結局、幾度となく繰り返されたユートピア思想に括られる論ではないだろうか。
今の文明が持続可能かといえば誰でも否定的だ。100年がいいとこで千年のオーダーは続くまいという見解が大方でないか。その上で言うのだが。
でもこの一文ではよく判らないなあ。お裾分け、甲斐性、助け合いの復活とか精神論は判るが、具体的には地元の杉板を使った水車発電だけか。それが打出の小槌と言うことでもあるまいし。ちょっとイメージが湧かない。
山間僻村の再生のありかたの提案なのだろうが、それにしても都市部から色んな物心両面のエネルギーの注入必須になるのだろう。卑近な話、大雪に閉ざされれば大規模な除雪機の出動が必要になるだろう。江戸時代のじっと耐える生活様式は今更出来まい。少なくとも私は出来ない。
その先に、国の有り様もこの考えで変えていこうとする提案のように思える。
むかし1950年代の中国で、毛沢東の命令で始めた大躍進政策というのがあった。近代的な大規模の製鉄所の代わりに、小規模な土方炉を何万と作った。その他この他、手作り的な試みは、悉くみじめな失敗に終わり、数千万の餓死者を出したというあれ。一つ間違えれば、そういうことの再来になりかねない。
それから専ら消費だけしている大都会の住人はどうしたらいいのだろうか。自然エネルギーと言ったって屋根に載せる太陽光発電の設備くらいしか思いつかない。この設備は近代的大工場で製造されたものだ。
都市の人間は無駄飯食いであると言った、カンボジアのポルポトの極端な都市解体政策とかをつい連想してしまう。
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