燃料棒クンとの愛称で呼びたいのは山々だけれど、どうかなあ。その度胸はないな。
鬼っ子と言うも憚られるほど、とんでもないクセの悪さを残している。
まず石棺が最終安住の地というけど、ちょっと違うよ。チェルノブイリがまだ放射線を出してるように、石棺は永久施設ではない。今の計画では数年冷やし続ける。つまり水棺はそれまでの一時施設。これに熱交を付けて自動冷却にもっていく。そして、冷えたあと燃料棒は全部抜き取る。それを最終処分場で処理をする事になっている。全部終わって、原発はカラの状態で石棺処理となる。
昨日の報道では、4号機も危なかったらしい。ここは使用済み燃料棒が1500本プールに浸かっているのが、剥き出しになって、部屋が水素爆発をしたが、あのまま放っておいたら、燃料棒が大爆発をおこしたらしい。すんでのところで注水して免れた。
あの工程表通りに収まればいいが、とにかく水漬けにする作戦も、でかい余震で、水満タンの設備自体が倒壊したら、どうなるのか。崖っぷちに居ることには変わりはない。
ところで福島第一原発敷地に使用済み燃料棒が数千本保管されているとか。あれ?青森で処理して埋めるのではと思うが、もう六ヶ所村の地下墓場も満杯らしい。こういう状態は全国の原発の実態らしい。例えは汚いが、便所一杯で飲み食いしていたわけだ。この問題も大変だ。ロシアに言って、シベリアの地を借りてはとの意見もあるとか。
2011年4月29日金曜日
2011年4月28日木曜日
四十九日・・・国兼
アノ大震災から四十九日目という。冥界を彷徨っていた核燃料棒君が結局のところ「水棺」という儀式になろうとは、本人も想定外の夢想にも思っていなかった出来事に間違いない。
驚いたことだろう。まだまだ元気溌剌に働けるのにと、いずれは満期除隊後には4号機の温水プールに漬かって余生を楽しみ、その後は関東に住む4千万に近い人々からの感謝のねぎらいの言葉を背に「石棺」という最終儀式を楽しみにしていたのに。
それが、聞いたことも無い格納容器の中での「水棺」とは何事だと!!更に、娑婆での漏れ伝わる話では、我々のせいで世界的な反原発運動が燃え上がり、国内でもこんなエネルギーに頼っていたからだと極悪人扱いされている。チョットマッテくれ・・・。今まで首都圏での交通網を初めとしてこれらのインフラのエネルギーは誰が・・・、ヨーク聞けよ!!床下暖房やIH調理器を始めとして、各部屋に冷暖房だテレビだと、パソコンだゲーム機だ携帯電話だ温水便器だと、その電気の利用に随喜の涙を流していたのは誰だったのか・・?それを手のひらを返すごとく不要だと、自然エネルギーだと!!!フン・・出来るものならやってみなされ・・。
これからも増えることがあっても減ることの無いエネルギー需要に、いずれ我々が再び必須なエネルギー源とされることは間違いない。それまではと燃料棒君は歯軋りしながら圧力容器の中で身を震わせて泣くのであった。--核燃料棒君の悲嘆の声--
驚いたことだろう。まだまだ元気溌剌に働けるのにと、いずれは満期除隊後には4号機の温水プールに漬かって余生を楽しみ、その後は関東に住む4千万に近い人々からの感謝のねぎらいの言葉を背に「石棺」という最終儀式を楽しみにしていたのに。
それが、聞いたことも無い格納容器の中での「水棺」とは何事だと!!更に、娑婆での漏れ伝わる話では、我々のせいで世界的な反原発運動が燃え上がり、国内でもこんなエネルギーに頼っていたからだと極悪人扱いされている。チョットマッテくれ・・・。今まで首都圏での交通網を初めとしてこれらのインフラのエネルギーは誰が・・・、ヨーク聞けよ!!床下暖房やIH調理器を始めとして、各部屋に冷暖房だテレビだと、パソコンだゲーム機だ携帯電話だ温水便器だと、その電気の利用に随喜の涙を流していたのは誰だったのか・・?それを手のひらを返すごとく不要だと、自然エネルギーだと!!!フン・・出来るものならやってみなされ・・。
これからも増えることがあっても減ることの無いエネルギー需要に、いずれ我々が再び必須なエネルギー源とされることは間違いない。それまではと燃料棒君は歯軋りしながら圧力容器の中で身を震わせて泣くのであった。--核燃料棒君の悲嘆の声--
まったくマスコミといったら・・・・逸徳
マスコミの世界に「産経残酷時事地獄」ということばがある。業界では有名らしい。 保守派の牙城で、この後を読売がおいかけている。 産経は、業界ではマスコミやくざというラベルをはられ、時事通信はこきつかわれる。このことばはどうも両者の内部の人間がいいだしたものが有名になったらしい。 つくづく思うのはこの震災報道に対するこういうマスコミの品のなさである。建設的展望なくただあらをさがして、不安をあおり、売り上げをのばそうと狂奔する。 なんでこんなにやつら下品でばかなんだろう。つくづくこういうマスコミの非建設的態度に腹が立ってきた。
うつくしき ものみなとおく はなれおり 卯月の空に たんぽぽの咲く
うつくしき ものみなとおく はなれおり 卯月の空に たんぽぽの咲く
2011年4月26日火曜日
資本主義か・・・猫跨ぎ
「資本主義経済は下部構造として技術者の思想を支配していなかったのか」格好の良い文言だが、この下りも同じく古くないか。同工異曲だね。冗談めかしていったつもりだが、いずれも今更こんなフレーズを信じることもあるまい。どこかで通用するのかな。
利益と安全を天秤にかけて利益を優先するように洗脳される、か。きょう日そういうことをしていたら会社は保たない。雪印がそう。そうだという噂だけで会社は傾いてしまった。面白いことに資本主義を否定している国で安全より利益を優先する例がぞろぞろある。メラミン入りのミルクを売りつけてるのはどこだ。旧東ドイツの環境破壊は深刻だった。北朝鮮も蓋をあけたらひどいことになっているはず。これは皮肉というより、資本主義は安全より利益を優先するという理屈の破綻を示していないか。
結局、後期資本主義では世論というかマスコミというか、第三の権力がそういう事は許さない。まさに東電は事実上破綻してしまった。話を戻すと、洗脳されていたのではなく、有り体に言って単に無知だったのだろう。壮大な無知が招来した悲劇だと思うね。まさか、まさか、まさかの三乗が実際起こってしまった。しかし無知を放置した責は負わねばならない。
「儲かるんだろうな」という文言もどうかな。本当にそう思っているのかね。中部電力は本音は止めたいんじゃないか。もう民間では保たない。結局、原発は全部国有化するしか無いのではないか。発電した電気を既存の電力会社に売り渡す。電力会社は配電に徹する。そして国家として原子力をどうするのかという体制に移すしかないと思うね。
利益と安全を天秤にかけて利益を優先するように洗脳される、か。きょう日そういうことをしていたら会社は保たない。雪印がそう。そうだという噂だけで会社は傾いてしまった。面白いことに資本主義を否定している国で安全より利益を優先する例がぞろぞろある。メラミン入りのミルクを売りつけてるのはどこだ。旧東ドイツの環境破壊は深刻だった。北朝鮮も蓋をあけたらひどいことになっているはず。これは皮肉というより、資本主義は安全より利益を優先するという理屈の破綻を示していないか。
結局、後期資本主義では世論というかマスコミというか、第三の権力がそういう事は許さない。まさに東電は事実上破綻してしまった。話を戻すと、洗脳されていたのではなく、有り体に言って単に無知だったのだろう。壮大な無知が招来した悲劇だと思うね。まさか、まさか、まさかの三乗が実際起こってしまった。しかし無知を放置した責は負わねばならない。
「儲かるんだろうな」という文言もどうかな。本当にそう思っているのかね。中部電力は本音は止めたいんじゃないか。もう民間では保たない。結局、原発は全部国有化するしか無いのではないか。発電した電気を既存の電力会社に売り渡す。電力会社は配電に徹する。そして国家として原子力をどうするのかという体制に移すしかないと思うね。
技術と資本主義、あるいは思想・・・・逸徳
アメリカ医薬品食品局FDAにフランシスケルシーという女性の審査官がいた。彼女はアメリカでのサリドマイドの販売について催奇性に疑問を持ち、医薬品業界の猛烈な圧力に抵抗して許可をださなかったために、アメリカでは被害はほとんど出なかった。全世界の被害者は6000人におよんだのにである。のちに彼女の行動はケネディ大統領が表彰する。これは有名な事件である。一方で日本の話。京大の原子炉実験所実験所の小出氏は優秀な研究者として国家公務員として原子炉の研究にたずさわりながらずっと原発反対の運動にたずさわってきたので、そのために冷遇されてとうとう退職まで助手のままでおわる。あるいは高木仁三郎の原子力資料情報室は有名である。彼は東大の核化学の専門家でありながら、独立した運動を求めて原子力資料情報室をつくり最後まで専門家として脱原発を主張してがんでたおれた。2000年に彼の訃報を聞いたときに、ああこれは戦死だと思ったのを今でもおぼえている。
いささかお師匠の意見に異議をとなえたい。原発推進派が資本の利潤にめがくらんでなどという、そういう単純な話は100年くらい前ならいざしらず、現代であはありえないと思う。そういうことではなくて、科学技術の現場での多様な選択と決定の段階において、資本の利潤原則が技術者の思考過程に微妙で(巧妙でといってもいい)複雑な影響をおよぼし、もっとも適切な判断をゆがめる可能性はないかということなのである。たとえばコストと安全性の維持ということが対立したとき、ある点でコストを優先し、その結果として安全性がなおざりにされてしまったとしたら、これはわかりやすい例だろう。今回の福島原発でも、そういう例が次々に出てきているようにみえる。そういう意味で、資本主義経済は下部構造として技術者の思想を支配していなかったのか。
それにもうひとつ。浜岡原発でも、堤防をつくる話が進んでいる。しかし今回の東北地震の津波では、どこだったか港の入口の数千トンのコンクリートケーソンをならべた堤防が吹っ飛んでいる。堤防なんかまことにあやうい。さらに、最初12メートルといった浜岡原発の堤防は、その後の住民や自治体の顔色をみて15メートルにかさあげされた。ばかばかしくて涙もでない。このプロセスは科学でもなんでもない。そこまでして原発動かしたいのだろうなあ。儲かるんだろうなと考えてしまう。
技術的解がひとつではないとき、安全よりコスト、つまりは利潤優先という行動をとる技術者は決してすくなくない。そしてその結果おきてしまったことはとりかえしがつかない。つまり日本の原発技術はついにひとりのフランシスケルシーをうまなかったのである。 ここまでさかのぼって考えないと日本の科学技術が原子力をとりあつかう資格はないだろうと思う。
中国のことはまだ判断がつかない。あの国は肥溜めみたいで、汚いものはなんでもある。だがその中に時々まれに金の粒がまざっていたりする。そういう感想を上海の経済界で活動している教え子がいっていたのを思い出す。ただ、日本が脱原発で代替えエネルギーの技術開発に全力を投入して、膨大な成果を上げ得たとしたら、中国もだまってみていることはできなくなるのではないかというほのかな感想もある。それは我々が死んだあとのことだろうが。
いささかお師匠の意見に異議をとなえたい。原発推進派が資本の利潤にめがくらんでなどという、そういう単純な話は100年くらい前ならいざしらず、現代であはありえないと思う。そういうことではなくて、科学技術の現場での多様な選択と決定の段階において、資本の利潤原則が技術者の思考過程に微妙で(巧妙でといってもいい)複雑な影響をおよぼし、もっとも適切な判断をゆがめる可能性はないかということなのである。たとえばコストと安全性の維持ということが対立したとき、ある点でコストを優先し、その結果として安全性がなおざりにされてしまったとしたら、これはわかりやすい例だろう。今回の福島原発でも、そういう例が次々に出てきているようにみえる。そういう意味で、資本主義経済は下部構造として技術者の思想を支配していなかったのか。
それにもうひとつ。浜岡原発でも、堤防をつくる話が進んでいる。しかし今回の東北地震の津波では、どこだったか港の入口の数千トンのコンクリートケーソンをならべた堤防が吹っ飛んでいる。堤防なんかまことにあやうい。さらに、最初12メートルといった浜岡原発の堤防は、その後の住民や自治体の顔色をみて15メートルにかさあげされた。ばかばかしくて涙もでない。このプロセスは科学でもなんでもない。そこまでして原発動かしたいのだろうなあ。儲かるんだろうなと考えてしまう。
技術的解がひとつではないとき、安全よりコスト、つまりは利潤優先という行動をとる技術者は決してすくなくない。そしてその結果おきてしまったことはとりかえしがつかない。つまり日本の原発技術はついにひとりのフランシスケルシーをうまなかったのである。 ここまでさかのぼって考えないと日本の科学技術が原子力をとりあつかう資格はないだろうと思う。
中国のことはまだ判断がつかない。あの国は肥溜めみたいで、汚いものはなんでもある。だがその中に時々まれに金の粒がまざっていたりする。そういう感想を上海の経済界で活動している教え子がいっていたのを思い出す。ただ、日本が脱原発で代替えエネルギーの技術開発に全力を投入して、膨大な成果を上げ得たとしたら、中国もだまってみていることはできなくなるのではないかというほのかな感想もある。それは我々が死んだあとのことだろうが。
2011年4月25日月曜日
貞観時代(859~877年)・・・褌子
貞観地震を研究してきた産業技術総合研究所の宍倉正展・海溝型地層履歴研究チーム長は東日本大震災を「貞観11年(869年)の貞観地震の再来」だという。
『日本三代実録』(901年完成)に貞観11年の項には「陸奥國地大震動」と書かれているという。海口哮吼という記述もあるらしい。
そこで貞観(じょうがん)という時代は平安遷都から75年たった元号だがどんな時代かと調べてみた。清和天皇(源氏の元祖)のころらしい。
貞観時代には、陸奥國地大震動のほかに越中越後地震。富士山は大噴火し溶岩が青木ケ原樹海の原型をつくった。播磨で地震。余震による京都での体感地震も20回を超えた。
肥後・大和でも大地震が起きた。この時期には阿蘇山、鳥海山、開聞岳の噴火のほかたびたびの疫病も記録されている。貞観3年には現在の福岡県直方市に「直方隕石」が落ちた。世界で最も古い落下記録のある隕石だ。
貞観時代は空海、最澄らが中国から持ち帰った仏教文化が花開き、仏教への帰依による安心感から「安全神話」も広がっていた。大地震は平安京を舞台に貴族文化を享受していた支配層に衝撃をあたえた。政治面でも藤原氏中心の摂関制が確立され波乱の時代だった。
若き菅原道真が受験した貞観12年の高等文官試験には「地震を論ぜよ」という問題があったほどで前年の地震に対する朝廷の動揺の大きさがわかる。
現在の祇園祭は貞観期の祇園御霊会が始まりで、相次ぐ天災を受け、怨霊を鎮める祭りとして始まったものだ。
―――――
さて「そのとき869年」から1142年たった2011年3月11日、再び陸奥の國の大地は大震動し、海が激しく咆哮した。
そして貞観の年にはない、原発放射能対策で現代日本人はいま言葉を失っている。
日本列島が地殻活動期に入ったといわれるが、われわれが貞観時代から学ぶものはたくさんあるのではないか。
『日本三代実録』(901年完成)に貞観11年の項には「陸奥國地大震動」と書かれているという。海口哮吼という記述もあるらしい。
そこで貞観(じょうがん)という時代は平安遷都から75年たった元号だがどんな時代かと調べてみた。清和天皇(源氏の元祖)のころらしい。
貞観時代には、陸奥國地大震動のほかに越中越後地震。富士山は大噴火し溶岩が青木ケ原樹海の原型をつくった。播磨で地震。余震による京都での体感地震も20回を超えた。
肥後・大和でも大地震が起きた。この時期には阿蘇山、鳥海山、開聞岳の噴火のほかたびたびの疫病も記録されている。貞観3年には現在の福岡県直方市に「直方隕石」が落ちた。世界で最も古い落下記録のある隕石だ。
貞観時代は空海、最澄らが中国から持ち帰った仏教文化が花開き、仏教への帰依による安心感から「安全神話」も広がっていた。大地震は平安京を舞台に貴族文化を享受していた支配層に衝撃をあたえた。政治面でも藤原氏中心の摂関制が確立され波乱の時代だった。
若き菅原道真が受験した貞観12年の高等文官試験には「地震を論ぜよ」という問題があったほどで前年の地震に対する朝廷の動揺の大きさがわかる。
現在の祇園祭は貞観期の祇園御霊会が始まりで、相次ぐ天災を受け、怨霊を鎮める祭りとして始まったものだ。
―――――
さて「そのとき869年」から1142年たった2011年3月11日、再び陸奥の國の大地は大震動し、海が激しく咆哮した。
そして貞観の年にはない、原発放射能対策で現代日本人はいま言葉を失っている。
日本列島が地殻活動期に入ったといわれるが、われわれが貞観時代から学ぶものはたくさんあるのではないか。
2011年4月24日日曜日
市民とは何か・・・猫跨ぎ
市民とは何か。市民にも原発反対派もいれば容認派もいる。昨日まで容認派だったのが、今日、おっかないのはいやだ、取りあえず反対派に宗旨変えだというのが多い。原発推進論者を悪魔の手先のようにいう向きがあるが、資本主義的利潤に目がくらんでいるという理屈に私は説得されない。彼等にも彼等の信念がある。
「週刊金曜日」に佐高信がこれまで原発容認の有名人を実名入りでそら見たことかと叩きまくっていた。新手の人民裁判だ。こういう白黒に識別し、丸叩きは大嫌いだ。多くは中間色なんだ。
福島第一原発の北の石巻近くに女川原発があって、ここは安定停止を実現した。福島第一と何が違ったのか。等しく震度6強の激震に襲われたのにである。色々細かな議論はあろうが、結論を大雑把に言えば、防波堤のてっぺんまでの高さが女川は14mあり、福島は10mしかなかった。この差につきるのではないか。ならば、「たしかに想定は間違っておりました。今後原発は20mの防波堤に致します。如何でしょうか」という提案にはどうか。原発はとにかく駄目なんだ、想定の対象じゃないんだという駄々をこねるのも今は通用するが、時が経てばどうか。まあしゃあないなという意見も出て来るのではないか。
日本国内は、原発はやめたとしよう。しかしこの問題は地球規模で考えねばならない。中国は今後必ず大規模な原発推進に打ってでる。彼等にとってエネルギー問題が喫緊の課題だからだ。独裁国家は反対論を許さない。必ず隣りに原発は林立する。日本は止めましたではすまない。
私は原発はやめるという立場だ。その論拠はこの前述べた。そこまで遡らないと、私の中では拠り所がない。
「週刊金曜日」に佐高信がこれまで原発容認の有名人を実名入りでそら見たことかと叩きまくっていた。新手の人民裁判だ。こういう白黒に識別し、丸叩きは大嫌いだ。多くは中間色なんだ。
福島第一原発の北の石巻近くに女川原発があって、ここは安定停止を実現した。福島第一と何が違ったのか。等しく震度6強の激震に襲われたのにである。色々細かな議論はあろうが、結論を大雑把に言えば、防波堤のてっぺんまでの高さが女川は14mあり、福島は10mしかなかった。この差につきるのではないか。ならば、「たしかに想定は間違っておりました。今後原発は20mの防波堤に致します。如何でしょうか」という提案にはどうか。原発はとにかく駄目なんだ、想定の対象じゃないんだという駄々をこねるのも今は通用するが、時が経てばどうか。まあしゃあないなという意見も出て来るのではないか。
日本国内は、原発はやめたとしよう。しかしこの問題は地球規模で考えねばならない。中国は今後必ず大規模な原発推進に打ってでる。彼等にとってエネルギー問題が喫緊の課題だからだ。独裁国家は反対論を許さない。必ず隣りに原発は林立する。日本は止めましたではすまない。
私は原発はやめるという立場だ。その論拠はこの前述べた。そこまで遡らないと、私の中では拠り所がない。
どうしていくか・・・・逸徳
先日9条の会の事務局会議で、浜岡原発について議論になった。静岡でも多くの市民団体が反対運動をおこしているし、中電も今のところは低姿勢だ。もちろん原発の危険性についてはみんな感じていることであり、そこから今回の状況を踏まえて即時停止を要求することは当然であろう。だが、なにか変な感じというか、違和感を感じる。剣道でいうと相手はすきを見せているのだが、どこかうちこむところがちがい、たとえば絶対たたかれても平気な面に向かって「おめーんおめーんっ」と打ち込んでいるような感じだ。これは実はホントは相手にそんなに打撃を与えていない。 むだなところにパワーを集中している感じがする。
今までの戦後史を見ると、市民運動がかぎになって本質的な変化を果たした例は実はすくないと思う。おいらの意見では、60年安保と30年代にあった沼津三島の石油化学コンビナート反対闘争ぐらいではないか。もちろん他の運動を否定するつもりでいっているのではなく、その他のケースでは市民運動は広範な変化の一局面を担ったにすぎないのではないか。したがって、デモをくりかえし、署名簿の山を積み上げても電力会社はあまり痛くはないのではないか。電気事業法によればかれらは絶対赤字にならない会社なのだから。そこでこういうことがおこる。
・・・・危険だから停止しろ・・・いや想定される事故には何重もの対策をとった・・・・その想定が今回否定されたのではないか・・・・だからより厳しい想定に対応する対策に改善する・・・絶対大丈夫だ。・・・そのより厳しい想定が正しいのか・・・・それに対しての対応が科学技術として可能なのか・・・・いや可能だ。・・・不可能だろう・・・・ワーワーワー。
つまり、危険か安全かということは一種の神学論争に陥ることになりかねない。 そして推進派の専門家に立ち向かうのは基本的に一般市民である。推進派と反対派の専門家の論争に市民がアンパイヤーとして立ち会い、どちらかの意見をとりあげるという政策決定のプロセスはまだ日本ではやられたことがない。そしてたとえこの形が行われたとしても、市民として登場するのは、まず国会だろう。しかし、いうまでもなく国会が地元市民の生存の権利を尊重する機能はない。それは現状でまったく自明のことである。
科学哲学の世界にカールポパーというひとがいる。彼は、ある仮説が「科学」であるためにはそれに対して反証する可能性があるかどうかということを指摘している。この先はよくわからんので、はしょっていうと「ある科学的言説には、それが科学であるというのならば、それに対して反証する可能性があるかどうかだ」ということだろう。たとえば神はいるという言説を反証して神はいないということを示すことは論理的にできない。反証可能性がないのである。したがって神はいるという言説は科学ではない。宗教の世界の話だというのである。ある科学的言説には、それが科学であるかぎり(反証可能性ということから)反対の言説も成り立ちえる。おいらはこのことからすぐに原発の安全論争を連想した。 つまり、原発は安全か危険かという議論ははてしない論争のうずにまきこまれる可能性が本質的に存在するのである。
現在の問題はそこにあるのではない。考えてみるとあらゆる科学技術には危険性が付きまとう。つまりメリットとデメリットがある。たとえば自動車という技術は輸送手段としてのメリットとともに必ず交通事故や環境汚染などのデメリットをともなう。しかしわれわれの社会は、といよりわれわれの現代文明はそのメリットとデメリットを天秤にかけて、デメリットがあることを承知しながら、自動車という技術を社会的に許容したのである。 そしてこのような、ある技術が社会的に許容されるべきかどうかを決定するプロセスというものは、実はすぐれて政治的問題なのであり、専門家と称するやからの独占物であってはならない。
そしてこのような問題のたてかたをするときに、はじめて原発は「政治問題」になりえて、市民の手にもどされてくるのだろうとおもう。今必要なことは、可能な限り市民が科学で武装すること。もっと勉強しなくてはならない。そして専門家に要求して、デメリットの可能性とその評価のプロセスをはっきりと説明させていくことであろう。そして、これを市民の側がきちんととらえる力がないと、原発推進派の「原発のメリット宣伝」にたやすくながされてしまう危険性がある。そのようなことをとうさないと、「メリットとデメリットを天秤にかけてどっちをとるのか」という問題が市民の参加による政治問題にはならないだろう。このプロセスを専門家の手から市民はとりもどすべきである。われわれは専門家に命をあずけるわけにはいかないのである。
もうひとつ、デメリットという言い方は注意を要する。それは原発の危険性や放射能の世代を超えた深刻な危険の可能性というだけではない。たとえば代替エネルギーの開発の可能性や省エネ型の社会経済システム構築の可能性にもかかわる。そしてそれらは、その技術を評価する科学者の思想性がからんでくる。たとえば風力発電なんて不安定でつかいものにならんという評価はデメリットになるが、原発に依存しないということでメリットでもある。つまり我々にとってのメリットとかデメリットということはけっこうむつかしいのである。だから、これらの言説にかかわる科学者たちがどういう立ち位置でしゃべっているのかということは厳しく監視していかなくてはならないと思う。
今までの戦後史を見ると、市民運動がかぎになって本質的な変化を果たした例は実はすくないと思う。おいらの意見では、60年安保と30年代にあった沼津三島の石油化学コンビナート反対闘争ぐらいではないか。もちろん他の運動を否定するつもりでいっているのではなく、その他のケースでは市民運動は広範な変化の一局面を担ったにすぎないのではないか。したがって、デモをくりかえし、署名簿の山を積み上げても電力会社はあまり痛くはないのではないか。電気事業法によればかれらは絶対赤字にならない会社なのだから。そこでこういうことがおこる。
・・・・危険だから停止しろ・・・いや想定される事故には何重もの対策をとった・・・・その想定が今回否定されたのではないか・・・・だからより厳しい想定に対応する対策に改善する・・・絶対大丈夫だ。・・・そのより厳しい想定が正しいのか・・・・それに対しての対応が科学技術として可能なのか・・・・いや可能だ。・・・不可能だろう・・・・ワーワーワー。
つまり、危険か安全かということは一種の神学論争に陥ることになりかねない。 そして推進派の専門家に立ち向かうのは基本的に一般市民である。推進派と反対派の専門家の論争に市民がアンパイヤーとして立ち会い、どちらかの意見をとりあげるという政策決定のプロセスはまだ日本ではやられたことがない。そしてたとえこの形が行われたとしても、市民として登場するのは、まず国会だろう。しかし、いうまでもなく国会が地元市民の生存の権利を尊重する機能はない。それは現状でまったく自明のことである。
科学哲学の世界にカールポパーというひとがいる。彼は、ある仮説が「科学」であるためにはそれに対して反証する可能性があるかどうかということを指摘している。この先はよくわからんので、はしょっていうと「ある科学的言説には、それが科学であるというのならば、それに対して反証する可能性があるかどうかだ」ということだろう。たとえば神はいるという言説を反証して神はいないということを示すことは論理的にできない。反証可能性がないのである。したがって神はいるという言説は科学ではない。宗教の世界の話だというのである。ある科学的言説には、それが科学であるかぎり(反証可能性ということから)反対の言説も成り立ちえる。おいらはこのことからすぐに原発の安全論争を連想した。 つまり、原発は安全か危険かという議論ははてしない論争のうずにまきこまれる可能性が本質的に存在するのである。
現在の問題はそこにあるのではない。考えてみるとあらゆる科学技術には危険性が付きまとう。つまりメリットとデメリットがある。たとえば自動車という技術は輸送手段としてのメリットとともに必ず交通事故や環境汚染などのデメリットをともなう。しかしわれわれの社会は、といよりわれわれの現代文明はそのメリットとデメリットを天秤にかけて、デメリットがあることを承知しながら、自動車という技術を社会的に許容したのである。 そしてこのような、ある技術が社会的に許容されるべきかどうかを決定するプロセスというものは、実はすぐれて政治的問題なのであり、専門家と称するやからの独占物であってはならない。
そしてこのような問題のたてかたをするときに、はじめて原発は「政治問題」になりえて、市民の手にもどされてくるのだろうとおもう。今必要なことは、可能な限り市民が科学で武装すること。もっと勉強しなくてはならない。そして専門家に要求して、デメリットの可能性とその評価のプロセスをはっきりと説明させていくことであろう。そして、これを市民の側がきちんととらえる力がないと、原発推進派の「原発のメリット宣伝」にたやすくながされてしまう危険性がある。そのようなことをとうさないと、「メリットとデメリットを天秤にかけてどっちをとるのか」という問題が市民の参加による政治問題にはならないだろう。このプロセスを専門家の手から市民はとりもどすべきである。われわれは専門家に命をあずけるわけにはいかないのである。
もうひとつ、デメリットという言い方は注意を要する。それは原発の危険性や放射能の世代を超えた深刻な危険の可能性というだけではない。たとえば代替エネルギーの開発の可能性や省エネ型の社会経済システム構築の可能性にもかかわる。そしてそれらは、その技術を評価する科学者の思想性がからんでくる。たとえば風力発電なんて不安定でつかいものにならんという評価はデメリットになるが、原発に依存しないということでメリットでもある。つまり我々にとってのメリットとかデメリットということはけっこうむつかしいのである。だから、これらの言説にかかわる科学者たちがどういう立ち位置でしゃべっているのかということは厳しく監視していかなくてはならないと思う。
原発維持推進か、転換か・・・褌子
絶対安全神話のせいで、ロボット大国の日本で原発事故対応ロボットも結局つくってこなかったことがわかった。
千葉県も東電管内なので、わが家も福島原発でおこした電気のご厄介に長年なってきたのだから、あまりでかい顔はできないのだが…
やはり“絶対安全”なはずの原発が一度事故をおこしたときの影響に驚いている。
あらためて思う。原発はこわい。原潜、原子力空母、核兵器はもっとこわい。ほんらい人類と共存できない。
新聞論調は、朝日毎日東京は、浜岡など危険すぎる原発は停止、あとは原発依存のエネルギー政策転換をと社説はのべている。エネルギー政策転換のほかに原子力空母・原潜の事故の恐ろしさまで言及しているのは赤旗。横須賀で事故がおこれば福島の比ではない。
いっぽう、産経は「一時の感情に流されて原発否定傾斜は短慮すぎる」とか読売は「原発は安全に管理する限り、電力供給で今後も重要」とか原発維持推進の姿勢。が、両紙ともそれでも万一起きるかもしれない事故への言及はない。核戦争といっしょで万一起きるかもしれない破局は誰も考えたくないのである。狩人のまえで首だけ穴につっこんでいるダチョウのように。
その万一が今回起きた。
千葉県も東電管内なので、わが家も福島原発でおこした電気のご厄介に長年なってきたのだから、あまりでかい顔はできないのだが…
やはり“絶対安全”なはずの原発が一度事故をおこしたときの影響に驚いている。
あらためて思う。原発はこわい。原潜、原子力空母、核兵器はもっとこわい。ほんらい人類と共存できない。
新聞論調は、朝日毎日東京は、浜岡など危険すぎる原発は停止、あとは原発依存のエネルギー政策転換をと社説はのべている。エネルギー政策転換のほかに原子力空母・原潜の事故の恐ろしさまで言及しているのは赤旗。横須賀で事故がおこれば福島の比ではない。
いっぽう、産経は「一時の感情に流されて原発否定傾斜は短慮すぎる」とか読売は「原発は安全に管理する限り、電力供給で今後も重要」とか原発維持推進の姿勢。が、両紙ともそれでも万一起きるかもしれない事故への言及はない。核戦争といっしょで万一起きるかもしれない破局は誰も考えたくないのである。狩人のまえで首だけ穴につっこんでいるダチョウのように。
その万一が今回起きた。
2011年4月21日木曜日
濃霧のなかに光もすこし・・・・褌子
こんどの大震災募金活動でわたしも街頭にたって感じたが、高校生たちが実によく募金してくれる。青年がたくさん震災救援ボランティアに応募していると報じられている。
利潤第一主義(東電が津波対策を怠ったのもこのせい)、市場原理主義でずたずたにされてきた日本社会が、低エネルギー型のスローライフ社会、連帯社会へと変わらざるを得ない芽がでてきた。原発事故、震災に対するマスコミの報道姿勢でも変化を感ずる。(とくに東京新聞が秀逸)
いっぽう、震災被災者の復興過程での格差拡大問題を内橋克人氏、金子勝氏などが警鐘を鳴らしている。竹中平蔵などが震災に悪のりして、TPP・道州制などをとなえると鎌田慧氏などの反論がすぐマスコミにのるようになってきた。もっとも石原都知事の圧倒的再選にみるように強権的英雄待望には注意する必要があるが、関東大震災のときに軍の扇動で朝鮮人虐殺に走ったあのころの日本人と現代日本人は明らかにちがう。やはり人間社会は少しずつだが進歩しているのだ。
日本の電力のじつに3分の一を供給し、文字通り日本財界の中枢企業、その労組は原発推進の連合の中核という東電。今、その下請け支配の構造、政治家と学会への献金、官僚の東電役員への天下りなど政財官学さらにマスコミの長年の癒着、さらにアメリカの対日エネルギー支配の戦後史などがしだいに明らかになりつつある。つまり原発是非論をめぐって原子力村など戦後日本の支配構造が日々、検証されるという事態がおきつつあるのも非常に興味深い。
余談だが、親しい中国人留学生が震災前に上海に里帰りしていたが、中国の青年たちから10万円も震災救援募金を集めて再来日。感激。
利潤第一主義(東電が津波対策を怠ったのもこのせい)、市場原理主義でずたずたにされてきた日本社会が、低エネルギー型のスローライフ社会、連帯社会へと変わらざるを得ない芽がでてきた。原発事故、震災に対するマスコミの報道姿勢でも変化を感ずる。(とくに東京新聞が秀逸)
いっぽう、震災被災者の復興過程での格差拡大問題を内橋克人氏、金子勝氏などが警鐘を鳴らしている。竹中平蔵などが震災に悪のりして、TPP・道州制などをとなえると鎌田慧氏などの反論がすぐマスコミにのるようになってきた。もっとも石原都知事の圧倒的再選にみるように強権的英雄待望には注意する必要があるが、関東大震災のときに軍の扇動で朝鮮人虐殺に走ったあのころの日本人と現代日本人は明らかにちがう。やはり人間社会は少しずつだが進歩しているのだ。
日本の電力のじつに3分の一を供給し、文字通り日本財界の中枢企業、その労組は原発推進の連合の中核という東電。今、その下請け支配の構造、政治家と学会への献金、官僚の東電役員への天下りなど政財官学さらにマスコミの長年の癒着、さらにアメリカの対日エネルギー支配の戦後史などがしだいに明らかになりつつある。つまり原発是非論をめぐって原子力村など戦後日本の支配構造が日々、検証されるという事態がおきつつあるのも非常に興味深い。
余談だが、親しい中国人留学生が震災前に上海に里帰りしていたが、中国の青年たちから10万円も震災救援募金を集めて再来日。感激。
2011年4月17日日曜日
多分倫理の問題だ・・・猫跨ぎ
多分、形を変えた戦争なんだろう。クラシカルな戦争は或る昂揚感があった。今度の原発事故はひたすら陰々滅々の戦争だ。ずっと跡を引き、どんな結果になろうとも敗北感に苛まれる。我々の内面に食い込み続け、逃げることは許されない。丸ごと受け入れ、堪え続ける。終わって、マイナスからゼロの地点にもどるだけ。こんな経験はそうは多くない。
原子力発電の作った電気でからくも支えられる文明は我々にとって必要か。我々の社会、我々一人一人の生が意味を持つのなら、それと関係のないものは洗いざらいその本質を暴露されるべきだろう。少なくともその選別を逃れようとするものは信用しない。
生命工学は生命倫理学の俎上にのせられる。同じ意味合いで原子力利用に倫理学のアプローチはあったのだろうか。中性子をぶつけての連鎖反応。プルトニウムという自然界に存在しない核種の産生。これは倫理学の対象ではないのか。奥深いところで、許されるのか。
原子力発電の作った電気でからくも支えられる文明は我々にとって必要か。我々の社会、我々一人一人の生が意味を持つのなら、それと関係のないものは洗いざらいその本質を暴露されるべきだろう。少なくともその選別を逃れようとするものは信用しない。
生命工学は生命倫理学の俎上にのせられる。同じ意味合いで原子力利用に倫理学のアプローチはあったのだろうか。中性子をぶつけての連鎖反応。プルトニウムという自然界に存在しない核種の産生。これは倫理学の対象ではないのか。奥深いところで、許されるのか。
2011年4月16日土曜日
みすずじゃない・・・・逸徳
「大丈夫?」っていうと、
「大丈夫」っていう。
「漏れてない?」っていうと、
「漏れてない」っていう。
「安全?」っていうと、
「安全」っていう。
そうして、あとでこわくなって、
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、
「ちょっと漏れてる」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ、枝野です。
「大丈夫」っていう。
「漏れてない?」っていうと、
「漏れてない」っていう。
「安全?」っていうと、
「安全」っていう。
そうして、あとでこわくなって、
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、
「ちょっと漏れてる」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ、枝野です。
2011年4月15日金曜日
そういう事柄・・・猫跨ぎ
よく判らないのは、3号炉の燃料棒は一応水没しているのに、1,2号炉は一部剥き出しになっているという。何れも注水を続けているが、何故1,2号炉は水面が燃料棒が隠れるレベルまで行かないのか。だれか判るかね。それはともかく、
きのう、日本原子力学会の発表では、圧力容器の底に一部の燃料が粉状になって溜まっていて冷えた状態だという。これなら特段の危険はない。溶けた溶岩の様なかたまりとなっていると、これが発熱して臨界の危険があるという説があったがどうも違うらしい。(その場合はホウ酸の大量投与を行う)
そして圧力容器の水素爆発の危険が増しているとは本当か。今やっているのは、格納容器内の水素爆発を恐れて窒素を注入している。格納容器は強度的に吹っ飛ぶ可能性があるのだろうが、それは一応押さえている。しかし窒素や水蒸気が洩れているので当然放射能も徐々に洩れ出している。
汚染水の処置法に一応けりがつくのに月単位の時間、自動冷却の体勢にもっていくのに年単位の時間がかかるというのが今の見通しらしい。
さて、こんな長期の事故対応は我々は初めての経験だ。一歩間違えばとんでもない事態になる危険性を抱えつつ。どうもそういう事柄を、われわれは抱えこんだらしい。
きのう、日本原子力学会の発表では、圧力容器の底に一部の燃料が粉状になって溜まっていて冷えた状態だという。これなら特段の危険はない。溶けた溶岩の様なかたまりとなっていると、これが発熱して臨界の危険があるという説があったがどうも違うらしい。(その場合はホウ酸の大量投与を行う)
そして圧力容器の水素爆発の危険が増しているとは本当か。今やっているのは、格納容器内の水素爆発を恐れて窒素を注入している。格納容器は強度的に吹っ飛ぶ可能性があるのだろうが、それは一応押さえている。しかし窒素や水蒸気が洩れているので当然放射能も徐々に洩れ出している。
汚染水の処置法に一応けりがつくのに月単位の時間、自動冷却の体勢にもっていくのに年単位の時間がかかるというのが今の見通しらしい。
さて、こんな長期の事故対応は我々は初めての経験だ。一歩間違えばとんでもない事態になる危険性を抱えつつ。どうもそういう事柄を、われわれは抱えこんだらしい。
2011年4月14日木曜日
五重の壁・・・褌子
保安院の役人が「原発には放射能をふせぐ五重の壁があるんだが、これが全部破られてしまった・・・」といっていた。
五重の壁(5層のバリア)とは①原子炉建屋②格納容器③圧力容器④燃料棒の被覆管⑤燃料棒を焼き固めたペレット
さて7日から1号機に水素爆発を防ぐための窒素を注入し始めた。ただ、注入しているのは圧力容器の外側にある格納容器内だけ。ところが窒素を注入しても圧力があがらないので、注入した分だけの放射能に汚染された空気が外へ出ていると推測される。
1,2,3号機のそれぞれの格納容器がどうなっているのか、圧力容器内の燃料棒がいったいどうなっているのか、発表では1号機は燃料の7割が損傷、2号機と3号機は約3割が損傷しているという。ということは④のバリアである被覆管の大半がすでに溶けてなくなっているということだ。強い放射線をうけると水自体が水素と酸素に分解する「放射線分解」がおきるということだから、圧力容器内に水素がたまってきて爆発したら・・・・・
日本原子力学会の田中俊一元会長は原発推進のOBだが、ふたたび水素爆発の危険が迫ってきているという。
五重の壁(5層のバリア)とは①原子炉建屋②格納容器③圧力容器④燃料棒の被覆管⑤燃料棒を焼き固めたペレット
さて7日から1号機に水素爆発を防ぐための窒素を注入し始めた。ただ、注入しているのは圧力容器の外側にある格納容器内だけ。ところが窒素を注入しても圧力があがらないので、注入した分だけの放射能に汚染された空気が外へ出ていると推測される。
1,2,3号機のそれぞれの格納容器がどうなっているのか、圧力容器内の燃料棒がいったいどうなっているのか、発表では1号機は燃料の7割が損傷、2号機と3号機は約3割が損傷しているという。ということは④のバリアである被覆管の大半がすでに溶けてなくなっているということだ。強い放射線をうけると水自体が水素と酸素に分解する「放射線分解」がおきるということだから、圧力容器内に水素がたまってきて爆発したら・・・・・
日本原子力学会の田中俊一元会長は原発推進のOBだが、ふたたび水素爆発の危険が迫ってきているという。
2011年4月13日水曜日
東日本大震災復興支援イメージソングⅡ 小蔵 ひでを
続いてその2、満天の星(生きる決意)を発表します。
東日本大震災復興のためのメッセージソング
その二・・・「祈り」
満天の星(生きる決意) 作詞作曲 扇 太郎
��.子供の頃 腰の曲がった祖母さんが
毎日毎日 大津波の怖さを語った
この揺れは尋常でないぞ 大津波来ると思った
いそいで 小高い処に登って逃げた
避難所の 毛布にくるまり見上げた 満天の星
生き延びて ほっとした時だった
��.生き延びて 生きる辛さを知った今
毎日毎日 身内知人の生存祈った
嬉し泣き そのあと知った友の死に くやしと思った
死んで逝った奴等の分まで生きねばならぬ
時ならぬ 寒さの中で見上げた 満天の星
生きて行く 決意した時だった
��.今はただ 生きて行くので精一杯
毎日毎日 避難所暮らしのつれづれに
読む記事の中からも 小さな光が見えてきた
みんなとひとりが 助け合って生きようと 友は言った
この満天の星 苦労も苦しさも忘れさせてくれる
みんな良かったな 生きていられて
(2011年4月13日)
東日本大震災復興のためのメッセージソング
その二・・・「祈り」
満天の星(生きる決意) 作詞作曲 扇 太郎
��.子供の頃 腰の曲がった祖母さんが
毎日毎日 大津波の怖さを語った
この揺れは尋常でないぞ 大津波来ると思った
いそいで 小高い処に登って逃げた
避難所の 毛布にくるまり見上げた 満天の星
生き延びて ほっとした時だった
��.生き延びて 生きる辛さを知った今
毎日毎日 身内知人の生存祈った
嬉し泣き そのあと知った友の死に くやしと思った
死んで逝った奴等の分まで生きねばならぬ
時ならぬ 寒さの中で見上げた 満天の星
生きて行く 決意した時だった
��.今はただ 生きて行くので精一杯
毎日毎日 避難所暮らしのつれづれに
読む記事の中からも 小さな光が見えてきた
みんなとひとりが 助け合って生きようと 友は言った
この満天の星 苦労も苦しさも忘れさせてくれる
みんな良かったな 生きていられて
(2011年4月13日)
東日本大震災 復興支援 イメージソング 小蔵 ひでを
アマチュアとはいえ作詞作曲を趣味と公言する身として、歌で復興支援できないか考えました。新たに作ろうと思いましたがのんびりしてはいられません。思案の末、在庫のリニューアルを思いつきました。命の大切さを訴えた「満天の星」と五本さんの快癒を願った歌「快癒を願う歌」の二曲です。どちらもごく私的な内容の詞であったので、大っぴらな公表は控えていましたが、詞を作り替えてみました。五本さんも許してくれると思います。ご意見いただけると幸いです。
東日本大震災復興のためのメッセージソング
その一・・・「願い」 快癒を願う歌のリニューアル
震災の快癒を願う 作詞作曲 扇 太郎
��.遠い昔からこの辺り 自然に恵まれ暮らしていた
十一年三月十一日 海から突然鬼が現れた
思えばその日に 地獄の日々が始まった
生きているのが 信じられぬ現実
仲間を信じて みんなで頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��.風光明媚なこの土地に 安全なはずの原子炉作る
十一年三月十一日 下から突然鬼が毒づいた
思えばその日に 惨めな日々が始まった
こんなに脆い 目を疑う現実
何とかせねばと 必死で頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��.昔と違い今の世は 世界は一つに繋がっている
十一年三月十一日 ニュースは瞬時に海を渡った
ほんとに世界の 支援の動き速かった
有難う ダンケ メルシー サンキュー シェーシェ
善意を素直に 受け取り頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��2011年4月13日)
東日本大震災復興のためのメッセージソング
その一・・・「願い」 快癒を願う歌のリニューアル
震災の快癒を願う 作詞作曲 扇 太郎
��.遠い昔からこの辺り 自然に恵まれ暮らしていた
十一年三月十一日 海から突然鬼が現れた
思えばその日に 地獄の日々が始まった
生きているのが 信じられぬ現実
仲間を信じて みんなで頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��.風光明媚なこの土地に 安全なはずの原子炉作る
十一年三月十一日 下から突然鬼が毒づいた
思えばその日に 惨めな日々が始まった
こんなに脆い 目を疑う現実
何とかせねばと 必死で頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��.昔と違い今の世は 世界は一つに繋がっている
十一年三月十一日 ニュースは瞬時に海を渡った
ほんとに世界の 支援の動き速かった
有難う ダンケ メルシー サンキュー シェーシェ
善意を素直に 受け取り頑張る
手を取り合って喜びあいたい 快癒を願い続けよう
笑いあえる その時まで
��2011年4月13日)
頻発する余震下のレベル7・・・褌子
フクシマはレベル6(大事故)を飛ばして、チェルノブイリ並みレベル7(深刻な大事故)だという突然の発表に驚いている。
放出放射能は現状ではチェルノブイリの十分の一以下、チェルノブイリは運転中の原子炉そのものが爆発したのにたいして、フクシマは発表を信ずれば核分裂は停止していて一応、圧力釜も格納機もいまのところ原型をとどめているようだ。
問題はチェルノブイリがただ一機だけの原子炉爆発炎上で10日間で収束したのに、フクシマは3機が全部冷却系破壊で水素爆発、水蒸気爆発をふせぐために外部から必死で注水冷却し、運転中止中だった4号機もふくめて4機全部の使用済み核燃料の外部からの注水にも追われていることだ。(水素爆発防止で窒素圧入の1号機は圧力があがらんから圧力釜も破損か?)
一時も休まず膨大な水を注がねばならない。当然垂れ流しで膨大な汚染水処理に追われて一ヶ月たってしまった。
外部電源はきているから循環的な冷却系が4機全部で構築されれば収束の見通しがたったことになる。
ところは現状は外部からの絶対不可欠の注水すら、頻発する大きな余震のためにときに中断するという有様。猛烈な放射能にさらされながら(アメリのロボットも高放射能で誤作動したと報じられている)4機全部で循環冷却系を本当に再構築する作業ができるのか、めちゃくちゃになった巨大な配管類のかわりに放射能と余震とたたかいながら新しい配管を接続しポンプを動かす。それも4機全部でそんなことが果たして可能なのか…。
とても無理だという判断もあるのか、4機の建屋をそっくり超巨大なプールで囲って水没させるという奇策もでているらしい。
結局、収束までいつまでつづくかわからないということだ。だからその間も放出しつづける総放射能を考えるとレベル7ということなのか・・・・
核に火をつけることはできても、火を消すことはできない。
放出放射能は現状ではチェルノブイリの十分の一以下、チェルノブイリは運転中の原子炉そのものが爆発したのにたいして、フクシマは発表を信ずれば核分裂は停止していて一応、圧力釜も格納機もいまのところ原型をとどめているようだ。
問題はチェルノブイリがただ一機だけの原子炉爆発炎上で10日間で収束したのに、フクシマは3機が全部冷却系破壊で水素爆発、水蒸気爆発をふせぐために外部から必死で注水冷却し、運転中止中だった4号機もふくめて4機全部の使用済み核燃料の外部からの注水にも追われていることだ。(水素爆発防止で窒素圧入の1号機は圧力があがらんから圧力釜も破損か?)
一時も休まず膨大な水を注がねばならない。当然垂れ流しで膨大な汚染水処理に追われて一ヶ月たってしまった。
外部電源はきているから循環的な冷却系が4機全部で構築されれば収束の見通しがたったことになる。
ところは現状は外部からの絶対不可欠の注水すら、頻発する大きな余震のためにときに中断するという有様。猛烈な放射能にさらされながら(アメリのロボットも高放射能で誤作動したと報じられている)4機全部で循環冷却系を本当に再構築する作業ができるのか、めちゃくちゃになった巨大な配管類のかわりに放射能と余震とたたかいながら新しい配管を接続しポンプを動かす。それも4機全部でそんなことが果たして可能なのか…。
とても無理だという判断もあるのか、4機の建屋をそっくり超巨大なプールで囲って水没させるという奇策もでているらしい。
結局、収束までいつまでつづくかわからないということだ。だからその間も放出しつづける総放射能を考えるとレベル7ということなのか・・・・
核に火をつけることはできても、火を消すことはできない。
2011年4月11日月曜日
同感だ。・・・・逸徳
もう数十年も前に浜岡原発の地元の高校にいたころ、生徒に原発とエネルギーについての特別授業を2か月くらいやったことがある。これナチスドイツ下でヒットラー批判をやるようなもんで、よくまあ問題にならなかったと今でも感心している。で、そのころ思ったことは、いくら文部省がぎゃあぎゃあいい、勤務評定だ組合つぶしだと奔走しても、やつらには教壇まではまだ支配する能力はないという実感であった。そりゃそうで、たとえば国語が専門の校長が化学の授業をみてもけちがつけれるわけがない。結局のところ大事なのは、教師の思想性だと思っていた。
で、そのころ使った資料のなかでロサンジェルスだったと思うが、アメリカのある大都市の交通事情の変化の歴史をあつかったことがある。最初電車網が発達した。郊外のベットタウンをむすぶ電車の路線がたくさんうまれた。次におこったのがすごい。新興資本の自動車産業が次々に電車の会社の株を買い、筆頭株主になるのである。そして、つぎつぎに郊外の路線を廃止する。当然郊外ベットタウンの住民は困る。そこに自動車を売り込んでいったのである。
資本主義のもとでは、大衆のニーズにこたえて市場が形成され、それに答え得た企業が勝利者として市場を制覇していく。だがニーズがなかったら?? ニーズをつくりだすのである。なかみはほとんど変わらず、包装を変え値段をあげて、売り上げを伸ばした化粧品。そこで「これを使うときれいになる」という夢が売られ、幻想に金を払うニーズがつくりだされる。 もうひとつ、スポーツ飲料。ポカリスエットが典型だが、あれほど見事な「つくりだされたニーズ」はない。現役のころ授業で、ポカリスエットを自分でつくれるかという話をしたことがある。きわめて簡単で、薬品庫にあるようなものを数種まぜるだけでいい。200円のポカリスエットの中身の原価は2円くらいだろうという話をしたら、生徒たちが絶句していた。
資本主義のもとではニーズはつくりだされ、大衆はおどらされる。世界一といわれたアメリカのセールスマンに「もっと売りたいものは?」と聞いたら「エスキモーに電気冷蔵庫。アフリカの赤道直下の何とか族に石油ストーブ」と答えた有名なエピソードがある。 こういう手合いにだまされないように今の世界を生きていくのはもうまったく大変な主体性と自立心と知性を必要とする作業なんだとおもう。
もういいー。みんなもうちっと頭を冷やそう・・・といいつつ、東北の蔵元の要請にこたえて、今夜も飲むか。
で、そのころ使った資料のなかでロサンジェルスだったと思うが、アメリカのある大都市の交通事情の変化の歴史をあつかったことがある。最初電車網が発達した。郊外のベットタウンをむすぶ電車の路線がたくさんうまれた。次におこったのがすごい。新興資本の自動車産業が次々に電車の会社の株を買い、筆頭株主になるのである。そして、つぎつぎに郊外の路線を廃止する。当然郊外ベットタウンの住民は困る。そこに自動車を売り込んでいったのである。
資本主義のもとでは、大衆のニーズにこたえて市場が形成され、それに答え得た企業が勝利者として市場を制覇していく。だがニーズがなかったら?? ニーズをつくりだすのである。なかみはほとんど変わらず、包装を変え値段をあげて、売り上げを伸ばした化粧品。そこで「これを使うときれいになる」という夢が売られ、幻想に金を払うニーズがつくりだされる。 もうひとつ、スポーツ飲料。ポカリスエットが典型だが、あれほど見事な「つくりだされたニーズ」はない。現役のころ授業で、ポカリスエットを自分でつくれるかという話をしたことがある。きわめて簡単で、薬品庫にあるようなものを数種まぜるだけでいい。200円のポカリスエットの中身の原価は2円くらいだろうという話をしたら、生徒たちが絶句していた。
資本主義のもとではニーズはつくりだされ、大衆はおどらされる。世界一といわれたアメリカのセールスマンに「もっと売りたいものは?」と聞いたら「エスキモーに電気冷蔵庫。アフリカの赤道直下の何とか族に石油ストーブ」と答えた有名なエピソードがある。 こういう手合いにだまされないように今の世界を生きていくのはもうまったく大変な主体性と自立心と知性を必要とする作業なんだとおもう。
もういいー。みんなもうちっと頭を冷やそう・・・といいつつ、東北の蔵元の要請にこたえて、今夜も飲むか。
良い機会 ・・・ 猫跨ぎ
石原知事が福島原発の発電量は自動販売機やパチンコの消費電力に匹敵すると言ったらしいが、考えてみると、慣らされたが、こんなのもう要らないというのが沢山ある。もうひと昔前か、夜の静かな住宅地に忽然と現れたコンビニの煌々とした明るさにびっくりしたものだ。無駄だなあという気持ちはその内に消えてしまったが、はっきり言ってこれは無駄だ。夜は静かに休むもの。
たった一人で1トン近い鉄塊をガソリン使って何の用事か知らんが街中を走らせている、と呟いたのは先日、逸徳氏だったかな。これも多くは要らんな(嫌な顔をしている向きも多かろうが)。経済の活性化のためという理屈にみな黙ってしまったが。そんなこんなで今の経済というか時代が成り立っている根幹にメスを入れる良い機会ではないか。千載一遇の機会ではないか。
・品切れの張り紙赤き余寒かな
・浦安の砂に躓く荷風の忌
・朴散華鉄さび土に還りけり
・ベーコンの縁の赤さや放哉忌
・三月尽鉄筋はみなへしまがり
たった一人で1トン近い鉄塊をガソリン使って何の用事か知らんが街中を走らせている、と呟いたのは先日、逸徳氏だったかな。これも多くは要らんな(嫌な顔をしている向きも多かろうが)。経済の活性化のためという理屈にみな黙ってしまったが。そんなこんなで今の経済というか時代が成り立っている根幹にメスを入れる良い機会ではないか。千載一遇の機会ではないか。
・品切れの張り紙赤き余寒かな
・浦安の砂に躓く荷風の忌
・朴散華鉄さび土に還りけり
・ベーコンの縁の赤さや放哉忌
・三月尽鉄筋はみなへしまがり
2011年4月10日日曜日
大天災Ⅲ・・・不思議な予感 小蔵 ひでを
今年のほろほろ会春の例会も無事に終わりました。今回の企画はあたかも震災を予感させるような内容だったと、不思議な気分になりました。3月1日に集まった幹事会で、昔話をしている時に、もう一度どじょうが食いたいとの発言が有り、即座に会場「駒形どぜう」が決まりました。日時も、4月7日の木曜日(従来は金曜日)それも真昼間の2時半~3時頃と、今から考えれば自粛モードです。散歩コースは、数年前に何かの行事で行ったことのある、回向院をメインとして、両国界隈を巡った後厩橋を渡って駒形へ行くコースを考えました。回向院は、今から350年ほど前の明暦3年に発生した明暦大火で亡くなった10万人ともいわれる犠牲者の無縁仏の冥福に祈りをささげるために建立されました。その後の震災、火災、戦災等の犠牲者の慰霊碑等が立ち並ぶ、不幸な方々のためのお寺です。近くの四十七士が討ち入りした吉良邸跡、相撲博物館、旧安田庭園等をコースに入れていましたが、相撲博物館の入り口には、大勢のマスコミの人たちがおり、それを掻き分けて入る勇気もないのでカット、安田庭園は、今度の地震で傷んだ箇所が有る為当面閉館、ということで、時間が余った時の代案としていた、横網町公園に寄る事にしました。ここには、関東大震災や、東京大空襲の資料、絵画、写真等を展示する「東京都復興記念館」があります。私は、恥ずかしながら全く知りませんでした。すべての状況が我々をこの場所に導いてくれました。まるでこの度の震災後に建てられた計画のようです。不思議な感じがします。時間一杯ゆっくり見学できました。会の詳報は、猫跨ぎ、褌子、国兼各氏の報告の通りで、静かな語らいの一時でした。今年の秋の例会は、東北地方に激励に行こうということになりました。復興の状況を見ながら、決めたいと思います。
2011年4月9日土曜日
ほろほろ会:駒形屋編・・国兼
今年の4月のホロホロ会は両国駅で待ち合わせ、2時間近く散策をしながら駒形屋の「どぜう料理」という、恒例の上野公園での桜観賞とは趣を代えた趣向である。
20年近くなるだろうか?ホロホロ番外編でこの駒形屋で「どぜう」を食べたことがある。あの時は10cmを越える太くて、大きなどぜうで、いささかげんなりした記憶がある。通は頭から骨ごと食べるらしいが、身をほぐして食べたことを思い出した。今回はどぜうも小ぶりで、ごぼうとねぎの絶妙の組み合わせの「どぜう鍋」で、又 冷酒のと相俟って実に美味しく、かつ楽しく食をした。
驚いたのは、平日の2時30分の予約にもかかわらず駒形屋の前には10人を越える人が待っていたことである。流石、210年の伝統を持った老舗は違うなと・・・。上野公園の花見は自粛の嵐で提灯も無く、暗闇の中、懐中電灯を用いてお酒を飲んでいる悲しい風景がテレビに映し出されていたが(何かあると直ぐ自粛と、他人にまでおせっかいを焼くなと、自分独りで静かに自粛せよと慎太郎に言いたいね)、それに引き換えこの駒形屋の繁昌ぶりはと・・・、欲を言えば、宮城、岩手、福島産のお酒があったら「どぜう鍋」もより冴えたことと思う。
どぜう鍋とお酒の美味しさで集合写真を撮るのを忘れてしまった。駒形屋の前での写真を下に載せます(中川さんは遅れてきたので、残念ながらこの写真には写っていません)。

20年近くなるだろうか?ホロホロ番外編でこの駒形屋で「どぜう」を食べたことがある。あの時は10cmを越える太くて、大きなどぜうで、いささかげんなりした記憶がある。通は頭から骨ごと食べるらしいが、身をほぐして食べたことを思い出した。今回はどぜうも小ぶりで、ごぼうとねぎの絶妙の組み合わせの「どぜう鍋」で、又 冷酒のと相俟って実に美味しく、かつ楽しく食をした。
驚いたのは、平日の2時30分の予約にもかかわらず駒形屋の前には10人を越える人が待っていたことである。流石、210年の伝統を持った老舗は違うなと・・・。上野公園の花見は自粛の嵐で提灯も無く、暗闇の中、懐中電灯を用いてお酒を飲んでいる悲しい風景がテレビに映し出されていたが(何かあると直ぐ自粛と、他人にまでおせっかいを焼くなと、自分独りで静かに自粛せよと慎太郎に言いたいね)、それに引き換えこの駒形屋の繁昌ぶりはと・・・、欲を言えば、宮城、岩手、福島産のお酒があったら「どぜう鍋」もより冴えたことと思う。
どぜう鍋とお酒の美味しさで集合写真を撮るのを忘れてしまった。駒形屋の前での写真を下に載せます(中川さんは遅れてきたので、残念ながらこの写真には写っていません)。
2011年4月8日金曜日
災害は・・・猫跨ぎ
昨日は一足早く失礼したが、わが愛猫も普段と変わりなくまずは安心。一人住まいであれば、色々気を使うことも多い。
褌子氏記の言うとおり、回向院の石碑、石塔や、横網町公園の記念碑、復興記念館見学は、今回の東北大震災から一月の今日、余りのタイミングの良さに茫然とするばかり。 回向院の碑にあった明暦大火は焼死者10万人を弔う。これは幕命であったとか。これを機に、安政の大地震はじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬することとなったという。
復興記念館は関東大震災の資料はみな珍しい物ばかりだったが、地震後の火事が人的被害の主原因であったことを改めて再認識。死者10万人は明暦大火の死者数と妙に符合するのも気味が悪い。米国市民に救済募金を呼びかける米国赤十字のポスター も珍しい。このわずか二十年後、彼等は焼夷弾を大量に落とすことになる。 国家間の友好とはかくもはかない。関東大震災のとき、米国は東京の被害状況をつぶさに調べている。この空襲作戦に役立てたのは間違いない。 この時の死者数は8~10万とか。何か似た数字がまたうす気味悪い。
寺田寅彦の「災害は忘れた頃にやってくる」。まったく至言というしかない。
褌子氏記の言うとおり、回向院の石碑、石塔や、横網町公園の記念碑、復興記念館見学は、今回の東北大震災から一月の今日、余りのタイミングの良さに茫然とするばかり。 回向院の碑にあった明暦大火は焼死者10万人を弔う。これは幕命であったとか。これを機に、安政の大地震はじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬することとなったという。
復興記念館は関東大震災の資料はみな珍しい物ばかりだったが、地震後の火事が人的被害の主原因であったことを改めて再認識。死者10万人は明暦大火の死者数と妙に符合するのも気味が悪い。米国市民に救済募金を呼びかける米国赤十字のポスター も珍しい。このわずか二十年後、彼等は焼夷弾を大量に落とすことになる。 国家間の友好とはかくもはかない。関東大震災のとき、米国は東京の被害状況をつぶさに調べている。この空襲作戦に役立てたのは間違いない。 この時の死者数は8~10万とか。何か似た数字がまたうす気味悪い。
寺田寅彦の「災害は忘れた頃にやってくる」。まったく至言というしかない。
2011年4月7日木曜日
小蔵ひでをさんありがとう・・・褌子
3月11日に不慮の死をとげた多くの人々のことをおもうと、駒形どぜふのお酒は生きていてこその特別の味わいだった。
柳生さん、中川さんとの再会もいつもの再会ではなく格別な再会だと思った。隅田川の満開の桜の花もいつもの花ではなかった。
吉良邸そばの回向院の数々の歴史的慰霊碑、震災記念堂、朝鮮人虐殺の慰霊碑、東京大空襲の慰霊碑など、大震災の直後だけにとりわけ深い感慨なしにはみることができない。私にはすべてはじめて訪ねた地である。冥界のひとびととこれから生を受けるひとびとにはさまれた瞬間にいま生きていることを思った。
この貴重な企画をしてくださった小倉さんに心から感謝したい。
柳生さん、中川さんとの再会もいつもの再会ではなく格別な再会だと思った。隅田川の満開の桜の花もいつもの花ではなかった。
吉良邸そばの回向院の数々の歴史的慰霊碑、震災記念堂、朝鮮人虐殺の慰霊碑、東京大空襲の慰霊碑など、大震災の直後だけにとりわけ深い感慨なしにはみることができない。私にはすべてはじめて訪ねた地である。冥界のひとびととこれから生を受けるひとびとにはさまれた瞬間にいま生きていることを思った。
この貴重な企画をしてくださった小倉さんに心から感謝したい。
2011年4月6日水曜日
受難曲・・・猫跨ぎ
バッハのマタイ受難曲をずっとかけてPCに向かっている。CDのカバーを見ていたら、受難曲ってPassionというらしい。パッション?熱情か。辞書を調べるとPassionとは、①熱情②受難、らしい。皮肉なもんだ。恐るべき受難であったが、まあ熱情をもって立ち向かうしかないだろう。 バッハにはこの他、ヨハネ受難曲がある。これらがBGMにすこぶるよろしい。お試しあれ。
朝のニュースで水ガラス注入で漏水が一応とまったらしい。又何か起こるだろうが。低濃度の一万トンは海へ投棄中。太平洋諸国からどんな反応が来るか。ビキニで米国はさんざん海(むしろ大気か)を汚したがあの総量に比べどうなのかな。
想定外がどうこうという議論は今は虚しい。想定外だったと言ったところで東電の責任が軽くなるわけでもあるまい。3兆円の内部留保があるらしいが全部吐き出しても足らない。GEは福島原発の製造者(当時は石川島や東芝は下請け)だから来るのは当然。フランスの会社が来たのもビジネスだと、斜に構えたいいかたはどうかな。彼等もここが収まってくれなければ原発産業自体が危うくなる。必死だろう。3.11以後、世界は変わった。
朝のニュースで水ガラス注入で漏水が一応とまったらしい。又何か起こるだろうが。低濃度の一万トンは海へ投棄中。太平洋諸国からどんな反応が来るか。ビキニで米国はさんざん海(むしろ大気か)を汚したがあの総量に比べどうなのかな。
想定外がどうこうという議論は今は虚しい。想定外だったと言ったところで東電の責任が軽くなるわけでもあるまい。3兆円の内部留保があるらしいが全部吐き出しても足らない。GEは福島原発の製造者(当時は石川島や東芝は下請け)だから来るのは当然。フランスの会社が来たのもビジネスだと、斜に構えたいいかたはどうかな。彼等もここが収まってくれなければ原発産業自体が危うくなる。必死だろう。3.11以後、世界は変わった。
2011年4月5日火曜日
科学者から反省の弁も・・・・ 褌子
原発を推進してきた官僚も政治家も財界人も研究者・技術者からも、さらにヘルメット姿で安全宣伝をかってでた有名文化人からも真摯な反省の弁がいまだに聞こえてこないと、内橋克人さんが静かな口調だが怒りの告発をしていた。
きょうの「東京新聞」で福島第一原発の耐震設計審査指針の改訂作業の中心になった国の原子力安全耐震設計特別委員長の入倉孝次郎京大名誉教授(70)が「地震学者のひとりとして非常に申し訳なく思っている。私たちの津波評価が正しくなかった。想定以上の大地震がきたことはまったく理由にならない」と謝罪した。
「貞観地震(869年)までは想定していたが、プラス他の地震が連動するとは想定外だった…。しかし想定以上のことが怒っても原発は安全なように設計されていないといけなかった。科学の力が及ばないことが起きたとは絶対言ってはいけない。それが原発の『設計思想』のはずだったのに、何があっても多重防護で大丈夫だと言ってきたのが、うそだった。人災だと思う。申し訳なく思っている。
自然の怖さを知って原発を設計することです。自然のせいにしてはいけない。自然では人知を超えたものが起こりうるんです」
いっぽう国策だとして推進してきた経産省のもとの保安院の官僚は今も「千年に一度の津波で原発の五重のバリアがすべて破られてしまったのはまったく想定外でした」
廃炉にも一機千億単位の天文学的巨費と巨大なエネルギーを消費して数十年かかるとは…
米仏のGEやアルバの技術陣が救援にかけつけてきたのは、実は廃炉ビジネス受注が狙いだと新聞が報じている。
きょうの「東京新聞」で福島第一原発の耐震設計審査指針の改訂作業の中心になった国の原子力安全耐震設計特別委員長の入倉孝次郎京大名誉教授(70)が「地震学者のひとりとして非常に申し訳なく思っている。私たちの津波評価が正しくなかった。想定以上の大地震がきたことはまったく理由にならない」と謝罪した。
「貞観地震(869年)までは想定していたが、プラス他の地震が連動するとは想定外だった…。しかし想定以上のことが怒っても原発は安全なように設計されていないといけなかった。科学の力が及ばないことが起きたとは絶対言ってはいけない。それが原発の『設計思想』のはずだったのに、何があっても多重防護で大丈夫だと言ってきたのが、うそだった。人災だと思う。申し訳なく思っている。
自然の怖さを知って原発を設計することです。自然のせいにしてはいけない。自然では人知を超えたものが起こりうるんです」
いっぽう国策だとして推進してきた経産省のもとの保安院の官僚は今も「千年に一度の津波で原発の五重のバリアがすべて破られてしまったのはまったく想定外でした」
廃炉にも一機千億単位の天文学的巨費と巨大なエネルギーを消費して数十年かかるとは…
米仏のGEやアルバの技術陣が救援にかけつけてきたのは、実は廃炉ビジネス受注が狙いだと新聞が報じている。
2011年4月4日月曜日
原発写真・・・・褌子
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/430.html
上のアドレスをクリックしてごらんください。
非常に鮮明です。10枚くらいあります。爆撃をうけたみたいです。この写真が外国で公開されて海外では騒然となっている.
上のアドレスをクリックしてごらんください。
非常に鮮明です。10枚くらいあります。爆撃をうけたみたいです。この写真が外国で公開されて海外では騒然となっている.
2011年4月3日日曜日
函館通信143・・・呆ける・・・仁兵衛
大災害から3週間が経ってしまった。いわきはあまりニュースに出て来ないが276人の死者が出ている。3年半前まで住んでいた地区で二人の先輩の行方がまだ判っていない。グーグルから「いわき 津波」を検索したら生々しい映像が沢山見る事が出来た。見るほどに涙が出て止まらなかった。
一方、一部で水道の復帰が遅れているのと放射能の風評被害でまず物が入ってこないのに困っていた。友人で原発から60kしか離れていないいわきをすぐさま移ったのが5人ほどいたが既に3人は戻って来た様だ。しかし、これからの状況変化次第では移れる態勢はみんな残していると言ってきた。それでなくても活気のなかった地方の商店街、住宅地は更にひっそりとしてしまっているとも友人から連絡があった。空き家は空き巣に入られてともTVで報じていた。
褌子さんと国兼さんを案内したあの六角堂も全く無くなってしまった。気持ちの上でもなかなか俳句を創る意欲が減退してしまったなと感じています。絶景を見てなかなか句が出てこないのの反対に悲惨な気持ちが心を支配してしまっているのかな。災害の句は書くまいと思っていたが到底だめだ。いっそのこと吐き出してしまった方が良いのかも知れないと思い十句出しました。
・ 安心の神話崩れて春の波
・ 余震きて日永うしろへ下がりけり
・ 鳥帰る押し潰された瓦屋根
・ 辛夷咲く地上に涙流しつつ
・ もどかしく電話を切りて春の月
・ 異次元を覗いてをりし朧月
・ 粘菌のすばやく動き春を呑む
・ 問題も影響もなく四月馬鹿
・ 悔しさを犬にぶつけて春浅し
・ 陽炎や馬上から落つ神話かな
一方、一部で水道の復帰が遅れているのと放射能の風評被害でまず物が入ってこないのに困っていた。友人で原発から60kしか離れていないいわきをすぐさま移ったのが5人ほどいたが既に3人は戻って来た様だ。しかし、これからの状況変化次第では移れる態勢はみんな残していると言ってきた。それでなくても活気のなかった地方の商店街、住宅地は更にひっそりとしてしまっているとも友人から連絡があった。空き家は空き巣に入られてともTVで報じていた。
褌子さんと国兼さんを案内したあの六角堂も全く無くなってしまった。気持ちの上でもなかなか俳句を創る意欲が減退してしまったなと感じています。絶景を見てなかなか句が出てこないのの反対に悲惨な気持ちが心を支配してしまっているのかな。災害の句は書くまいと思っていたが到底だめだ。いっそのこと吐き出してしまった方が良いのかも知れないと思い十句出しました。
・ 安心の神話崩れて春の波
・ 余震きて日永うしろへ下がりけり
・ 鳥帰る押し潰された瓦屋根
・ 辛夷咲く地上に涙流しつつ
・ もどかしく電話を切りて春の月
・ 異次元を覗いてをりし朧月
・ 粘菌のすばやく動き春を呑む
・ 問題も影響もなく四月馬鹿
・ 悔しさを犬にぶつけて春浅し
・ 陽炎や馬上から落つ神話かな
2011年4月1日金曜日
正夢に・・・猫跨ぎ
今、原子炉は一定の小康状態にあるらしい。汚染水の処置など難問山積ではあるが。
アメリカの協力(指揮?)の下、原子炉の廃炉に向けてのステップが始動し出したらしい。放射能対策はフランスの指導の下で進められつつあるらしい。何でもいいが、暴れ馬を鎮めて眠りに導いてほしい。数年がかりのミッションか。原子炉は数年後石棺に覆われ、周囲数キロは半永久的に立入禁止区域に。ヒマワリや菜の花の花畑になる。これで充分だ。正夢になって欲しいね。
金子兜太の思いは今大概の日本人が抱いている思いであろう。神輿を担いでワイワイと吊り橋を渡っていたことに気付いたという感じか。
日本の技術の敗北の様な気がするね。枝葉は見るが総体は見ていない。今回の事故の反省もいずれされるのだろうがその辺が浮き彫りになるのだろう。
緊急用の作業ロボットがあるにはあったが、部品がないまま放置されていたとか。また東電が叱られている。
アメリカの協力(指揮?)の下、原子炉の廃炉に向けてのステップが始動し出したらしい。放射能対策はフランスの指導の下で進められつつあるらしい。何でもいいが、暴れ馬を鎮めて眠りに導いてほしい。数年がかりのミッションか。原子炉は数年後石棺に覆われ、周囲数キロは半永久的に立入禁止区域に。ヒマワリや菜の花の花畑になる。これで充分だ。正夢になって欲しいね。
金子兜太の思いは今大概の日本人が抱いている思いであろう。神輿を担いでワイワイと吊り橋を渡っていたことに気付いたという感じか。
日本の技術の敗北の様な気がするね。枝葉は見るが総体は見ていない。今回の事故の反省もいずれされるのだろうがその辺が浮き彫りになるのだろう。
緊急用の作業ロボットがあるにはあったが、部品がないまま放置されていたとか。また東電が叱られている。
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