逸徳さんの知覧編は確かに以前読んだが、ボケでもなんでもない、総てがブログから消去された後での新たな再掲示だと・・・。でも、知覧の特攻隊は現代の平和ボケの日本に善悪を超えた示唆を与えているのだと思っている。死んだはずの特攻隊の生還の話し、ゲゲゲの水木しげるも特攻隊ではなかったが、そのような経験者の一人である。ラバウル方面で玉砕を命じられた部隊が米軍に突入したが、奇跡的に生き延び、現地人の襲撃や米軍の銃撃の中を命からがら連帯に戻ると、激しく罵倒されたという。「全員玉砕」と既に本隊に連絡した参謀は、次の玉砕部隊に水木しげるを配置し「今度は必ず死んで来い」と。運良く玉砕命令が中止になったが、境港の水木の実家には既に手際よく戦死の通達が送られていた。戦後片腕をなくして復員した息子を見て両親は驚いたと言う。一枚の赤紙で戦地に送られ、軍と言う人間的であることを徹底的に否定した組織のなかでの出来事とはいえ、このような狂気の時代の再現だけは許してはいけないことなのだ!!!
只、15年前のオウム事件を思い出すと、良識あるはずの医者や博士や修士たちが赤紙で召集されたわけでもないのに、満員電車の中でサリンの袋に穴を開ける。狂気の時代の雰囲気だけは今も続いている。

さて、表題の件、この工場は明治5年創立である。未だ帯刀、ちょんまげ姿の武士等も多かった時代に、明治政府が当時としては莫大な大金をはたいてフランスから購入した代物である(写真左)。この工場を稼動させるためにフランスから技術者を呼び、その責任者の月給は当時の太政大臣並という。ここで働く女工は女工哀史の女工と異なり、選別された上家の子女で、待遇も極めてよかったらしい。他に輸出できる産業の無かったこの国で、政府が外貨を得るためにこの生糸の輸出に如何に期待したかである。
只、実際には、政府が期待した生糸の生産は、この機械を日本的に使いやすく、生産性を上げるように改良に改良を加えた岡谷周辺の製糸業者たちである。そこで働く女工さんたちこそ、高山周辺から野麦峠を越え、明治時代の日本の近代化の礎となった文字通りの女工哀史の姿である。低賃金のもとで過酷な労働勤務を虐げられた女性たちこそが明治の国家の基盤を作ったのである。女性は太陽であるといった平塚雷鳥を先取りした女性群像である。
話代わるが、明治国家の良かったなと思うことは、殖産興業という、只その国家目的のために外国の技術と専門家に惜しげもなく大金をはたいて呼び寄せ、また日本の優秀な若者たちを海外に留学させたことである。貧しい日本の中で大胆にこれを進めたことである。クラーク博士もその一人だったはずである。
所で、褌子さんは台湾とか、マァー、ボケする暇は無いかもしれないが、褌を締める暇も無いね・・・?
0 件のコメント:
コメントを投稿