2013年8月26日月曜日

強度愛ではなかった郷土愛・・・・褌子

   熊さんの御父上の御出自はやはり徳川御三家のひとつ紀州和歌山藩でしたか。 
   いま、流山の柳生君と電話で長話をしたところ。柳生君は美深生まれで小樽→札幌→日立→浜松→いまは千葉県の流山に住んでいる。
  柳生君のおじいさんがやはり紀州和歌山藩のご出身。おばあさんが徳島の阿波蜂須賀家のご出身だといっていた。おじいさまおばあさまは手に手をとって明治時代に美深にきた。その息子が小樽にきて商売に成功して、そのお坊っちゃまが柳生秀樹君だ。ぼくらは学生時代に柳生君の小樽の家に遊びに行って、いたれりつくせりの待遇でびっくりしたものだ。高分子学の本は少なく、ガロや白土三平などのマンガ本ばかりで二度びっくり。
  北海道の人はみな内地にご先祖様の故郷をもっているはず。たしか猫跨ぎ様のご先祖が福井の越前は朝倉氏ゆかりの北ノ荘のお殿様松平家の御家老筋の御末裔ではないかと氏の古武士風の御風貌からして何となく。国兼様の曾祖父は越後長岡藩の藩主酒井伊豆ノ守のお姫様の曾孫が戊辰戦争で官軍に逆らったばっかりに敗退おちぶれて、屯田兵となりフンドシ一丁で滝川へんの北海道開拓へ・・ではなかったか。国兼令夫人こと奥様のご先祖は周防の国岩国きっての名刹西本願寺派龍谷院が蝦夷地に別院を御建設、勇躍して親鸞上人の御布教で、えーと何だっけ。小林様のご先祖はといえばこれはもうすごい!徳川四天王の猛将筆頭格、本多佐渡ノ守の一番の御家来衆で千葉周作門下示現流だったか新陰流の居合抜きの達人小林雲谷齋の御子孫が御維新で都落ちをして札幌開拓史学校へ…。
  ちなみに五本さんのご先祖様は越中富山藩のご出身だとおねえさんがいっておられました。明眸皓歯からしてあながちまちがいなかろう。なにか日本海方面が多いねえ。拙者はといえばいうまでもないが、さる承久の乱で鎌倉幕府北条執権にやぶれ絶海の孤島佐渡島に恐れ多くも御配流になられた順徳院がつい島の娘とのあいだにおなしになった御落胤の御末裔の子孫が世を忍ぶ仮の姿ではないかという噂がとびかっているきょうこのごろの残暑きびしい季節柄ではある。
  柳生君の弟さん柳生佳樹さんが北海道の美深で松山農場を経営し、森の雫こと白樺樹液を製造しているのは有名なはなしで一昨年、毎日新聞グリーンファーム大賞を受賞した。9月9日~10日と二泊で松山農場を訪ねることになった。いま、佳樹さんの弟さんのお嫁さんと電話でお話して予約したところ。佳樹さんは北大農学部出身でお兄さんに負けず劣らずの美男子で、イケメン俊才兄弟として知る人ぞ知る。
  あー! 早く食べたいなあ~松山農場のジンギスカーン ♪

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