ようやく桜ですか。数日前、弘前城が満開と言っていたが。札幌は丁度五月連休のころだね。札幌といえば先日、25℃を記録したとか。沖縄と札幌がそうで、中間は低いという変な天気だった。
小保方事件が変な展開になって、ついに山中教授が済みませんと頭を下げる事態になった。理研では小保方さんを「悪意ある改竄」と糾弾していた調査委員会の委員長が、自身も写真の切り貼りをやっていたことが露見して辞任、トホホの成り行きとなった。
オレのは10年前なら問題にされなかった、それに研究ノートにちゃんと記載がある、小保方のとは違うと強調、なんだか子供の言い訳みたいになってきた。
この切り貼りがよく判らない。他との差し替えでないならそんなに目くじらを立てることもあるまいと思うのだが。山中教授のもそうだが、皆、ネットの告げ口なんだね。狭い世界だから、やっかみ、そねみが渦巻いている。権威を引きずり下ろそうと、こっそりあら探しをやっているのだろう。いやしい根性だ。
研究ノートの件だが、みな綿密にやっていたのかね。自分しか判らん略記、メモなんかあるのだろうし、研究が失敗の連続なら、緊張感も途切れよう。瑕疵は絶対にある。あまり自分で首を絞めないことだと思うが。
何だか皆守りに入って、尻尾を出さないように汲々としているやにみえる。
観点を変えて見れば、生物学の研究の特異性なんだろうな。写真、画像が、決定的な証拠になるから、取り扱いは慎重の上にも慎重はよく判るが。典型的な現象論の学問だ。
対極は理論物理学で、これはインチキしようがない。
実験物理学では、ベル研のシェーン事件ってのがあった。この件は、国兼さんが詳しいだろうが、2000年前後、ベル研のシェーンという研究者が、分子サイズのトランジスタ、有機物における超伝導、などで驚くべき発明、発見を連発、大騒ぎになった。各賞を総なめ、ノーベル賞確実といわれたが、程なく他では再現されず、おかしいということになった。そして結局、全部、不正、捏造、虚言だったことが判明。世紀の一大スキャンダル。この間、NATURE、SCIENCEなどの査読は全部通過していたというから好い加減なものだ。
むこうはスケールが違う。このシェーン、今はドイツに戻って小都市で会社員をしているらしい。
「STAP現象は検討の価値ある仮説」だそうだ。第二のシェーン事件ではないのだろう。じっくり検討結果をまとう。
2014年4月29日火曜日
2014年4月27日日曜日
函館通信233・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛
やっと函館にも桜がやって来た。「海峡を六日を掛けてさくらかな」といった所かな。
・花冷や印画紙に貌現れる ・・・花冷えの肌寒さと印画紙に現れてきた貌とがともに冷た過ぎる様に感じた。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ ・・・目深に帽子をかぶった自分の顔の背景に鮮やかな黄色の拡がりがある印象的な絵を句で表現しつくしている事に面白さを感じた。特選。
・階段の軋んで四月はじまりぬ ・・・古い軋んだ階段も新しい年度が始まる。さあ頑張ろう。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら ・・・艶っぽさはなんとなく判るんだが・・・。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐 ・・・宿坊、胡麻豆腐、それに朧夜と役者が整い過ぎてる。
・世界地図の平野は緑鳥雲に ・・・そうだ平野は緑、山岳地帯は茶色だったな。
・つまらなき景色北窓開いても ・・・何か面白い物を見つけて下さい。
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り ・・・べこの首が茶箪笥の上で動いているのがユーモアを感じた。準特選。
・象の来てまた遠ざかり春深む ・・・行ったり来たりしている動物園の象リズムが春のリズムだね。準特選。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ・・・髭の薄い小生にとってはゾーリンゲンの切れ味が判らなくてね。
・花冷や印画紙に貌現れる ・・・花冷えの肌寒さと印画紙に現れてきた貌とがともに冷た過ぎる様に感じた。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ ・・・目深に帽子をかぶった自分の顔の背景に鮮やかな黄色の拡がりがある印象的な絵を句で表現しつくしている事に面白さを感じた。特選。
・階段の軋んで四月はじまりぬ ・・・古い軋んだ階段も新しい年度が始まる。さあ頑張ろう。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら ・・・艶っぽさはなんとなく判るんだが・・・。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐 ・・・宿坊、胡麻豆腐、それに朧夜と役者が整い過ぎてる。
・世界地図の平野は緑鳥雲に ・・・そうだ平野は緑、山岳地帯は茶色だったな。
・つまらなき景色北窓開いても ・・・何か面白い物を見つけて下さい。
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り ・・・べこの首が茶箪笥の上で動いているのがユーモアを感じた。準特選。
・象の来てまた遠ざかり春深む ・・・行ったり来たりしている動物園の象リズムが春のリズムだね。準特選。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ・・・髭の薄い小生にとってはゾーリンゲンの切れ味が判らなくてね。
2014年4月25日金曜日
凌霄花ねえ・・・猫跨ぎ
褌子邸の凌霄花と全く同じだね。種類も多分同じだ。蔓性の樹木は動物じみたところがある。壁にもべったり貼りつくのも気味が悪い。剥がしても跡が残る。「ざまあみろ」か。ちょっとかわいそうだが、気持はわかる。団地内の凌霄花も、改めて眺めてみると、みな止めてしまうね。ちょっと辟易するんだね。
凌霄やギリシャに母を殺めたる 矢島渚男
、いいね。こういうのが現代俳句の一つの形だね。凌霄花のある雰囲気を伝えている。
判らない人は永久に判らない。
わたしの十句については好き勝手に言っていただきたいが、ぱっと見て判らなければ、縁がないから、無視して通り過ぎることだね。(笑)
・花冷や印画紙に貌現れる
暗室で現像している。花冷の感覚とどこか。
・象の来てまた遠ざかり春深む
そう、これは動物園の象舎の傍にて。
凌霄やギリシャに母を殺めたる 矢島渚男
、いいね。こういうのが現代俳句の一つの形だね。凌霄花のある雰囲気を伝えている。
判らない人は永久に判らない。
わたしの十句については好き勝手に言っていただきたいが、ぱっと見て判らなければ、縁がないから、無視して通り過ぎることだね。(笑)
・花冷や印画紙に貌現れる
暗室で現像している。花冷の感覚とどこか。
・象の来てまた遠ざかり春深む
そう、これは動物園の象舎の傍にて。
ノウゼン・・・褌子
ノウゼンカズラについては猫跨ぎさんと全く同じ経験をしている。
十年くらい前に樹高2メールくらいの山椿の幹にそっと沿わせて植えたら、数年で椿の葉全体を覆いかくすほどになってしまい、直径5センチもの蛇の胴体みたいに椿の幹にがっしりとへばりついている。植えた当初は可憐なそぶりだったが、いつのまにやら古女房が完全に亭主を尻に敷いている感。あまりに亭主がかわいそうなのでノウゼンのわずかな小枝だけ残してばっさりと切り落とした。ざまあみろだ。
近所のノウゼンには上品なオレンジ色のものもあるが、わがやのは毒々しい赤い花をこれ見よがしに咲かすのも気に入らない。
凌霄花の夜まで赤きは人嫌い 望月英男
凌霄やギリシャに母を殺めたる 矢島渚男
・花冷や印画紙に貌現れる
貌は、かおと読むのだろうがよくわからない。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
イーゼルかついで画板、絵の具もって、とぼとぼと菜の花畑からゴッホが下ってくる景がありありとみえる。沈む寸前の春の夕陽がかっと菜の花畑を照らしている。次第にゴッホの姿がシルエットになっていくのだ。
昨年、オルセーでゴッホの自画像みたのが忘れられない。
特選
・階段の軋んで四月はじまりぬ
しんとした時間と空間。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
犀の目は妙に小さく決して気品のある目ではない。放蕩無頼と遅桜とは妙なセットだなあ。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
思い出します。寒い晩だった。あつい般若湯がうまかった。みんなで風呂に入ったなあ。
・世界地図の平野は緑鳥雲に
世界地図をみながら冬鳥がどこまで飛んでいったのか瞑想している
テレビで見たヒマラヤを飛ぶ鶴の映像には感動したなあ
・つまらなき景色北窓開いても
そうですか
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
年々歳々
・象の来てまた遠ざかり春深む
象というとつい猛々しいアフリカ象をおもってしまうので春深むとつながらない。いや動物園の景かな。
春ひとり槍投げてまた槍に歩みよる 能村登四郎 を突然おもいだした。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ
なんとはなしにアンニュイを感ずる。ひげそりやべこ首や北窓や世界地図で…俳句の世界は縦横無碍面白いんだね。
十年くらい前に樹高2メールくらいの山椿の幹にそっと沿わせて植えたら、数年で椿の葉全体を覆いかくすほどになってしまい、直径5センチもの蛇の胴体みたいに椿の幹にがっしりとへばりついている。植えた当初は可憐なそぶりだったが、いつのまにやら古女房が完全に亭主を尻に敷いている感。あまりに亭主がかわいそうなのでノウゼンのわずかな小枝だけ残してばっさりと切り落とした。ざまあみろだ。
近所のノウゼンには上品なオレンジ色のものもあるが、わがやのは毒々しい赤い花をこれ見よがしに咲かすのも気に入らない。
凌霄花の夜まで赤きは人嫌い 望月英男
凌霄やギリシャに母を殺めたる 矢島渚男
・花冷や印画紙に貌現れる
貌は、かおと読むのだろうがよくわからない。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
イーゼルかついで画板、絵の具もって、とぼとぼと菜の花畑からゴッホが下ってくる景がありありとみえる。沈む寸前の春の夕陽がかっと菜の花畑を照らしている。次第にゴッホの姿がシルエットになっていくのだ。
昨年、オルセーでゴッホの自画像みたのが忘れられない。
特選
・階段の軋んで四月はじまりぬ
しんとした時間と空間。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
犀の目は妙に小さく決して気品のある目ではない。放蕩無頼と遅桜とは妙なセットだなあ。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
思い出します。寒い晩だった。あつい般若湯がうまかった。みんなで風呂に入ったなあ。
・世界地図の平野は緑鳥雲に
世界地図をみながら冬鳥がどこまで飛んでいったのか瞑想している
テレビで見たヒマラヤを飛ぶ鶴の映像には感動したなあ
・つまらなき景色北窓開いても
そうですか
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
年々歳々
・象の来てまた遠ざかり春深む
象というとつい猛々しいアフリカ象をおもってしまうので春深むとつながらない。いや動物園の景かな。
春ひとり槍投げてまた槍に歩みよる 能村登四郎 を突然おもいだした。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ
なんとはなしにアンニュイを感ずる。ひげそりやべこ首や北窓や世界地図で…俳句の世界は縦横無碍面白いんだね。
2014年4月24日木曜日
凌霄花・・・猫跨ぎ
昨日、玄関横に植えてあった凌霄花を根元から伐採した。もう10年になろうか、佐倉の川村美術館付設の園芸店で20センチほどの苗木を買ってきて植えたもの。すぐ根付き、横にあるかいづかいぶきの幹に添ってどんどん枝を伸ばした。夏には次から次へと花をつけ主人を喜ばせたものだ。そのうちに更にテリトリーを開拓しはじめ、四囲に蔓を這わせ、根を伸ばし、ちょっと不気味な感じを呈してきた。カーポートの隙間から枝を伸ばし、ついには我が家の反対側まで土中を這って顔を出す始末。
勿論手頃な段階で適宜剪定しておけばこんな事にならなかったのは判っているのだが。もう遅い。この植物の魔性というか生命力には空恐ろしいものがある。情にほだされていたが、ついに決断、完全に撤去を終えた。切株は10センチを優に越えている。さばさばしたが、景色がすっかり淋しくなった。人生の一コマが終わったという感じ。ちょっと大袈裟か。
勿論手頃な段階で適宜剪定しておけばこんな事にならなかったのは判っているのだが。もう遅い。この植物の魔性というか生命力には空恐ろしいものがある。情にほだされていたが、ついに決断、完全に撤去を終えた。切株は10センチを優に越えている。さばさばしたが、景色がすっかり淋しくなった。人生の一コマが終わったという感じ。ちょっと大袈裟か。
2014年4月22日火曜日
四月投句・・・猫跨ぎ
何年ぶりでたまたま週刊誌を買って車中で読んだ。下らんなあ。全然面白くない。現役サラリーマン相手の編集だから当然かもしれないが、こんな世界から随分遠くに来てしまったものだとしみじみ感じた。さて、四月の投句。
・花冷や印画紙に貌現れる
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
・階段の軋んで四月はじまりぬ
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
・世界地図の平野は緑鳥雲に
・つまらなき景色北窓開いても
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
・象の来てまた遠ざかり春深む
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ
・花冷や印画紙に貌現れる
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
・階段の軋んで四月はじまりぬ
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
・世界地図の平野は緑鳥雲に
・つまらなき景色北窓開いても
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
・象の来てまた遠ざかり春深む
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ
2014年4月21日月曜日
四月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
この前はお疲れ様でした。永六輔はTBSで土曜午前のラジオ番組を持っているが、さすがに昔の滑舌はないが、このところ若干改善しているように見える。
��.海霧深し西の方から領事館
領事館がいまいち解らないが、西から何が来るのだろう。異国情緒だねえ。函館は江戸末期の開国が早かった。この前知ったけれど、松前の博物館に日本最古の銀板写真が陳列されているとか。松前藩主をアメリカ人が撮ったらしい。
��.オクターブ高き囀り恋深し
鶯、雲雀、頬白か。そうね、春先の囀りは一段と声高だ。
��.一円玉転がり出した四月かな
造幣局は一円玉を大増産しているらしい。そうそうこの前の飛鳥山散策では、滝野川印刷所の前を通った。紙幣を刷っている。その大規模なのに驚いた。50円も2円up。兎のデザインの2円切手を貼る。51円ではないので注意されたい。
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
そうだよね。昔一年生、いまは新幼稚園生。〈一年生泣き葉牡丹の芯伸びる〉と作ったことがある。
��.春休み神経衰弱負けにけり
神経衰弱は、小学校低学年が生涯一番強いのではないか。
��.バンダナの男の料理山笑ふ
ラーメン屋なんかがバンダナをきっちり頭に巻いている。ここは、郊外のちょっとこ洒落たイタリア料理店かな。たまたま先日、〈花冷やバンダナ掛けて猫の通夜〉。ちょっとこれは陰気だが。準特選。
��.名ばかりの春を選んでローカル線
遅い春ながら、探梅みたいな、一寸郊外へ出かけた風景。
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
魚つき林は古い言葉なんだね。海岸沿いの森林の暗がりが魚を呼ぶとか。そして陸の生態と海の生態の関連が言われて久しい。
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
年と共に、昔に回帰する風情。穀雨は二十四節気、季語にも。良い言葉だね。特選。
10.腐葉土に期待漲り春の風
我が家の庭の真ん中にレンガで仕切って花壇を作った。黒土と腐葉土を買ってきて完成。
さて何を植えるか(笑)。
��.海霧深し西の方から領事館
領事館がいまいち解らないが、西から何が来るのだろう。異国情緒だねえ。函館は江戸末期の開国が早かった。この前知ったけれど、松前の博物館に日本最古の銀板写真が陳列されているとか。松前藩主をアメリカ人が撮ったらしい。
��.オクターブ高き囀り恋深し
鶯、雲雀、頬白か。そうね、春先の囀りは一段と声高だ。
��.一円玉転がり出した四月かな
造幣局は一円玉を大増産しているらしい。そうそうこの前の飛鳥山散策では、滝野川印刷所の前を通った。紙幣を刷っている。その大規模なのに驚いた。50円も2円up。兎のデザインの2円切手を貼る。51円ではないので注意されたい。
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
そうだよね。昔一年生、いまは新幼稚園生。〈一年生泣き葉牡丹の芯伸びる〉と作ったことがある。
��.春休み神経衰弱負けにけり
神経衰弱は、小学校低学年が生涯一番強いのではないか。
��.バンダナの男の料理山笑ふ
ラーメン屋なんかがバンダナをきっちり頭に巻いている。ここは、郊外のちょっとこ洒落たイタリア料理店かな。たまたま先日、〈花冷やバンダナ掛けて猫の通夜〉。ちょっとこれは陰気だが。準特選。
��.名ばかりの春を選んでローカル線
遅い春ながら、探梅みたいな、一寸郊外へ出かけた風景。
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
魚つき林は古い言葉なんだね。海岸沿いの森林の暗がりが魚を呼ぶとか。そして陸の生態と海の生態の関連が言われて久しい。
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
年と共に、昔に回帰する風情。穀雨は二十四節気、季語にも。良い言葉だね。特選。
10.腐葉土に期待漲り春の風
我が家の庭の真ん中にレンガで仕切って花壇を作った。黒土と腐葉土を買ってきて完成。
さて何を植えるか(笑)。
仁句鑑賞思いつき書くのでご容赦を・・褌子
・海霧深し西の方から領事館
函館湾の海霧に霧笛がボォーボーッ
海霧深しとくれば、戦中派の心情にぴったりの歌が
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
安倍政権は戦争する国へまっしぐら 新しい戦前にならぬように
・オクターブ高き囀り恋深し
若き頃、仁ちゃんは合唱団やってました? 九州の熊さんの事?
恋かなと思ったら不整脈 好きでした言うヒマもなく棺桶へ
わたしには夫がいますと妻寝言
・一円玉転がり出した四月かな
8%になってにわかに一円玉が活躍 手紙82円 はがき51円
・初蝶や幼稚園バス泣き出して
初めての幼稚園で一日中泣いてたうちの息子も36才
いまや 転んでは泣いてた子が言う「転ぶなよ」
蝶の句で一つだけ記憶しているのは 方丈の大庇より春の蝶 高野素十
・春休み神経衰弱負けにけり
トランプだね こう記憶力が減退しては神経衰弱だけはいけない
・バンダナの男の料理山笑ふ
バンダナは絞り染めの意のヒンズー語だと知りました。
山笑うは「臥遊録」に春山は淡治にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡にして眠るが如し
・名ばかりの春を選んでローカル線
函館の桜の満開はいつごろですか? 5月中旬頃か
名ばかりの春を選んで、の12文字が長たらしい。
・春惜しむ魚付林の暗所かな
漁民が植林をする時代だそうだ。
特選
・羊水の記憶にかへり穀雨かな
羊水の記憶百までも 穀雨は太陽暦4月20日頃とあった。
準特選
・腐葉土に期待漲り春の風
春だ 平和だ いい句だな
準々特選
函館湾の海霧に霧笛がボォーボーッ
海霧深しとくれば、戦中派の心情にぴったりの歌が
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
安倍政権は戦争する国へまっしぐら 新しい戦前にならぬように
・オクターブ高き囀り恋深し
若き頃、仁ちゃんは合唱団やってました? 九州の熊さんの事?
恋かなと思ったら不整脈 好きでした言うヒマもなく棺桶へ
わたしには夫がいますと妻寝言
・一円玉転がり出した四月かな
8%になってにわかに一円玉が活躍 手紙82円 はがき51円
・初蝶や幼稚園バス泣き出して
初めての幼稚園で一日中泣いてたうちの息子も36才
いまや 転んでは泣いてた子が言う「転ぶなよ」
蝶の句で一つだけ記憶しているのは 方丈の大庇より春の蝶 高野素十
・春休み神経衰弱負けにけり
トランプだね こう記憶力が減退しては神経衰弱だけはいけない
・バンダナの男の料理山笑ふ
バンダナは絞り染めの意のヒンズー語だと知りました。
山笑うは「臥遊録」に春山は淡治にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡にして眠るが如し
・名ばかりの春を選んでローカル線
函館の桜の満開はいつごろですか? 5月中旬頃か
名ばかりの春を選んで、の12文字が長たらしい。
・春惜しむ魚付林の暗所かな
漁民が植林をする時代だそうだ。
特選
・羊水の記憶にかへり穀雨かな
羊水の記憶百までも 穀雨は太陽暦4月20日頃とあった。
準特選
・腐葉土に期待漲り春の風
春だ 平和だ いい句だな
準々特選
函館通信232・・・解釈と鑑賞・・・仁兵衛
既に上野のホロホロ会から10日以上経ってしまった。皆さんの元気な姿から私も元気を戴いたのだからまずは御礼申し上げます。パーキンソンは一寸疲れてくると鬱的になり言葉が少なくなってしまう。当日の逸徳さんや褌子さんの滑らかな話を聞いている内に疲れてしまった。翌日の高校時代の集まりの時は話がぐっと少なかったようだ。
永六輔がどうも同じ症状のようだ。「友ありてこそ五・七・五」(岩波書店)という最近の俳句エッセイ本に出ていた。この本は東京やなぎ句会という小沢昭一等の愉快な句会をまとめたもので小沢が死ぬ前にはじめの一冊でている。興味のある方はお貸しいたしますよ。
当日俳句の事が少し話題に上ったけどまあ各人各様に煮たり焼いたりしてみて下さい。
平成二十六年四月
��.海霧深し西の方から領事館
��.オクターブ高き囀り恋深し
��.一円玉転がり出した四月かな
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
��.春休み神経衰弱負けにけり
��.バンダナの男の料理山笑ふ
��.名ばかりの春を選んでローカル線
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
10.腐葉土に期待漲り春の風
永六輔がどうも同じ症状のようだ。「友ありてこそ五・七・五」(岩波書店)という最近の俳句エッセイ本に出ていた。この本は東京やなぎ句会という小沢昭一等の愉快な句会をまとめたもので小沢が死ぬ前にはじめの一冊でている。興味のある方はお貸しいたしますよ。
当日俳句の事が少し話題に上ったけどまあ各人各様に煮たり焼いたりしてみて下さい。
平成二十六年四月
��.海霧深し西の方から領事館
��.オクターブ高き囀り恋深し
��.一円玉転がり出した四月かな
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
��.春休み神経衰弱負けにけり
��.バンダナの男の料理山笑ふ
��.名ばかりの春を選んでローカル線
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
10.腐葉土に期待漲り春の風
2014年4月18日金曜日
大事故・・・猫跨ぎ
韓国で大変な海難事故が起きた。家族が悲痛な声を上げているが全く同情に堪えない。こんなに簡単にひっくり返るものなのか。中古船を改造したと言われている。重心が上がったとか。そういえば、今の客船の形が昔と随分違うように思う。子供のころ見たクイーンエリザベス号に比べ、このまえ横浜に寄港した同号は、高層ビルを積んだような形をして、随分重心が高いように思った。日本のクルーズ船の飛鳥も同じ形をしている。一見不安定な印象だが、船の設計思想が変わったのか。
その陰にもう隠れた感があるのが、マレーシア航空の実に不可思議な事故だ。あれは一体何だ。ボイスレコーダーの信号も途絶えたとか。現場は深海のようで、このまま痕跡も残さず終わってしまうのかもしれない。機長の計画的犯行として、一切をかくあるべく仕組んだとも思えてくる。それにしても、大胆不敵というか、凶悪極まりないというか。韓国船もそうだが家族、友人がこんな事件に巻き込まれたとしたら、たまったものではない。しかし、今後自分が遭遇しないとは誰も言えない。我々は地震、津波、原発事故、etc.大いなる危険のはざまに生きていることを実感する。
その陰にもう隠れた感があるのが、マレーシア航空の実に不可思議な事故だ。あれは一体何だ。ボイスレコーダーの信号も途絶えたとか。現場は深海のようで、このまま痕跡も残さず終わってしまうのかもしれない。機長の計画的犯行として、一切をかくあるべく仕組んだとも思えてくる。それにしても、大胆不敵というか、凶悪極まりないというか。韓国船もそうだが家族、友人がこんな事件に巻き込まれたとしたら、たまったものではない。しかし、今後自分が遭遇しないとは誰も言えない。我々は地震、津波、原発事故、etc.大いなる危険のはざまに生きていることを実感する。
2014年4月17日木曜日
桜はやっぱり吉野に限る・・・褌子
国兼さん
わたしも今回、吉野の山桜の美しさに感動しました。上野公園あたりのソメイヨシノなどは全くだめですね。山桜は一本いっぽん咲き具合がちがい、しかも赤みをおびた茶色の光沢のある葉の色がなんともいえずやさしい色調で。
泊まったところは民宿でしたが霞に包まれた中千本を一望に出来るところ、夜明けには「朝日に匂う山桜かな」の本居宣長の気分。風呂に入っても山一面の山桜のグラーデーションを堪能しましたよ。しかも下千本から順繰りに咲いていくために、吉野山全体でみれば早すぎた遅すぎたということがありません。来春、行くなら年内に予約しておいたほうがいいですね。
私のまわったコース大野寺→室生寺→又兵衛桜→長谷寺→吉野山→談山神社と回るなら車で行くか、豪華に専用タクシーを頼むか。
わたしも今回、吉野の山桜の美しさに感動しました。上野公園あたりのソメイヨシノなどは全くだめですね。山桜は一本いっぽん咲き具合がちがい、しかも赤みをおびた茶色の光沢のある葉の色がなんともいえずやさしい色調で。
泊まったところは民宿でしたが霞に包まれた中千本を一望に出来るところ、夜明けには「朝日に匂う山桜かな」の本居宣長の気分。風呂に入っても山一面の山桜のグラーデーションを堪能しましたよ。しかも下千本から順繰りに咲いていくために、吉野山全体でみれば早すぎた遅すぎたということがありません。来春、行くなら年内に予約しておいたほうがいいですね。
私のまわったコース大野寺→室生寺→又兵衛桜→長谷寺→吉野山→談山神社と回るなら車で行くか、豪華に専用タクシーを頼むか。
2014年4月15日火曜日
ホロホロ‘14年春の集い(その2)・・・国兼
先に、鴎外荘に帰る前に「みたらし団子」を食べ云々ということを書いたが、またまた奇しくも、今日の夕刊に上中里駅(JR京浜東北線)のことが出ていた。この駅は我々が王子駅から飛鳥山、古川庭園を見て帰りに乗った駅である。
その記事の中には老舗和菓子屋「平塚亭つるおか」なる記事が載っていた。読むと上中里駅に戻る途中にあった平塚神社の入り口横の、英蔵さん御推奨の和菓子屋である(写真の女将はあの日の女性とは異なるが)。記事にも載っていたが、この店の人気商品は「みたらし団子」と「豆大福」だと。ファンが遠くから買いに来るという。我々が訪れた時にも店に座っていた婆さん連中もそのように言っていたが、豆大福は1個しかなく、やむなく「みたらし団子」を買って食べた次第。思えば豆大福もと、残念だったナー・・・。
団子を食べた後、平塚神社を英蔵さんと歩いていたところ、この神社のそもそもを聞かされた。何か後三年の役(11世紀末)の奥州からの帰途に八幡太郎源義家がここに立ち寄り、土地の城主に甲冑を与えたという。城主はこの甲冑を宝物として、平らな塚を作ってそこに安置したところから「平塚」という名が出たと。茅ヶ崎市の隣は平塚市というが、何か関係がと聞かれた。平塚市には平塚八幡宮という古い格式の神社があることはあるが、源氏が崇めたのは鎌倉にある「鶴岡八幡宮」で多分関係はないのだろうと思う。
話代わって、褌子さんの投稿文を読んで来年の春は吉野に行こうと。以前カミさんから誘われたが、桜なんぞ近くの公園でも、また毎年上野の桜を見ていただけにわざわざ吉野くんだりまでは思っていたが気が変わったネ。
その記事の中には老舗和菓子屋「平塚亭つるおか」なる記事が載っていた。読むと上中里駅に戻る途中にあった平塚神社の入り口横の、英蔵さん御推奨の和菓子屋である(写真の女将はあの日の女性とは異なるが)。記事にも載っていたが、この店の人気商品は「みたらし団子」と「豆大福」だと。ファンが遠くから買いに来るという。我々が訪れた時にも店に座っていた婆さん連中もそのように言っていたが、豆大福は1個しかなく、やむなく「みたらし団子」を買って食べた次第。思えば豆大福もと、残念だったナー・・・。
団子を食べた後、平塚神社を英蔵さんと歩いていたところ、この神社のそもそもを聞かされた。何か後三年の役(11世紀末)の奥州からの帰途に八幡太郎源義家がここに立ち寄り、土地の城主に甲冑を与えたという。城主はこの甲冑を宝物として、平らな塚を作ってそこに安置したところから「平塚」という名が出たと。茅ヶ崎市の隣は平塚市というが、何か関係がと聞かれた。平塚市には平塚八幡宮という古い格式の神社があることはあるが、源氏が崇めたのは鎌倉にある「鶴岡八幡宮」で多分関係はないのだろうと思う。
話代わって、褌子さんの投稿文を読んで来年の春は吉野に行こうと。以前カミさんから誘われたが、桜なんぞ近くの公園でも、また毎年上野の桜を見ていただけにわざわざ吉野くんだりまでは思っていたが気が変わったネ。
吉野の桜は判ったが・・・猫跨ぎ
当欄の読者が、私を含めて鴎外の「小倉日記」を知っているのかどうか。どんな作品で、それがどれだけ鴎外研究に意味をもつのか。また清張が何故それほど関心をもったのか、などの断片でも聞かせて貰えないとね。褌子氏だけがうけにいっても困るで。
森鴎外と松本清張 ・・・褌子
森鴎外(1862~1922・大正11年)が明治15年から大正7年まで書き連ねた日記は出版されたものだけでも独逸日記、観潮楼日記など十種類もあるそうだ。文豪ともなると日記も公表されることを意識して書き記しているので、今ではすべて作品として全集に収録されている。
このうち、鴎外が明治32年から三年間を陸軍第12師団軍医部長(さきに私が書いた小倉連隊軍医という表現は正しくない)として北九州の小倉で過ごした時代の日記が『小倉日記』である。ところがこの『小倉日記』だけが戦前どうしてもみつからず、昭和26年2月になって鴎外の子息が疎開先から持ち帰った箪笥の反故のなかから発見し当時、新聞を賑わしたらしい。
岩波書店は戦前についで二度目の鴎外全集38巻を昭和26年から昭和31年にかけて出版するが、『小倉日記』の収録巻をとくに急いで出版したことはいうまでもない。鴎外研究者や鴎外ファンが首を長くして待っているからである。
松本清張『或る「小倉日記」伝』は昭和27年9月の「三田文学」に発表された。
清張は出版されたばかりの『小倉日記』を読むやいなや傑作『或る「小倉日記」伝』を書き始めたことになる。一日も早く読みたいと一番、首を長くして待っていたのが清張ではなかったか。
『或る「小倉日記」伝』は昭和27年下期の第28回芥川賞受賞作となり、一家が小倉での貧窮生活からやっと脱出することができたとき、清張はすでに43才になっていた。
このうち、鴎外が明治32年から三年間を陸軍第12師団軍医部長(さきに私が書いた小倉連隊軍医という表現は正しくない)として北九州の小倉で過ごした時代の日記が『小倉日記』である。ところがこの『小倉日記』だけが戦前どうしてもみつからず、昭和26年2月になって鴎外の子息が疎開先から持ち帰った箪笥の反故のなかから発見し当時、新聞を賑わしたらしい。
岩波書店は戦前についで二度目の鴎外全集38巻を昭和26年から昭和31年にかけて出版するが、『小倉日記』の収録巻をとくに急いで出版したことはいうまでもない。鴎外研究者や鴎外ファンが首を長くして待っているからである。
松本清張『或る「小倉日記」伝』は昭和27年9月の「三田文学」に発表された。
清張は出版されたばかりの『小倉日記』を読むやいなや傑作『或る「小倉日記」伝』を書き始めたことになる。一日も早く読みたいと一番、首を長くして待っていたのが清張ではなかったか。
『或る「小倉日記」伝』は昭和27年下期の第28回芥川賞受賞作となり、一家が小倉での貧窮生活からやっと脱出することができたとき、清張はすでに43才になっていた。
2014年4月14日月曜日
談山神社の神幸祭 ・・・・褌子
二泊三日で奈良の吉野の桜をみてきた。
山桜の良さを堪能。初日は磨崖仏の大野寺のしだれ桜、室生寺、長谷寺、さらに又兵衛桜をみて、吉野山の中千本の宿に入った。中の日は奥千本まで登ったがまだ全く咲いていなかった。西行庵もひっそりしている。上千本まで下ってくると山桜が全山を埋め尽くすかのように咲き出している。
中千本ちかくには鎌倉末期の後醍醐天皇陵もある。が、私は、南北朝時代より七百年も昔の壬申の乱の舞台となった吉野のほうがはるかに歴史ロマンを感ずる。天智天皇の弟である大海人皇子は、この吉野に逃げて反乱を周到に準備し近江朝廷軍を破って天武天皇になった。
きのうは帰りは朝一番に宿をでて多武峰(とうのみね)の談山神社を訪ねた。
談山神社は20年くらいまえに女房と門が閉まる寸前に入ったことがある。あのときの深とした夕闇せまる談山神社が忘れられないが、今度は朝いちばんに入った。
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷、入鹿を倒す密談をした場所だから談山神社(たんざん)というのであるが、むろん藤原氏の元祖鎌足を祀っている。蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が大化の改新を断行し天智天皇になり大津京で即位するのである。しかし、645年の大化の改新から、天智天皇の長子である大友皇子(弘文天皇)が大海人軍にやぶれて縊死するまでたった27年しかない。
桜よりも紅葉の名所であるが、桧皮葺の十三層の塔を背景に咲き誇る桜もまた悪くない【写真】。ちょうど春の神幸祭が始まるのに幸運にも遭遇した。篳篥(ひちりき)の音色にあわせて神事がはじまった。宮司さんが花粉症なのかマスクをして現れたが祝詞(のりと)がはじまるとマスクを外したので不謹慎にも可笑しかった。われわれも榊でお祓いをしてもらった。
神社から数百㍍離れた森のなかに鎌足の二子である藤原不比等の墓所といわれる十三層の石塔がひっそりと建っている。る。正面からみる石塔はきれいに十三層に積み上がっているが、なんと裏に回ると十三層の石板のうち下から一〇層までがことごとく写真のように破損し欠けている。なぜだろう? 廃仏毀釈のせいか?今後の宿題が残った。
この二泊三日の旅で、宮部みゆき責任編集「松本清張傑作短編コレクション」(文春文庫)の三巻本を半分くらい読んだ。女房たちが雑踏の夜桜見物に出ている間に独りちびりちびりと二つ折りの民宿の座布団を枕に小説を読むことほど楽しいことはない。
松本清張は九州小倉の人である。芥川賞をとった初期の作品『或る「小倉日記」伝』を再読する。「小倉日記」とは小倉連隊の軍医だったころの森鴎外の日記である。さらに「ヰタセクスアリス」を書いた森鴎外の小倉時代の秘密に触れている『削除の復元』も短編ながら面白い。しかし清張の小倉時代の極貧生活を描いた自伝風の『骨壺の風景』を読んで粛然としてしまった。わたしは今年こそはどうしても小倉の北九州市立松本清張記念館に行かねばならないと決意した。
さて、長い長い前書きになってしまったが、結局なにをいいたいかというと、今年秋のほろほろ会の旅行はできれば北九州方面にしたいといいたいのである。国兼さんに『三ツ目が通る』の写楽呆助みたいにペタンと絆創膏を某氏にかわって貼られそうな長々しい文章で申し訳ありません。そういえば先日のお酒も、上野の鴎外ゆかりの地でしたな。鴎外荘を選んだ小蔵ひでをさんの先見の明に恐れ入谷の鬼子母神。
山桜の良さを堪能。初日は磨崖仏の大野寺のしだれ桜、室生寺、長谷寺、さらに又兵衛桜をみて、吉野山の中千本の宿に入った。中の日は奥千本まで登ったがまだ全く咲いていなかった。西行庵もひっそりしている。上千本まで下ってくると山桜が全山を埋め尽くすかのように咲き出している。
中千本ちかくには鎌倉末期の後醍醐天皇陵もある。が、私は、南北朝時代より七百年も昔の壬申の乱の舞台となった吉野のほうがはるかに歴史ロマンを感ずる。天智天皇の弟である大海人皇子は、この吉野に逃げて反乱を周到に準備し近江朝廷軍を破って天武天皇になった。
きのうは帰りは朝一番に宿をでて多武峰(とうのみね)の談山神社を訪ねた。
談山神社は20年くらいまえに女房と門が閉まる寸前に入ったことがある。あのときの深とした夕闇せまる談山神社が忘れられないが、今度は朝いちばんに入った。
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷、入鹿を倒す密談をした場所だから談山神社(たんざん)というのであるが、むろん藤原氏の元祖鎌足を祀っている。蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が大化の改新を断行し天智天皇になり大津京で即位するのである。しかし、645年の大化の改新から、天智天皇の長子である大友皇子(弘文天皇)が大海人軍にやぶれて縊死するまでたった27年しかない。
桜よりも紅葉の名所であるが、桧皮葺の十三層の塔を背景に咲き誇る桜もまた悪くない【写真】。ちょうど春の神幸祭が始まるのに幸運にも遭遇した。篳篥(ひちりき)の音色にあわせて神事がはじまった。宮司さんが花粉症なのかマスクをして現れたが祝詞(のりと)がはじまるとマスクを外したので不謹慎にも可笑しかった。われわれも榊でお祓いをしてもらった。
神社から数百㍍離れた森のなかに鎌足の二子である藤原不比等の墓所といわれる十三層の石塔がひっそりと建っている。る。正面からみる石塔はきれいに十三層に積み上がっているが、なんと裏に回ると十三層の石板のうち下から一〇層までがことごとく写真のように破損し欠けている。なぜだろう? 廃仏毀釈のせいか?今後の宿題が残った。
この二泊三日の旅で、宮部みゆき責任編集「松本清張傑作短編コレクション」(文春文庫)の三巻本を半分くらい読んだ。女房たちが雑踏の夜桜見物に出ている間に独りちびりちびりと二つ折りの民宿の座布団を枕に小説を読むことほど楽しいことはない。
松本清張は九州小倉の人である。芥川賞をとった初期の作品『或る「小倉日記」伝』を再読する。「小倉日記」とは小倉連隊の軍医だったころの森鴎外の日記である。さらに「ヰタセクスアリス」を書いた森鴎外の小倉時代の秘密に触れている『削除の復元』も短編ながら面白い。しかし清張の小倉時代の極貧生活を描いた自伝風の『骨壺の風景』を読んで粛然としてしまった。わたしは今年こそはどうしても小倉の北九州市立松本清張記念館に行かねばならないと決意した。
さて、長い長い前書きになってしまったが、結局なにをいいたいかというと、今年秋のほろほろ会の旅行はできれば北九州方面にしたいといいたいのである。国兼さんに『三ツ目が通る』の写楽呆助みたいにペタンと絆創膏を某氏にかわって貼られそうな長々しい文章で申し訳ありません。そういえば先日のお酒も、上野の鴎外ゆかりの地でしたな。鴎外荘を選んだ小蔵ひでをさんの先見の明に恐れ入谷の鬼子母神。
2014年4月12日土曜日
私は誰でしょうか?・・・国兼
デジカメの限界で奥の方がぼんやりして、顔かたちが不明で申し訳ない。本当はどっか一箇所に集まってと思っが、何せ足腰の悪い方が多くそのために転んでもなんだと思って・・・。
で、奥の方の真ん中でドンと座椅子に座っている御仁は、九州の熊さんよりも遥かに本物に近い江刺のヒグマこと中川さん。その右隣の影がやや薄く、ボーット見える御仁は、自称その昔佐渡に流された〇〇天皇のご落胤の子孫の畏れ多くも褌子さんである。 熊さんも後悔はともかく、今年の「ホロホロ会秋の旅」は四国説と九州説が出ており、いずれにしてもその時には是非元気な顔をと・・・。
話代わって、リケジョの件であるが、彼女がSTAPが存在すると信じ、今でも信じているのは事実だと思う。ただ、この論文がNatureに掲載されたらノーベル賞の山中博士のiPS論文を上回る世界的な注目を浴びることも、逆にその論文に瑕疵があった時には(論文の不正や、再現できないという)サイエンスの世界から抹殺されることも共著者を含め知っていたことと思う。それだけの論文内容なのに、彼女を含めてこの幹細胞(ES細胞を含め)の世界で著名という副センター長と山梨大学の某教授が一堂に会してその論文のデーターや画像の一つ一つを納得のいくまで深い議論がなされたという状況が伝わってこない。何故精査しなかったのだろうと??まだ何処も、誰も見つけていないのだから、時間をかけて焦らず、きちんとSTEPを踏んでと、何故慌てて墓穴を掘るのか?と思う。野依さんが言う「副センター長」の責任は重いと。
で、奥の方の真ん中でドンと座椅子に座っている御仁は、九州の熊さんよりも遥かに本物に近い江刺のヒグマこと中川さん。その右隣の影がやや薄く、ボーット見える御仁は、自称その昔佐渡に流された〇〇天皇のご落胤の子孫の畏れ多くも褌子さんである。 熊さんも後悔はともかく、今年の「ホロホロ会秋の旅」は四国説と九州説が出ており、いずれにしてもその時には是非元気な顔をと・・・。
話代わって、リケジョの件であるが、彼女がSTAPが存在すると信じ、今でも信じているのは事実だと思う。ただ、この論文がNatureに掲載されたらノーベル賞の山中博士のiPS論文を上回る世界的な注目を浴びることも、逆にその論文に瑕疵があった時には(論文の不正や、再現できないという)サイエンスの世界から抹殺されることも共著者を含め知っていたことと思う。それだけの論文内容なのに、彼女を含めてこの幹細胞(ES細胞を含め)の世界で著名という副センター長と山梨大学の某教授が一堂に会してその論文のデーターや画像の一つ一つを納得のいくまで深い議論がなされたという状況が伝わってこない。何故精査しなかったのだろうと??まだ何処も、誰も見つけていないのだから、時間をかけて焦らず、きちんとSTEPを踏んでと、何故慌てて墓穴を掘るのか?と思う。野依さんが言う「副センター長」の責任は重いと。
参加できなくて残念 九州の熊
写真掲載ありがとうございます。なつかしく拝見。やっぱり無理してでも行けばよかったと後悔しきり。
大変失礼ながら10名のうち2名の方のお顔が思い出せなくて・・。
一番奥の正面(議長席?)にいる方とその右(山内さんの右隣)の方は誰? どちらかが褌子氏と思うが自信がありません。ホロホロ会幹事役の乾社長にメールでこっそり聞いた方がよかったかな。
��TAP細胞にかかる小保方問題、実にミステリアス。小保方さんがある現象に気づいて直感的にSTAP細胞を信じ込んでしまった、というのはないかね(この瞬間にはまだ命名されてはいなかったけど)。先を急ぐあまり客観的な事実証明が疎かになってしまった? ちょっと根拠薄弱、これこそわたしのおろかな直感??? 少なくとも小保方氏が世間を相手に大ウソをついたとは思えないのだけど・・。
大変失礼ながら10名のうち2名の方のお顔が思い出せなくて・・。
一番奥の正面(議長席?)にいる方とその右(山内さんの右隣)の方は誰? どちらかが褌子氏と思うが自信がありません。ホロホロ会幹事役の乾社長にメールでこっそり聞いた方がよかったかな。
��TAP細胞にかかる小保方問題、実にミステリアス。小保方さんがある現象に気づいて直感的にSTAP細胞を信じ込んでしまった、というのはないかね(この瞬間にはまだ命名されてはいなかったけど)。先を急ぐあまり客観的な事実証明が疎かになってしまった? ちょっと根拠薄弱、これこそわたしのおろかな直感??? 少なくとも小保方氏が世間を相手に大ウソをついたとは思えないのだけど・・。
2014年4月11日金曜日
ご苦労さま・・・猫跨ぎ
まあ、いつまでも続けたいね。
鴎外旧宅は庭に面して硝子戸がずらりと嵌められていたが、そのガラスを斜めから見ると細かに波うっている。この建物が複製ではなく本物だと判る。ガラス板の製法の違い。戦前のガラスは押出法といいロールで挟んで成形したもので、表面の均一性に欠けた。いまは油槽に融けたガラスを流し込むフロート法で、表面の滑らかさが全然違う。
勿論今は、昔のガラスの方が希少で、貴重。以前、谷中の朝倉彫塑館を訪ねたが、あそこの窓ガラスも同じく波打ちガラスだった。
古河庭園にしても旧岩崎邸にしても、旧財閥の私邸がこうして昔の典雅さを残しているのは良いものだ。最近の建造物が、一世紀後にこうして懐かしがられるかどうか。
飛鳥山散策で、平塚神社の名称にはびっくり。妙に細長い境内だった。女性がひとりお神籤を一生懸命読んでいた。今回の作品はこれのみ。
・花散るやお神籤を読むをんなにも
ホロホロ‘14年春の集い…国兼
昨年は春の大嵐のため中止と相成ったが、今年は陽気なお天気で何よりであった。3年ぶりに、函館から参加された仁べえさんはじめ10人の仲間(下記写真)が
上野の水月ホテル鴎外荘(その昔、鴎外が住んでいた旧宅で、舞姫や於母影を書いたらしい。知らなかったが、また東京初の天然温泉宿)にてひと時の歓談に花を咲かせたしだい。
足腰が弱くなったり、病魔に襲われ思うように身体がいうことを聞かなくなったりという仲間の話に、70を過ぎた皆々もいつこの身にと・・・(残念なのは、このような結構な話の間に、常に横から全く次元の異なる話を持ち込むお方がいて、話が腰折れになることである。他人の話に静かに耳を傾けるというマナーをと思う。次回には手塚治虫の「三つ目がとおる」様の「絆創膏」を褌子さん、是非用意して下さい)。
鴎外荘に集合する前に、足腰がいまだ健在な5人が1時に王子駅に集まり、飛鳥山の桜の花びらが散る中ウオーキングを楽しんだ。奇しくも、今日の朝日の夕刊に飛鳥山の花見のことが記載されているが、8代将軍吉宗の時代に江戸庶民の憩いの場所として1200本余りの桜を植樹したらしい。この飛鳥山から音無し川を挟む王子神社に至る通りは茶店で賑わい、一大行楽地であったらしい。
飛鳥山では明治以降の洋紙産業発祥の地(後の王子製紙)としての「紙の博物館」、及び陸奥宗光の別荘で後に古川財閥が購入した「古川庭園」(バラの花が有名らしく、コバさんは5月頃にこの西洋館の中とバラ園見学とを予約したとのこと)の庭園を鑑賞した。帰りには英蔵さん御推奨の茶店で「みたらし団子」を一串食べ、元気を取り戻して鴎外荘へと。
仁べえさんが言っていたが、上野の桜を愛でるこの「ホロホロ春の集い」も振り返ってみると25年ぐらい経過したらしい。来年の春も元気に再会をと。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、明年花開いて復誰か在る
上野の水月ホテル鴎外荘(その昔、鴎外が住んでいた旧宅で、舞姫や於母影を書いたらしい。知らなかったが、また東京初の天然温泉宿)にてひと時の歓談に花を咲かせたしだい。
足腰が弱くなったり、病魔に襲われ思うように身体がいうことを聞かなくなったりという仲間の話に、70を過ぎた皆々もいつこの身にと・・・(残念なのは、このような結構な話の間に、常に横から全く次元の異なる話を持ち込むお方がいて、話が腰折れになることである。他人の話に静かに耳を傾けるというマナーをと思う。次回には手塚治虫の「三つ目がとおる」様の「絆創膏」を褌子さん、是非用意して下さい)。
鴎外荘に集合する前に、足腰がいまだ健在な5人が1時に王子駅に集まり、飛鳥山の桜の花びらが散る中ウオーキングを楽しんだ。奇しくも、今日の朝日の夕刊に飛鳥山の花見のことが記載されているが、8代将軍吉宗の時代に江戸庶民の憩いの場所として1200本余りの桜を植樹したらしい。この飛鳥山から音無し川を挟む王子神社に至る通りは茶店で賑わい、一大行楽地であったらしい。
飛鳥山では明治以降の洋紙産業発祥の地(後の王子製紙)としての「紙の博物館」、及び陸奥宗光の別荘で後に古川財閥が購入した「古川庭園」(バラの花が有名らしく、コバさんは5月頃にこの西洋館の中とバラ園見学とを予約したとのこと)の庭園を鑑賞した。帰りには英蔵さん御推奨の茶店で「みたらし団子」を一串食べ、元気を取り戻して鴎外荘へと。
仁べえさんが言っていたが、上野の桜を愛でるこの「ホロホロ春の集い」も振り返ってみると25年ぐらい経過したらしい。来年の春も元気に再会をと。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、明年花開いて復誰か在る
それでも地球は・・・猫跨ぎ
小保方会見を見た。女性の高い声で「STAP細胞はあります」と語尾を上げてキッと断言されると、そうかそうかと思ってしまうのはまずいか。「それでも地球は回っている」をつい連想してしまう。STAP細胞実験は200回成功している、Independentに成功した人がいるには場内すわ、となったが、具体的な説明はなかったので、怪しいという空気が支配してしまった。しかし実験ノートがお粗末だったと何度も言われるが、どうも二冊以外にもあると言うし、理研が拙速に結論した風もある。テレビでは皆お利口にきちんとやっているかのように発言しているが、そうかな。
そこへ今日、核心的な人物、笹井副センター長が朝日のインタビューに応じた。「STAP細胞はreal phenomenonです」にぎょっ。更に「ES細胞のコンタミという人がいるが、実験を知らない人の発言」ともいう。なら、何で今まで黙っていたんだ。
来週、矢のような質問を覚悟して記者会見すると言っている。理研―小保方の真っ向対立構造のなかでどんな事をいうのか。勿論、彼はあくまで理研の人間で、今までの理研の動きに矛盾のない説明をするのだろうが。よく判らんね、この件は。
そこへ今日、核心的な人物、笹井副センター長が朝日のインタビューに応じた。「STAP細胞はreal phenomenonです」にぎょっ。更に「ES細胞のコンタミという人がいるが、実験を知らない人の発言」ともいう。なら、何で今まで黙っていたんだ。
来週、矢のような質問を覚悟して記者会見すると言っている。理研―小保方の真っ向対立構造のなかでどんな事をいうのか。勿論、彼はあくまで理研の人間で、今までの理研の動きに矛盾のない説明をするのだろうが。よく判らんね、この件は。
2014年4月7日月曜日
JR山田線・・・猫跨ぎ
岩手の三陸鉄道、つまり北リアス線、南リアス線が全面復旧したらしい。この両線の間、宮古から釜石まではJR山田線でこちらは復旧のメドはたっていないらしい。我々はこの間、並行する国道をタクシーで走ったわけだ。山田駅の駅舎や周辺のロータリーは土台を残すのみ。見渡すと何もない山田町の風景が広がっていた。花壇にサルビアが咲いていて目に沁みた。
・サルビアのますます赤き駅舎跡
・サルビアや鷗は海をふり向かず
・サルビアのますます赤き駅舎跡
・サルビアや鷗は海をふり向かず
2014年4月6日日曜日
すり抜けた?・・・猫跨ぎ
新聞記事によると、小保方さんから理研にNature記載の写真はウッカリミスでした、これが本当ですという四枚が提出されていたらしい。それを今日、理研の正式文書から削除したという。全面対決で、もはや全否定であれは理研の歴史から一切削除する、なかったことにするということの様だ。
小保方さんの実験ノートの一件はいわば、象徴的な意味をもっていて、要は基本的なスキルのない人間が研究まがいのことをしていたといいたいのだろう。
しかしよく判らない。傍で研究を統括していた上司は、何を見、アドバイスし、指導していたのか。いやその前に、その人物の実力は、ちょっと会話を交わしただけで大体判る。その判断は概ね妥当だ。研究専門職であればなおのことだ。もちろん、研究ディスカッションで殆ど馬脚は露わになる。それを全部擦り抜けた?
小保方さんの実験ノートの一件はいわば、象徴的な意味をもっていて、要は基本的なスキルのない人間が研究まがいのことをしていたといいたいのだろう。
しかしよく判らない。傍で研究を統括していた上司は、何を見、アドバイスし、指導していたのか。いやその前に、その人物の実力は、ちょっと会話を交わしただけで大体判る。その判断は概ね妥当だ。研究専門職であればなおのことだ。もちろん、研究ディスカッションで殆ど馬脚は露わになる。それを全部擦り抜けた?
2014年4月4日金曜日
小保方事件(その4)・・・国兼
リケジョの実験ノートに関しては、ノート以外にも研究所から貸与されたパソコンにも当然データーが入っていると思う。細胞レベルの研究ではすべての観測が一義的にモニターに撮られ、コントラストや色を付けたり、必要なところを拡大したりして納得のいく画像をコピーしたり、自分のパソコンに伝送する。彼女のパソコンにはこの手の画像が豊富にあるのだと思う。後はパソコンの得意な多変量解析データー(この元データは多分ノートに記載された一つ一つの実験データーであろう)。後は所内や学会発表用のパワーポイント関係。
理研も当然ながら再現実験をするために彼女のパソコンを念入りに調べたであろう。その結果が画像修正や3年間で2冊という「研究者として未熟な」という表現になったのだろう。
ついでに特許における実験ノートの件、かってはアメリカの先発明主義(ほかの国は先願主義)のために、日本の外国出願先もメインはアメリカであったため、いつこの発明をしたかということが重要で日付を書いた実験ノートが重要視されたものである。数年前に(1、2年ほど前?)アメリカも国際的趨勢の先願主義に変わったため、要は早く出願したものが勝の世界になり、肉筆ノートは特許の世界では重きを置かなくなった。が、実験主体の技術者はやはり基本は実験ノートであろう。
思えば、パソコンが一人一人の技術者に貸与された90年代に、テーマ―の中間、或いは完了評価会でプロジェクターに投影されるパワーポイントの画像のうち、どれが自分たちのデーターでどれがネットからのコピーペーストなのか判明しづらい発表が多くなった。
ともあれ、特許や論文の原文を読まなくなり、実験室での実験が減ったのはこのパソコンの影響がきわめて多い。それに輪をかけて、実験ノートをも書かないような技術者体質では他を凌駕するような新たな発見、発明はと・・・・???
理研も当然ながら再現実験をするために彼女のパソコンを念入りに調べたであろう。その結果が画像修正や3年間で2冊という「研究者として未熟な」という表現になったのだろう。
ついでに特許における実験ノートの件、かってはアメリカの先発明主義(ほかの国は先願主義)のために、日本の外国出願先もメインはアメリカであったため、いつこの発明をしたかということが重要で日付を書いた実験ノートが重要視されたものである。数年前に(1、2年ほど前?)アメリカも国際的趨勢の先願主義に変わったため、要は早く出願したものが勝の世界になり、肉筆ノートは特許の世界では重きを置かなくなった。が、実験主体の技術者はやはり基本は実験ノートであろう。
思えば、パソコンが一人一人の技術者に貸与された90年代に、テーマ―の中間、或いは完了評価会でプロジェクターに投影されるパワーポイントの画像のうち、どれが自分たちのデーターでどれがネットからのコピーペーストなのか判明しづらい発表が多くなった。
ともあれ、特許や論文の原文を読まなくなり、実験室での実験が減ったのはこのパソコンの影響がきわめて多い。それに輪をかけて、実験ノートをも書かないような技術者体質では他を凌駕するような新たな発見、発明はと・・・・???
一体・・・ ・・・猫跨ぎ
STAP細胞の話はどうも隔靴掻痒の感があって、しっくり落ち着かない。実験ノートが二冊しかなかったの件は、未熟な研究者の証明ということで話されている。未熟だけなら事は単純だが、改竄、捏造は未熟では済まない。悪質な意図がありありで、未熟どころか重大な倫理問題、犯罪行為になる。理研の発表はそこまで突いている。一女性若手研究者が周りをベテランを手玉にとったことになる。そんなことが可能か。
聞くところでは、ハーバードの教授の研究に萌芽があったという。それをヒントに、弱酸処理とか細管を通過させるストレス負荷で幹細胞化を実証したとの成果は恐らく5年以上の実験で積み上げられたものだろう。二冊の実験ノートどころではあるまい。それがまるまるフィクションか。おとぎ噺を紡いでいたのか。周りが全く気づかずに。馬鹿な。しかし理研はそう言っている。母校の早稲田からもサポートの声は聞こえない。
Natureの査読では当初、貴女は細胞学の歴史を愚弄するのかと突き返したという。それでもへこたれず研究を続行した、そして覆し、説得に成功した。それはみな壮大なフィクションか。そんなこと、アリか。理研の発表はそうだと言っている。
皆、騙されました。私達はそれを見抜けなかったバカでしたと言っている。彼女は、本当に、決定的なデータを持っていないのか。持っていないのなら、貴女は、詐欺師をこえた、精神疾患を問われるのかもしれない。いや、理研はうすうす、そう思っているのではないか。
聞くところでは、ハーバードの教授の研究に萌芽があったという。それをヒントに、弱酸処理とか細管を通過させるストレス負荷で幹細胞化を実証したとの成果は恐らく5年以上の実験で積み上げられたものだろう。二冊の実験ノートどころではあるまい。それがまるまるフィクションか。おとぎ噺を紡いでいたのか。周りが全く気づかずに。馬鹿な。しかし理研はそう言っている。母校の早稲田からもサポートの声は聞こえない。
Natureの査読では当初、貴女は細胞学の歴史を愚弄するのかと突き返したという。それでもへこたれず研究を続行した、そして覆し、説得に成功した。それはみな壮大なフィクションか。そんなこと、アリか。理研の発表はそうだと言っている。
皆、騙されました。私達はそれを見抜けなかったバカでしたと言っている。彼女は、本当に、決定的なデータを持っていないのか。持っていないのなら、貴女は、詐欺師をこえた、精神疾患を問われるのかもしれない。いや、理研はうすうす、そう思っているのではないか。
2014年4月3日木曜日
実験ノート・・・猫跨ぎ
実験ノート二冊の件だけれど、これだけではよく判らないね。提出されたものが二冊で他に何もないとは言っていない。例えば、これだけノートパソコンが身近にあるときに詳細はそちらに記載されているのかもしれない。
特許の先発明を争うときに、肉筆のノートの存在が重要とされたが、今はどうなのだろう。パソコンのデータの扱いはよく判らない。それから毎月の研究月報を公証役場で印を貰って管理するなど、理研ではその辺はどうなのか。
いずれにしても、彼女が一人悪者という流れで報道されているから、要注意だ。
特許の先発明を争うときに、肉筆のノートの存在が重要とされたが、今はどうなのだろう。パソコンのデータの扱いはよく判らない。それから毎月の研究月報を公証役場で印を貰って管理するなど、理研ではその辺はどうなのか。
いずれにしても、彼女が一人悪者という流れで報道されているから、要注意だ。
小保方事件(その3)・・・国兼
一昨日の理研の会見で知った驚いたことは、リケジョがこの3年間で使った実験ノートがたった2冊ということであった。
彼女が言っていたが、STAP細胞を作るためにありとあらゆる可能性を実験した・・。おそらく、その一つ一つの因子の実験には条件を様々に変えたりしていたはずで、たまさかの弱酸性という偶然に出会ったとは思えない。その個々の実験はその後のためのメモリーとしてきちんとノートに記述していたら、1年間に何冊もなるのではと・・。会社の研究でもそうだが上司が見る、見ないは些少なことで、研究者として当たり前のことだと思う。早稲田はともかく実験ノートの管理に厳格なアメリカのハーバードで同じことをやっていたのだろうか??リケジョの上司たちは実験ノートも書かない、採用して日の浅い彼女の実験の何を見、何を信用したのだろうかと・・・?不思議でならない!!
今回の世界を騒がせた騒動の、理研の権威を失墜させた唯一のリカバリーは、リケジョが「私が再現します。見ていてください」と、彼女が実験ノートに従ってSTAPを再現すれば済むことなのに、この実験ノートでは再現実験ができる自信が無いのだろうと・・・。
3年間で2冊というこの1点からも(これは極めて重要なことだと思う)、リケジョのNatureの論文は「限りなくブラックに近い灰色」なのだろうと思う。
理研が1年間かけて追試実験をするという。災い転じて・・・というような、New STAPを是非見つけて欲しいと、このまま1年後に「やはり、あのデーターは間違っていました」というだけでは納得しない。奮起一番をと(リコーは戦前に理研にいた桜井博士の発明したジアゾ感光紙を商品化し(理研感光紙KK)、戦後にカメラ事業に乗り出し(理研光学KKとなり)、それから頭文字の二文字をとって横文字のリコーKKへと云うぐらい、今でも理研とは深い繋がりがあるだけに・・・)。
彼女が言っていたが、STAP細胞を作るためにありとあらゆる可能性を実験した・・。おそらく、その一つ一つの因子の実験には条件を様々に変えたりしていたはずで、たまさかの弱酸性という偶然に出会ったとは思えない。その個々の実験はその後のためのメモリーとしてきちんとノートに記述していたら、1年間に何冊もなるのではと・・。会社の研究でもそうだが上司が見る、見ないは些少なことで、研究者として当たり前のことだと思う。早稲田はともかく実験ノートの管理に厳格なアメリカのハーバードで同じことをやっていたのだろうか??リケジョの上司たちは実験ノートも書かない、採用して日の浅い彼女の実験の何を見、何を信用したのだろうかと・・・?不思議でならない!!
今回の世界を騒がせた騒動の、理研の権威を失墜させた唯一のリカバリーは、リケジョが「私が再現します。見ていてください」と、彼女が実験ノートに従ってSTAPを再現すれば済むことなのに、この実験ノートでは再現実験ができる自信が無いのだろうと・・・。
3年間で2冊というこの1点からも(これは極めて重要なことだと思う)、リケジョのNatureの論文は「限りなくブラックに近い灰色」なのだろうと思う。
理研が1年間かけて追試実験をするという。災い転じて・・・というような、New STAPを是非見つけて欲しいと、このまま1年後に「やはり、あのデーターは間違っていました」というだけでは納得しない。奮起一番をと(リコーは戦前に理研にいた桜井博士の発明したジアゾ感光紙を商品化し(理研感光紙KK)、戦後にカメラ事業に乗り出し(理研光学KKとなり)、それから頭文字の二文字をとって横文字のリコーKKへと云うぐらい、今でも理研とは深い繋がりがあるだけに・・・)。
facebook私の発言転載 『怒りの葡萄』・・・褌子
『怒りの葡萄』でアメリカ農民の辛苦を描いたスタインベックが、ジョンソン大統領のベトナム戦争を強烈に支持する従軍記を書いたことは、世界の若者たちに「許せぬ裏切り」として衝撃を与えた。当時、この従軍記は日本では毎日新聞に連載されたが、日本でもスタインベックの本はさっぱり売れなくなったといわれている。
さて、スタインベックのもう一つの作品といえば『エデンの東』
映画化されてまもなく主役のジェームス・ディーンが事故死したこともあって映画『エデンの東』の人気はいまだに衰えないようだ。ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』『ジャイアンツ』と『エデンの東』のたった三本だけだが名作を残して25才でこの世を去った。(ディーンは不幸な家庭に生まれた。生い立ちからくるその陰が反抗する若者という迫真の演技となった。オトコのわたしでさえグッとくるから、さぞかしオンナごころをゾクゾクとくすぐるのだろうな…)
問題は『エデンの東』のエリア・カザン監督が1954年にアメリカ非米活動委員会(いわゆるマッカーシズム)に召喚されてかつての劇団仲間11人をアメリカ共産党員だと密告したことだ。『欲望という名の電車』などですでに巨匠といわれながら、自分よりも後進の仲間を裏切ったのだ。彼に売られた演劇人たちが職を失い投獄のうきめにもあうなど苦難の道を歩んでいるのを尻目に、『波止場』『エデンの東』『草原の輝き』など名作といわれる映画をつぎつぎ作り、名優マーロン・ブランドなども掘り出してオスカー賞を受賞。
米ソ冷戦のなかでアメリカの赤狩り旋風は300人もの優れた映画関係者や演劇人を路頭に迷わせた。チャップリンもアメリカを追われた。
朝鮮戦争も終結し赤狩り旋風がやんでもアメリカの民主主義的世論はずっとエリア・カザン監督を許さなかったといわれる。アメリカ映画界がやっと過去に誠実に向き合ったのは1991年にアーウイン・ウインクラー脚本・監督の『真実の瞬間』が発表された時からだ。わたしはまだ観てない映画だがロバート・デニーロ主演。
しかし、『真実の瞬間』が発表されたあとも、エリア・カザン監督は2003年に94才で死ぬまで過去の裏切りをとうとう謝罪しなかった。深く悲しい赤狩りの傷跡である。
『怒りの葡萄』でヘンリー・フォンダを主人公トム役に抜擢したジョン・フォード監督は赤狩りに反感をみせていたが『駅馬車』(1939)が稼ぎまくるので映画界からは追放されずにすんだ。(黒沢明監督はフォード監督を尊敬していた)
フォード監督作品に何度も抜擢された俳優ジョン・ウエインは愛国者連盟をつくって赤狩りにすすんで協力した。三文俳優といわれた後の大統領レーガンが赤狩り時代になにをやっていたかは知らない。
さて、スタインベックのもう一つの作品といえば『エデンの東』
映画化されてまもなく主役のジェームス・ディーンが事故死したこともあって映画『エデンの東』の人気はいまだに衰えないようだ。ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』『ジャイアンツ』と『エデンの東』のたった三本だけだが名作を残して25才でこの世を去った。(ディーンは不幸な家庭に生まれた。生い立ちからくるその陰が反抗する若者という迫真の演技となった。オトコのわたしでさえグッとくるから、さぞかしオンナごころをゾクゾクとくすぐるのだろうな…)
問題は『エデンの東』のエリア・カザン監督が1954年にアメリカ非米活動委員会(いわゆるマッカーシズム)に召喚されてかつての劇団仲間11人をアメリカ共産党員だと密告したことだ。『欲望という名の電車』などですでに巨匠といわれながら、自分よりも後進の仲間を裏切ったのだ。彼に売られた演劇人たちが職を失い投獄のうきめにもあうなど苦難の道を歩んでいるのを尻目に、『波止場』『エデンの東』『草原の輝き』など名作といわれる映画をつぎつぎ作り、名優マーロン・ブランドなども掘り出してオスカー賞を受賞。
米ソ冷戦のなかでアメリカの赤狩り旋風は300人もの優れた映画関係者や演劇人を路頭に迷わせた。チャップリンもアメリカを追われた。
朝鮮戦争も終結し赤狩り旋風がやんでもアメリカの民主主義的世論はずっとエリア・カザン監督を許さなかったといわれる。アメリカ映画界がやっと過去に誠実に向き合ったのは1991年にアーウイン・ウインクラー脚本・監督の『真実の瞬間』が発表された時からだ。わたしはまだ観てない映画だがロバート・デニーロ主演。
しかし、『真実の瞬間』が発表されたあとも、エリア・カザン監督は2003年に94才で死ぬまで過去の裏切りをとうとう謝罪しなかった。深く悲しい赤狩りの傷跡である。
『怒りの葡萄』でヘンリー・フォンダを主人公トム役に抜擢したジョン・フォード監督は赤狩りに反感をみせていたが『駅馬車』(1939)が稼ぎまくるので映画界からは追放されずにすんだ。(黒沢明監督はフォード監督を尊敬していた)
フォード監督作品に何度も抜擢された俳優ジョン・ウエインは愛国者連盟をつくって赤狩りにすすんで協力した。三文俳優といわれた後の大統領レーガンが赤狩り時代になにをやっていたかは知らない。
そういう要素は・・・猫跨ぎ
そういう要素もないとはいわないけれど、別に昨日今日始まったことではないしね。私が会社にいたときすでに独法化がはじまり、予算面で厳しくなったりで、いろんな話を大学や筑波で仄聞した。しかしそれと改竄、不正行為とは全然別のはなしでそこまで心を売ってはいないだろう。科学の発展はひとつずつ輪を繋いで行くようなものだから、どこかの輪が偽物だったら早晩切れてバラバラになる。そんなことは自明なことだ。
この件で連想したのは、去年だったか、iPs細胞に関連してありもしない医療実験をでっち上げてそれがばれた研究者がいた。やり口をみていると、日米の狭間にいて、ちょこちょこと短いペーパーや学会発表(ポスターセッションという簡単なもの)を繰り返し、いわゆるキャリアを集積する。経歴に書ける材料を稼いで、どこかのポジションを獲ようとするやり方だ。iPsという時代の脚光を浴びる舞台で、予想外の反響となって、バレてしまったのはお笑いだった。が、こういう手合いは結構いるんだ。地味な分野では気付かずに済む。
今回は、そんなコソ泥とは違うと思いたい。だから、一件でもSTAP細胞の存在を例示してくれればいいのだが、何故か周りの共著者が黙ってしまった。肯定的な人は皆無だ。
彼女の強気が、急転直下、悲劇に終わらねばいいのだが。
この件で連想したのは、去年だったか、iPs細胞に関連してありもしない医療実験をでっち上げてそれがばれた研究者がいた。やり口をみていると、日米の狭間にいて、ちょこちょこと短いペーパーや学会発表(ポスターセッションという簡単なもの)を繰り返し、いわゆるキャリアを集積する。経歴に書ける材料を稼いで、どこかのポジションを獲ようとするやり方だ。iPsという時代の脚光を浴びる舞台で、予想外の反響となって、バレてしまったのはお笑いだった。が、こういう手合いは結構いるんだ。地味な分野では気付かずに済む。
今回は、そんなコソ泥とは違うと思いたい。だから、一件でもSTAP細胞の存在を例示してくれればいいのだが、何故か周りの共著者が黙ってしまった。肯定的な人は皆無だ。
彼女の強気が、急転直下、悲劇に終わらねばいいのだが。
小保方事件の背景は・・・ 褌子
愛しさのあまり反語的表現となる心理の綾ですか。なるほどねーそういうものですか。
ふだん思っていることがひょいと口にでてしまったのだな正直なひとだなあ、と私は解していたのですが。私は、女は思慮が足りない、しょせん女なんて浅はかとか、ぜったい口が裂けてもいいません。
小保方事件の背景だが。研究機関が独立行政法人化してから地味な基礎研究を軽視して有名になる研究とか早く金になる研究をしないと国から予算がおりない傾向がある。4月中旬に閣議決定が予定されていた特定国立研究開発法人選定にむけて理研が世界をあっと言わせる論文発表を急げ急げと彼女にせかせた圧力が背景にあったのではないかとみているのですが。
ふだん思っていることがひょいと口にでてしまったのだな正直なひとだなあ、と私は解していたのですが。私は、女は思慮が足りない、しょせん女なんて浅はかとか、ぜったい口が裂けてもいいません。
小保方事件の背景だが。研究機関が独立行政法人化してから地味な基礎研究を軽視して有名になる研究とか早く金になる研究をしないと国から予算がおりない傾向がある。4月中旬に閣議決定が予定されていた特定国立研究開発法人選定にむけて理研が世界をあっと言わせる論文発表を急げ急げと彼女にせかせた圧力が背景にあったのではないかとみているのですが。
2014年4月2日水曜日
おやおや・・・猫跨ぎ
女性への差別発言の件だが、まともにとるとは理解力が足らんなあ。私ほど女性を崇拝し愛情を抱いて接しているものはいない。愛しさの余り反語的表現となるこの心理の綾を見抜かねば。小生当欄では他にしばしばProvoke的表現をするが、ひとえに面白く活性化するためと理解して欲しい。
今回の件については、理研のとにかく強引な幕引きが目立つ。笹井(副センター長)という共著者がポイントだと思うが一切顔を出さないのはどうもおかしい。
小保方さんについては、記者会見をするらしいが、ただひとつ、STAP細胞作成の確たる結果をひとつ出せばいいのだ。それで彼女の地に落ちた全てが回復する。出せないのなら終わりだ。他のことはどうでも良い。
今回の件については、理研のとにかく強引な幕引きが目立つ。笹井(副センター長)という共著者がポイントだと思うが一切顔を出さないのはどうもおかしい。
小保方さんについては、記者会見をするらしいが、ただひとつ、STAP細胞作成の確たる結果をひとつ出せばいいのだ。それで彼女の地に落ちた全てが回復する。出せないのなら終わりだ。他のことはどうでも良い。
あれあれ、あらまー 褌子
小保方事件がいよいよ面白くなってきてしまった。
巨大な権威ある理研を相手取って、不正認定は承服できませんと可愛いカの泣くような涙声で不服申し立てをした。
まあオスの巨大アフリカ象の急所に小さなミツバチが一匹噛みついた格好。野依理事長の困惑しきった渋面がテレビに大写しになった。
国兼さん。貴殿としてはこの結末の見立てはどうなりますかね。私としてはうちの末娘と同じ年で同じ千葉県出身の小保方さんに判官贔屓でなんとなく味方をしたいんですが、やっぱりこれはちょっと無理筋ですかね。
本当に希代のデータ捏造女、データ改ざんの嘘つき女なのでしょうか?
猫跨ぎさんの「あんな可愛い顔をしてすごいことをやるものだ。STAP細胞なんか、いずれバレる。それをやってしまうんだから、何というか、矢張り女の浅はかさか」という“かなり的を得たような不規則発言”が全日本女性差別発言根絶運動・女性蔑視思想撲滅推進部長のN女史の怒りを呼びそうなので私は心配で眠られません。
巨大な権威ある理研を相手取って、不正認定は承服できませんと可愛いカの泣くような涙声で不服申し立てをした。
まあオスの巨大アフリカ象の急所に小さなミツバチが一匹噛みついた格好。野依理事長の困惑しきった渋面がテレビに大写しになった。
国兼さん。貴殿としてはこの結末の見立てはどうなりますかね。私としてはうちの末娘と同じ年で同じ千葉県出身の小保方さんに判官贔屓でなんとなく味方をしたいんですが、やっぱりこれはちょっと無理筋ですかね。
本当に希代のデータ捏造女、データ改ざんの嘘つき女なのでしょうか?
猫跨ぎさんの「あんな可愛い顔をしてすごいことをやるものだ。STAP細胞なんか、いずれバレる。それをやってしまうんだから、何というか、矢張り女の浅はかさか」という“かなり的を得たような不規則発言”が全日本女性差別発言根絶運動・女性蔑視思想撲滅推進部長のN女史の怒りを呼びそうなので私は心配で眠られません。
2014年4月1日火曜日
あれあれ・・・猫跨ぎ
理研の発表をテレビで見ていた。捏造による研究不正があったと断罪した。しばらくして小保方さんの「驚きと怒りと憤りで一杯」で理研に抗議するというコメントが報じられた。完全に降参したのかと思ったら違うのだ。共同研究者がみな逃げに入っていて、彼女一人が悪者の構図だ。誰か付いているのか、精神的に正常じゃないのなら、危ないが、どうも弁護士を立てているらしく、一歩も引かぬ姿勢だ。野依さんが、この対立の構図に、弱々しく「私には判りません」と視線を落としていたのが印象的だった。舞台は第二幕に入っている。
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