多分、形を変えた戦争なんだろう。クラシカルな戦争は或る昂揚感があった。今度の原発事故はひたすら陰々滅々の戦争だ。ずっと跡を引き、どんな結果になろうとも敗北感に苛まれる。我々の内面に食い込み続け、逃げることは許されない。丸ごと受け入れ、堪え続ける。終わって、マイナスからゼロの地点にもどるだけ。こんな経験はそうは多くない。
原子力発電の作った電気でからくも支えられる文明は我々にとって必要か。我々の社会、我々一人一人の生が意味を持つのなら、それと関係のないものは洗いざらいその本質を暴露されるべきだろう。少なくともその選別を逃れようとするものは信用しない。
生命工学は生命倫理学の俎上にのせられる。同じ意味合いで原子力利用に倫理学のアプローチはあったのだろうか。中性子をぶつけての連鎖反応。プルトニウムという自然界に存在しない核種の産生。これは倫理学の対象ではないのか。奥深いところで、許されるのか。
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