作者は弁明せず、作品をして語らしめよ・・・・などといいながら、いいわけするとは気が小さいというか、かっこうつけるというか、情けない。とはいえ、ここで作者のねらいをいうと、だったらこうしたほうがいいというヒントをもらえるかもしれないと思い、拙作についてちと述べたい。初心者の学習の場ととらえていただければ。しかしだ、初心者をよってたかってご批評いただき光栄の至極。 とにかく褒められるのはいい。 褒めれば豚だって空を飛ぶ(宮崎駿の「紅の豚」のファンです) そういうわけで・・・・
碧空の句・・・・・・ 前から気になっていたが、桜の枝は横に伸びていって途中からグッと上に向かう。 これ桜が空をだきとろうとしているように見える。 とにかく桜は、命が聞こえるという気がするのです。それと上野の散策で、赤い椿に食欲と色気を感じたんだが、この感覚も句にならんかと思っているけど、目下発酵中。
老い一人、・・・・・・・これ写生句というのかな。女房に逃げられて数日ひとり暮らしで自炊した。あの日はとうとう一回も声を出さなかったなあ。内言のみの世界。さすがにひとりぼっちを味わいつつ、晩飯をつくっていたら、東北でワカメと格闘中の褌子さんから「格闘中」とメールがはいり、少し元気がでた。 で海啼いての句につながる・・・・・・・・ 辺見さんの本を読み、東北の褌子さんのメールに刺激されて、九月にみた福島の被災地の光景を考えていたら、ほろほろかいのブログで「砂漠の薔薇」を拝見した。この取り合わせがなんともいいがたい気分にさせた。 あの瓦礫の海には、何にもなかった。砂漠だって薔薇が咲くのに・・・・というわけ。しかしこれまだ推敲不十分だなあ。 この気分を何とか表したいのだが・・・・俳句では無理かなあ。
風ほえての句・・・・・ 夜更けにひとり机にむかっていると、2キロほど離れた東海道線の夜汽車の音が聞こえる。 しかし、うしみつどきの音は、これ現実だか、幻聴だかわからなくなる。昔聞いた音の記憶と、こころの中でまざってしまうのだ。50年前の記憶と5分前の記憶にそんなに差がなくなる。 主観的世界の中では、確かに時間感覚は独特だなあ。 太陽の余命50億年と、ひとの人生50年の間に差がないのである。これおもしろい。 俳句にしたい。発酵ちゅう。
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