この国分尼寺から半キロくらい南西に上総国分寺の史跡があるのだが戦前は畑だったらしい。
そういえば国分寺から1キロ東北のわが家周辺に上総の国の国府があるのではないかと発掘がすすんでいて、そうなれば更級日記の著者はうちのあたりに住んでいたことになるなあと、数年前かブログに書いたことを思い出した。
このブログをゆうべ書いていたら、女房も写真をのぞきこんで「すり鉢じゃあないの」といった。寺院の礎石ではない。じつに奇妙な石だなあと安原さんとふたりで不思議がって喜んでいるのである。写真を佐倉の歴研に送ったら「なあんだ」という笑い話になるかもしれないが安原さんの夢のほうが大事なんだ。安原夫人がもつ壺の上の写真はごらんのとおり。素焼きでたちまち水が外に滲みでる古拙なつくり。大学の先生がかけつけて「う~む」とうなりながら「古代の貴重なものが出て来た…」と言ったのか、そういうふうに聞こえたのか。これはまさしく国分寺の山門跡の土中からでたのだが国兼博士の写真鑑定結果がまたれる。
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