あるところに、詩人竹内浩三の紹介文を書いた。1921年伊勢市生まれ。45年バギオにて戦死。 享年24歳。彼の「骨のうたう」という詩をご存じの方も多いだろう。
「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ とほい他国で ひょんと死ぬるや ふるさとの風や こいびとの眼や ひょんと消ゆるや 国のため 大君のため 死んでしまうや その心や・・・・」と続く。 だがじつは紹介したいのはこの作品ではない。 彼のハガキにかかれた文である。 応召の日、詩人は自室に閉じこもり、膝をだくようにしてチャイコフスキーの「悲愴」を聞いていたそうである。 そしてそのころだされた彼のハガキから。・・・・「うたうたいは うたうたえと きみ言えど 口おもく うたうたえず。うたうたいが うたうたわざれば 死つるよりほか すべならんや。 魚のごと あぼあぼと 生きることこそ悲しけれ・・・。」 生きる悲しみ。深い井戸の底をのぞくような思いにとらわれる。 ・・・・・ 彼の墓は伊勢市の金剛証寺にある。しかし、そこには彼の骨はない。終戦10年後の命日に、最愛の姉松崎こうは次のようにうたう。・・・「一片のみ骨も還らずおくつきに 手ずれし学帽 深く埋めぬ」 ・・・・・まだ涙は乾いてはいないのだ。ああ。
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