もう数十年も前に浜岡原発の地元の高校にいたころ、生徒に原発とエネルギーについての特別授業を2か月くらいやったことがある。これナチスドイツ下でヒットラー批判をやるようなもんで、よくまあ問題にならなかったと今でも感心している。で、そのころ思ったことは、いくら文部省がぎゃあぎゃあいい、勤務評定だ組合つぶしだと奔走しても、やつらには教壇まではまだ支配する能力はないという実感であった。そりゃそうで、たとえば国語が専門の校長が化学の授業をみてもけちがつけれるわけがない。結局のところ大事なのは、教師の思想性だと思っていた。
で、そのころ使った資料のなかでロサンジェルスだったと思うが、アメリカのある大都市の交通事情の変化の歴史をあつかったことがある。最初電車網が発達した。郊外のベットタウンをむすぶ電車の路線がたくさんうまれた。次におこったのがすごい。新興資本の自動車産業が次々に電車の会社の株を買い、筆頭株主になるのである。そして、つぎつぎに郊外の路線を廃止する。当然郊外ベットタウンの住民は困る。そこに自動車を売り込んでいったのである。
資本主義のもとでは、大衆のニーズにこたえて市場が形成され、それに答え得た企業が勝利者として市場を制覇していく。だがニーズがなかったら?? ニーズをつくりだすのである。なかみはほとんど変わらず、包装を変え値段をあげて、売り上げを伸ばした化粧品。そこで「これを使うときれいになる」という夢が売られ、幻想に金を払うニーズがつくりだされる。 もうひとつ、スポーツ飲料。ポカリスエットが典型だが、あれほど見事な「つくりだされたニーズ」はない。現役のころ授業で、ポカリスエットを自分でつくれるかという話をしたことがある。きわめて簡単で、薬品庫にあるようなものを数種まぜるだけでいい。200円のポカリスエットの中身の原価は2円くらいだろうという話をしたら、生徒たちが絶句していた。
資本主義のもとではニーズはつくりだされ、大衆はおどらされる。世界一といわれたアメリカのセールスマンに「もっと売りたいものは?」と聞いたら「エスキモーに電気冷蔵庫。アフリカの赤道直下の何とか族に石油ストーブ」と答えた有名なエピソードがある。 こういう手合いにだまされないように今の世界を生きていくのはもうまったく大変な主体性と自立心と知性を必要とする作業なんだとおもう。
もういいー。みんなもうちっと頭を冷やそう・・・といいつつ、東北の蔵元の要請にこたえて、今夜も飲むか。
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