2014年2月11日火曜日

雨宮処凜さんのファンになりまして・・・褌子

  都知事選がすんだら脱原発で細川を応援した人たちと宇都宮を応援した人たちでノーサイドでいこう、いや舛添みたいなのを都知事にしちゃったんだからノーサイドというわけにはいかんとか論争がネット上を賑わしている。そこで雨宮処凜のブログ発言を読んだら感動したので転載してみる。

   ■■ 都知事選 私の選択、あなたの選択。の巻 ■■
 都知事選が始まった。
 前回書いた通り、それぞれの候補者の政策を比較し、そうして私は、やっぱり決めた。宇都宮さんを応援しようと。
 細川氏がどんなことを掲げるのか、非常に興味があった。また、それ以外の人たちの政策にも期待はあった。が、それぞれの政策を読み、やはり今の「生活者」の実態を、現場の声として最も知っているのが宇都宮さんだと思って、決めた。
 だけど、そのことをこうして公表するにあたって、強調しておきたいことがある。
 それは、当たり前のことだけど、自分と違う選択をした人についてどうこう言う気はさらさらないということだ。同時に、私の選択についても、あれこれ言われたくはない。
 「一本化」を巡るもろもろは、「脱原発」を目指す人の間で分断を産んでしまっている面は否めない。
 だからこそ、今、改めて、書いておきたい。
 今回の都知事選、私自身、今までにないくらいに悩み、たくさんのことを考えた。そして私の周りの人たちも、本当に悩み抜いていたことを知っている。
 誰かが本気で考えた果ての選択を、否定したり批判したりする資格は誰にもない。少なくとも、私は他人の選択を批判できるほど偉くもないし、頭も良くない。「自分と意見の違う誰か」より自分の方が考えているなんて、そんなおこがましいこと、絶対に思いたくない。その上、超能力者でもない限り、この都知事選の結果がどうなるかなんて、誰にもわからないのだ。
 自分と違う選択をした人だけでなく、距離をとって静観することに決めた人たちの心にも、ちゃんと思いを馳せていたいと思う。
 とにかく、どんな結果になろうとも、このことが禍根を残すようなことにだけはなってほしくない。そのためには、それぞれの立場の人たちが、「自分と違う意見の人」を尊重することが重要なのだと思う。というか、「違う意見の人を認める」「考えの違いを受け入れる」って、民主主義の基本中の基本ではないだろうか。
 きっと誰しもが、「民主的な都政」を望んでいるはずだ。
 それなのに、その都知事選で誰を応援するかによって「敵」「味方」に別れてしまったり、誰かの選択が批判されてしまうなんて、まったくもって本末転倒だと思うのだ。
 多様な意見が尊重されること。意見の違いで排除されないこと。
 それこそが、私たちが求めていたものではなかったか。
 311以降、私たちはいろんな壁を乗り越えてきた。これまでだったら考えられないようなたくさんの人たちに運動が広まり、多くの人と連帯する喜びを噛み締めてきた。時には、左右が共闘するような場面だってあった。この3年近く、私たちはさまざまなものを培ってきた。多くの人が、「都知事選候補の選択」という一点によって「誰かを見る目」が変わらないほどの信頼関係を、たくさんの人と築いてきたはずだ。
 だから、基本的には楽観している。
 そしてもし、本当に万が一、私にとって、そして脱原発運動、反貧困運動にとって好ましくない結果になろうとも、それを決して「誰かのせい」にはしたくない。
 これまで8年近く、反貧困運動などにかかわってきて、痛感していることがある。
 それは運動が停滞したりうまくいかない時、人は「犯人探し」をしたくなる誘惑にかられるということだ。
 「こういう問題があるから、うまくいかないのだ」「この人が原因で、いろいろなことが進まないのだ」。 
 だけど、それは大抵の場合、勘違いでいいがかりで責任の丸投げだ。私の場合、いろいろとうまくいかないことを認めるのが苦しくて、「誰かのせい」「何かのせい」にしてきたことが、恥ずかしながら、何度かある。だからこそ、もう2度とそんなことはしたくないと思っている。
 投開票日まで、あと10日ほど。
 今、この国はとてつもなく大きな分岐点にあるのだと思う。
 その中で、自分に何ができるのか。意見の違う人たちとも話し合いながら、模索していこうと思う。

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