奴隷根性論というのは戦後の早い時期、インテリ層に強くあった。そう言う意味では、伊丹万作氏の論は珍しくないと思う。一億総懺悔論の一つ。
まあ、丸山真男がそうだったし、言いにくいが中川先生もそういう考えを持っていた。その是非は措こう。
林房雄の大東亜戦争肯定論は出された当時、気違いの超右翼的見解とされた。最近はそうでもない。冷静に論議されているようだ。逆に言えば無意識の極東裁判的桎梏からようやく自由になりつつあるといってもいい。
国民国家の論点から明治以降の日本を見てみることも大事だと最近思っている。
この島国にいる人々がまず自分を日本人と思うのはそんなに昔でない。明治維新からだ。それまでは、薩摩の人間であり、加賀の人間であり、会津の人間だった。薩英戦争で薩摩は英国と闘ったが、薩摩以外の人々には他人事だった。明治維新で天皇を戴き、大日本帝国が生まれ、急速に国民国家となった。この変貌は奇跡に近い。それは誤解を恐れずに言えば大成功だった。西欧列強の侵略の意図に対する恐怖が何と言っても根底にある。黒船はトラウマだったと思う。そして近代化をなし遂げ富国強兵、殖産興業・・・。
国のために命を捧げるのが当たり前になるまでの、この「共同幻想」のすごさを感じる。中国は一周遅れで日本の大成功の後を追った。ずっと前から、中国という国があったような錯覚を起こすが、辛亥革命以降だろう。
この国民国家が今転回点を迎えていると思う。ソ連の崩壊が良い例だ。中国もその矛盾を迎えつつあると考えている。
中国がその辺を敏感に察知し、日本は戦後秩序を壊しに掛かっているという。そう、連合国は勝った国民国家連合だった。この秩序を維持したい。それが彼等の存立の基盤だからだ。靖国参拝批判は、「正しい歴史」のためでなく、彼等の核心的利益だからだ。
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