2011年3月30日水曜日

この国はどうなるか金子兜太・・・・褌子

いま、われわれ人間は自ら作った原発を御すことができず、巨大な力に脅かされている。
『毎日30日夕刊』で91才の金子兜太はつぎのようにいう。
・・・
 機械文明中心の世の中には希望がもてないとずっと思ってきた。
 人間は社会を作り、その後、盛んに機械文明をつくりあげた。
 ばかでかいものを作って、ばかでかいエネルギーを得て、幸せになったように思っていたが、根が非常に危ないものであることに気づいてなかったんだ。
    わが世のあと 百の月照る憂世かな

2011年3月29日火曜日

とにかく ・・・ 猫跨ぎ

  不安をかきたてるばかりの放送に嫌気がさしてあまり見ないことにしている。この辺で最悪のシナリオを考えたらどうか。BS海外放送は遠慮がないから勝手なことをいう。まず水が切れたらどうなるか。核燃料は燃え、放射能をまき散らす。推定80km。米軍が立入禁止にしたのはこの数字だったな。それから可能性としては臨界。これは絶対避けねばならないからとにかく水を注入するしかない。この水がいまピットに満杯近い。将棋で言えば詰みの状態。結局、海へ流すしかないのではないか。海で拡散を期待するしかない。日本は膨大な責務を負うことになるだろう。まあ、こういうことをそろそろ覚悟しよう。
  
  テレビの解説の頼りなさはどうだ。この前計測ミスがあったが、つらっとしてあの凄い数字を言っていた。翌日間違ってましたはないだろう。出て来る専門家も全く頼りない。こんな連中ばかりなのか。日本の技術の底の浅さだなあ。
  今日新聞に、日米原発事故連絡調整会議が発足し作業に入ったと報じている。放射性物質遮蔽、核燃料棒処理、原発廃炉、医療・生活支援の4チーム。遅きに失した感があるが、とにかく期待するしかない。

2011年3月28日月曜日

無題・・・・・逸徳

テレビはがんばれニッポンの声の連続だ。しかし・・・・正直告白すると、違和感を感じてしょうがない。事実は言葉をこえている。今もっとも言葉の無力な瞬間。被災者の心の中には、いくらいわれても「わかってたまるか・・・」という歯ぎしりのような暗く重い思いが沈潜しているのではないか。おそらくこの瞬間「あなたの気持ちはわかる」という言葉ほど、罪深い表現はないのかもしれない。 つくろうとおもったわけではないが、なんとなくするりとでてきた歌一首。
    うたよみよ うたよむなかれ 今はただ 慟哭の側に 黙しよりそえ。
しかし・・・・そういっていながら歌をつくっているなんて・・・・矛盾だな。すみません。

大天災Ⅱ・・・大人災(?)   小蔵 ひでを

  今回の震災が大天災であることは間違いありません。しかし、想定外という言葉は言い逃れであると思います。数年前、現実にM9.3大地震がスマトラ沖で発生し津波の映像を目の当たりにしました。福島第一原発は、築40年になるそうですが、当時の設計上の想定はM7.8,津波の高さ5mだそうです。スマトラ沖の地震発生を知ったらすぐにでも稼働を中止すべきだったと思います。日本の過去にも、869年7月13日、10mを超える大津波を伴った貞観三陸地震 - M 8.3~8.6、(貞観三陸津波)、が発生し、当時で死者1000人以上という大被害を被った。この時の震源が岩手沖から茨城沖まで広域にわたっており今回の地震にそっくりだそうです。この9世紀は大地震の発生が続き、南海、東海、東南海と2,30年の間に続けざまに発生したらしい。富士山も噴火した。静岡以西の方も備えないといかんと思います。
 世界の地震学者から福島原発は操業を止めるべきとのアドバイスを受けていたようです。それに耳を貸さなかった東電による大人災と言わざるを得ません。IAEAから申し出のあった協力も辞退したそうで、東電だけで解決できると思っているのかな。それとも、何か隠していることが白日のもとになるのがこわいのか?と、勘繰りたくなります。その結果、今後何百年も人の住めない国にしてしまってよいのでしょうか?水をぶっかけるというような原始的方法で原子力を制御できるとは思わなかったですが、危惧したとおりです。このままでは、臨界に達し、連鎖的核分裂に移行する確率も高いのではないか?そうなる前に何とか世界の英知を集めて解決してほしいと思います。先年の新潟地震の際の柏崎原発(なぜかこれも東電所有)の事故の際には僅かな放射線漏れも許さなかったマスコミが、今回は、東電と政府の発表を後追いするような安全のおぜん立て報道ばかりなのは、うんざりします。危険でないはずはないと思うのですが。今日はこんなところで。

2011年3月27日日曜日

技術と哲学 あるいは思想・・・逸徳

ある技術的問題があるとき、その解がどのようなものであるのかということは、数学の問題とおなじで、その技術にかかわる技術者の哲学、あるいは思想性などとは関係なく一義的に出てくるという素朴な考え方がある。つまり技術屋というのは技術に徹すればいいのであってこむつかしいことは考えないという、単純な発想だ。悪しきプラグマティズムというべきか。
 だがそんなことは全然ない。ひとつの問題の解はひとつとは限らず、しかもそこにいたるプロセスもひとつではない。したがって、どの筋道で問題を解決するかということの背景には、技術者の哲学、あるいは思想性というものが(そういうものがあればだが)かかわってくるのは当然のことだろう。で、今回の福島の問題をみていて、もれ聞こえる状況から推測するに、どうもこういう問題がからんでいるような気がしてならないのだ。
 技術に対する単純な信頼は簡単に傲慢さに転化してしまう。「想定外」ではない。想定してもそれを採用しなかったのは、技術者の思想性の問題ではないか。傲慢、単純、資本のロボットということばが浮かんでくるのである。もちろんここには、コスト優先という資本の論理に追従していた技術者の姿勢もはいる。 下請けの被曝も、そこにいる技術者の傲慢と怠慢と無思想がからんでいないか。人命優先なんて思想はなくて、コストの安い下請けにやらせておけという考えがチラリとでも頭の中に浮かんでいたとしたら、そいつは罪万死に値する、ただのロボットだ。傲慢で無思想で、組織の中に埋没して責任を転嫁する技術者はいなかったか。

事態が沈静化したら、あらゆる権力から独立した調査委員会をたちあげるべきだろう。原子力安全委員会のありかたから、東電の体質、そこにおける原発技術のとらえかたまで、それこそかかわった役人と技術者のひとりひとりの思想性にまでさかのぼって徹底的な分析をしてほしい。それが今後の原発の処遇を決める最低限の条件ではないだろうか。


そもそも・・・猫跨ぎ

  ちょっと冷静に今回の原発事故を検証しよう。いずれ正確なレポートが出るだろうが、いまのところ、津波を被って電気施設が破壊されたから起こったドミノ現象だろう。原子炉本体はやられていなかったはずだ。柏崎も実は活断層の上だった。
取りあえず防潮堤でぐるりを囲う。これが喫緊の課題だろう。原発不要論は簡単にいうがいますぐの代替エネルギーをどうするのか。
  しかしながら、そもそも論から言えば、特殊な核種を濃縮してそこに中性子を当て連鎖反応をおこすなんて自然界に無い現象はやはり無理があったんだ。万が一の綻びが出た。さらに現実味を帯びたのは軍事上の懸念。テロリストが原発の電気施設を破壊すれば甚大な被害をもたらすことが実証された。何れにせよ、このままでは済まないことは明白だ。

2011年3月26日土曜日

どうしよう・・・・逸徳

まず第一にいのっていること。来年の4月までは最低限東海地震はおきてもらっては困る。実は女房が原発の地元も地元、1K圏の佐倉地区で保育園で働いているのだが、来年4月が定年なんだ。で、我が家は20Kほど離れた東名高速菊川インターのそばなので、ドカンときたらひたすら車で風上ににげる。これやや本気。

地元では、静かな地殻変動がおこりはじめているように見える。県知事は中部電力のプルサーマルにまったをかけた。中電は6号炉の新設を延期した。(中止とはいわない) そして、何よりも中電とぴったりくっついて甘い汁をすっていた地元の保守ボスたちが動揺している。いっぽうで、こわいと思いながら、その不安をおしころして中電の懐柔策にのってきた住民たちが声をあげはじめている。興味ふかいのは、放射能さわぎでこの数日地元のスーパーでは米、乾電池、ラーメン、水があっという間に売り切れたことだ。 買占め騒ぎは前回かいた確証バイアスだとおもっていたが、浜岡ではちと違うかもしれんということに気が付いた。浜岡の買占めさわぎは、一面で原発の安全性に対する不信任投票にもなっているのだ。さあ、地元の地域ボスたち、どうする。

もうひとつ問題がある。原発停止はいい。だが、さしあたりエネルギーの供給についての代替え案を反対派は提案しているのだろうか。再生可能エネルギーはまだ原発の代替えになるまでは育っていない。しかも、電力会社には競争相手がない。こと電力についてはJALがいやならANAに乗ればいいというのと同じようにはいかないのである。彼らは法律で保護されており、赤字にならないように電気料金を設定できる。あんなにだらしのない東電でもつぶれないしつぶせないのである。まず第一に産業界が困る。だから、社会構造を変化させ、エネルギー経済を維持させながら、原発を安楽死させる筋道を議論しなくてはならない。そこが論じられていない原発反対論は弱くないか。かくいうおいらだって、今ガンガンとエアコンを動かしながらこの文を書いているのである。何たる矛盾。なんか、今の状況は解決策があいまいなまま、破滅に向かってつっぱしっているような気がする。レミングの集団自殺みたいだ。

以下、ひとつの妄想を書いてみる。それでも地震がきて、浜岡原発が事故をおこしたとする。ひとつの対応はそれによって、おいらたちがじわじわと殺されることだ。 それもできるだけ悲惨な死に方がいい。できうるならばその破滅への悲惨なプロセスを全世界に中継してほしい。そして、このような文明のままいくとこうなりますよという明確な未来のイメージを発信していくことである。もうそういうことでしか我々が今ここにいて生きているという存在の意味はないのかもしれない。 これは演劇だな。悲劇だ。シェークスピア悲劇の主人公はかならず死ぬ。であるとすれば、できるだけ悲惨な死に方を観客にみせることだ。そのことで観客が目がさめればそれでいい、だめならみんないっしょに滅びるしかない。これ自然の摂理だろう。


原発をどうするか・・・褌子

   浜岡原発は15㍍の防潮堤を早急につくれば、「とりあえず絶対安心」ということなら異論がある。
   東海地震は30年以内に70%の確率で起きると地震学者がいっているのが正しければ、また浜岡原発が活断層の真上にあるという事実のうえに日本一危険な原発であれば、防潮堤建設よりも操業停止し、廃炉をめざす準備にこそ入るべきであろう。それこそが「絶対安全」と政府と東電がいっていた福島第一原発の惨状からくみ取るべき教訓である。
   当面まず、福島第一原発の大事故を収束し、国内のもっとも危険な商業用原発から操業を停止しつつ、再生可能なエネルギー社会への転換を追求すること、同時に原子力発電が放射能廃棄物処理もふくめて人類が制御可能な技術として確立するために世界の原子力研究者は総力をあげるときだ。大きな犠牲をはらいつつある今回の原発事故の最大の教訓だ。
  石油・資源・食料を大量輸入し核分裂発電で大量生産し大量消費・大量廃棄の日本ではもうやっていけない。3・11が戦後日本の終わりの日になるだろうというのはそういう意味ではないかと思っている。
――――― 
  時代は日とともに過ぎて行く。日々は遠のき、ひとつの時代も遠ざかる。人は生まれ、人は生き、いつまでも生きられるかのように思いつつも、やがて人は去る。地球は姿を変えつつ残り、何も変わらないのは永遠の時間の流れだけ・・・
・・・・  
  きょうの甲子園の第1試合で佐渡高校は智辨学園に8対1で敗れた。

あのなあ・・・猫跨ぎ

あのなあ、さあどうするってどういうこと?不安をかきたててどうするんだい。
浜岡はさっそく15mの防波堤を新設するって記事見たが、取りあえずそういうことだろう。

放射線をだす放射性物質の放射能・・・褌子

きょう、放射能について医師のはなしをきく機会があったが、最初に
「確定的影響と確率的影響」について説明した。まさに逸徳氏の発言通りであった。
いま世界一危険な原発は逸徳さんの地元の浜岡原発らしいよ。さあどうする。

2011年3月25日金曜日

幾万の悲しみが・・・猫跨ぎ

  春まだ来の寒空のもと、幾万の悲しみが渦を巻いている。すべてを失い茫然とする人々、いたいけ無い幼児、親を失っても健気な子供達を見ると涙が止まらない。
  原発は懸命の対策復旧工事が急ピッチで進行中と想像する。峠は越えたのかと思いきや、当然ながら放射能の問題だ。ここからが本番。というかようやく本番に取りかかることが可能になった。冷却の問題は相変わらずで、複数の課題が複雑に絡み合っている。これを乗り越えられるか。日本というより人類に突きつけられた課題のような気がする。必死で取り組んでいる人々に幸運あれ。もう神に祈る気持ちだ。
  今回の大災害は戦後の日本のあり方を大きく変える契機になることは間違いないが、同時に我々一人一人の生き方にも重い課題を突きつける。

2011年3月24日木曜日

大天災         小蔵 ひでを

 この度の大震災、ここまで酷いことになるとは思いませんでした。黙祷。
 今年のほろほろ会の案内を皆さんにメールいたしました。実は、色々な会合が殆んど中止になり滅入る一方です。そんな中、中止か延期かと思いましたが、またいつ災害が起こり会えなくなるかも分かりませんので、少人数でもよいので開催したいと思います。来られそうな方、静かに語り合いましょう。ここで、現在までの出欠をご参考までに報告します。参加 6名 欠席 7名 です。
地震雷火事親父!身に沁みました。例年だと桜の開花予想などで浮かれていたTVも、大震災の被災地の様子をこれでもかと報じています。その中で特に印象に残った言葉は、或る被災市の防災担当者の次のような言葉です。「何十年もかけ巨額を使い万全の防災施設を作り、ハザードマップを作り、住民とともに避難訓練を繰り返し行いました。万全の備えをしてきたつもりです。なのに、避難場所に逃げた人たちまで、飲みこまれてしまいました。今までの努力は何だったのか。空しい限りです。」一方で、別の画面では、避難場所に逃げた小学生の一団が、危険を察してさらに上まで逃げて難を逃れた話をしていました。非常時には常識を超えた判断が要るということだと思います。
原発の事故も深刻です。計画停電(因みに23区でも足立区と荒川区はグループに入っています)は、非常に厄介です。それらについては別に書こうと思います。

2011年3月23日水曜日

3月11日について・・・ 褌子

■毎日新聞論断をよむより
「3月11日は、戦後日本が終わった日として記憶されるであろう。将来、日本人の努力によって復興がなされたときも、その姿は3月11日より以前とは大きく異なったものであろう。」
■「東電の要請を断れば、もう仕事もらえなくなるから…」
これが協力社員の本音。福島原発で放射能をあびながら作業をしている“協力社員”というのは東電の下請け労働者のことである。
■事故原発のある双葉町の31才の女性
「同級生の6割が原発関連の下請け会社で働いている」
■東京新聞22日号デスクメモから
「今、日本は重大な選択を迫られている。残る原発の稼働を認めるか否かだ。原発は交付金で地方経済を潤してきた。雇用も作った。だが原子炉を望むバラ色のくらしは簡単に崩れた。ゼニではなくいのちの問題。それでもよほど強い姿勢で臨まなければ政財界は変わらない。さあ、あなたは。」
■同ページでルポライターの鎌田慧氏がヒマラヤの山中からコラムをよせている。
『活断層の多い日本列島では高温の燃料棒を水で冷やす原発は危険だ、と指摘されてきた。でも、人工的なバリアで対応できると、建設が推し進められてきた(中略)技術がすべてを解決すると、私たちは思いこまされてきた。が、危険なものは危険なのだ。
――――この混乱のなかで、強権な権力者が待望されるとしたら危険だ』

思い出の六角堂・・・ 褌子

岡倉天心の五浦六角堂は思い出があります。
あの六角堂が流されたのですね。
茨城県立博物館もいいところだ。
その茨城の野菜も放射能で基準値に達したとかテレビが報じている。
セリーグのナイターは中止して当然だろうか、甲子園の春の選抜開催はよかった。
東北高校と佐渡高校の活躍を期待したい。
ガソリンが不足してえんえんと車がスタンド前に並んでいる。
私は近所のN石油で35年も給油してきたので、電話したら奥さんが「少しだけ残してあります。すぐ来てください」と夜8時ちかいのに車が入る分だけチェーンをはずして待っていてくれ特別に給油してくれた。セルフサービスの安いところで給油してきたらそうはいかない。

2011年3月22日火曜日

六角堂が・・・国兼

  今日の新聞で五浦海岸の六角堂がこのツナミで流されてしまったことを知った。何とも残念である。もう20年ほど前になるだろうか、仁兵衛さんの案内で秀蔵さんと3人で訪れたことがあるが、岡倉天心も大観もさぞかし落胆していることだろう・・。
 話代わるが、16日午後に歯医者に行く途中、車が数珠繋ぎになって列を成している。なんだろうと思って原因を探りに行ったらガソリンスタンドが起点である。スーパーに寄るとレジには長蛇の列で、パンもお米もカップ麺も牛乳も無い。M9.0の後の静岡の地震と計画停電が実施されて「関東でも?」と大勢の庶民が疑心暗鬼で慌てふためいたためだろう。1979年の石油ショックの時のトイレットペーパー騒動の再来である。「買いだめをしないで・・、被災地に回して・・」とテレビが呼びかけていてもこの有様である。これを「我欲」というべきなのか、「自己保存の発現」というべきなのか・・・?

 計画停電はこの状況では止むを得ないが、この計画停電に東京23区が除外されているのは何とも納得がいかない。これは「人災」だとほざいた知事のお膝元がこの人災のおこぼれを頂戴していないとは・・・。政府の中枢機関があるから・・・除外?地震直前の国会審議で総理の在日朝鮮人の献金がどうのこうのと、馬鹿げた質疑をしていた政治屋たちも計画停電を甘受し、地下壕でカンテラの下で食し、迅速なる被災地救助の立案を図るべきであろう、と思う。
只今のニュースで福島の原発総てに電気が通じたようだ。冷却水がポンプ通じて流れることを只、只祈るだけである。

2011年3月21日月曜日

異常な精神構造・・・猫跨ぎ

  情報を篩にかけて、自分に都合に良いものだけをかき集め、ますますその信念を強固なものにする。そういうタイプの典型だね。今回の地震のマグニチュードを8.8から9.0に修正したのは、この地震が未曾有のものであったということを印象づけるための、まさに国家的陰謀だと。これだけでこの人物の狂的な精神構造が判る。また、放射性粒子を一粒でも体内に取り込めば、決して排出されず、永久に放射線を出し続け、ガンになると言っているらしい。まあ余り相手にしない方がいいんじゃないか。

確証バイアスは初耳・・・褌子

確定的影響と確率的影響とか{認知のゆがみ}あるは{確証バイアス}
など逸徳発言は、過剰な興奮で平静な思考のメルトダウン状況を静岡方面から放水冷却してくれるので感謝したい。
関東大震災のときの朝鮮人大虐殺も、船橋の海軍通信搭が発した「不逞鮮人に警戒を」のデマ放送が情報がないまま余震におびえる庶民を煽動して起きた。

ひどいなあ・・・・逸徳

これほどひどいとは思わなかった。それはどういうことかついうと、原発の放射能さわぎについてである。人間は目の前におこったことを正しく認知するということがなかなかできない。いろんな場合にバイアスがかかって「認知のゆがみ」がおこる。特に心理学で有名なのが「確証バイアス」とよばれるものである。現在、放射能の危険性をどうとらえるか、つまりどう認知するかということについて、大量の確証バイアスがおこっているように思われる。これはある仮説をもつと、それを確かめる際に自分が抱いた先入観や信念を肯定的に証明する情報を重んじて追求しても、これに反するような情報は軽んじたり、黙殺したりする傾向にあることをあらわす心理学用語である。放射能は危険だという信念を持つと、そういう情報のみあつめてますますその信念はどんどん補強されて真実から離れた認知をもつようになる。そうすると、そんなに心配することはないという情報は無視されたり、黙殺されますます右往左往する。

この確証バイアスは実は身の回りにくさるほどあるさ。例その1 血液型性格判断 例その2 私はブスとかデブであるという劣等感 その結果として、日本の若い女性は適正な体重よりやせすぎになっている 例その3  原発さわぎの広瀬隆人気。どうして反対派にはあんなに人気があるのだろう。死んだ高木仁三郎が原子力資料情報室をたちあげた一番の動機は実はこの原子力についての確証バイアスであったのだ。理学部出身のわれらとしては、ここで冷静な行動が求められ、周辺をおちつかせる役を演じたい(といっても文明論として原発反対なのはよくわかるし、それで正しいと思っている)・・・なんちゃって。

それよりもうすぐ春だぜ。静岡じゃついに桜の開花宣言がでた。東北にも「はーるよこい はーやくこい」と祈るのみだ

2011年3月20日日曜日

函館通信142・・・風評・・・仁兵衛

 困ったものだいわきー福島と聞いただけでトラックの輸送を拒否するとは・・・。首都圏でもガソリンに長蛇の列が出来ているんではいわきには入ってこないんだろうと予測される。一方既にいわきを離れた友人が脱出を開始している。しかし地元出身者はどこも行く当てがない。荷物を送ろうにも宅急便は宮城、岩手、福島へは遅れませんといわれてしまった。更に県外で旅館に泊まろうとしたら福島から来た人は拒否されたとも新聞は伝えている。
 うわさがうわさを呼んで日常生活が乱されてしまっている。勿論首都圏とてこれからは油断できないと思う。くれぐれも皆さん気を締めて行って下さい。

2011年3月19日土曜日

曙光か・・・猫跨ぎ

  さっき東京消防庁の記者会見を聞いていたが、驚くべき成果だね。海岸まで2kmもあるんだ。そこでポンプで海水をくみ上げでホースで原子炉まで移送し、3トン/分で放水。明日未明に1500トンプールが満水になるとか。恐るべき能力だ。自衛隊ヘリで水を撒いているときはこりゃあかんと思ったが、愁眉を開いたね。一方、炉心は一応冷却状態を維持しているらしい。 取りあえず、初めて前進だ。曙光が見えて来たんじゃないか。

ジャーナリスト広瀬隆氏の見解紹介・・・褌子

  福島の牛乳・茨城のホーレンソウが基準を超えたそうだ。
  以下は原発の危険性を警鐘乱打してきた『原子炉時限爆弾』の著者広瀬隆氏のブログから転載。

■■「想定外」の言葉を濫用する電力会社とマスメディアの異常■■
   津波そのものによる天災は、避けることができない。これは日本の宿命である。しかしこの悲惨な原発事故は人災である。それを起こした責任者は、電力会社だけではなく、これまで何もこの事態を警告をしなかったテレビと、テレビに出てデタラメを解説している専門家と呼ばれる大学教授たちである。
  2011年3月11日14時46分頃、北緯38.0度、東経142.9度の三陸沖、牡鹿半島東南東130km付近、震源深さ24kmで、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。これは四川大地震の時に中国政府のとった態度と同じである。
  地震による揺れは、宮城県栗原市築館(つきだて)で2933ガルを観測し、重力加速度の3倍である。しかし2008年の岩手・宮城内陸地震では、マグニチュード7.2で、岩手県一関市内の観測地点で上下動3866ガルを記録している。今回より大きい。
  NHKなどは「1000年に1度の巨大地震」と強調するが、この東北地方三陸沖地震の実害と、原発震災を起こした原因は、津波であった。では、津波の脅威は、誰にも予測できなかったものなのか。日本の沿岸地震では、ほんの100年前ほどの1896年(明治29年)の明治三陸地震津波で、岩手県沿岸の綾里(りょうり)では38.2m、吉浜(よしはま)24.4m、田老(たろう)14.6mの津波高さが記録されている。
  「想定外」の言葉を安っぽく濫用するなとマスメディアに言いたい。被害が出たあとに、被害を解析してくれても困る。事故後に、「想定できなかった」ということは、専門家ではない、ということだ。すべて私のごとき人間に想定でき、昨年8月に発刊した『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社刊)に書いたことばかりが起こったのである。電力会社が「故意に想定しなかった」だけであり、想定しなかったその責任は、被曝者に対してきわめて重大である。


2011年3月18日金曜日

総員退却・・・猫跨ぎ

  総員退却は2日目にすでに東電が打診していたらしい。菅が激怒して、撤退とは何だ。前面へ出て頑張れ。撤退なら東電は100%潰れるぞと言ったのは、事後の天文学的な補償の事を言ったんだろう。全く腰抜けの会社だ。明日は東京消防庁が新鋭機で3号炉への放水を始めるらしい。ホースを海から直接引いて注水を継続する案もあるとか。何と言っても本格的な電源復旧工事だな。これが成功するかどうか。

仮設電源でポンプが動くかどうか・・・・褌子

ヘリからの海水投下も高圧放水車もうまくいってないようだ。
仮設電源がひかれ津波をかぶった冷却用ポンプが動くかどうか、明日あさってが分かれ道だ。
これに失敗すると1号機から4号機まで全部、放射性物質を発散し続けて作業員も全員撤退となる。まさに戦後日本の運命の日になるかもしれない。
   使用済み核燃料棒はなんと4~5年もかけて水で冷やし続けるのだという。しかも青森の六ヶ所村も満杯で廃棄場所がないまま六千本も、原発建屋内の巨大なプールで冷やし続けているのだ。それが津波で冷却ポンプが動かず六千本全部の温度が上昇してきている。
   核燃料棒をつくるのに莫大なエネルギーをつかい、使用済みの燃料棒もいつまでも危険な放射能物質をだしつづける。テレビで、みのもんた氏が原発ほどクリーンエネルギーはないのに困ったことになった…とまったく見当違いの絶句をしていた。

なかなかシックだ・・・猫跨ぎ

  ヨーカドーに行くと、何となく暗い。節電で照明の光度を下げている。勿論営業はやっているから支障ある暗さではない。何となく静かな雰囲気で、ふといつものBGMも流していないことに気づく。 あれ、これ何処かであったなと思ったら、ヨーロッパの店がこうだ。いいねえ。今までが明るすぎたんだ。景気づけの音楽がうるさかったんだ。これからもこういう感じで行って欲しいね。シックで素敵だよ。大体日本の照明はどこでも無駄に明るすぎる。誰も聞いていない音楽は止めてくれ。・・・だけど、元に戻るんだろうね、当然。

↓は褌子発言です・・・・褌子

金持ちと外国人がいっせいに海外に逃げている。去る者は追わず。
ハゲタカが日本の円を買い占めているが火事場泥棒だ。
わがやは千葉の自宅から絶対逃げないことにしたら、佐渡の兄貴が、コシヒカリと梅干し、味噌を送ってくれるという。ああ尊い兄弟愛!

誰だい?・・・・逸徳

東電の発表を聞くとホントにいやらしい・・・「異音がした」・・・なんで爆発したといわないんだ。パラメーターとかデータがアップしたとは、お前は何人か。無知な民衆には説明しなくてもいいという下心を感じる。 もうひとつ、保安院の福島原発駐在係官は最初にみんなにげて福島県庁にいるそうな。しずむ船からは最初にネズミがにげる。 ところで↓は誰だい?

9・11と3・11

こんな論点も…
  供給過多の過剰生産恐慌はじわじわと先進国を襲って若者の雇用までうばっていたが、おりしも有史以来はじめて日本の人口は減少に転じ超高齢化社会に突入したまさにその時に3・11が起きた。石油と食料大量輸入、原発依存の大量消費・大量廃棄社会のゆきづまりが劇的に明らかになった。9・11でアメリカは激変したが、それ以上に3・11は日本の社会構造にも大きな激震をもたらし、先進資本主義国の市場経済万能社会に警鐘をならすことだろう。
・・・・というような論点がぽつぽつマスコミに登場してきた。

2011年3月17日木曜日

シーベルト・・・国兼

  福島原発関連のテレビでシーベルトと言う単位を良く聞く(猫跨ぎさんの下のコメント参照のこと)。以前はrem(rentgen-equivalent-man)云う単位であった。
 私はは大学時代に6年間、Co-60によるポリアミノ酸の放射線効果の実験していた(単位はradという照射線量で、大元は毎秒あたりのラジウムの核崩壊数でキューリ(Ci)単位に基づく)。工学部の近くの照射装置に多い時には週2,3回その建屋に行った。その建屋に入るにはガイガーカウンター装置を持って入る。その建屋に入るとピーピーとガイガーカウンターの警報音が鳴り、針がピット動く。更に奥の、Co-60照射源装置の内部に入ると音の周波数が高くなり、円筒内部に試料を置いて出る。照射が終わると又同じ様にその建屋に入り試料を取り出す。こんなことを6年間ほどやっていた。
 思えばかなりの放射能を常人よりも遥かに多く浴びたことと思う。でも、今でもこのように元気溌剌に生きている。放射線治療を受けていたのかもしれない・・・。

 東京に住む私の知り人が北海道に逃げたらしいが、サイエンスに無学の徒がと!!!、逃げる前に何故放射能や、福島の原発から出る放射能の内容や、過去のロシヤやアメリカで起きた際の状況を少しでも学問しないのかと・・・・。云っても無駄か・・・?

 この福島の原発事故は間違いなく長期戦になるのではと思う。中性子の連鎖反応を抑える制御棒が・・・中途半端に機能しているのではと、今や自衛隊や消防団の冷却頼みであるが、一刻も早く海水注入できる電源をと・・。日本人の英知をと・・・。
 

福島原発Q&A ・・・猫跨ぎ

知人より福島原発についてのQ&Aのサイトが送られて来たので紹介します。
��/15のページを開いて下さい。

http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=752

2011年3月16日水曜日

チェルノブイリ・・・猫跨ぎ

  何か次から次だなあ。昨日までは圧力容器内の冷却の問題で何とか小康状態かと思ったら、今日は使用済み燃料の冷却が破綻した話だ。破れた天上からヘリで水を投下するとか。いや地上から放水とか、凄い話になってきたな。まあ、成功を祈る。頼むよ。
  チェルノブイリでは30km圏外へ退避だった。そうだ、思い出す。あのころ丁度ヨーロッパ出張とかち合った。事情あってソ連のアエロフロート航空でモスクワ経由で行った。フランクフルト空港で、タラップの下で係官が放射線測定器を持っており、一人一人頭から足先まで計測された。行った先の会社の人には、おどけて、近づきたくない、といわれたりしたな。デュッセルの駐在員が言うには、子供が屋外で遊ぶのは止めるように言われているとか。でもどうなのかな。ソ連の地元以外では、目立った後遺症はなかったんでないか。

確定的影響と確率的影響・・・・逸徳

いろんなひとから元理科の先生として原発の件についてきかれる。この間は東京の出産まぢかのおしえごから不安を訴えるメールが来た。確かにデマや誤解が流れているようだし、テレビの専門家の意見と称するものにも変なのがある。そこで、安心させるために次のメールをうってやった。やや安心を強調している。問題点があったら諸兄から指摘してくれ。以下にはりつける。


 原発の放射能の影響について書いておきたい。しろうとに誤解されやすく、理解されていないのがタイトルの言葉である。原発からの放射性物質で直接的に健康に被害を受ける影響を「確定的影響」という。因果関係がはっきりしているのである。毒を飲むと死ぬ。熱いものにふれるとやけどする。インフルエンザビールスが体内にはいると熱がでる。こういうのを確定的影響という。こういう影響はおそらくもろに放射性物質をあびないかぎりおこらない。今、こういう影響にさらされているのは、現場の消防隊員や原発作業員たちだろう。つらいなあ。

ところが放射能には「確率的影響」というものがある。放射性物質がひろく拡散すると、みんな放射線をあびる。その影響はさまざまなことが考えられるが、実は直接的な因果関係はよくわからない。そこで統計学がでてくる。たとえば1万人のひとがこれだけの放射線をあびるとふつうよりも何人白血病になる人がふえるかという考え方である。ここでまちがえてはいけないのは、増えた白血病患者が直接放射線のせいだという因果関係が証明できないのである。ただ確かに増える。そこでこのような影響を宝くじに当たるかどうかということで「確率的影響」という。ここでもうわかると思うのは、いま恐れられているのは「確定的影響」だろうが、それはない。不必要にこわがるほうがかえってよくない。

で、どれくらい放射線を浴びたらどれくらい影響が出るかということも実はよくわからない。ただ国際的に意見が一致していることは「浴びる量と、影響の関係は比例する可能性が高い」という考え方である。これを「直線性仮説」とよんでいる。なんだか当たり前のような気もするが、もしそうだとするとどんなにわずかな量の放射線を浴びてもかならずそれに比例して害があるということになる。そこであわてるやつは、じゃあ病院でX線浴びてもあぶないと考えて、拒否するやつがいる。これは間違い。というよりバカ。そこで次の考えが出てくる。

それがメリットとデメリットを天秤にかけるという考え方である。もしX線写真をとるとその放射線の影響で死ぬかもしれない。しかしとらないと病気がみつからなくてそっちで死ぬかもしれない。その二つの確率をくらべて、病気が見つからないことによる確率がたかかったら、しょうがないので、X線をあびてもいいとする考え方である。したがって、医療用放射線はデメリットは一切考えないことになっているのである。これは確率論の話だ。

もうひとつ。医療用放射線のようなわずかの放射線を浴びても、人間の細胞には回復力もある。(ただし、こどもや若い女性は注意する。遺伝子がやられたら回復しにくい)でなければ、ラドン温泉なんてあぶない。ちなみにラドンは典型的な放射性元素だ。怪獣の名前ではない。だいたい人類は誕生当初からずっと自然放射線にさらされてきたのだ。ジェット機でアメリカにいってごらん。飛行中におどろくほど放射線をあびているんだよ。

おそらく、30Kもはなれたら確率的影響の問題だけになるだろう。したがって東京であわてることはまずない。ときに高濃度の放射線が検出されるのは、排出された放射線が気団(煙のかたまり)のように動いているからだろう。今夜はかぜが海にむかって吹く。その間になんとかおさえこんでほしいことを祈るのみだ。

いつが峠だ・・・猫跨ぎ

  日本から逃げ出す金持ちの資産は凍結だな。いや没収して震災の復興資金にすればよい。そこは社会主義的にやろう。
  福島原発の見通しはどうなのかな。重要なのは臨界状態ではないということ。核分裂は制御されており、今は余熱でくすぶっているわけだ。要するにいつかは終熄する。とにかく冷却する。冷却すると圧力が上がってくるから弁を開けて慎重にパージする。この繰り返しなんだろう。電気系統がやられているから多くが手作業らしい。彼等は必死だ。圧力容器は何としても維持して、中味が飛び散るのは絶対阻止する。峠に達するのを待つ、か。頑張ってくれ。
 異常な買い漁り、購買行動だが、公にコントロールする法整備が必要だな。今の法律では非常事態宣言が出来ないらしい。消費者の自由な行動に任せていたら、混乱がますばかり。弱者、年寄りはどうにもならない。助け合いも大事だが、法律による強制力は必要だ。

明るいビックニュース・・・褌子

放射能が降ってこようが電車が停まろうが、本欄がにぎやかなのはまことに結構。
しかし、電気がとまったらパソコンも終わりだなあ。
千葉でもガソリン、灯油、カセットコンロもなくなった。いまこそ日本人全部が助け合うときだ。
計画停電のはずなのに市原市は不思議と電気がついている。コスモの爆発など石油化学コンビナートへ遠慮しているのかな。
成田空港にいる息子のはなしだが、金持ちが東京は放射能で危ないと海外へ脱出しているという。
逸徳さんの浜岡原発もあぶないというではないか。富士宮が震度6強だった。
・・・・
さて少し明るいビックニュース。
母校、佐渡高校が、小生など先輩卒業生みな学力優秀、品行方正、眉目秀麗とかで21世紀枠で甲子園出場。
3月24日に強豪智弁和歌山と対戦することになった。
佐渡はホームランのボールはみな海に落ちるとか、野球部員が海におちないように島一周を手すりで囲ってあるとか、いわれなき揶揄嘲弄をのりこえての、全員島育ちにかわゆい後輩諸君の堂々たる甲子園出場である。
以下は、智弁和歌山との対戦が決まった佐渡高校野球部主将である仲川篤志君のことば
『応援してくれた島のひとたちへの感謝の気持ちを、自分たちの力にかえてプレーにでたい』
  苫小牧東高校卒のの鈴木章先生も顔負けの佐渡高校仲川君の勇姿だなあ。
  佐渡のトキたちも応援していることだろう(じつはトキの親はみなさん全員中国出身だが)

2011年3月15日火曜日

計画停電・・・国兼

  本日、グループ1として16時から19時の間での計画停電に遭遇し、今日は久しぶりにローソクの下で食事をした。
 子供のころを思い出す。あのときには、停電は日常的な出来事でランプやローソクの下で家族が一緒に麦ご飯や、芋ご飯と南瓜の煮つけを食べた。その後には親父が本を読んでくれたりし、そのうち電気がつくと急いで皆で後片づけをした。育ち盛りのそして乳飲み子の子供を7人も抱えて親も孤軍奮闘、大変だっただろうと思う。親は我慢してでも子供たちにはと言う、明治生まれの親たちの戦後の生き様を思う。古き「3丁目の夕日」の物語である。

 翻って、昨日東京にいる子持ちの若い夫婦が「スーパー行ったらお米が無い、至急送ってくれ」と北海道の両親に依頼する。被災地でも何でも無い、東京に住む人間のこの安易な「依頼心」は何なのだろうかと・・・・。これはこの若い夫婦だけではないと思う。今の日本人全体を覆っているのではと思う。慎太郎は「我欲の天罰」といっていたが、このM9.0の地震は大いなる天災ではあるが、この天災を機に日本人はもっともっと他人やお上に依存しない自己を確立する必要があると思う。

 先ほど東海地方でM6の大きな地震があった。思わずまた、外に逃げ出そうかと思った。不気味な・・・、西へ西へと下がっている。
 

潮時だ・・・猫跨ぎ

  高速増殖炉か。まあ許せ。俳句はもとでがかからないが、結構句会の後の呑み代が馬鹿にならん。もっとも誰かみたいに鯨飲馬食しなければ可愛いものだが。
しかし最近、断捨離という言葉を耳にするが、そんな反省機運もある。身の回りにはどうでも良いものが溢れている。そろそろ、旅立ち前の、断捨離に入ってもいいころだ。良い機会だ。高度成長期に生きてきた世代はまあ、静かに退場だな、下らん巨大技術もろとも。

そこでだ・・・・逸徳

おいおいお師匠 もんじゅは核融合炉ではないぞ。 でだ。日本経済はがたがたになる。10年はだめでないか。そうすると我々の生活水準も低下する。といってもまあ昭和30年代後半。つまり「2丁目の夕陽」の世界であり、われわれが大学にはいったころにもどる。しかし、そんなに貧しい感じはせんなあ。 そこでそういう世界に向けてどういう生活をしたらいいか。諸兄のご高見をうかがいたい。

まず、もとでのかからん生活だろうなあ。そういう点では免許のないおいらは強い。お師匠の俳句もいい、あれもとではかからんだろう。こういうこともあるかと我が家は太陽熱の湯沸し器をつけておいた。あれはただだ。 ユニクロもいい。みんなでユニクロマニヨンをめざすか。社長が10億円ポケットマネー寄付だって。 いいなあおいらのポケット小銭しかはいっておらん。

文明論的な・・・猫跨ぎ

  3号炉がプルサーマルだったのは初耳だが、プルサーマルにしたから起こった事故ではないからそこは区別すべきだ。そして今回のは一種の国難だから、やはり総理大臣が一元的に総指揮をとるしかないだろう。場合によっては超法規的なこともしなければならないし、国際的な協力も結集しなければならない。一委員会とか一民間会社ではもう駄目だ。
  全部終熄してから、原発を今後どうするのか徹底的に議論しなければならない。核融合炉のもんじゅもしかり。文明論的な問題にまでの、総ざらえの議論だろうが。結局、これは欲望の暴走の果てでもあるんだ。便利で快適な生活の無原則な追求は止める契機かもしれんな。

驚き。都知事が「津波は天罰」とは・・・・褌子

石原都知事の「津波は天罰」発言が波紋を呼んでいるが、原発関係者・下請け労働者の決死的な注水作業にこそ頭を下げるべきだ。
1号機につづいて水素爆発した3号機は、プルトニウムを含むMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)燃料を燃やすプルサーマル運転中だったことを、政府もマスコミも報道していないのが不思議。プルトニウムがいかに危険な毒性をもつか大きな反対を押し切って運転が開始されたあげくの大事故だが、“想定外”ばかり連発している東電社長と保安院が全くこころもとない。保安院は原発を国策として推進してきた経済産業省の一部門だからしょうがないが、原発推進機構から独立している専門家集団である原子力安全委員会に権限を集中して総指揮をとらせるべきだ。
3号機付近で検出された400ミリシーベルトは、ひとの年間被爆許容量の400倍だという。1マイクロシーベルトの1000倍が1ミリシーベルト。

もうわやくちゃだ・・・・逸徳

仁ちゃん 菊川も電池が売り切れ ガソリン品不足 灯油は制限販売 ・・・・買占め行動がはじまった。もうわやくちゃだ。心理的不安が大きいよ。住民の意識にも動揺がみられる。 浜岡原発があるからなあ。そんなこといっていたらうちの単一乾電池がなくなっていた・・・

函館通信141・・・有難う・・・仁兵衛

 逸徳さん、有難う御座います。息子の方もどうにか少し入手出来た模様。こちらの購入した物をいかに東京まで届けるかの問題になりました。北海道と本州との物流が今後どう回復するか見ながらやります。それにしても物が不足してきそうですね。
 原発は本当に心配になってきました。「いわき」は近い距離で40k、勿来で60kで北風が吹けば当然射程距離かなと思えます。今回の地震・津波で避難生活者が既に40万人いますがこれで50kに避難命令が出ればほぼ同じ40~50万人が動くことになりそうです。どこへ行けば・・・?

日々ますます・・・猫跨ぎ

  福島原発がどんどん深刻さを増しているね。なんだか東電が頼りない。出て来る社員が皆頼りない。社長も頼りない。今朝、菅首相が本社に乗り込んで激怒したという。「撤退などあり得ない。覚悟を決めて欲しい。撤退するときは東電は100%潰れる」と言ったという。おいおい、撤退論が出ているんだ。無責任なまるで役所だね、あそこは。とは言え、原発史上、初めてのことが日々起こっている。現場の技術屋は必死だろう。

睡気が・・・国兼

  新しい年になってもこの国のなんともいえない閉塞感というか、緊張感の無さに只むなしさのみのボケットした怠惰な日常生活を過ごしてきた。

 3月11日(金)も毎週恒例のサイエンスの抄訳を黙々とし、そして日常的な午後のおやつを食べながら参議院の予算審議を見るとも無く見ていた。在日朝鮮人の献金がどうのこうのと、馬鹿者がと、「税金泥棒」とまで侮蔑されているのに爬虫類的神経の持ち主だと・・。 そのうち国会の方で騒ぎ始めると同時に、我が家でもユラユラと揺れを感じ、オヤ地震だと、納まるかと思いきや揺れが継続し徐々に大きくなる。異状だと感じ、カミさんと共に外に出るが揺れは更に大きくなる一方で、近所の奥さんと3人で肩寄せ合いながら電線やケーブルの激しい揺れを見ていた。大学時代にもかなり大きな地震を経験したが、今回の地震はそれを遥かに上回る生まれて初めての大地震であることは間違いない。

 その後の東北地方の状況はテレビではっきりと映し出されたが、「ツナミ」という底知れぬ巨大エネルギーに改めて驚愕するのみである。ボケットしていてはいけないと!!!シャキットしろと・・・!!!、私の睡気を覚ましてくれた気がする。

 我輩の睡気を覚ます大鯰、巨大な三震(ぶ)りで夜も眠れず


2011年3月14日月曜日

米が売りきれ・・・猫跨ぎ

  米櫃の米も少なくなってきたのでヨーカドーに行くと異様な雰囲気。何やら買い物籠に食糧を詰め込んで走り回っている。米なんかコの字もない。納豆も一人一個の制限販売。そう、電池がない。レジに長蛇の列。計画停電が12時半からで11時50分には一端閉店するという。
何やら変な雰囲気になってきたな。被災地では皆助け合っているのに、無傷な所では、異様な消費行動に走っている。
 それにしても原発が気になるな。現地では不眠不休、必死に対応しているに違いない。頑張ってくれというしかない。海外のメディアを覗くと、原発のことばかり。世界中が固唾をのんで見ている。これを封じ込めるか失敗するか。原発の明日がかかっている。
 そして余震が多いね。しょっちゅう家が揺れている。

仁ちゃん手伝おうか・・・・逸徳

確かに静岡でも電池は品薄だがまだある。計画停電で息子さん心配だろ。なんなら静岡で少し買っておくってあげようか。こういうときだ。必要なら遠慮なくいっとくれ。 

函館通信140・・・地震・津波2・・・仁兵衛

 いわきも今日になってやっと電話が通じた。予測はしていたが二級河川(鮫川)北側が津波で全滅しまだ行方不明者を探している段階だそうだ。ここには火力発電所もあるが勿論地震で発電は停止、駐車場の車は殆ど津波に飲み込まれてしまったそうだ。呉羽の工場ももちろん停止だがそれなりの保安体制に入っているのだろう。
 この地区は福島原発からちょうど60kの距離にある。果たしてどんな展開になるのか大いに心配している。

 一方東京電力の「計画停電」が開始されそうだが東京の息子から懐中電灯用の乾電池がすでに売り切れだと連絡があった。直ぐにこちらの電気屋に行って購入はしたがゆうパックも宅配便も停止中で送る方法がない。JR海峡線も木古内と新青森は不通でありこれから電力不足で通ってもわずからしい。困ったものだ。

市原コスモ石油まだ燃えている・・・褌子

市原のコスモ石油の火災はLNGガスが燃え尽きるまでいまももやしつづけている。
近くにチッソ石油化学の硫黄タンクが二基あって、海上からさかんに放水しているのがテレビに写っていたが、この硫黄タンクを必死で冷やしていたのだそうだ。危機一髪だったときいた。埋め立て地の液状化現象で、巨大なタンクが傾いてパイプが破損して漏れて引火したときいている。
石油やガスはいったん火がつくと燃え尽きるまで燃やすしかないが、東京湾岸がずっと埋め立て地で石油タンク、ガスタンクが林立している。

みんな無事か・・・・よかった・・・・逸徳

福島原発の問題は、浜岡原発から20キロ圏のおいらとしては、ひとごとではないなあ。はらはらしている。みなさんお知り合いの方で、当該地域におすまいの方の安否はいかがですか。 仁ちゃんのいわきの友達、防潮堤のそばとは、心配だなあ。無事をいのります。おいらの周辺にも現地に親族がいて連絡のとれない方が何人か出ました。ひとごとではありませんぞ。
 褌子さん、あの爆発で家がゆれたんだ。すごいなあ。そんなに近かったのか。5Kぐらいかな。まあ無事でなにより。
 福島原発、お師匠のいうとおり、海水注入は廃炉覚悟だろう。地震の結果として東京電力は計画停電をするという。関東圏のみなさんはみんなあてはまるなあ。でもこの際、社会全体が過剰消費にうかれていたのを冷やすのにはいいかもしれない。中部電力管内のおいらたちとしては、節電しようと思ったら、サイクルが違うのでだめだった。中部電力から東京電力に電力を供給したくてもサイクル変換所の能力が100万キロワット弱らしい。 とにかくみなでがんばるしかない。それにしても海外のマスコミが報じていたらしいが、日本人は冷静だなあ。

2011年3月13日日曜日

とりあえず・・・褌子

市原のコスモ石油の爆発は、自宅の二階からも巨大な炎がはっきりみえて、タンクの爆発のたびに家全体がゆれた。
わがやは全員無事ですが、犠牲者のことを考えるとほんとうにつらい。
地震国で原発を乱立させる無謀さがはっきりしたが、冷却に成功するのか心配でならない

2011年3月12日土曜日

海水注入・・・猫跨ぎ

  原子炉に海水を注入するという。ホウ酸も入れて。作業は着々と進んでいるのかな。
ホウ酸は中性子吸収剤。しかし海水は何故か。純水を使わず海水。含有ミネラル成分も核分裂抑制に効果があるんだろうな、多分。しかし廃炉だ、事実上。
  この手が有効なら実に簡単明瞭だね。「爆発的事象」発生のときはテレビで「識者」が頭を捻っていたが、実は何のアイデアもなかったんだろう。海水入れろと一人くらい大声を出すのがいたら格好良かったのに。多分アメリカのアドバイスじゃないかな。
いずれにせよ成功してくれ。

仁ちゃんよかったあ・・・・・逸徳

そうかそうか まあけがもなくてよかったね。お師匠も石油ストーブとは心配でした。息子さんの家族が無事でなにより。こういうことをここに書いているしあわせを感じています。褌子さんや柳生氏、小倉氏はだいじょうぶかあ。
それと 福島第一原発 いよいよSFになってきたな。20キロ圏避難っていったってそんな人口どこにどうやって移動させるんだろうと思う。米原子力空母が沖合に向かっているそうな。消防ヘリの給油基地にして救急医療もやるらしい。各国から救援隊が来ているがいったいどこにどうやってはいるんだろう。 テレビから目が離せないが、さすがにくたびれた。

長い一日・・・猫跨ぎ

  昨日、あの時間はパソコンの前にいた。突如揺れ出し収まる気配がないので石油ストーブを消して隣の部屋へ移ったが、ますますひどく立っていられない。こんなのは初めてだと青くなったね。収まってからわが部屋に戻ると、本、CD、諸々が棚から落ちて惨状を呈していたが、家全体では被害はその程度で済んだ。
  ただ停電がなかなか復旧せず、点いたのは深夜2時丁度。パソコンが緊急遮断されたので通電するまで起動しない。それまで暗い中、ずっと携帯ラジオを聞いていた。懐中電灯が電池切れで駄目でろうそくの火でトイレを往復。旧式の石油ストーブだったのでこれは助かった。息子一家が仙台にいるので気を揉んだが、電話、携帯は全く駄目。無事が確認できたのはついさっきだった。
津波の惨状は言語に絶するね。これから内陸の被害もどんどん明らかになるだろう。何と言っても福島原発が心配だ。炉心溶融?SFが現実にならぬように祈るばかり。

函館通信139・・・無事ですよ・・・仁兵衛

 無事ですよ。ご安心下さい。
 函館は地震発生から24時間内で最高が2m40cmの津波高さで先ほど大津波警報から津波警報に変わりました。状況としては函館駅の朝市から函館山に向かって約1.2k位が水に浸かりました。一方、マンションは横揺れが経験のない時間揺れていました。しかも数時間の間に5,6回良く揺れました。
 昨日からTV映像に釘付けになっています。「いわき」の友人には電話が未だ通じません。高さ3m近い防潮堤のすぐそばに住んでいるので心配です。加えて福島原発からは約50k位離れては居ますがこちらも少々不安です。
 取り急ぎ報告します。

おおい みんな大丈夫かあ・・・・逸徳

小倉さん お師匠 国兼さん 褌子さん みんな大丈夫かあ。 小倉さんとこ工場は被害なかったか。褌子さん千葉のコンビナートで火事がおきているらしいが。みんなだいじょうぶかあ。
追伸 テレビをみてびっくり 函館もやられてる。この前仁ちゃんと再会したJR函館駅の前に津波が来ているのが映っておどろいた。確か仁ちゃんはマンションずまい。ゆれたろうなあ。だいじょうぶかあ。

2011年3月10日木曜日

まあそんな訳で・・・猫跨ぎ

梶原も比企も滅びて寝釈迦かな

去る二月十五日、鎌倉妙本寺で涅槃絵を初めて拝観した。入寂した釈迦の周りに弟子、鬼神、鳥獣虫魚等が集い、憚ることなく慟哭している。象などは仰向けになって駄々をこねているように見える。拝観者は自分の干支の動物を見つけては他愛もなく喜んでいる。涅槃とは梵語で消滅の意で転じて煩悩を滅却して絶対自由になった状態という。涅槃会には釈迦の入滅を意味することを下敷きに、必要とあらば一幅の涅槃絵さえ懸かっていればよく、あとは自在に思いを駆けめぐらせればよいとか。救いとか慈愛とはやや趣を異にした、くつろぎの世界ともいう。悟りの世界とは別の仏教の穏やかな一面を見るようだ。とはいえ、この自在に思いを駆けめぐらせるというのが難しい。鎌倉の空の下をひたすら歩き、某所にて般若湯を頂いて帰宅。 

鷹鳩と化してサブレー啄めり

これはお遊び。「鷹化して鳩と為る」という春の季語がある。妙本寺を出たところで、鳩が遊んでいた。丁度、鳩サブレーを囓っていたので、ついでにちょいと砕いてお裾分け。他愛のない春の風景ととって頂ければ、言うことなし。

2011年3月8日火曜日

続・弥生十句鑑賞・・・褌子

猫師匠は鎌倉をのんびり散策して秀句をつくってきたようだ
・梶原も比企も滅びて寝釈迦かな
将門はるけく源家残党、豪族ども一族郎党血で血で洗って北条執権となったがはや七里ヶ浜に二騎三騎・・・お釈迦様はすべてお見通し
・春光や日蓮像の二重顎
西、ルノアール三段腹の裸婦。東、日蓮大上人の二重顎。蒙古襲来予言の日蓮が配流となった佐渡塚原山根本寺こそわが猪坂家の菩提寺なるぞ(笑) などとふざけたくなるような上品なhumorがいっぱい
・春昼に穴を明けたる鯉の口
ほんとうに春なんだなあとおもう。鯉ののんびり間抜け顔と春昼はまことに相性がいい。
・春寒やアンモナイトの渦の芯
春光、春昼のつぎは春寒か。アンモナイトの渦の芯をよんだ名句に邂逅した幸せをいま噛みしめてをる。特選
それにしても昨日の雪こそ
鎌倉を驚かしたる余寒あり  ではなかったか
・鶏舎三棟春一番の吹き抜ける
三棟がきいている。一棟でも四棟でもいけない。二棟など問題外
鶏頭の十四五本もありぬべし もどうしても十四五本でないとだめなんだそうだ。
・ひし餅は三色岡本太郎
和風ひし餅の淡い三色と岡本太郎のたたきつけるような洋風原色の対比がみごと。
どこかで太郎生誕100年展をやっている。日本人離れしている希有なひと
・きさらぎの針の光や求肥飴
何という飴か舐めたことないが浅田飴みたいな昔なつかしい雰囲気がある。針の光とカップリング反応をおこして不思議な猫ワールドをつくっている。
・俎板のこんにゃく跳ねて彼岸入
俎という字はいい味があるね。蒟蒻跳ねてでなく、こんにゃく跳ねてがこころにくい。
・鰰の鮨や深浦はや日暮れ
逸徳褌子への挨拶句である。粉雪が舞い込む深浦の露天風呂と日本海の怒濤…ああまたゆきたい
・鷹鳩と化してサブレー啄めり
難解です。鎌倉といえば鳩サブレーだと気づかない雲上人には難解かもしれん??
【写真 春到来でわがやに遊びにくるどら猫クン】

函館通信138・・・弥生十句鑑賞・・・仁兵衛

 4日に転んでから5週間後のMRIを撮った。血腫の影が以前より少し小さくなっていたので手術はやらず1ヶ月経過を診ようということになった。自浄能力がどこまであるのか試したい気持ちも若干ある。しかし足の方は相変わらず調子は良くない。早々と杖が必要になるかもしれん。

 さて、猫跨ぎさんの弥生十句だが一つの句に吸い付かれて他の句が見えなくなっている。
 ・鷹鳩と化してサブレー啄めり
 「鷹化して鳩と為る」という季語は知らなかった。早速大歳時記を引くと「春の穏やかな気配の中では鷹は鳩に変身してしまう」とある。うーんそうか北海道ではなかなか発想しにくそうだなと思いつつもこの季語の持つ深さを感じている。
 更にその鳩がサブレーを啄むと焦点を絞ったのは句としての面白さを拡大していると思う。鳩サブレーという東京土産のお菓子が目に浮かんでくる。少し鳩が啄むには硬いからサブレーを崩して播いてやっているのかな。
 季語が8文字と長いと残り9文字で作者の意図を全部現さなければならないが実に自然にそれが上手くいっている。

 ・きさらぎの針の光や求肥餅・・・・・針供養は豆腐に折れ針を刺すのだが単純にそうではなさそう。同じ軟らかい求肥餅は何の意味かなんて考えてもしょうがないな。あっ、そうなると光がポイントかな。
 ・春昼に穴を明けたる鯉の口・・・・・よく観察されていますね。中七が意味深で想像を掻き立てます。
 ・俎板のこんにゃく跳ねて彼岸入り・・・ユーモラスな情景が目に浮かんで来ました。

2011年3月7日月曜日

弥生十句・・・猫跨ぎ

  雪だね。南関東では三月には必ず春の雪の一日がある。
前原外相があっけなく辞めた。潔いといえばそうだけれど、馴染みの焼肉屋のおばさんの高々25万円の献金というではないか。下らない政治ショーだな。首をとって喜んでいる自民党も後味は良くはあるまい。橋本元首相が現役の時、中国の接待の美女にぞっこんで怪しいことになったが、うやむやになった。女は政府筋の人間だったという。それに比べればアホみたいな話だ。外国は猫の目のように変わる閣僚人事にアホかいなと思っているだろう。
  京大入試のカンニング事件で茂木健一郎が怒っている。京大けしからんというわけ。国家権力に易々と生徒を引き渡して、大学の自治はどうなるのかと言う。私は彼を買っているけれど、今回は賛成できない。

近作十句
・梶原も比企も滅びて寝釈迦かな
・春光や日蓮像の二重顎
・春昼に穴を明けたる鯉の口
・春寒やアンモナイトの渦の芯
・鶏舎三棟春一番の吹き抜ける
・ひし餅は三色岡本太郎展
・きさらぎの針の光や求肥飴
・俎板のこんにゃく跳ねて彼岸入
・鰰の鮨や深浦はや日暮れ
・鷹鳩と化してサブレー啄めり

みんなそろって極楽へ・・・褌子

記憶心理学という専門家がいるというはなしは初耳である。
逸徳さん自身、相当な専門家ではないか。Kさんと一週間くらい生活をともにして記憶再生の援助を是非してほしい。その結果を日本心理療法学会で報告するとか。
宿泊所は小生宅でもいいし、うちから車で5分くらいのKさんのアパートもきれいで泊まれます。(日当は毎晩おいしいお酒です。小生の背中をかくのはもう免除します!)
じつは逸徳さんのはなしをしたら「おねがいします」とのことだった。ぜんぜん、ひとのよさそうな普通のおじさんですよー。Kさんは酒もたばこもやりません。一期一会、逸徳さんと無二の親友になるかも。
私がうたがったのは朝鮮半島出身の在日の子どもではないかということだが、どうもそんな気が全くしないのである。本人がうそをいっているとは全く思えないしいう必要もない。とにかく幼少青年期に関する記憶喪失になったことだけが厳然たる事実。
そこで想像したのは両親がともに横浜大空襲(昭和20年5月29日)の戦災孤児ではなかったかということ。Kさんが父から教え込まれた誕生日は、昭和25年10月10日である。年齢的に可能性があるではないか…といってDNAを調べてもどうにもならない。
・・・
困るのはもう60才になるのに風邪をひいても保険証がないので医者にいけないこと。
仕事で怪我しても労災保険がきかないこと。戸籍がない天涯孤独の身なので将来、倒れても生活保護もとれないこと。
ことしじゅうには解決してKさんの笑顔がみたい。

記憶喪失・・・猫跨ぎ

 
 私も逸徳氏と同じ事を思っていた。そもそも断片的な記憶も「正しい」のかどうか。記憶喪失は一種の精神障害だから、まずは専門家にみせることが必要ではなかろうか。

  断片的な情報が正しいとして、調べるのは人だから横浜市がどの程度真剣に調べたのだろうか。その辺だろうね。そして裁判所にしてみれば、日本人としての戸籍を欲しがる大勢の外国人がいるから、それと明確に区別したいところだろう。昔の知人の一人でもいればね、何故出てこないのだろう。

それはむつかしい・・・・逸徳

��さんのこと。大変だなあ。記憶再生の問題は極めてむつかしい。たとえばよく知られている現象に「偽記憶」という問題がある。特に「偽りの自伝的記憶」とよばれる心理現象は専門家によってもしばしば研究されてきた。ひとつの有名な例が、スイスの心理学者ピアジェの自伝である。彼は発達心理学で有名でよく知られているのだが、その一部を次にはりつける。
「他人から聞いた話によって、実際に経験したこととして記憶を形成してしまうということもある。たとえば、私の最も幼いときの記憶の1つは、もし本当だったら、2歳のときに起こっていたはずである。15 歳くらいになるまでは、本当の出来事だったと信じていたある場面を、今でもはっきり思い浮かべることができる。そのとき私は乳母が押す乳母車に乗ってシャンゼリゼ通りにいた。そこで私は男に誘拐されそうになったが、幸い乳母車の止め紐が付けられていたし、勇敢な乳母が私を守ってくれて助かった。彼女は気の毒なことに、男と争ったために顔に少し傷を負った。そのうち人だかりがして、短いマントを着て白い警棒を持った警官が現れると男はあわてて逃げていった。私は未だにその一部始終を思い出せるし、その場所が地下鉄の駅の近くだったこともはっきり分かっている。・・・・・(だがこれが全部うそだったのだ)・・・私が 15 歳の頃、その乳母から両親宛てに手紙が届き、救世軍で働くことになったと知らせてきた。その手紙の中で彼女は、過去の過ちを詫び、そしてこの誘拐事件の後、ご褒美に贈られた時計を返したいと言ってきた。 実は彼女はこの事件を1人でデッチ上げ、顔に傷まで作っていたのである。つまり私は子どものときに、この乳母を信じきっていた両親から出来事の一部始終を聞いて、視覚的記憶として自分の過去経験の中に投入してしまっていたのである。」
 こういう偽記憶の出現は、もちろん本人が作為的にやらなくても出現してしまう。たとえば目撃証言の内容が、質問のやりかたで変わってしまうことなどがいい例だろう。つまり過去の現実の記憶と、過去についてのイメージは大変まざりやすいのである。

したがって、東京で、記憶心理学の専門家を探して記憶再生の相談をしてみるのがいいかもしれない。こちらでもいい人を探してみようかね。何かわかったらメールする。

2011年3月5日土曜日

ふたたび記憶とは・・・・・褌子

いぜん、相談にのっている無籍のKさんのことを書いたことがある。
父親の名前と自分の名前、誕生日、4才くらいで母親が家出したことだけしか父から教えられた記憶がない。あとは横浜の保土ヶ谷で何とか小学校にかよったこと、11才ころ、父が入院し叔父さんに育てられたこと、二十歳まえに父が死亡したことを人づてに聞いたこと以外は壮年期までの記憶を全くうしなっているひとである。
そしてKさんには戸籍がないために、住民票も健康保険証もなく労災保険も適用されないと雇用している親切な社長さんから何とかKの戸籍をとってくれと頼まれているひとである。
裁判所に届け出て戸籍をとることを「就籍」という。この一年くらい、何度か私の車で家裁に案内し、調査官の聞き取りをすませて、きのうはじめて判事の審問をうけたが、「横浜市に過去にKという住民がいたという記録がどうしてもでてこない。現状ではあまりにわからないことが多すぎて、就籍は許可できません」との判事のことばで、さすがにKさんはショックをかくせない様子だった。
担当判事は、Kさんが清潔そうなみなりのおじさんで毎日、仕事をきちんとして家賃をはらい普通のひとりぐらしをしているひとなので「育ててもらった叔父さんの名前もいっしょに遊んだ叔父さんの子供の名前も、住んでいた町の名前も全く覚えていないなんてことあるだろうか……」とぶつぶつつぶやきながら絶句していたという。(守秘義務があるために審問の場には私は立ち会うことができないのであるが、しきりに首をかしげながら控え室にあらわれたKさんの表情がすべてを物語っている)
��さんのいう生年月日が正確であれば現在59才である。30~40才くらいまではちゃんと「自分が誰なのか」覚えていたのである。それが自分の出自を話したり書いたりするチャンスが一度もなくて必要がなくて全てを忘却してしまったのである。
わたしは控え室でKさんに
「昔は覚えていた」と判事にいいましたか?ときくと、聞かれなかったのでいわなかったという。それではだめだ、それをいいに行こうと私とKさんは調査官を呼び出して「昔は覚えていたんだ。いま年をとって思い出せないだけなんだ!」と強く訴えた。調査官は「どんなことでも思い出したことがあったら連絡をください」という。それを手がかりに横浜市に再・再度の調査請求をしたいと。
私は帰りの車の中で「Kさんのこの頭になかにきっと記憶が残っているはず。根気よく呼び起こしてみようよ」とKさんの頭をこんこんと指でつついた。Kさんもやっと笑顔をみせて「思い出してみます。夢のなかでも思い出せないか、がんばってみます」とこたえた。
誰か、Kさんの幼少年期の記憶再生の手伝いをしてくれませんか。保土ヶ谷全域をぐるぐる何日もかけて歩きまわったら、想い出すのかなあ・・・

2011年3月4日金曜日

携帯・・・猫跨ぎ

  京大などの入試でネット掲示板を舞台にした携帯悪用事件。韓国では前からあったと言う。何の対応もしていない大学もお粗末だが報道するマスコミも問題だ。業務妨害で訴える大学を咎め、教育的配慮をといっている間抜けなコメンテーターがいる。こんな奴は厳罰が相当だ。noblesse oblige 的精神とは真逆(注)の、人が見ていなければ如何なる悪事もしかねない腐った根性の持ち主だ。今更エリート教育などとは言わぬが、税金を使って大学教育をあたえるなどとんでもない。情報教育が必要と言っているが情操教育の間違いだろう。根本的な情緒に欠陥がある。こんなのが明らかに増えている。
  その掲示板にすぐ回答を出す人間が何人もいたという。世の中に閑人がいるんだ。要するに教えたがり屋か。もっとも新聞に出ていた回答の和文英訳を見たが、体をなしていないね。安い翻訳ソフトを使ったんだろう。これ丸写ししたのなら、ペケだ。というか、動かぬ証拠か。

��注)真逆って若者言葉かな。辞書にないですね。まあ、正反対と言い替えた方がいいか。

2011年3月2日水曜日

いろいろあるが・・・猫跨ぎ

  今日のNHKニュースを見ていたら、前原外相、野田財務相、蓮舫ナントカ担当相の三人が政治資金の件でやれパーティ券ががどうした、記述にミスがどうとかの報道。どうでもいいような記事。なぜこの三人なんだ。はたと気が付くのはポスト菅の有力候補と噂の面々なんだこれが。取りあえず牽制しておく、ここで叩いておく・・・。一体誰が思いつき、プロデュースするんだ。政治屋、有象無象の連中、マスコミを巻き込んだドロドロがあるんだね。
  なんだかんだを見ていると、クーデター待望論なんか出て来るんじゃないか。これは冗談だが。しかし時の総理大臣を馬鹿だちょんだと言ってもお咎め無しの社会は、まんざら悪くない。どっかの独裁国家は金輪際ごめんだ。

ちょっと追加するが、核の件。中東の独裁国家は北朝鮮の核技術を大枚で買いに行くと思うね。こんな予想をしてもどうにもならんが。

函館通信137・・・御礼・・・仁兵衛

 お三方の句評楽しく拝見。真に有難う御座いました。
 作者はあまり言わないほうが良いと一般的に言われてますので多くは語りません。
 「鰊群来」は今年1月末に小樽で約3キロにわたって海岸を真っ白にさせた報道写真がありました。この後スーパーでも鰊が沢山店頭に並んでいました。勿論昔の面影はありませんが増えたことは確かのようです。
 作る人、選ぶ人その思いは色々変化があって楽しいものですね。自選句は「風呂敷の鹿の子絞りや水の春」。

独裁者の末路・・・・逸徳

気になっていることがある。エジプトではサダト大統領が暗殺されているし、となりの韓国でもボクセイキが暗殺されている。もしかしたら・・・カダフィの周辺のだれかがやらかすんじゃないか・・・。どう考えたってカダフィには勝ち目がなさそうだもんな。 たくさんの虐殺よりひとりのの暗殺のほうがまだいい・・・などと心の中で考えて、そりゃちとまずいと反省したりしている。 しかし、予想もつかんのがこういう世界だから・・・もしかしたら・・・・

きのうの朝日の夕刊の池澤夏樹の文がおもしろかった。民衆を分断支配する支配者は、民衆が横につながってその数を自覚することをおそれる。したがって、横のつながりをいかに遮断するかが問題になる。(分断し統治せよというのは昔からいわれたことだからな。) 天安門事件はあの広場に民衆が集まって10万という数を自覚したときにおこったのだと。したがって変化は常に広場からおこる。 だから民衆を横につなぐITは今までにないこと、急速な目にとらえがたい横のつながりを引き起こしていると・・・・ だからケータイはこれからはカラシニコフ(もっとも流布している自動小銃)以上の影響をもつだろう。。。。。というようなことであった。 そうだよなあ。カラシニコフといえば世界中のゲリラが使っている銃だ。うまい比喩だなあ。

大乱 ・・・猫跨ぎ

  リビアが大変な事になっている。アメリカのクリントン国務長官が長期化を口にし出した。数千人の傭兵が取り囲んでいるとか。中東の独裁者を見ていると、異質なワールドだね。何兆円の蓄財とか私兵とか前近代がそのまま続いている。
  核の問題だが、カダフィは核を持たなかったことを悔やんでいると思うね。核の放棄と欧米からの体制保証を取引したわけだが、甘かったとホゾを噛んでいるだろう。もし核をもっていたら、自爆するぞの脅迫を武器に出来る。これは物凄く効く。カダフィならやりかねない。と言うことで、世界中の独裁者がその思いを強くしているのではないか。北朝鮮はそら見たことかと絶対に手放さない。米ソが号令を掛けたら納まった時代はとっくに過ぎた。核が絡んだら、世界は間違いなく地域紛争、大乱の時代に入った。

2011年3月1日火曜日

春の夜・・・猫跨ぎ

 「春の夜」は季語である。それによって大きく該句の舞台を決定してしまう。つまり俳句空間に遍く存在するものと捉えたい。だから、 例えば「麗人と居た時間」とか狭く限定するのはちょっと苦しいと思うね。作者がバスに乗って、春未だ来の厳冬の地へ旅立つとかそんな景をどうしても見てしまうんだよね。

いやおもしろい・・・・逸徳

仁ちゃんの俳句をめぐって、三人の感想がならんだ。こういうのはめずらしい。仁ちゃんの作品もさりながら、批評がそれぞれの批評者の個性をあらわし、それぞれがひとつの作品のようだ。まさに批評は別の面からの創造行為だろうなあ。そこで慇懃無礼大胆不敵にも批評の批評を試みたい。お二方の反論ご意見を賜りたい。まあひとつの遊びとしてね。 仁ちゃん、申し訳ない。勝手に使わせてもらいたい。 とりあげたのは「バス停の句」だ。

まず、褌子氏・・・・バス停に今置いてきた春の夜
バス停での瞬間を読むとすれば「いま置いてきた」とは変だ。季語をいま置いてきた…というのはおかしいのではないか。私見ですが。
そしてお師匠・・・・・・ バス停に今置いてきた春の夜
ということは、バスに乗ったあとは、春の夜は無くなったと。特別な夜であったとしてもちょっと分かりずらい。
最後に愚見・・・・・バス停に今置いてきた春の夜・・・・・ いいなあ、この「春の夜」はどんな夜だったのだろう。したしい仲間との語らい? 家族の歓談? それとも恋人との一夜のデート?? その楽しさや優しさを全部バス停において、暖かい思いだけ懐いて作者はただ一人夜のバスに乗るのだ。このバスはどこにいくのか。 人の生は孤独だが、孤立ではない。そこまで考えされる。

まずさっとみると、なんともおいらのはくさいなあ。絵画的に過ぎる。なんか演劇の台本のセリフの分析みたいである。まあいいや。まず確認する必要があるのは、読み手のいる場所と読まれた瞬間だ。読み手は明らかにバスの車内。「今置いてきた春の夜」から、乗っているのは夜のバスであるのがわかる。ここで、何となく勝手に想像をたくましくすれば、バス停の暗い電燈の光のなかで、読み手を見送ってひとりたたずむ麗人をイメージしたいね。これ蛇足。
 ここで「今置いてきた」の一言から、この「春の夜」は、漠然とこの世界をつつみこんで流れている一般的な「春の夜」ではないことがわかる。それは「置いてくることができる」ような、この一般的な春の夜から切り取られた、何かそこだけ風呂敷に包まれたような特別の「春の夜」だろう。それから離れて、今読み手はその春の夜を、客観的?に外から眺めているに違いない。 そして、その特別な春の夜がどんなものであったかによって、暗い夜のバスにひとり乗っているであろう、読み手の心にわいてくる感情は違ってくる。ここまでくると、この関係からどんな感情を読み取るかということは、もはやこれは作品の問題ではなく、この俳句の読者の精神状況や感性を反映する鏡になってくる。読者は、自分自身の生を投影するようになるのである。(ここでなんもこころが動かんやつもいる。それはしょうがない。猫に小判だ) そういう絵画的、あるいは演劇的力がこの作品にはひそんでいると思う。良い作品とは、畢竟、読み手の心をどううつしとるかという面をも持っている。

したがって、褌子さん、この春の夜はどうしても置いてこなくてはいけないのだ。読み手はそこから離れてきたのではないか。でないとドラマは成立しない。 そして、この春の夜はなくなってはいない、ただ読み手はその中にいないだけだと思うがいかがでしょう。お師匠。

以上、おそまつ。

追伸、春の雨じゃあ面白くないというお師匠のご批評、まいった。その通りだ。春の雨じゃあ、そのままじゃん、面白くもなんともないと、実は不安だったのをズバリといわれた。


仁句鑑賞・・・  褌子

・ 風呂敷の鹿の子絞りや水の春
 水の春とはきれいな季語だな。風呂敷と鹿の子絞り…そんな時代もあったんだね。溝口健二の映画の一場面。
・ 薄氷の向こうに地球歪みけり
 氷がレンズになっているということか。地球歪むがおおげさすぎるが  
・ 一分前発車ベル鳴る蕗の薹
 ふきのとうに意外感。時間的なせわしなさに対して、うす緑のふきのとうののんびり感がまことによろしい。
・ 鰊群来一粒ごとの宇宙かな
鰊群来を「にしんくき」だね。一粒ごとの宇宙かな、に一工夫ほしい。
・ バス停に今置いてきた春の夜
バス停での瞬間を読むとすれば「いま置いてきた」とは変だ。
季語をいま置いてきた…というのはおかしいのではないか。私見ですが。
 バスを待ち大路の春をうたがはず  石田波郷
このばあいはゆったりとした春の時間が流れている。
・ 春の土五感の地図を塗り替えて
雪のしたから春の黒々とした土がみえてくる瞬間。五感の地図を塗り替えてはやや技巧的。
・ 囀りや右から左アラビア語
面白い。トルコ語でもポルトガル語でもよろしい。右から左にもう一ひねりほしいが
ところでカダフィはどこへ逃げていくのかな。この男はしぶとい奴でねばりそう。しかし同胞を銃殺するとはとんでもない奴だ
・ 道糸を二号に決めて春の雪
春先の魚釣りは楽しい。岩魚もまだ小さいが一冬腹をすかせて飛びついてくる。痛快
・ 冴返る永字八法なぞりけり
「永字八法」という誠に古風な言葉をひっぱりだしてきた豊かな学識に脱帽。
「永字八法」の語感がなんともよい。だんぜん特選。
・ 蜆船頁をめくる閲覧者
シジミ船とiPhoneだかiPadだかを無理矢理鉢合わせにしちゃった。異質すぎて二物衝撃がおきていない。
・・・・それにしても昨年の宍道湖のシジミはあまりに小さく、せんだっての逸徳さんとよった青森の飲み屋での十三湖のシジミは大きさは中くらいながら、なんともいい出汁がでていた。
 By the way 今回の仁句は身辺の小世界から地球だの宇宙だのまで空間的な拡がりがある。さらに無限の過去から無限の未来への時間的な拡がりが一句にでてくるとますます面白くなる。いっそうの精進を期待したい。