『怒りの葡萄』でアメリカ農民の辛苦を描いたスタインベックが、ジョンソン大統領のベトナム戦争を強烈に支持する従軍記を書いたことは、世界の若者たちに「許せぬ裏切り」として衝撃を与えた。当時、この従軍記は日本では毎日新聞に連載されたが、日本でもスタインベックの本はさっぱり売れなくなったといわれている。
さて、スタインベックのもう一つの作品といえば『エデンの東』
映画化されてまもなく主役のジェームス・ディーンが事故死したこともあって映画『エデンの東』の人気はいまだに衰えないようだ。ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』『ジャイアンツ』と『エデンの東』のたった三本だけだが名作を残して25才でこの世を去った。(ディーンは不幸な家庭に生まれた。生い立ちからくるその陰が反抗する若者という迫真の演技となった。オトコのわたしでさえグッとくるから、さぞかしオンナごころをゾクゾクとくすぐるのだろうな…)
問題は『エデンの東』のエリア・カザン監督が1954年にアメリカ非米活動委員会(いわゆるマッカーシズム)に召喚されてかつての劇団仲間11人をアメリカ共産党員だと密告したことだ。『欲望という名の電車』などですでに巨匠といわれながら、自分よりも後進の仲間を裏切ったのだ。彼に売られた演劇人たちが職を失い投獄のうきめにもあうなど苦難の道を歩んでいるのを尻目に、『波止場』『エデンの東』『草原の輝き』など名作といわれる映画をつぎつぎ作り、名優マーロン・ブランドなども掘り出してオスカー賞を受賞。
米ソ冷戦のなかでアメリカの赤狩り旋風は300人もの優れた映画関係者や演劇人を路頭に迷わせた。チャップリンもアメリカを追われた。
朝鮮戦争も終結し赤狩り旋風がやんでもアメリカの民主主義的世論はずっとエリア・カザン監督を許さなかったといわれる。アメリカ映画界がやっと過去に誠実に向き合ったのは1991年にアーウイン・ウインクラー脚本・監督の『真実の瞬間』が発表された時からだ。わたしはまだ観てない映画だがロバート・デニーロ主演。
しかし、『真実の瞬間』が発表されたあとも、エリア・カザン監督は2003年に94才で死ぬまで過去の裏切りをとうとう謝罪しなかった。深く悲しい赤狩りの傷跡である。
『怒りの葡萄』でヘンリー・フォンダを主人公トム役に抜擢したジョン・フォード監督は赤狩りに反感をみせていたが『駅馬車』(1939)が稼ぎまくるので映画界からは追放されずにすんだ。(黒沢明監督はフォード監督を尊敬していた)
フォード監督作品に何度も抜擢された俳優ジョン・ウエインは愛国者連盟をつくって赤狩りにすすんで協力した。三文俳優といわれた後の大統領レーガンが赤狩り時代になにをやっていたかは知らない。
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