新左翼とオウムは奥深いところで通底しているのに違いない、というのは全くその通りだ。オウム真理教は革マル派や中核派ができなかったことをやってみせるといっていたから。極左と極右とはきわめて近い。かれらのマインドコントロール技術については関心があるので書きたいが、すこし、話をもどす。
先週、佐渡の小中学の同級会にいったときのこと、宴席でノリちゃんという女性が隣に座った。全く目立たないおとなしい女の子だった。小学2、3年ころにいっしょに学校から帰った記憶がかすかにあるだけで、いわば60年ぶりに話したことになる。近所の農家に嫁にいって、いまは10人も孫がいますとぽつんと話してくれた。地味と無口さは昔のまんまだが幸せな老後を迎えていることは雰囲気ですぐわかる。
中学卒業のとき、女の先生が「平凡に生きることのなかに幸福がある」と黒板に書いてくれたことを思い出した。先年、ほろほろ会で鶴岡の藤沢周平記念館を訪ねたときにも、「幸せというものは庶民の平凡な日々の営みのなかにある」と父はいつも家族に話していたと娘が述懐している文章が展示されていたことも思い出した。
昭和33年、村の中学では150人が一緒に卒業した。8割が島外へ。古希記念で久しぶりに佐渡でやった同級会には47人集まったが12人の死亡が発表された。家族の介護や自分の病気、家業不振など家庭の事情で出席できなかった同級生もたくさんいたにちがいない。
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