2011年4月25日月曜日

貞観時代(859~877年)・・・褌子

  貞観地震を研究してきた産業技術総合研究所の宍倉正展・海溝型地層履歴研究チーム長は東日本大震災を「貞観11年(869年)の貞観地震の再来」だという。
   『日本三代実録』(901年完成)に貞観11年の項には「陸奥國地大震動」と書かれているという。海口哮吼という記述もあるらしい。
  そこで貞観(じょうがん)という時代は平安遷都から75年たった元号だがどんな時代かと調べてみた。清和天皇(源氏の元祖)のころらしい。
  貞観時代には、陸奥國地大震動のほかに越中越後地震。富士山は大噴火し溶岩が青木ケ原樹海の原型をつくった。播磨で地震。余震による京都での体感地震も20回を超えた。
  肥後・大和でも大地震が起きた。この時期には阿蘇山、鳥海山、開聞岳の噴火のほかたびたびの疫病も記録されている。貞観3年には現在の福岡県直方市に「直方隕石」が落ちた。世界で最も古い落下記録のある隕石だ。
  貞観時代は空海、最澄らが中国から持ち帰った仏教文化が花開き、仏教への帰依による安心感から「安全神話」も広がっていた。大地震は平安京を舞台に貴族文化を享受していた支配層に衝撃をあたえた。政治面でも藤原氏中心の摂関制が確立され波乱の時代だった。
  若き菅原道真が受験した貞観12年の高等文官試験には「地震を論ぜよ」という問題があったほどで前年の地震に対する朝廷の動揺の大きさがわかる。
  現在の祇園祭は貞観期の祇園御霊会が始まりで、相次ぐ天災を受け、怨霊を鎮める祭りとして始まったものだ。
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  さて「そのとき869年」から1142年たった2011年3月11日、再び陸奥の國の大地は大震動し、海が激しく咆哮した。
  そして貞観の年にはない、原発放射能対策で現代日本人はいま言葉を失っている。
  日本列島が地殻活動期に入ったといわれるが、われわれが貞観時代から学ぶものはたくさんあるのではないか。
 
  

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