとりこわされて今は宮内小学校になっており、校庭には見事な栴檀の木だけが残っておりました。
  さらに、北先生の知り合いのK先生が通りかかって、蒲生の大楠をみに行くんだといったら、その前にちかくに鹿児島県二位の幹周りの「イチイカシ」があるから車についてこいというのでみにいきました。二位のイチイだが一位のイチイよりも風格があるぞと小蔵ひでをさんそっくりの上品なK先生は盛んに自慢しておりました。
  いよいよ次は日本一の巨樹とおりがみつきの「蒲生の大楠=カモウノオオクス」です。どうどうたる風格に圧倒され、しばし茫然と見とれてしまいました。【写真かもうのクス】
  錦江湾沿いに時計回りに走って少しだけ煙をはく桜島に渡りました。大正の大爆発の溶岩で陸続きになったのです。島に繁茂する草も木も火山灰に白く汚れています。
  こんな火山の島にも小学校も中学校もあり、黒姫中学校のそばには火山灰のなかから鳥居の頭が少しだけのぞいておりました。
  鹿児島出身の作家林芙美子の等身大の祈念像などと握手などしておりましたら、夕焼けの空にドンと音がして黒い噴煙があがり噴石まではっきりみえて実に迫力満点でした。【いちばん上の写真】
  フェリーでたった30分で対岸の鹿児島港に着くのですが、船上からは桜島に満月がかかり誠に結構な眺めでしたが、逸徳さんのように俳句もついぞ浮かばず残念でなりません。「ひとさまの句評ばっかりせずに、てめえもつくれ」と仁兵衛さん、猫跨ぎさんのご叱正が耳朶をうつようで誠に辛いことでございました。
  フェリーの波止場まえの修学旅行生が泊まる格安ホテルを紹介してもらい北先生と別れました。
  一泊素泊まりで三九〇〇円、しかもこの△△ホテルのおやじさん(河野さんに似ている好々爺であった)が近くの赤提灯にわざわざ案内してくれ、ママさんに「キープしてるオレの焼酎飲ませて飯も食わせてやってくれ!」というのです。
  四元百合子さんというママさんは逸徳さんならイチコロのタイプで、地元『名山堀』の焼酎もただのせいかじつに美味しくキビナゴの刺身、黒豚の鍋などでついつい二千八百円も飲んでしまい、さっきの格安ホテル代はなんだったのかと自問自答しながら、ふらふらとよろけながらホテルにたどり着き、風呂にも入らず寝てしまいました。なお余談ですが四元ママには次の日からのコースなどを懇切に教えていただきこのご恩は一生忘れません。
  翌日も素晴らしいお天気で、朝、ホテルから桜島をながめながら携帯でhorohorokaiをのぞいたところ、九州の熊さんが小生のために連絡を待つとお書きになっており、早速、熊さんに電話しました。が、鹿児島から延岡は特急でも三時間くらいとおききしクマ邸ご訪問を泣く泣く断念いたしました。
  それにしても桜島は鹿児島市の目の前の洋上にそびえており、ヴェスヴィオ火山のそばのナポリと姉妹都市だということです。先夜の四元ママの話では、今年の夏はあんなに暑かったのにずっと桜島の灰がふりそそぎ窓が開けられずエアコン代がかかって大変だったそうです。【桜島/鹿児島港を行き交うフェリー】
   コンビニで朝食をすませてママに教えられたとおり鹿児島市役所ちかくの老舗の山形屋百貨店からバスに乗り知覧へ向かいました。南九州らしいのんびりしたおだやかな光景がつづきました。植生もどこか千葉の南部と似ているなと思いました。が、知覧特攻基地では実にいろいろ思うところがありました。逸徳さんも下にお書きになっており、またのきかいに発言したいと存じます。
  さらに知覧からバスにたったひとりだけ乗ってゆるゆると指宿(どうしてイブスキと呼ぶのかなあ)に向かいました。
  駅はすでに暗く、有名な温泉の割にはさびれており、駅前に立っている柳生さんに似た二枚目の警官に、◎◎ホテルはどこですかときいたところ、きょう開聞岳で遭難があったんだと忙しそうでしたが交番で地図を書いてくれました。
  じつは今朝、鹿児島で『名山堀』をただで飲ませてくれた安ホテルのおやじさんに「指宿で一番安いところ紹介してくれ」と頼んだところ、手帳をぱらぱらとめくってすぐ◎◎ホテルに電話をかけて小生の目の前で「あんまりカネのないお客さんなんだが朝食付で五千円で泊めてやってくれや」と予約しておいてくれたのです。
  もう暗いので◎◎ホテルはタクシーで行きなさいと警官がいうので、海辺までタクシーに乗りホテルに着いたのですが、なんと五階建ての大きなホテルなのに真っ暗なのです。
  朝、電話にでたのに夕方にはつぶれちゃったのかなあ、と不安になりタクシーを待たせておいて玄関をギギぃ-と押して入り、小さな電灯の下のフロントに「御用の方はボタンを押してください」とあるので何度か押したところ、奧からお婆さんがころげるように走り出してきて「今朝お電話のあった五千円のお客様ですね。当館は百名定員なんですが今日ばっかりはお客様たったお一人でございます」というのです。
  晩飯はもうご用意できないというので、待たせておいたタクシーで駅近くまでもどり、つい赤々と電気がついている割烹料理屋に入ってしまいました。ここで「ばってら」という鯖の押し寿司を何となく注文し、焼酎のお湯割りを頼みました。四元ママさんとは対照的なおじいさんの板前さんばかりで、奥の方の宴会で超多忙だったらしく、しまったと思ったが後の祭り。
  特に名前は秘しますが前日の『名山堀』に比べて焼酎がまずかったこと、さらに「ばってら」というのが、先年、八田さんのご案内で湖北の木之本町の老舗さば寿司屋で食べた実に美味であった鯖寿司を想像していたのですが、この「ばってら」はさっき釣ったばかりみたいな妙に生々しい新鮮すぎる鯖が飯にのっており、どうも気持ちが悪く、赤だし(ぬるかった)を注文してやっとノドに押し込みました。さらに鉄火巻きを頼んで口直しをしましたが、代金は四八〇〇円で一体何のために五千円のホテルにしたのかと後悔しながら月明かりをたよりにとぼとぼと歩いてホテルに向かいました。(翌日、鹿児島に帰りまた△△ホテルに泊まり、この話を四元ママにしたところ、鹿児島のバッテラはそんなものなんですよと大笑いされた…)【桜島の林芙美子像と握手】
  ところがホテルではお婆さんが、豊富な温泉が流れている大浴場となりの特上の部屋をあっためて待っていてくれました。もちろん全館真っ暗のホテルでたった一人で月をみながら大浴場で泳いだりしているのは極上の喜びでした。
  薩摩半島南端の指宿は錦江湾の入り口にあたり、風呂からながめるとちょうど満月がのぼり、キラキラと海面がかがやき対岸の大隅半島もうっすらとみえ、さらに漁り火も明滅。実にすばらしい眺めを独占いたしました。(漱石の『草枕』みたいだな)
  夜半に女房から電話が入り「何やってるの」というので「いぶすき」といったら、そこは宮崎県のどこら辺?というので笑ってしまいました。【鹿児島県二位のイチイの巨木】
  朝、一風呂浴びて七時から大広間でお婆さんのお給仕でひとりで悠然と、あわてずさわがず朝食をいただきました。
  ゆうべ代金五千円を払うのをわすれていたのでチップもあわせて、おばあさんご苦労様と六千円払いました。
  ところが「お客様 親切なおこころづかいありがとうございます」と頭をさげて六千円をうわっぱりのポケットにおさめた、この小柄な地味な白髪のお婆さんこそ何をかくそうホテルの女将さんだったのです。ライオンズ・クラブの会長さんなども務めたことのある地元では有名人だったのです。雨もざあざあ降ってきたので、このあとえんえん三時間も女将さんの一代記をきくことになったのです。
  (・・・・つづく)

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