夕べは酔っていたので真面目に書き直します。
仁ちゃんの投句につづき九州の熊さんや小蔵ひでをさんが投稿jし、また盛り上がってきましたね。
私はマレーシアに来て四日目です。クアラルンプールは30数度で閉口しましたが、きょう車で訪問したマラッカはマラッカ海峡に面しているせいか、それほど暑くありません。
ポルトガル人がマラッカに現れたのは1511年、そのときにポルトガル軍が築いた要塞が残っています。その丘の上から見下ろすと遙かかなたのマラッカ海峡を行き来する巨船が何艘もみえました。鹿児島出身の「やじろう」がマラッカで出会ったフランシスコ・ザビエルに心酔し、ザビエルを連れて日本に帰り島津の殿様に紹介したという祈念碑もカトリック教会の庭にありました。
ポルトガルは新興勢力のオランダに追い払われ、そのオランダもイギリスにマレー半島を奪われ、イギリスの長い植民地支配が続きますが、1941年12月8日にマレー半島を攻略した日本軍にイギリス軍は降伏。1945年8月15日まで日本軍統治時代を迎えるのですが、中国の国民党軍を応援している華僑の逮捕殺戮をはじめます。クアラルンプールでもマラッカでも華僑殉難碑を訪問することができました。
鄭和は明の永楽帝朝の宦官。イスラム教徒。大船隊を率いて1405~33年の間に前後7回南洋・インド洋方面に遠征。通商貿易に貢献。三保太監または三宝太監と称された。(1371~1434頃)
上記の二行は広辞苑からの引用ですが、ポルトガル人がマラッカに現れる百年も前に鄭和が率いる大船隊がマラッカに寄港しています。鄭和のマラッカ寄港690周年の年だそうで大きな商船の模型が飾られています。私も道教式の鄭和廟に詣りました。
コロンブスの新大陸発見よりも早くに中国人の大船隊がアフリカ東岸にまで達していたのです。
マラッカはモンスーン気候で西風が吹くときにヨーロッパからの商船隊が寄港し、東風がふけば商船隊は日本の漆器や中国大陸の陶器、絹織物、さらにインドシナの胡椒やシナモンなどを満載してマラッカに寄港したのです。
眠くなったのでおやすみなさい。
0 件のコメント:
コメントを投稿