2013年8月21日水曜日

ひとは皆同じで、ひとは皆ちがう----パリの空港から褌子

 パリ5日目の夜で、明日は帰りの飛行機に乗らねばならない。朝晩は10度以下で寒く、蚊に刺されずに眠ることができるようになった。
 前日のルーブルの人混みにこりてプロヴァンという田舎町に出かけた。パリからガラガラの列車に乗って1時間半。パリ郊外にでるとすぐ刈り取りを終えた麦畑が地平線まで広がる。青々としているのはトウモロコシ畑のようだ。北海道に似ている。確かめるとパリは稚内の緯度。ずっと美しい農村風景が車窓に続く。フランスは農業国なのである。 プロヴァンは中世の古い町並を残している。開発や発展から取り残されたおかげで世界遺産に指定された。坂道を登って12世紀ごろの古めかしい聖堂にはいる。七人ばかりに信者を前に年老いた神父さんが説教中。ステンドグラスからさしこむ光のなかでミサ曲を歌い始めたので、そっと後ろの椅子に座る。しばし頭を垂れ前世からの罪を悔い改めた。フランスは九割近くがカトリック教徒の国なのである。
 列車でのんびりパリに帰り、モンマルトルへ。浅草よりもっと人であふれかえっている。サクレクール寺院まえのあまりのにぎやかさにおそれをなして寺院の裏に回って坂道を下ると静かなアパート街。ルノワールやベルリオーズもここらへんに住んでいたそうだ。階段を登るとまた芸術家らしき人々がたむろする一角にでて、豆科のリラの茂みの向こうにエッフェル塔が見えた。ふと五本さんのやさしい笑顔を思い出した。 混んでいる地下鉄で帰る。3才、5才くらいの男の子、女の子を連れたお母さんが床に座り込んで子どもと楽しそうに話している。子どもが嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながらお母さんにまとわりつく。なんとも微笑ましい光景で、混んでるのにまわりの乗客も笑っている。
 ホテル近くのお惣菜屋さんにたどり着く。中国人一家の経営で、近所のおばさんたちが量り売りのおかずを買っていく。奥のテーブルで焼きそばとチャーハンと青島ビールで満腹。これで900円くらい。この店に三日も通って夕飯を食べた。
 店番の娘さんが長江沿いの揚州からきましたという。揚州出身の鑑真和上という偉い坊さんがむかし日本に渡海したこと知っているかと紙に書いて質問したが、しきりに首をかしげるばかりだった。
 「再見」と中国語でいうと「さよなら」と娘さんが手を振ってくれた。会うは別れの始めだなあ。
 夕闇迫る区役所の庭を抜けてホテルへ。区役所玄関の時計の下にLIBERTE・EGALITE・FRATERNITEと刻んである。市庁舎、裁判所など古い公共的建造物にはみな正面破風に自由・平等・博愛の文字。屋根には三色旗がひるがえる。フランス大革命の国なのである。
 こうしてパリ5泊の旅が終わった。いちばん印象に残ったのは壮麗な建物ではない。オペラ座の前のストリートミュージシャンかもしれない。スラブ系の姉妹の少女が裸足で踊ったり歌ったり。演奏の男たちもなにかわびしい。ボヘミアンというかロマのひとらしい。しばし、オペラ座の石段に腰掛けて小銭を箱に入れて立ち去った。

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